天花乱墜 10
ご覧いただきありがとうございます。今回新規の投稿は、乱墜7~10までの計4話です。前回の続きは三つ前の7からです。
「維名の父親が親父じゃないってことはよく判ったよ。けどさ、親父は何で維名を黄珪沙に預けたんだ?」
守は、引き続き父の元生に自分の疑問をぶつけていた。
「さっき、武志に特別な特性が現れてきた、と言ったのを憶えているか?」
「うん。不穏な空気が感じられるようになった、ってとこだろう」
不穏な空気の原因は含明の母の柳青にあった。ずいぶん早いうちから掌門人の常在や元生の父の朱明は、柳青のことを監視していたという。
「辰矢の母の春子が柳青の妹の春花だということも、春花に野心があったことも、二人が不仲だということも判っていた。だから俺が武志を維名の家に連れていったのは、かなり不味いことだったらしい」
「えっ、そうなんだ」
「ああ。俺の人生でも最大の汚点だ」
大袈裟に両手で頭を抱える元生に、最大の汚点はそこじゃない、と守は思い切り突っ込みを入れたかった。だが同時に、反応したら負け、という思いもムクムクと頭を擡げてくる。しかし、このままではいつまで経っても話が先に進まない。守は面倒だと思いつつ、「でもさ」と父に声を掛けた。元生は頭を抱えたまま、顔だけ横に向けて「何だ?」と応じる。
「維名のためにはよかったんじゃないのか。龍耀さんと一緒にいた頃が、何か一番幸福みたいだったし――」
「そ、そうか……」
ムクリと姿勢を戻した元生は「それなら良しとすべきか」と、右手に拳を作って何もない空間に呟いた。
「とにかく、俺は武志を柳青と春花から隠す必要があったんだ。だから武志を蒼の所へ行かせようと思った。それが一番安全だからな。そう思った切っ掛けは、俺が蒼を見つける前に起こった、ある変化だ」
「変化?」
何が起こったのか、元生にも直ぐには判らなかったらしい。ただ、大きな喪失を感じたという。
「蒼に遇い、どうやらそれに武志が関係しているらしいことは判ったんだ。だが、具体的な内容は何一つ判明しなかった。それが膽神のことだと判ったのは、もっとずっと後のことだ」
「膽神のこと?」
「ああ、膽神の存在が判らなくなった」
「いなくなった、ってことか?」
不思議そうに守が訊く。
「いや。その存在が完全に消失したわけじゃない。どっちかって言うと、存在感が薄くなったって感じかな。だが、厳密にはそれとも違う」
表現するのは難しい、と元生は珍しく弱気なところを見せた。
「本来、膽神というのはもっとずっと大きな存在なんだ。安定感と言うか、安心感と言うか、とにかくそういうどっしり構えた感じがある。それが急に弱くなった」
最初に異変を感じたのは、守が生まれる少し前。凶行に走った櫻子を念のために入院させた頃だった。固く結ばれた結び目が解けたような、そんな頼りなさを感じたという。
「それは櫻子が具合が悪かったからで、割と直ぐに回復した。ただ、完全に元には戻らなかった。その後はいろいろあったが、それでも何年もの間、何とか騙し騙しやってきたんだ。それが一気に稀薄に――って言うか、半分欠けたって感じだな」
「いつ?」
「おまえが、中二の……五月頃だ」
「五月? そういやぁ……」
守もあの頃を境に、そこはかとない物寂しさを感じるようになっていた。
だが、それは武志がいなくなる前兆だったと勝手に思っていたのだが――
(膽神のことだったんだ)
そして恐らく、死んだとされていた蒼が八年ぶりに元生の前に姿を現したのも、それが理由なのだろう。
「そっか、だから親父はあの頃忙しかったんだ」
「え……」
「あんまし家にも帰ってこなくてさ。たまに家にいても冴えない顔、してたよな。それに――そうそう優もしょっちゅうぜんそくの発作を起こしてて、お袋も妙にピリピリしてたっけ。ふ~ん、なるほどね――」
