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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第十一章 攅簇火候(歓迎の火が群がり集まる)
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攅簇火候 2

ご覧いただきありがとうございます。今回新規の投稿は火候1~4の計4話です。前回の続きは火候1です。

*父がクズで大変申し訳ありません。

武志(たけし)という少年を探しています。誰か知っていますか?』


 日本では見慣れぬ黄土色の人民服を着た女は、この辺では一度も見たことのない顔だった。亮二(りょうじ)和昭(かずあき)は互いに顔を見合わせて、困ったように俯いた。

 反対に、武志は何も言わないまま顔を上げ、真っ直ぐに女を見つめている。

 その時、黒い学生服の腕が動いた。


『こいつです』


 守が武志を指差した。


 そう、あの時。

 武志のことを珪沙に教えたのは、和昭ではなく――


 守。


 他ならぬ、守、本人だったのだ。


    *


 守の頬に生温い水滴が当たる。

「馬鹿な。武志を行かせたのは俺だぞ!」

 近くで叫ぶ父の声が、遠くに聞こえる。

「それは、問題ではないのです」

 父の元生(もとい)の後に含明(がんめい)の声が続く。


 俄に我に返った守は、辺りをぐるりと見回した。

 直線のダムの上。

 その片側には鉛色の湖が広がり、もう片側には放水された白い水煙が立ち上る。

 空を覆う鼠色の雲は色を増し、本来の美しい色合いを隠している。

 ここは、中国の松花湖(しょうかこ)

 杉の木立に囲まれた神社の、ゴツゴツした根が這い回る境内ではない。


「たとえ勘違いだったとしても、守はそれを真実だと思い込んでいた。重要なのは『意い』です」


 鉛色にくすんだ湖面を大きな雨の粒が打つ。

 さらに暗く陰った空から落ちる雨脚が、長く強くなっていく。


「ですが、守は認めるわけにはいきませんでした。それは前からあなたや宮子(みやこ)さんに禁じられていた行為です。『友達と仲良くしろ』『嘘をつくな』。あなた方は、守にそう教えてきたのでしょう。だから、怒られると思ったのかもしれませんね。そして認める代わりに責任を(なす)りつけた。武志を連れていった『(こう)珪沙(けいさ)が悪い』のだと――」



 そうだった。

 守を突き動かしていたのは、潜在意識の中で自分を苛み続ける罪から逃れたい、という『意い』だった。

 育のため、とか、約束したから、という綺麗ごとなどでなく――


『自分のため』


 もっとずっと醜悪なもの。

 だからこそ、守はどうしても武志を探し出す必要があった。

 そして同じほど強い『意い』で――


『武志が見つからなければいい』


 心からそう願っていた。



「力のある者が望めば、必ずそうなるのです――」



 含明がその言葉を口にした途端、一つ稲妻が閃いた。

 わずかに遅れ、ゴロゴロという音と共に空間が身を震わす。

 辺りが瞬く間に暗くなり、また一つ、雷光が天を切り裂く。

 すると――

 その光の中に、この世に所属しない黒い闇が浮かび上がった。


 『靄』だ。


 だが、それは含明の後ろに張りつく影のように、暗く重く澱んでいた。


「やはり、おまえが操ってたのか。志穂(しほ)がおまえの後ろにいるのと同じものを見ている」

 ほんの数日前、旧盆の準備で忙しい玄明家で起こった怪異だという。

「そいつは、親父の部屋から出ていった」

 その後で志穂はベッドの上で息絶えた、朱明(あけあき)の姿を発見した。

「そいつは最初から『(はく)』でもなければ『鬼仙(きせん)』でもない! そいつらは――」


三尸(さんし)


 元生が言い終わるか終わらないうちに、含明の前に出た『靄』は三つに分かれて少しずつその姿を形作る。

 守は元生後ろから抜け出して、その隣に並んで身構えた。

 いつまでも父に護られてばかりでは男として情けない。皓華(こうか)武志(たけし)にはまだ勝てないかもしれないが、武功(ぶこう)功夫(こうふう)は付いてきている。何かあったら自分にだって、実体のある含明になら一矢ぐらいは報えるはず。

