16・観劇デート(デートではない)
「は? 何それ、どうせアリーチェだろう、ちょっと待ってて。アリーチェ! 私にも服を!」
弓士としての衣裳でないキアラを見たレオナルドの第一声が、これであった。王城から帰って来たレオナルドは、怒ったような声でアリーチェを探しに行ってしまった。
「…お気に召しませんでしたかね」
「第一声が“は?”なのはマスターが悪いけど、あれは普通に自分の服装とキアラの服装が合わないから焦っただけでしょ」
窓口にいたアウロラがキアラに声をかける。
「合わないって…。…。あの素晴らしく似合っているローブが!?」
「言ったって仕事着じゃない。デートする相手が綺麗にしてんのに自分だけ仕事着とか、微妙じゃない?」
「?」
「そうだね。キアラはマスターだったら、何でもいいんだもんね」
「そうですね!」
「(…心配して損した)」
「何か言いました?」
「言ってませんー」
キアラはいつも通りのように見えた。そう見せているだけかもしれなかったが、そうであってもいつも通りに振舞えるのであれば、まだ大丈夫であろうとアウロラは安心した。
二人が話しながら待っていると、レオナルドが足早に戻ってくる。
「お待たせ、時間が迫っているからもう行こう」
キアラはその姿に絶句した。常日頃から仕事着なのは何もキアラだけでなかったのだ。ギルドメンバーにはそういう者も多いし、レオナルドとてその一人だ。彼は常に魔法使い専用のローブを羽織っていた。それが今はない。キアラは耐え切れず両手で目を隠してしまった。しかし瞼の裏には細身のフォーマルスタイルなレオナルドが焼きついている。
「キアラ?」
「か、かっこいい、むり…」
「ほら行くよ、始まってからじゃストーリー追うの大変だろう」
「むり…」
慣れた手つきでキアラを引きずっていくレオナルドも、こちらこそ無理だと言ってやりたかった。愛らしく整えられた彼女は、恐らく自分でしたのではないだろうにしても、それはレオナルドと観劇に行く為の装いであるのだから、色々とクルものがある。
そしてそれはそれとして、服を着替えるのであればレオナルド自身が用意したかったとか、こんな風に突貫で合わせたような服でなくもっと。と様々なことがレオナルドの頭の中でごちゃごちゃになっていた。
ふと、揃いの靴が目に入る。あの腹違いの兄にしては珍しく良い品を贈ってくれたものだ。
「ほらキアラ、ちゃんと歩いて」
「むりぃ…」
「いつまで言ってるんだ」
「だって、だって、聞いていません…」
「私だって聞いていなかったよ、君が着替えているなんて。初めてじゃない?」
「だって、アリーチェさんが」
「分かるけどね。…綺麗だ、似合ってるよ」
キアラは漸く瞼を少しだけ開けて、自身の服装を確認した。確かに綺麗な服である。組み合わせ次第でどうこう出来てしまうのだから、センスのある人は羨ましいものだ。レオナルドの兄君から頂いた靴にもよく合っている。
「確かに、さすがはアリーチェさんですよね」
「君のことを言っているんだけど」
「そうですね、お褒め頂きありがとうございます」
「キアラってこういうの言われ慣れているよね」
「ううん、まあ、あれですよ。お世辞は大事ですから」
「私のは世辞じゃない」
「皆さんお上手ですよねえ」
「…慣れた?」
「少しは、あ、待って、待って下さい、ムリ。無理です、視界に入らないで下さい」
「無茶を言うんじゃない」
そうやってやいのやいの言いながら、やっと二人は劇場に着いた。ほぼ目の前に城があるこの劇場はエルドラド王国で一番大きく美しいと評判で、王侯貴族も多く訪れるという。
何とか開始までに間に合い通されたのは個室席で、専用の世話人もいるような部屋だった。
「何かお飲みになられますか?」
「ワインを、軽いやつなら何でもいい。キアラは?」
「お水で結構です」
「彼女にも同じ物を」
「お水がいいです!」
「両方お持ち致します」
世話人はくすりと笑いながら音も立てずに出て行った。その鮮やかな所作の一つ一つが、一流の人の世話をする一流の仕事人であることを示している。
「良い席なのは、大変に嬉しいのですが。ここは高位貴族の方が使うような席なのでは?」
「嬉しいのだったらいいだろう。ちなみに君は知らないかもしれないが、こういう場で金額の心配をすることほど野暮なことはないんだよ」
「…さすがに知ってます」
「さあ、もう始まる」
会場の灯りが落とされ、舞台に照明が集中する。静かな熱意が注がれていくようでキアラはこの時間が好きだった。完全に舞台へ意識を向けたキアラの横顔をレオナルドが見ていたが、さらにそれを専属の世話人が和やかに眺めていた。
キアラは舞台が好きである。弓と同等に好きである。非現実的であり、どこかの日常に落ちていそうで、夢そのものであり、どうしようもないものへの救いでもある。
今回の舞台は恋愛劇だった。本来、出会うはずのなかった二人が出会い、恋に落ち様々な苦難の果てに真実の愛に至るもの。よくある題材であり、分かりやすいハッピーエンド。陳腐なつくりになりがちなそれを、舞台作家が台本に押し込め俳優たちが芸術に昇華していく様はもうなんとも言えない。終わった後、本当に何とも言えず、キアラはハンカチに顔を押し当てていた。
「キアラ、ねえ大丈夫?」
「だい、だ、だいじょうぶ、です」
「一つも大丈夫じゃないな」
「見ました? ねえ、見ました? あの美形!」
