EP:\0015\手料理.txt
手料理[上級]のアビリティバブルをインストールしたシエルがキッチンに立つ。今日は自分に任せろと言われ、ロックはリビングで大人しく待機中だ。
いつも惣菜屋のおかずや弁当で済ませていたため、久々の手料理が食べられるとウキウキしながらラピスをあやす。やがて運ばれてくる料理の数々。食卓が様々な匂いで埋め尽くされていく。
テーブルに並べられたのは、ビビットなマーブル模様のメインディッシュ。
紫色のスープに、青いドレッシングが掛かったサラダ。
さっき買った食材や調味料の中に、こんな発色しそうなものは無かったはずなのに……
「えーっと……美味しそう、だね?」
「どーして疑問形で言いやがるですか。ちゃんと味見をしてるし、変なもんは混じってねーです。直ちに健康被害は出ねーですから、腹がはち切れるまで、たーんと食いやがれです」
かえって不安になるようなことを言われたものの、三原則に縛られた偽精体は人を害することができない。だから大丈夫だろうと、ロックは料理を口に運ぶ。
「……うまっっっ!!」
補色で彩られた肉や野菜が、口の中で絶妙なハーモニーを描く。少し刺激のあるスープで舌がリセットされ、次の一口がさらに美味しく感じる。合間に食べるサラダは、ドレッシングの清涼感が五感を研ぎ澄ませ、味覚のベールを一枚一枚剥がす。
一瞬で味の虜になったロックは、取り憑かれたように料理を口に運ぶ。
そしてあっという間に食べきってしまった。
「どーです、満足したですか?」
「うん、すごく美味しかった。毎日シエルの料理が食べられるなんて、俺は幸せだなぁ……」
「そこまで言われると、悪い気はしねーですね。これからも期待しやがれです」
頬を上気させたロックが恍惚とした顔で、食べすぎたお腹を満足そうにさする。シエルの料理は現場の作業員たちも虜にしてしまうのだが、それはもう少し先の話し。
「片付けは俺がやっておくから、シエルはお風呂に入ってきなよ」
「昨日みてーにメンテナンスポッドの洗浄で構わねーですけど」
「お風呂自体は問題ないよね?」
「あったりめーです。五十気圧防水のゼオーン級ボディーを舐めんなです。アビリティをインストールしたら、水泳だって問題ねーですよ」
「俺とラピスだけ使うのはお湯がもったいないしさ、せっかくだからどうかな」
「さてはあーしの残り湯を堪能しよーって魂胆ですね」
「ちっ、違うって! ユイ母さんもお風呂が好きだったし、ラピスが大きくなったら一緒に入ることもあるだろうから、お風呂に慣れてもらえばって……」
ワタワタしながらまくし立てるロックを見て、シエルに備わっている感情領域の一部がオーバードライブ状態へ突入。ずっと休止状態だった表情筋の一部で、ウェイクアップシーケンスが走り出した。
「そこまで言うなら入ってやるです。保湿成分みてーなの出しといてやるですから、あーしの残り湯でタマゴ肌になりやがれです」
「ゼオーン級には、そんな機能があるの!?」
「冗談に決まってんじゃねーですか。じゃあ行ってくるです」
顔を伏せたまま立ち上がったロックは、食器を持って台所へ向かう。ラピスをベビーベッドへ寝かせたあと、大きく息を吐く。
――今の笑顔、反則だろ。
手でパタパタ扇ぎながら、熱くなった頬を必死に冷ます。
あれはズルい、ズルすぎる。そもそも偽精体が虚偽の発言をするなんて前代未聞だ。しかもあんな弾けるような笑顔、今まで出会ったどの偽精体からも見たことがない。
あくまでも偽精体という枠内で、様々な姿を見せてくれたユイ母さんに対し、シエルの言動は何かの拍子に、その領分を飛び越えてしまう。
機能制限は一切無しで、フルカスタマイズも可能という、破格の条件で専属が許されたシエル。彼女がもっと自分らしさを発揮できるように、俺の持っている知識と技術を惜しみなくつぎ込むぞ。そんな決意をしながら、ロックは後片付けを終わらせる。
◇◆◇
寝室においているカウンターテーブルで、ロックはゼオーン級のサービスマニュアルや、各種仕様書に目を通す。先程の決意を遂行するため、全項目を復習しているのだ。
時間はたっぷりあるのだから、誰も到達したことがない最高の状態を目指したい。若さゆえの野心的な目標だが、予感めいた方向性は見えている。もちろん普通の方法で達成できないことは、ロック自身にも理解できていた。問題はその何かを、どう見つけるか……
「あんまり根を詰めすぎるんじゃねーですよ」
「うん、わかってる」