 いつでも前に出られるように準備しながら、守は辺りに注意を配る。

 最後に標的の前にいる、姿を完全に顕わにした三つの『靄』に目を向けた。


 一つは、古代の中国の文官らしき衣を纏った男。

 一つは、(たてがみ)を大きく振り乱した唐獅子。

 そして、最後の一つは――

 筋骨隆隆とした逞しい、男の片脚(かたあし)の上に牛の頭が乗った奇怪(きっかい)なる『もの』。

 それぞれが、手や口に巻物を所持している。


「あ……」

 去年の末に図書館で調べ物をしていた時、守はそれらの姿を見たことがあった。

 挿絵として挿入されたその横の解説文には――


『三尸は人の体に宿る三匹の虫で、庚申(こうしん)の日に天へ昇り人の罪状を告げる』


 と、あり。また別の解説には――


『三尸は上中下の三つの丹田(たんでん)に宿り、上尸(じょうし)彭踞(ほうきょ)は物欲、中尸(ちゅうし)彭躓(ほうしつ)は食欲、下尸(かし)彭蹻(ほうきょう)は色欲を引き起こす』


 と、あった。



「人が死ぬと、(こん)は天に昇り、(はく)は地に帰る。帰らずに留まった魄が(ゆうれい)になる。だが別の説にはこうある。『魄は黄泉(よみ)に入り、ただ三尸のみが地上に残る。これが()というものなり』と。含明! おまえは何時から、そんな『もの』を扱うようになったんだ!」


 激した元生とは対照的に、含明は冷静なままだった。

 口の端を少し歪めて苦笑する。


「三尸は人の『(おも)い』の源です。誰の身体(からだ)の中にも存在しています。守に、育に、皓華に、夏芽。蒼さんに、辰矢さん。そして元生さん、あなたの中にも三尸はいるのです。人に欲望がある限り、三尸も決していなくなったりはしません」

「だから、何だ!」



「これこそが、『内なる魔』の正体です」



 静かにそうはっきり言い切った含明の顔が、大きく歪んだ。

「いくら元生さんでも、私の邪魔をすることだけは許しません!」

 含明の強い『意い』を体現するように、三匹の鬼は一気に膨らみ大きくなる。


「武志は、返して貰います」


 激しくなる雨の中、含明の言葉をきっかけに一斉に三尸が動き出す。

 守たちに襲いかかろうと、三尸が身を崩して粒子になり、まさに広がろうとしたその時――


「止めるんだ! 含明!」


 降りしきる雨の中、守の耳に元生や含明とは別の男の声が届いた。

 それは、この松花湖に来てから毎日のように聞いていた声だった。声の方を振り向くと、すらりと端正な(あおい)の姿がどこからともなく現れていた。

「蒼!」

 元生の驚く声とほぼ同時に三尸の視線が蒼に向かう。突き刺さる視線をものともせず、躊躇うことなくこちらに歩み寄ってくる。下流を背にする含明を頂点とした二等辺三角形を描く場所に立ち止まる。

「君の目的がやっと解った」

 蒼は三尸の後ろに隠れる含明に声を掛け、長い指で湖の上を指差した。

「あそこを見るがいい」

 指の先、雨に煙る鉛色の湖上に人が一人浮かんでいた。

 長い髪に、荒織りの()の着物を纏っている。

 女だ。

 何日か前に守が見た、あの美しい女だった。

 強い雨にも紛れることなくはっきり見えるその姿。

 白い(おもて)は月のように淡く輝き、哀しげな色を湛えた瞳はこちらをじっと見つめている。


「は? 櫻子(さくらこ)?」


 元生の眉間に皺が立つ。

 含明の顔には何の表情も浮かんでいない。

 蒼が薄い唇を開いた。

「武志がここに戻ってきてから、櫻子が現れるようになった」

「そうですか。櫻子さんはこの世に『(おも)い』を残し、彷徨(さまよ)っているのでしょう」

 さらに「お可哀想に」と言葉を漏らす含明に、蒼が「本当にそう思うのか?」と問いかける。

「もちろんです!」

 声を(あら)らげた含明は、激しくなる雨音に負けじと言い募る。

「蒼さん、あなたさえもっとしっかりしてれば、櫻子さんが育に手をかけることはなかったでしょう。そうすれば、育だって思わなかったはずなのです!」

「おい。含明、まさか――」

 仕返しとばかりに責め立てる言葉に反応したのは、蒼ではなく元生だった。

 一歩二歩と前に進む。


「ま、まさか……おまえ、育の怨みの『意い』が、櫻子を殺したって言うのか?」


「『怨み』?」

 小首を傾げた含明が、今聞いた言葉を繰り返す。

「なるほど、そんな下世話な言葉のほうが率直ですっきりしますね。ですがそれは違います。育の『意い』は『怨み』などではありません。それこそ、もっとずっと根源的なものです」