大変だった当時を思い出しているのだろうか、父の表情はあの頃と同じように、暗くて硬い。
「で?」
「え?」
「続き」
「あ、ああ……」
その年の九月に、元生は長春で蒼に遇って柳青と春花姉妹の確執を知らされた。さらに辰矢を膽神にするために、春花が春子と名前を変えて維名の家に入ったことを元生に話し、それが成就されつつあること、その目的を達成するためには武志が必要ということを匂わせたという。
「けどな、膽神が『不明』になっていて、その原因が春花だという肝心なことは、蒼は俺には話さなかったんだ」
「何で? あっ、もしかして玄明のお母さんとのこと、バレてたのか?」
「違う。俺が、春花の『監視役』だったからだ」
「監視役?」
「ああ。俺はそんな気は全くなかったんだがな――」
春花は元生を自分の『監視役』と捉えていて、元生が近くにいるために、滅多なことができず、その存在自体が抑止力になっていたらしい。
「多分、蒼はその状態を壊したくなかったんだ」
「なるほど」
元生に事態の緊急性を知らせれば、勝手に動く可能性もある。動かないまでも、元生の気配の変化を敏感に察した春花が何かあったと勘付くかもしれない。負けたとはいえ、春花は柳青と肝神を競い合うほどの実力者だった。僅かな変化でこちらの動きを察知する可能性は十分に考えられた。先手を打たれないためにも、武志の安全のためにも、元生に知らせないことが最上、と蒼は考えたということだ。
「まあ何であれ、非常事態だったってことだけは確かだ。だから、蒼は俺に武志の移動の手続きと手配を要請し、俺は武志をここに来させるために珪沙を呼び寄せる手筈を整えた。ところがだ、柳青は意外なほど早く行動を起こしていた」
ここでスイカに一口齧り付き、元生は過去へと想いを馳せた。
「あの日、俺は武志と珪沙を先に行かせた後、神社の境内で春花に化けている柳青を見かけた。向こうもこっちに気が付いて、端と端だったから会釈をしただけで、声を掛けてくることなく立ち去った。まっ、当然だな。話せば春花じゃないことは一発でバレる」
春花を手に掛けた後で武志を捜していた柳青は、取り繕ってこそいたが、武志がいなくなった焦りを隠し切れていなかった。
「向こうが引き下がったのをいいことに、俺は駅に続く道に出て直ぐに武志たちの後を追った。いろんな状況を鑑みて俺がいる限り追ってこないと踏んだんだ。だが柳青は面白くなかったんだろ。俺がいなくなった後やって来た辰矢に、雷まで炸裂させて怒ってたんだよな」
守の脳裏に生木の焦げた嫌な匂いが蘇ってくる。
当時のことをまざまざと思い出しそうになって、ブルリと背筋が怖気立つ。
慌てた守は「でも――」と口にし、過去の記憶を振り払った。
「一度は手に入れたんだよな?」
「その辺りのことは、実は俺にもよく判らない。だが、珪沙が死んで武志が柳青の所にいたのは確かだ。どうやって手に入れたのかは想像がつくが……」
だがその推理では、武志が何故『諾』とそれを受け入れたかの理由が解らないという。
「じゃあ、含明さんは維名を、お母さんから預かっ――」
「殺して奪っただけだろう」
嫌そうな顔で吐き捨てる、含明に対するそんな父の態度が守は気に入らない。
「なあ、本当に含明さんが、自分のお母さんを手に掛けたのかよ」
「蒼が言ってるんだから、そうなんだろう」
「あれは、『膽神じゃなくなった』って言っただけだろ」
「だが、稀薄になっていた膽神の存在が完全に判らなくなったのは、あの頃だぞ」
そう言われても、守はどこか納得できないところがあった。それに父に対しても何か引っかかるものを感じている。
「含明にとって柳青は完璧な指導者でなければならなかったはずだ。アイツも馬鹿じゃないから母親が道を外したことには気づいていた。だからこそ許せなかったんじゃないのか、母親のあの諸行が。ああいう生真面目なタイプは、往往にしてそういうところがある」
