全部は、助けられない
「三十二校」
白峰主任が表示した地図には、赤い点が東京中に散らばっていた。一つ一つが学校で、その中には当然、僕たちの学校もある。
「何人くらい……いるんですか」
「対象校の生徒数を合計すれば、約二万一千人」
二万人。
数字にされた瞬間、逆に実感が消えた。僕が知っているのは朝倉、倉田、クラスのみんな、学校のみんな。その向こうに、知らない高校生が二万人いる。
「管理局は?」
「すでに動いてる」
三枝先輩が答える。
「各支部へ警戒命令。対象校には人員を配置する。ただし、全部の学校を完全には守れない」
「……」
「能力者だけを三十二校に十分な人数配置するのは無理」
一般警察を大量に動かすこともできない。S/M能力の存在は秘密だから。
「だったら僕も」
――やめろ。
Sが即答した。
(まだ何も言ってない)
――三十二校回るって顔してた。
「回れるんですか?」
白峰主任が聞いてきた。
「三十二校。事件が起きて、鎮圧して、次へ移動する。仮に一校十分でも五時間以上だ」
「でもSpeedなら」
――俺をタクシー扱いすんな。
「そもそも、Speedを使うにはSPが必要だ」
そうだった。攻撃する。SPを得る。それを速度へ変える。移動したいからって、勝手に速くなれる能力じゃない。
「なら……どうすればいいんですか」
僕は赤い点を見る。誰かを選ぶのか。ここは守る、こっちは守れないと線を引くのか。そんなの、簡単に決められるわけがない。
「真白君」
三枝先輩が言う。
「全部を自分で助けようとしない」
「でも!」
「できないことを、できると思うほうが危険よ」
正しい。正しいから腹が立つ。僕は何も言えなくなった。
◇
翌日、学校は普通に授業をしていた。少なくとも、表向きは。廊下にも屋上にも校門にも管理局の人間がいる。でも生徒たちは何も知らない。
「ねえ」
昼休み、朝倉が僕の机にパンを置いた。
「真白君」
「何?」
「今日、めちゃくちゃ周り見てない?」
「そ、そう?」
「授業中だけで窓十二回、扉十九回」
数えてたの!?
――ストーカーだな。
(朝倉に失礼だからやめて)
「何かある?」
朝倉が聞く。
「……ちょっと心配なことがあって」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。そして自分のパンを開ける。
「じゃあ、心配しながら食べよう」
「何それ」
「お腹空いてたら余計悪いこと考えるし」
あまりにも普通の答えで、少し笑ってしまった。
――こいつ強ぇな。
(朝倉?)
――お前より。
否定できない。
その時、教室の後ろから声がした。
「真白」
振り向く。
「……倉田」
学校へ戻ってきた。まだ顔色は悪く、腕には包帯。クラスが少し静かになる。倉田は僕の前まで来ると言った。
「ちょっといいか」
◇
非常階段には、僕と倉田の二人だけ。正確には、僕の中にSもいるから三人だ。
「この前」
倉田が手すりを見たまま言った。
「助けてくれただろ」
「うん」
「……ありがと」
声が小さい。
「別に」
言いかけて止める。またこれだ。自分がしたことを大したことじゃないって消そうとする。
「どういたしまして」
僕は言った。倉田が少し驚く。
――それでいい。
Sが言った。そして倉田は、もっと言いにくそうに口を開いた。
「あと、今まで……悪かった」
心臓が少し痛くなった。謝ってほしかった。ずっと。でも実際に言われると、何を返せばいいか分からない。
「……うん」
「許してくれとかじゃなくて」
「うん」
「俺がやったことだから」
僕は少し考えた。
「まだ許せない」
倉田の顔が固まる。僕も怖かった。こんなことを言ったことがない。
「でも、謝ってくれたのは嬉しい」
沈黙。倉田が小さく「そっか」と言った。それだけだった。
――よく言った。
(……ありがとう)
――そこは俺に礼言うな。キモい。
本当に一言余計だ。その瞬間、倉田が右腕を押さえた。
「っ……」
「倉田?」