「根源的?」

 訝しげにひそめられた眉間の皺が深くなる。


「そうです元生さん。育は腎神(じんしん)を継ぐ者としてあなたを独占したかったのですよ。命を救ってくれたあなたを、育は小さい頃から愛していた。だから、育は――」


「待て! 含明! それをここで――」




「自ら進んであなたに身を任せたのでしょう」




「え……」


 守が驚いて元生を見た。

 同様に反応した父の顔に、守は狼狽の色を見て取った。

 育が父の名を呼ぶ度に感じていた不快感。

 育の「ふさわしくない」という言葉の意味。

 そして――

 育のあの屈託のない笑顔の理由。

 『靄』から三尸が現れたように、その正体の全貌が――

 終に今、守の前にその姿を現した。


「そ、それで……それで親父は、反対してたんだ……」


「違う!」


「親父もオレの味方じゃなかったんだ!」


「守!」


 伸ばされた手を叩き落とすと、透明な飛沫が飛び散った。

 一歩飛び退いた守が、両手に拳を握って鋭い視線を父に注ぐ。

「含明!」

 振り返った元生は、北叟笑(ほくそえ)む男にその矛先を向けた。

 怒りに燃える瞳には朱い『(しん)』が爛爛と輝き、形のいい唇から漏れ出る低音が、雨音に紛れずに周囲を強く威嚇する。


「仕方がないのですよ、元生さん。あなた方の『意い』がこの状況を引き起こしたのです。育の『意い』に応えたのはあなたでしょう。色欲に負けたのはあなたなのです。私に八つ当たるのは筋違いというもの。これでは、櫻子さんが迷い出るのも無理もない……」


 ため息をついてこれ見よがしに首を横に振る含明に、「いや」と異を唱えたのは蒼だった。

「櫻子がここに現れたのは、そんな理由ではない」

「では、何なのです?」

 不愉快そうに返した含明に、蒼は直接答えることはしなかった。


「僕はずっとおかしいと思っていた。櫻子の魂は天に昇り、魄は完全に地に帰っている。自分の死に関して櫻子は全て納得していた。そう、自分が自ら望んだのだ。死を望んでいたのは育ではなく――櫻子自身。だからこそ、ここに迷い出る必要がない」

「馬鹿な、あそこにいるではないですか!」

「違う」

 雨に霞む湖上を指差し抗議する含明に、蒼はきっぱり否定する。

「あれは、本当の櫻子ではない。君の『意念(いねん)』が生み出した幻影だ」

「え?」

「あれは――君が『(おも)った』からこそ出てきたんだ」

「そ……」

「よく見るがいい」

 何か言おうとする含明に、蒼は湖を指し示す。

 湖上に佇む櫻子は、手を伸ばし訴えかけるようにこちらをじっと見つめている。

 紅い唇が、何かを言おうと開きかけた時、口の中に七つの星が瞬いた。

 と――

 光に飲み込まれるように輪郭がぼやけ、一気に朧になっていく。

 同時に――

 激しい波に乱された湖面のように、櫻子の姿がゆらゆらと大きく揺らぐ。

 揺らいだ後は元に戻ることなく拡散し、やがてひっそり消えていった。

 それでも雨は降り続ける。

 ただ――

 鉛色の水面(みなも)に残ったのは無数の雨が打ち付ける、小さな波紋だけだった。

 視線を戻した蒼は、険しい顔で湖面を見つめ続ける含明に静かに言った。


「いくら武志が玄武でも、完全に死んでしまった者を、呼び戻すことはできない。それにもう、その三尸を解放してやったらどうなんだ」


「黙れ!」



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