19・できない返事
キアラが作った非常に簡素な目玉焼きとトマトとベーコンを挟んだだけのサンドイッチを、レオナルドは喜んで食べた。本音を言えば、レオナルドが来さえしなければ目玉焼きだけのサンドイッチで済ませていたつもりであったが、さすがにそれではと具材は足した。それでも簡単な夕食である。いつも連れて行かれるような高級店ではメニューにも乗らないだろう。しかしレオナルドは満足そうに、簡素な椅子に座って紅茶を飲んでいる。
「うん、美味しかった。ありがとう」
「それはよろしゅうございました。それで」
「それでとは?」
レオナルドが笑いながらとぼけるので、キアラはひくりと顔をひきつらせた。しかしそのまま穏やかに話を進める。
「レオナルド様、ご用件がなければ本日はお帰り下さい。…夜分に私の家にいることが人に知られればどんなことを言われるか」
「ああ、やっとくっついたと思われるだけだよ。そういえばキアラ、元々の一人称は“わたくし”だったんだ。どうしてわざわざ“私”に変えたの、“わたくし”の方が雰囲気に合っているよ」
「レオナルド様、お話でしたら明日ギルドに参りますので」
「…君さ、私になんて言ったか覚えている?」
「は…?」
レオナルドは笑いながら、しかし目元は決して緩ませなかった。どうして手元に弓を置いておかなかったのか後悔しながら、キアラは一番近くにある弓はどこだったのかを考えた。その程度の危険性がある視線ではあった。
「君は“考える”って言ったんだ。私に対して。その結果がこれなのは、さすがに酷いのではないかな」
「それは、いえ、今はまだ」
「私が言ったことも覚えているかな、私は“逃がすつもりはない”と言った筈だよ。逃げられるとでも思っていたの、私のことをなめているのか」
「そんなことはありません、まだ考えが纏まっていないだけで…」
「それいつ纏まるの、私に一生待っておけとでも?」
「そ、だ、だって」
「今まではちゃんと顔を見せていたし、逃げるそぶりもなかったからまだ許していたんだ。逃げようだなんて考えているなら、私にだって考えはある」
レオナルドがすっと立ち上がるので、キアラも反射的に立ち上がった。責められるような言動に、キアラももう感情を抑えることができなかった。
「…だって! まだ決められないんです!」
「今までだってそれでもギルドに来ていただろう!」
「何です請うている人が偉そうに! 大体花も手紙も愛の言葉だって贈ってこないくせに! 結婚だけしたいって言われたって私だってどうしたらいいのか分かんないじゃないですか!」
「はあ!? …は? 何、そんなものが欲しいの、君」
「そんなもの…。…そうですね、確かに、そんなものです」
キアラは頭からさあ、と血が引いていくのを感じた。そうだ、何を言っているのだろう。恋愛も結婚もしないと、するつもりもないと啖呵を切ったのは自身であるのに。昔に学友たちが花を咲かせていたような、可愛らしい恋の真似事がしたかったのだろうか。キアラは自身に失望して、レオナルドから視線を逸らした。
「え、いや待て、違う。キアラ」
自身の失言に気付いたレオナルドが慌ててキアラとの距離を詰めたが、キアラは更に距離を取り扉を示した。
「お帰り下さい。変なことを言って申し訳ございませんでした。どうぞお忘れください」
「違うんだ、キアラ。そんなものっていうか、その、だって宝石とか香水とかドレスとかさ、もっと高い物だって買ってあげるよ! 欲しい物ならなんだって!」
「そんな物いりません。必要なら自分で買えます。わたくしは、そんな物を着けなくてもいいようにこの国に来たんです…!」
「キアラ、ごめん。違うんだ、話を」
もう、子どもが鬼ごっこでもするかのようだった。一人暮らしには広い部屋であったけれど、大人二人が走り回るには狭い。
「これ以上の何を話すというのです。もう全て終わりました!」
「キアラ! 待ってって!」
レオナルドは何とかキアラを捕まえた。普通に考えれば弓士に足で敵うはずのない魔法使いが、憐れなくらいに必死になってどうにかやった偉業でもあった。どうしても今挽回しておかねば、きっとキアラは一生レオナルドのことを見てはくれなくなると理由なく理解できた。
「…! っ! はな、離し…ちょ! 魔法使いの癖に…!」
「はあ、は、たまに思うんだけど、は、キアラって、はあ、魔法使いに、何か恨みでもあるの」
「ありませんでしたが、今新規で恨みそうです」
キアラが掴まれている腕をぐいぐいと引っ張り抜け出そうとするので、レオナルドは荒い息を整えながらキアラを抱きしめた。ぐ、と押さえ込まれてしまってもキアラは諦めずに抜け出そうとするが、それは無駄な行為だった。
「その、キアラ」
「黙って下さい」
「キアラ」