金属の手すりがカタ、と鳴る。僕は身構えた。
「能力?」
「違う! 俺じゃない!」
カタ、カタカタ。手すりだけじゃない。扉、ネジ、窓枠。校舎中の金属が震え始める。
『真白君!』
イヤホンから三枝先輩の声が飛ぶ。
『能力反応! 校内じゃない!』
「え?」
『北東、約六百メートル!』
僕は校舎の外を見る。隣の学校。赤い点に入っていた別の高校。その校舎から黒い煙。そして次の瞬間、窓が一斉に割れた。
「始まった……」
でも同時にスマホが鳴る。管理局の警戒アプリ。二件目、南。三件目、西。四件目。
五件目。赤い点が次々点灯していく。
「主任!」
『見えている!』
通信の向こうでは、白峰主任も状況を追っていた。
『同時発生だ!』
十、十五、二十。
違う。
三十二。
全部。
僕の息が止まった。全校、同時。
――湊。
Sが僕の名前を呼んだ。
(分かってる)
――分かってねぇ顔してる。
僕は拳を握っていた。全部へ行かなきゃ。そう思った。でも無理だ。さっき言われたばかり。
全部は助けられない。
「真白君!」
三枝先輩の声が飛ぶ。
『あなたは一番近い学校へ! 他は別班が向かってる!』
「でも」
『任せて!』
任せる。その言葉が怖い。自分で行ったほうが、自分で傷ついたほうが、確実な気がする。でも。
――お前。
Sが言う。
――俺に身体任せる時はあるだろ。
(……うん)
――なら他人にもやれ。
僕は一瞬、言葉を失った。
「倉田」
「え?」
僕は非常階段の扉へ向かう。
「みんなを頼む」
「俺が?」
「Metal使えるんでしょ」
倉田が固まった。
「でも俺……また暴走したら」
怖い。
当然だ。
「じゃあ能力は使わなくていい。先生呼んで、みんな体育館から離して。金属が多いから」
僕は倉田を見る。
「できることだけ、お願い」
倉田は数秒黙ってから、口を開いた。
「……分かった」
倉田が走っていくのを見送り、僕も外へ出る。隣の学校までは六百メートル。普通なら数分だ。
――代わるか?
Sが聞く。僕は首を振った。
(まだ)
――何でだ。
(向こうで戦うなら、君のSPを無駄にしたくない)
Speedは使えば減る。なら移動じゃなく、戦闘に。Sが少しだけ笑った。
――やっと考えるようになったじゃねぇか。
(誰のおかげだと思ってるの)
――俺。
(そこは否定しないんだ)
普通の速度で走る。息が切れる。遅い。焦る。それでも、SPを移動だけで使い切るよりはいい。
それでも、今はそれでいい。全部を自分一人で助けなくていい。僕にはSがいる。三枝先輩がいる。管理局がいる。倉田も今、動いてくれている。僕がやることは、世界中の痛みを全部引き受けることじゃない。目の前にいる人へ、届くこと。
隣の高校の校門が見えた。中から悲鳴が聞こえる。校庭の中央には制服姿の少女が一人立ち、その周囲には何人もの生徒が倒れていた。
でも少女自身も泣いている。
「来ないで!」
彼女の周囲から白い霧が噴き出した。M型――能力はMist。
――Mistか。
Sが言う。少女の腕には人工覚醒の注射痕。でも、おかしい。M型ならMPを得るには傷つく必要がある。なのに少女は誰にも攻撃されていない。
白い霧は校舎を覆うほど大量に広がっている。
『真白君!』
三枝先輩の声が飛ぶ。
『対象のMP値――異常!』
「どれくらいですか!」
一瞬の沈黙。
『計測限界を超えてる!』
ありえない。その時、校舎のスピーカーから知らない声が流れた。
『実験第二段階。外部刺激による覚醒は非効率だ』
僕は少女を見る。苦しみ、身体中を震わせている。
『故に今回から、苦痛そのものを人工的に生成する』
少女の胸元には、前に見たものよりずっと小さな黒い装置が取り付けられていた。そこから赤い光が漏れている。
『M型自己循環実験を開始する』
少女が絶叫した。霧が爆発するように学校全体へ広がる。
――湊!
(うん!)
僕は白い霧の中へ飛び込んだ。今度は、ただ受けるためじゃない。あの子が、これ以上受けなくて済むように。




