18・双子の目玉焼き
考えると宣言してからこちら、キアラはギルドへ顔を出す頻度を極端に下げた。キアラはエルドラド王国へ移住し、狩猟ギルドに加入してからそのほとんどの時間をギルドで過ごしていたといっても過言でない程だったので、その変化にはギルド内が大分とざわついた。
しかしギルドとはそもそも自由意思で自由にクエストの受注ができ、且つ自由に加入脱退ができるシステムの組織である。生きていくのに十分な蓄えもあるキアラが身を粉にしてまで働く必要もなく、また最上位ランクの中にはマイペースに働く者も多い。例えば半年に一回の出勤であってもそれだけの高難易度クエストをこなせば暮らしてはいけるのだ。
キアラには暫くの間、休暇がとれるだけの貯蓄はあった。ギルド内にある的場の方が設備がしっかりとしているが、郊外に建てたキアラの家にも簡易的な的場はある。キアラは弓を引いたり、弓を飾っている部屋で弓の手入れをしたりしながら、じっと今後のことを考えていた。
キアラがレオナルドに恋しているのは事実である。ここは否定ができない、いつか飽きて落ち着くだろうと思った恋情は、いつまで経ってもそのままでむしろ悪化さえしているかもしれなかった。
実の所、キアラはレオナルドに初めて会った時に言った『恋とはそういう面倒且つ迷惑極まりない厄介な事象である』という考えを改めてはいなかった。実際、現状がかなり面倒であるとも思っている。しかしこれを引き起こしたのが自身であるのであれば、文句をたれるのはお門違いというものだ。
では、本当にあの人と恋人や夫婦になりたいのか。逆にどうしてもなりたくないのか。恋とはどうして一人で完結してくれないのか、延々と考えた。答えは全くでなかった。時間ばかりが過ぎて、ギルドに顔を出さない日が増えていった。
このまま、こうしてずっと。ギルドへの出勤もクエストの受注も最低限にすれば、レオナルドはキアラのことを忘れてしまうのだろうか。キアラ自身もレオナルドのことを忘れてしまえるのだろうか。声が聞きたいと、顔が見たいと思うのも綺麗に失くしてしまえたら、レオナルドの大切な人もキアラのことを許してくれるのだろうか。いや、それはないだろう。アリーチェが言った通りそんな人が近くにいるなんて、そんなこと、自分なら。
しかし、現実的にキアラがレオナルドと結婚するには、様々な問題がある。一番は侯爵家の血筋の問題だが、その他にもレオナルド自身が偽名であること、そして。
「(わたくし、あの方に好きだとか、愛しているとか言われたことがないんですよね…)」
そう、レオナルドは求婚はしてくるものの、求愛や愛の言葉を捧げてきたことはなかったのだ。結婚は恋愛とは違うと聞く、恋愛相手ではなく結婚相手としてキアラを選んだのかもしれない。結婚が第一の狙いであるのであれば、そこに愛は必要ないのかもしれない。でもそれでは、キアラは愛している人に愛されないまま、妻として振舞わなくてはならないのだろうか。貴族であれば当然のことであるし、けれどそれも嫌で今ここにいるのに。
キアラはふと、学生時代を思い出した。キアラとて、学生時代にはにこやかに恋バナに興じるふりをしていたことがあったのだ。その学友曰く。
『よろしくて、皆様。安っぽい愛の言葉を吐く殿方なんて相手にしてはいけませんが、もっと駄目なのは一切言葉を贈ってこない方ですわ』
『あら、それはどうして?』
『簡単ですわ。何事も言葉にしなくても通じるだろうという怠慢を今の時点でしてくる殿方と一緒になってみなさいな、結婚後なんてもっと酷くなりますわ。わたくしの母はそれで二度離婚して三回も結婚したのですよ』
『分からないでもありませんね。突然「どうして僕の思っていることが分からないんだ」と怒鳴られたことがありますの、わたくしにはそういう能力はございませんので…』
『まあ、そんなに怖いことがおありでしたの。大事ございませんでした?』
『ええ、ご心配頂きありがとうございます。お父様に申し上げて、お話をなかったことにして頂きました。まだ婚約前でしたので。あの方と家庭を持った後は、大変だろうなと想像してしまいましたもの』
『そうです。噓つきは勿論いけませんが、伝えてこないでも伝わっているなんて考えている輩はいけません。そのお話が流れて良かったですわ』
