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20・理想と現実と

 使用人に世話をされる朝の目覚めは三年ぶりだった。レオナルドの家は非常に大きく、使用人も多くいた。貴族の館だと言われた方が納得できる造りで、キアラはギルドマスターの年収に慄いた。



「誘拐ですからね」

「昨日はよく眠れた?」

「これは、立派な、誘拐ですからね」

「それは良かった、朝食にしよう」

「怖い、会話が成立しない…」

「皆、キアラが来てくれてはしゃいでいるようで、食べられる分だけ食べたらいいからね」

「…皆って、どなたのことです?」

「使用人の方々全員? いやあ、キアラが全然来てくれないからさ、まだかまだかと急かされて大変だったんだよ」



 キアラがちらりと振り返ると、確かに使用人たちはこちらを見てにこにこと嬉しそうにしている。一体どんなことを彼らに吹き込んでいたのか、キアラは面倒になってそれ以上の追及を諦めた。



「デザイナーが来るのは午後だから、朝食が終わったら的場で遊んでても良いよ」

「ギルドに行って良いんですか?」

「いや、この家にあるから」

「的場が」

「作ったから」

「…レオナルド様って、弓」

「しないな、君の為に作ったんだよ」

「もう、私は、何も言いませんからね」

「気に入って貰えると嬉しいな」



 朝食を食べ終わると、レオナルドはギルドに行ってしまった。ギルドマスターなのだから当然なのだけれど、本当に客人を残していくその神経はどうなのだろう。大体それならばキアラを連れて行ってくれてもいいのに、そうしたらそのままどうにかして逃げてやれたのに。


 きっとその思惑がバレたから連れて行って貰えなかったのだが、ではこの家からも出て行けそうである。しかし、きちんと教育されている使用人たちに行く手を阻まれる。無理に押し通ってもいいのだが、一般人にそれをするのはあまりにも大人げない。仕方がないのでキアラはレオナルドが言っていた的場で遊ぶことにした。



「…」

「いかがでしょうか、キアラ様」

「レオナルド様がかなりこだわっておられましたが、他にも何か必要な物があればすぐに足すよう申しつけられておりますので、遠慮なく仰って下さい」

「いえ、とても素晴らしいです。手入れもよくされていますね」

「勿体ないお言葉でございます」



 本当によくここまでしたものだ。ギルドの的場よりは小規模だが、材木一つとっても高級なのが見てとれる。置いてある練習用と思われる弓も、実地で使って然るべきレベルの物ばかりだ。さすがに属性付与はされていないようであるが、キアラのお気に入りのブランド物もある。


 レオナルドの金銭感覚はおかしい。前々から思っていたが、おかしい。どこぞの貴公子が豪遊をしているような使い方である。貴族であるならば買い物一つとっても、経済を回すという意味合いも含まれるのだが、彼は平民の筈である。…ギルドマスターとはそんなに儲かるのだろうか。



「(まあ、わたくしには、関係のない話です。…ええ、関係はないのです)」



 昨夜は錯乱して自身が愛の言葉を欲しがっているようなことを言ってしまったが、やっぱりキアラは結婚をするつもりにはなれない。やはり自身の血筋のことがあったし、何より恋も愛も信頼がおけない。自身の恋情だっていつ消えるか分からないのに、どうして皆 相手のそれを信じられるのだろう。レオナルドのことはやはり好きだ。けれどそれとこれは話が違うのだ。


 気を取り直して、的を見つめる。実家のそれとよく似ている的は何だか懐かしい。祖父が両親に黙って作ってくれた的場は、ここよりも小さく実家にあったというのに自由に出入りができなかった。両親がいない時を見計らって、こそこそと入っていく必要があったからだ。祖父が作ってしまった以上、使用させない訳にもいかなかったがそれもそこに入り浸るとあまり良い顔をされなかった。まあ、仕方のないことである。


 すたん、と中央に矢が刺さるこの快感をあの人たちは知らない、知れない。それでいいのかもしれない。貴族としてはその方が良いに決まっていた。それでもキアラはこれを手放す気にはならなかった。…幼い時に、その上達を褒めてもらいたかったと思ったことだってあったが、さすがにそれは言えなかった。その頃にはもう、この趣味が異常だと分かっていたから。


 思えば、ままならないものである。貴族として生まれなければ、あるいは初めから弓士として生きていけたのだろうか。そうであれば、元婚約者殿のような男性と婚約する必要もなく、恋愛や結婚にだって別の考え方を持っていたのだろうか。



「(…。もしも、を考えだしたらきりがないから、止めなさいと言ってくれたのは誰だったかしら)」



 学友だったかもしれない、家族か教師の誰かだったかもしれない。そんなことも思い出せない。ふう、ともう一度ため息を吐いて、キアラはまた的の中心を射貫いた。既に的は矢でいっぱいになっていて、もう刺さる所がなかった。


 刺さっている矢の中心に矢を上手い具合に当てると、矢が裂けていく面白い現象が起きるのだが、あれはさすがのキアラでも狙ってできた試しはない。【鷹の目】があれば当てることは可能だが、当たる場所の調節は自身でせねばならないのだ。弓士ギルドにはそれを狙ってできる人がいると聞く。一度教えて貰いたいが、これは既に感覚の話になってくるだろうから意味がないかもしれなかった。