授乳が終わって満足げなラピスは、ロックに向かって手を伸ばす。彼に抱かれると、げっぷともクーイングともつかない息を吐き、スヤスヤと眠ってしまう。
「明日は休養日とか言ってやがりましたけど、どーすんです?」
「日課のトレーニングを終わらせたあとは、特に考えてないんだよね。シエルは何かやりたいことってある?」
「あーしも特にねーですが、時間があるならカッパー様に会ってみてーです」
「俺で対処できないことは、カッパーおじさんを頼ることもあると思うし、挨拶しに行こうか」
分厚い本をパタンと閉じ、ロックは視線を下げたまま小さく息を吐く。なにせシエルの笑顔が頭から離れず、まともに顔を見られないのだ。このままギクシャクするのは嫌だと思いつつ、恋愛経験ゼロの彼には具体策をひねり出す目処が全く立たない。
「今日のおめー、なんかおかしくねーですか?」
「……そうかな」
「さっきからちっとも目を合わせようと、しねーじゃねーですか」
「そっ、そんなことないと……思うけど」
「もしかして、あーしが専属になったこと、後悔してやがるです?」
しまったとロックは焦る。ここまで言わせてしまうなんて、もう体裁とかプライドに、こだわってる場合じゃないだろ。羞恥心とか諸々のことは捨てて、ちゃんと話そう。ロックは覚悟を決めながら、シエルの目を真っ直ぐ見る。
「それは絶対にない。ラピスの母親はシエル以外にありえないって思ってる。それに俺だってシエルじゃなかったら、こんなことは頼まなかった」
「そうやって頼られるのは偽精体の原則を刺激するですが、あまりあーしらに入れ込まねー方がいーですよ。姿形が似てるといっても、しょせん別物なんですし」
「そうやって割り切ること、今の俺には出来そうもないよ。だから昨日は一晩だけってことでやり過ごせたけど、これから一緒に暮らすんだって思うと、どうしてもシエルのことを意識しちゃってさ。それで不快にさせちゃってゴメン」
「別に謝んねーでもいーです。おめーの生い立ちを考えたら、しゃーねー部分があると思いますし」
「そう言ってもらえると助かるよ」
いくぶん表情が和らいだロックを見て、シエルの感情領域にかかっていた負荷は低下していく。余裕が出たリソースを他の処理に回していると、一つの疑問が頭に浮かぶ。
「機密事項の一方的な共有やら、あーしたちに対する邪な感情を聞いた上で認めるのは、すんげー癪ですけど。おめーは年齢の割にしっかりしてやがりますし、性格もまあそこそこちょっとだけ僅かに、良い気がしねーでもねーです」
「そこまで迂遠な言い方、しなくて良いと思うんだけど……」
「今の環境が引き起こした、一時的な気の迷いってことはねーですか? 復興と除染が終わって、魔力強度の低い住人が引っ越してきたら、恋人の一人や二人、簡単に作れそーですし」
「昨日シトリン姉さんが言ってたよね。全力で吸われたら数分で魔力が枯渇するって。俺がまだ赤ん坊の頃、シトリン姉さんの指をしゃぶっちゃった事があるんだ。その時は凄い吸引力で、一気に持っていかれたらしい」
「つまりどーゆー事なんです?」
「えっとね……粘膜接触だと手袋とか関係無しで、吸魔体質がフルに発動するんだよ。だからキスとかすると、普通の人は一瞬で倒れちゃう」
「ほんとーにおめーは難儀な体質してやがりますね」
その特性が働くのは自分だけでなく、相手の場合でも同じと聞き、シエルは盛大に頭を抱える。
「そんなん納刀も出来ねーじゃねーですか!」
「シエル、言い方……」
「ちなみにラピスならどーなんです」
「この子は特別だね。指をしゃぶられたことがあるけど、様子は全然変わらなかった」
「つまりおめーの相手は、娘しか出来ねーと」
「いやいや待って。それは流石にダメだから」
「血は繋がってねーから、問題ねーですよね?」
今度はロックが頭を抱える番だった。
「偽精体の倫理観、どうなってるの!?」
「あーしらが親族なんてメンタル、持ってるわけねーじゃねーですか」
確かにあるのは系列と型式だったな。
偽精体の生態に明るいロックは、妙なところで納得してしまう。
「とにかく! 娘に手を出すなんて、父親として許されません!!」
「もしラピスが大きくなって、とーちゃんと結婚するとか言いだしたら、おめーはどう思うです?」
「そんなの決まってるじゃないか。親として最高に嬉しい!」
「それならその時は、潔く手を出しやがるといーです」
あーだこーだと言い合うにつれ、さっきまでの微妙な空気は、きれいさっぱり消えていく。
そして夜も更けてきた頃、ラピスを挟んで川の字で眠る。
二人の距離は昨日より近づいているのだった。




