14・恋バナ②
「まずキアラちゃん、婚約者の人がいたって本当?」
「待って新事実」
アウロラが信じられないものを見る目で、キアラを凝視する。けれどキアラはそれどころではない。それを話したのは、この国ではレオナルドだけの筈である。それをアリーチェが知っているということは、つまりそういうことである。
「これは、レオナルド様を殴っていい案件でしょうか」
「私が許すけど、できるのキアラちゃんに」
「…。…。…。…できない!」
「つっこまないわよ、私は」
冷めた声でアウロラがキアラから目を逸らしたが、アリーチェはそのまま彼女を見ていた。ふざけた空気では誤魔化されてはくれないらしく、キアラは渋々諦めた。話してはいなかったが、別段に隠してはいないことである。身分と本名さえ隠せればいいだろう。
「いましたよ、親が決めた人が」
「え、じゃあそれに反発して飛び出してきたってこと?」
「違います。他に好きな人ができたと婚約破棄されたので…。そうですね、傷心して家を出てきたんです」
「絶対違うでしょう、弓士になりたかっただけでしょう」
「アウロラ、私を言い当てないで下さい」
「その人のこと、好きだった?」
「え、えっと…」
アリーチェは別に責めるでもなく、労わるでもなくただそう問いかけた。
好きか、嫌いか。元婚約者殿に対して、そういえばそれを考えたことはなかった。彼との結婚は決められていたことであったし、あんなことになるまではそのまま結婚するとしか。貴族の結婚である。しかも元婚約者殿はちょっと厄介なキアラと結婚させられる憐れな人でもあったから、初めのうちは本人でさえも可哀想だなあと思ったくらいだ。
そこに恋愛感情など思いつきもしなかった。しかし学生時代を思い返せば、婚約者同士で仲良くしている人たちも多くいた。彼らはきっと恋愛をしていた。
目を瞑り、元婚約者殿を思い出してみる。学校の成績は常に上位、少しばかり思い込みの気質が激しいことさえ目を瞑れば子どもじみた正義を愛する熱血漢。見目はまあ普通。…人を比べるのは無意味且つ失礼と知りつつも、レオナルドに勝てる要素が一つもない。キアラがレオナルドに抱いた感情はやはり彼には持てなかった。
「好きでは、なかったです。…たぶん」
「多分って」
「どうして?」
「どうしてって、いや、ただ結婚しなさいと言われただけだったので…」
「ああ、違う違う。言葉が足りなかったわね。そうじゃなくて、好きじゃなかった人と婚約破棄した程度で、どうしてそんなに恋愛にトラウマ持っちゃったの?」
「トラウマ…」
トラウマ、心的外傷、精神的な傷。キアラは言われたその単語に、若干の疑問を持ちながら顎に手を当てて悩む。恋愛も結婚も面倒で嫌だとは思っているし、その一端がもしかすると元婚約者殿にあるのかもしれないが、トラウマを持っているという自覚はなかった。
「ああ、そっか。キアラの今までの行動もトラウマだって言われたら、何となく理解が…いや、できないわ。だったらマスターに絡みに行かなきゃ良いんじゃない」
「どうしようもないのが、恋よねえ…」
ふ、と遠い目をするアリーチェは、ではどんな恋愛遍歴だったのかを逆に聞きたいくらいだった。
「その人、どんな人だった?」
「顔は普通でした」
「あはは、うちのマスター顔はいいもんね。他には?」
「…頭は悪くなかったんですが、騙されやすくて。分かりやすい少額の詐欺によくひっかかる人でした。“家に帰ったら沢山の子どもがお腹を空かしているから”とか“昨日から何も食べてない”とか」
「未だにそんなのってあるのね」
むしろその使い古された手口に引っかかるお坊ちゃんがいるからと、わざわざ集まってきていたようにも思う。思い出せば腹立たしいことばかりだった。
「騙されているって分かっても、彼らが食うに困らなかったらいいだろうと強がる人で」
「うん」
「悪く言えば愚かなお人好しなんですが、良く言えば、きっと、優しい人でした。…方向がおかしくて、よく余計なお世話だと怒鳴られていましたし空回っていましたけど。悪事を働くタイプではなかったです。…それが正義なんだと騙されたら加担はしそうでしたが」