「――ラ、キアラ」

「…ああ、お帰りなさいませ、レオナルド様。気付かずに、申し訳ございません」



 弓を持っていると、時間の感覚がおかしくなる。朝からずっとこうしていたのかとキアラは少しばつが悪かった。



「いや、熱心なのは良いことだ」

「あ、そのネックレス」

「目ざといな。君が大分前にくれた魔石を加工したのがやっと出来上がったんだ」

「よくお似合いです! …何か良いことでもありましたか?」

「ああ、うん。うん、キアラにお帰りなさいと言われるのが、結構嬉しくて…」

「はあ」

「ところでいつから、この家の女主人になる?」

「なりません」



 キアラがレオナルドから視線を外すと、使用人がさっとタオルを差し出した。本当によく教育されている使用人たちである。このレベルであれば、王城でも働けるだろうに。まあ王城で働くには貴族の推薦が必要であったりもするから、この家で実績を積んでまた別の屋敷に働きに行ったりするのだろうか。



「ああ、そういえばデザイナーはもう帰ったよ」

「え」

「仕立屋って服の上からでもサイズが分かるんだって」

「…レオナルド様の兄君ですか?」

「あの人は変態、デザイナーはプロ。キアラが気付かない内に来て、気付かない内に帰ったんだって。…君、まさかクエスト中もそんなんじゃないだろうね」

「クエスト中はさすがに周りを気にしていますよ。…ここは室内で、変な気配もなかったから」

「ならいいが」



 レオナルドはキアラから弓を取り上げるとすっと距離を詰め、抱き寄せた。



「ひえ」

「ああ、疲れた…」

「ちょ、ま、私今、あ、汗を! かいているので!」



 汗をかいていなくとも抱きしめて欲しくはないが、今は殊更駄目である。軽く拭いただけでは汗の匂いはとれない。女性の汗が臭わないだなんてただの幻想だ。しかしやはりどんなに押してもレオナルドは剝がれない。キアラはいつも本気で押しのけているのにこれである。男女の差か、男女の差なのか。やはり高くでも常時発動の筋力強化系魔道具を買うべきなのか。



「ちょっと、大人しくして。今かなり疲れているんだよ」

「私が悪いように言うじゃないですか」

「悪いだろうが、この悪女」

「は?」

「さて、昼食もまだだったんだろう? 軽く食べよう」

「釈然としませんね。というか、もう帰っていいですか、デザイナーの方も帰られたのでしょう?」

「明日なんだ、夜会」

「え、ええ…」

「キアラが逃げ出さないって保障がないから、駄目」

「…監禁っていうんですよ」

「まあそうかもね。でも君なら私がいない間に逃げ出せた筈だ。…いてくれて嬉しかった」

「…」

「朝言いそびれたけど、その服も似合っているよ、愛おしい人。可愛いね」



 そう言ってレオナルドはキアラの額に口付けた。キアラは素早く額を手で隠して俯いてしまう。そうだ、出て行こうと思えば出て行けた。それをしなかったのはキアラだ。自身が本当にどうしたいのか分からず、キアラはもう泣いてしまいそうだった。


 レオナルドに好きだの愛しているだの言って貰えるのは、素直に嬉しい。しかしこれを喜んでいいのだろうか、疑問は次々と湧いてくるのに答えは一向に出ない。どうするのが正しいのか、キアラにはもう分からなかった。



「的場はどうだった、何か欲しい物は他にあるかな」

「ございません」

「昨日も言ったが、キアラの部屋にあるものは全て君の為の物だから自由に使ってくれて構わない。欲しい物があれば何でも言って、すぐに揃えるよ」

「ございません」



 昨夜、連れて行かれた客間のことをレオナルドは“キアラの部屋”だと言った。広い部屋に趣味の良い調度品。ウォークインクローゼットには女性物の服が多く詰め込まれていて、本日のキアラの衣裳もそこから出された。生国の雰囲気に似たその部屋は確かに落ち着いたが、それを、はい そうですかと貰える筈もない。



「…キアラ、また難しいことを考えているだろう。昨日もいいと言ったのに」

「考えることを放棄するってそれはもう人ではないですよね」

「極論だなあ…。私を信頼してくれさえすればいいんだが」

「信頼は、しております。ギルドマスターとして」

「それが夫として、になれば一番良いんだが」

「あ、これ美味しいですね」

「面倒くさがらないでよ」



 面倒くさがった訳ではない、返答に困っただけである。本当に返答に困っただけなのである。レオナルドが本気だとはもう理解していた。きっと的場もキアラの部屋も本当にキアラの為に作ったのだろう。


 理想的な人だ。自身の為にこれまで尽くしてくれ、更にその人は自身の好きな人である。夢物語にも似ている状況であるのだ、きっと何も憂うことなんてない。これが舞台であるのならば、ヒロインは葛藤があったとてそれを乗り越えてヒーローと添い遂げるだろう。それでハッピーエンドだ。けれど、これは現実なのだ。実家だって今はキアラを連れ戻そうとしていないが、勝手に結婚しようとしているのがバレればそうはいかないだろう。

読んで頂きありがとうございました!


 きっと、後少しで終わるはず。きっと。

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