「もう本当に帰って下さい」
「…顔が真っ赤だ」
「…私は、いつも結構こんな感じですよ」
「それをいつも誤魔化しているのだものね」
「手を離して下さい」
「可愛い、真っ赤で」
キアラは顔を上げずにびくりと震えた。レオナルドの声が耳の傍で聞こえる。さっきまで絶対にもうこんな人なんて知らないと思っていたのに、自身でも制御が効かない感情が体の中で暴れて仕方がなかった。
苦しい、恥ずかしい、辛い、悲しい、それから。これが恋だというのなら、知らないままでいたかった。ああ、どこかで聞いたような台詞だ。いつかに観た舞台のどれかだろう、何度も使われた台詞が実体験になるなんてこんな皮肉もないなとキアラは自嘲した。
「さっきはごめん、言い方が悪かったね。キアラが欲しいなら何でも贈るよ。ただ、その、もっと高価な物を言われるとばかり思っていたから、驚いて」
「もういりません」
「そんな風に言わないで、君の為ならなんだって手に入れてみせるよ。…好きなんだ、キアラのことが」
「一度だって、そんなこと、仰ったこともなかったのに」
「そう、だっけ?」
レオナルドがあまりにもあっけらかんと言うものだから、キアラは呆れてしまった。レオナルドにも、そんなことで悩んでいた自分にも。そうだ、その程度の話だ。やはり恋なんてするものじゃなかったのだ。
それでもレオナルドからの初めての告白に心臓がおかしくなっている。どうして自身はこうなのだろうと、キアラはもう泣けてきそうだった。
「いや、でも、私はずっと君に結婚して欲しいって何度も」
「求婚と求愛は意味が違います。普通は求愛してからの求婚ですよ、貴方は順序がおかしいんです」
「そう言われると。…でも、私が君のことを好きになったのは君のせいなんだから、責任をとって結婚ぐらいするべきじゃない?」
「ぐらいって…」
レオナルドはその“ぐらい”がどれくらい大変なのか、分かっていないからそんなことが言えるのだ。そもそもキアラとて偽名だが、レオナルドだって偽名を使っている。自分のことだって明かさない癖に、キアラの本名を聞いて来たりするのだって信用がおけないのだ。
「そうだよ。結婚をして、一生私の傍にいて」
「それ、は」
「愛しているんだ、キアラがギルドに来なくなってからずっと辛かった。でも、君がやっと考えてくれるって言ったから、我慢をしたんだ。でももう無理だよ」
「レオナルド様」
「君は無責任だ。私をこんなにしておいて…。自分だけ逃げるつもりでいたのか」
「…」
「ねえ、キアラ。君は頷くだけでいい。難しいことは考えないで、頷いてさえくれれば」
「…」
「…まだ、できない?」
キアラはもう何も話せなかった。慎重に下唇を噛んで音が漏れないようにした。何かが漏れてしまえば、もうおしまいである気がした。
じっと俯いて黙っているだけのキアラを腕にしっかりと抱きながら、レオナルドは深くため息を吐いた。
「分かった、今日は、ね。まあ、連れに来ただけだし」
聞き逃せない言葉に、緊迫した空気が霧散していった。キアラがゆっくり顔を上げるとすぐ傍にレオナルドの顔があったが、それに反応している場合ではなかった。
「…連れ? え、ど、どこに行くつもりです?」
「私の家」
「行きませんよ」
「もう後、二日なんだ」
「二日、ですか? 何が…」
「兄から招待状を貰っただろう、その夜会の」
「あ、ああ、そういえば」
確かに招待状に示された日は近づいてきてはいた。本気で行く気がなかったのでキアラは三日後だということを、すっかり忘れていたがそう言われればそうだった。しかし、それとレオナルドの家に行くのとは全くの別問題である。キアラはまた、どうしてリビングに弓を置いておかなかったのかを後悔し、どうやってこの腕から抜け出すのかをもう一度考えた。
「忘れていただろう、衣装合わせをしたいと言われてね。その迎えに来たんだよ」
「衣装合わせ…は! で、出ないですよ!?」
「君に似合って、君が気に入るドレスを贈れば出ると言っただろう」
「あ、ああ…」
そういえば、そんな約束もした。ここ数日ずっと考え事をしていたせいで、他のことがあまりにも疎かになっていたついでに、そんなこともすっかり忘れてしまっていた。
「まあ、もうこんな時間に呼びつける訳にもいかないけれど」
「…はあ、では明日お伺いしま」
「行こうか」
「なんで」
「いや、キアラはこれから私の家に来て泊まるから」
「なんで、ちょ! だから、力が強い!」
抵抗虚しく、キアラはずるずると家から引きずりだされた。そしてそのまま待機していた馬車に詰め込まれ、レオナルドの家に連行されていった。
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