「うんうん」
「迷惑な人でした、よく尻拭いをさせられました。最後の最後までずっと」
そうだ、迷惑な人だった。両親との賭けには勝ったが、エルドラド王国に来るまでに元婚約者殿がやらかした案件を片付ける必要があった。元婚約者殿自体と彼の実家の処分は両親が気合を入れてやっていた。しかし彼が好きになってしまった“彼女”、そして“彼女”の遠縁の伯爵家に対する諸々の対応や処理は何故かキアラが主導せねばならなかった。
元婚約者が起こした不祥事だろうと言われてしまえばそれまでで、キアラも少しばかり“彼女”を利用した罪悪感もあった。それでもこれさえ終わればエルドラド王国に行けるのだと、自身を鼓舞しなければやってられないくらいには面倒だった。
「でも、結婚するって思ってたんです」
そう、でも、結婚すると思っていた。子どもの頃にそうだと言われたから、そうなんだと思っていた。そうだ、彼が“彼女”を好きになるまでは、そう思っていた。だから、彼が自分のことで陰口を叩かれることがないように、外見を整えどこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢のふりをして。キアラは唐突にそのことを思い出してしまった。
「そっかあ」
「あの人と結婚するって思ってたから私、好きじゃない服を着て興味のないことを楽しいって嘯いて、ちゃんと、普通の奥様になれるように」
「キアラ…」
「あー、何か、何とも思っていないつもりだったんですけど、ちょっとは、何かあれだったんですね。あはは、言葉がちょっと」
何かかが決壊してしまったのか、キアラの瞳からは涙が溢れてしまった。アウロラがハンカチを貸してくれたので、どうにか笑いながらありがたくそれを受け取る。
そうか、自身も人並みに、あれを苦く思っていたのだ。決められただけの婚約であったし、恋ではなかったかもしれなかったが、彼の妻になれるように努力した時間は確かにあった。キアラはそれを今、初めて認めた。
「頑張ったんだねえ、キアラちゃん。そんなつまんない男の為に」
「つま」
アリーチェがあまりにもあっけらかんと、元婚約者殿を「つまらない男」と言うのでキアラの涙は止まってしまった。
「つまんない男もね、つまんない社会もね、無視しちゃっていいのよ。あっちだってこっちを無視してくるんだから。どうしようもないことだって確かにあるけどさ、それはちょっと置いておいて。キアラちゃんの好きな物ってなあに?」
「…弓が、好きです」
「他は?」
「観劇も好きです、後…」
「マスター?」
キアラは小さな子どものように素直に頷いた。アリーチェは笑って話を進める。
「うんうん、いいんだよ。キアラちゃんの好きは別に誰かの為のものじゃなくて、キアラちゃんだけの為のものだからね。だからマスターもそうなのよ」
「え、どういうことです?」
話に入って来られなかったアウロラが堪らず口を開く。アリーチェの話は耳当たりが良いようでいて難解だった。キアラにもよく分からない。
「マスターがキアラちゃんのことを好きになったのだって彼自身の為よ、キアラちゃんの為にキアラちゃんを好きになった訳じゃないわ。恋愛ってお互い自己責任だと思うのよ」
「自己責任って…」
「すっごい浮気人を好きになろうと、どんな極悪犯を好きになろうと自己責任。そこで何かなったら自分のせいだし、そうならないように自制できるのも自分だけだわ。人に止められて止められるのだったら、その人が周りの人に恵まれるように過ごしてきたおかげでもあるでしょう? その上でも好きになっちゃった! って言うならってこと」
「はあ…」
「だからね、私は別にさっさとくっつけとは言わないのよ」
「え、アリーチェさん!?」
「あ、でも、くっつけば良いのにとか、恋バナもっと聞きたいなとかは思っているのよ?でもね」
アリーチェは紅茶を口に含み、少し考えるような仕草をしてからまた話し出した。
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