貴族であっても子どもの頃に婚約者を決めてしまう家と、相手の性質や能力を見極めようと成人ぎりぎりまで待つ家がある。彼女たちの家は後者で婚約者探しの真っ最中であった。
元婚約者殿は考えていることを伝えてはきたが、伝えてきたところで決定事項であったからその当時は「伝えてこられても困る場合もありますよ」と心の中でだけ噛みしめていた。
しかし彼女たちの言うことにも一理あるだろう。キアラはレオナルドの考えていることがいまいち分からなかった。今後の動きに決め手が欠けるのだって、そのせいでもある。そうだ、レオナルドのせいなのだ。
「(…責任転嫁をしたとて、ですね)」
キアラはふうと息を吐いて、椅子から立ち上がった。そろそろ夕飯の準備をしても良い時間だった。前に買っておいた卵やパンはまだあったから、簡単にサンドイッチでも作ってしまおう。
フライパンを火にかけ油をひきながら、キアラはまた考えだした。そもそも、キアラがとれる次の手はそんなに多くなかった。身勝手に現状を続けるか、今のようにギルドへあまり顔を出さないようにするか。もしくはギルドを脱退して地方に移るか、実家に帰るか、レオナルドの求婚を受け入れるか。この五つだろう。後は選べばいいだけだ。それだけなのに、それがただただ難しい。
「あ、双子」
フライパンに卵を割り入れると、中から黄身が二つ落ちた。初めてのことに落ちていくばかりだったキアラの気持ちが少し上向く。卵を割るのにも初めはひどく苦戦したものだった。
どんなに繊細なコントロールでもって矢を射ることができたとて、全く関係がなかったのだ。自炊をし始めた頃なんて、殻が入るのなんて当たり前で、何なら火が通り過ぎて炭直前にするまでがセットだった。それが黄身が二つ入っていることを喜ぶまでになったのだ。
「本当だ、初めて見た」
「わたくしも初めてです。本当にあるのですね、こういう…。…。…」
「そうだね、聞きはするけど見ることはあまり」
キアラは硬直した。フライパンに落ちた卵がじゅわじゅわとゆっくり焼けていくのを凝視しながら、キアラは。
「おっと」
自身の右側へ思い切り回し蹴った。目標が素早く避けたのでそれが当たることはなかった。
「何をして、何、ちょ、何!」
「焦げるよ」
「ああもう!」
キアラはばちんと火を消して、目の前の人物を睨みつけた。
「なん、な、鍵は!? トラップだってかけていたはずです! 何でここにいるんです!?」
「家庭訪問。鍵とかは、うんまあ、ほら。聞かない方がいいよ。普通に使う分には大丈夫だから」
「か、かてい、ほうもん…」
へたへたと膝を折るキアラを、レオナルドが支えた。
音はしなかった。防犯系の魔道具だって作動しなかった、鍵はかけていた。何故、ここに、キアラの家に、レオナルドがいるのか。キアラは様々な葛藤と興奮と疑問とでめちゃくちゃになっている頭をどうにか回転させて、ゆっくり深呼吸をした。
「大丈夫?」
「大丈夫では、ないですね」
この目の前の魔法使いには何を言っても無駄なのだ。それをキアラはきちんと理解した。
「今から夕食? 早くない?」
「放っておいてくれませんか、人の食事時間くらい。…どのようなご用件でしょう」
「私もお腹が空いたな」
「…」
「私の分も作って」
この目の前の魔法使いには何を言っても無駄なのだ。それをキアラはもう一度確認した。
「はあ、お口には合わないと思いますよ」
「おや、どうして。そんなに下手なの?」
「自分で食べる分には問題ありません。ですがレオナルド様はいつも良いものを食べていらっしゃるでしょう」
「それはキアラの方だろう、私は貧しい育ちだったよ」
キアラは偽名を使っている。モルゲンロート侯爵家の娘であることを隠すためだ。苗字をもじっただけで、簡単すぎる偽名であるから調べようとすればすぐに分かってしまうだろう。しかしそれはギルド規定違反だ。ギルドマスターであるレオナルドが犯して良い法律ではない。
「睨まないでよ、ギルド規定に従ってはいるさ。ただ君、その振る舞いで育ちの良さが隠れていると本当に思っている?」
「…おかけになってお待ちください」
「ありがとう、楽しみにしているよ」
キアラは色々と諦めて、レオナルドに椅子をすすめた。
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