「…ここからじゃ顔なんて見えないだろう」
レオナルドは分かりやすく不機嫌になるが、キアラはそれどころでないので気付かない。彼女は未だ空想の世界にいた。
「何を仰るんです、舞台に立っている方は三枚目やられている方であっても全員美人なんですよ! 舞台に立った時点で既に美男美女なんですよ! 概念が! 既に!」
「それでその美形が何?」
「主人公の二人が最後一緒になって、本当に、う、ヒロインが。うう…サーシャ良かったね…」
またしくしくとキアラが泣くものだから、レオナルドはため息交じりにその背を撫でた。ここで自分もヒロインのように、あんなヒーローと恋に落ちたいと言わない所がキアラであると感じながら。
「よろしければ俳優をこちらに呼ぶことも可能ですが」
「あ、結構です」
「…それはいいんだ」
世話人が提示したサービスをキアラはすぐに断った。侯爵令嬢をやっていた時にも何度か言われたことがあったが、キアラは舞台俳優たちに近寄ったり話がしたいとは思わない。同じように舞台好きな貴族がそういった俳優たちのパトロンをしていると聞いたことはあったが、支援はするとしてやはり近寄りたくはなかった。
「ええ、舞台上に立っている彼らを見てはいたいですが、あちらからこちらには来てほしくないと言うか、認識されたくないというか、近寄りたくはないというか」
「面倒だな」
「よく言われます!」
「ふ、それは胸をはる所じゃないよ」
呆れたように笑うレオナルドを見ながら、キアラは徐々に落ち着きを取り戻した。そしてアリーチェに言われたことを思い返した。
キアラは、レオナルドが好きだ。弓や舞台と同じくらいには好きだ。こうやって無理に連れて来られることだって、恥ずかしくて心臓が痛くて嫌は嫌だが、楽しく思っていることは自覚している。だが、キアラは恋愛や結婚から逃れる為にこの国に来たようなものであった。今となってはただの言い訳であるが、恋に落ちてはしまったものの、それ以上を求める気なんて本当になかったのである。
しかもキアラは侯爵家から出たとはいえ、侯爵家の娘として生まれた事実は消えない。レオナルドに限らず、彼女はやはり恋愛も結婚も自由にしてよい身ではなかった。モルゲンロート侯爵家は古く由緒正しい家柄である為、王族の血が何度も入っているのだ。そしてその逆もしかりである。もしまかり間違って子どもでもできようものなら、自身の血筋から何かしらの火種が生まれても困る。
「さあ、じゃあそろそろ行こう。夕食はどこに食べに行く?」
「行くのが当たり前みたいに言うじゃないですか」
「最近あのリストランテばかりだからな、しかし大衆食堂って服でもないし」
「レオナルド様、裏手に新しく出来たレストランの評判が良いようです」
「入れるかな」
「確認して参ります」
世話人が静かに退出していき、レオナルドは残ったワインを煽った。
「キアラのドレス、今作らせてるんだけどさ」
「つく、え? …いえ、間に合わないでしょう?」
「仕立屋のスキルに【高速裁縫】というのがあるらしいよ」
「【高速裁縫】って…。直線とかにしか使えないスキルでは」
「よく知ってるね、私は今回初めて知ったよ。そう、本来は簡易的な裁縫にしか使用できないスキルらしいんだけど【刺繍】と【糸使い】のスキルを併用すると何とかなるんだって」
「…スキルの併用。しかも三つ」
「器用だよね、ジョブを選びなおしてうちのギルドに入って欲しい」
スキルはキアラのように単独で一つしか持っていない者と、複数を持つ者がいる。現在確認されている最多スキル数は五十二だ。ただ、スキルは多ければ良いというものでもない。複数スキルの場合、一つ一つのスキルが弱いことや使い道が極端に限られていることも多いのだ。しかも複数のスキルを併用するのは非常に難しく、それができるものなどほんの一握りである。少なくともキアラは三つのスキル併用の成功例など聞いたことはない。
「そんな人が、いるんですね」
「世界は広いと感じるよね」
「…待って下さい。そんな人に頼むって、それすごいことになるんじゃ」
主に金額が、と慄くキアラを無視するかのように世話人が戻って来た。
「レオナルド様、レストランのお席がとれましたのでどうぞ」
「ありがとう。ほらキアラ、行くよ」
「ええ…」
レオナルドが当然のように手を差し伸べるので、キアラは文句を言いつつもその手をとってしまった。初めの内はこれにすらも騒いでいたのだけれど、こういうのを慣れというのだなど納得する。
手を取られるだけでなく、エスコートにもそういえば慣れた。エスコート自体は元々され慣れていたが、元婚約者殿や親兄弟にされるエスコートとレオナルドにされるエスコートでは様々なものが違った。最初は心臓がどうにかなったと本気で心配になる程に煩くて、顔はずっと熱くて大変だった。今でだって気を抜くと掴まっている指先が震えそうではあるが、随分と我慢がきくようにはなった。
劇場の裏のレストランは真新しく、世話人が言った通りに評判が良いようで賑わっていた。二人が入ると既に話が通っていたようで、奥に通される。
もうキアラは金額のことは聞かないことにした。ギルドマスターとは儲かるのだろう、そういうことにしよう。エルドラド王国で働く為に平民の価値観をしっかり学んだキアラには、もう現実逃避をするしかないあからさまな高級感が少しばかり辛かったが、確かに野暮だと飲み込んだ。
読んで頂きありがとうございました!