その説明で完全に納得したわけではなかったが、守はいったん引くことにした。まだ訊きたいことがある。後のことを考えるなら、話す気になっている今この時に訊いてしまったほうがいいだろう。そうでないと、またいつ父の気紛れと天邪鬼が発動されるか判らない。そう思った守は「じゃあさ」と問いを改める。
「含明さんのことが判ってんのに、龍煙さんはどうして維名をそのままにしておいたんだよ?」
「勿論、俺は反対したさ。武志を早く含明の下から取り戻すべきだとな。だが蒼はそうはしなかった――」
「だから、何で、さ?」
眉をひそめ、唇を引き結んで元生は渋い顔をする。
「親父や常在師父がそう決めたからだけじゃない。温厚そうに見えてもアイツは、いつも上にお伺いを立ててばかりいる、無能な連中とはわけが違う。無茶をする時は無茶をする。それは、時に俺以上だ」
「ウソ! 親父以上なの?」
妙なところに興味を示す守に、「そうだ。俺が止めるくらいなんだぞ」と元生は忌ま忌ましそうに吐き捨てた。
(そういえば――)
さっきの武志のことではその片鱗が窺われる。それに、蒼の巻き起こした混乱を収めたのは、やはり目の前の父だった。
(やっぱり二人の……)
「そんな気持ちの悪いものは『ない』、と何度言わせるんだ、おまえは――」
元生は本当に嫌そうに顔をしかめた。
「よく憶えておけよ、守。人は見かけによらんもんだ。おまえが蒼のことをどんな風に思っているか知らないが、アイツは意外に狡いところがある。おまけに頑固ときている。さっきだって何で含明に話さなかったのか、結局言わず終いだろ」
「えっ?」
「何だ、おまえ。判ってなかったのか?」
盛大に驚いた後で、元生は「ホント、お気楽なヤツだな」と呆れている。
「蒼はな、昔から話したくないことは絶対に話さない。特に武志に関することは、な。――って、そんな話じゃなかったよな、おい」
自分で勝手に話を横に逸らしておきながら、元生は守にクレームを入れるという暴挙に出た。何故か今日はいつも以上に絡んでくる。
そして、次の言葉で半ば強引に打ち切った。
「とにかく、この件に関しては蒼は武志のことを一番に考えていた。血は繋がっていなくても、やっぱり親は親、ってことだな」
と――
結局、父から得た情報は、それが『武志にとって最善』と蒼が考えていたということだけだった。
(つか、親父のヤツも、適当なところでお茶を濁しやがった)
だが天邪鬼が発動した今、さらに問い糾してもきっと口は割らないだろう。
それに――
何より守が気になるのは、含明に対する、元生の否定的な態度だった。
いくら母を悪く言われたからといって、父があそこまで好戦的になるのは解せなかった。たとえ、日頃から愛妻家を公言していたとしても。それが本当は愛よりも罪悪感や懺悔の気持ちから来ているかもしれなくても、だ。
あそこまで本人に明白に敵意を顕わにする父に、守は違和感を拭えない。
だからこそ、もっと別の深い『何か』があるような気がするのだ。
ならば、父との会話で守が引っかかったところはどこなのだろう。
その時――
『やっぱり親は親』
父の言葉が浮かび上がった。
どうやら守の『元神』は、蒼について語られた最後の部分が気になるらしい。
(『親』ねぇ……そういやぁ――)
『俺の可愛いガキ』
含明に猛然と襲いかかった時、父はそんなことも言っていた。ならば父があそこまで怒っているのは、守の『失神』が原因なのかもしれない。
だが、だからといって含明の『打気』はほんのお遊び程度。守を本気でどうこうしようと思ってしたわけではなかった。それどころか、あの時の身体的ショックのお蔭で、守の『神』の働きは正常に戻っていた。それに、守が『失神』したことに関しても、害したのは『鬼仙』になった母親の柳青で、息子の含明ではない。父の言う『俺の可愛いガキ』が本心だったとしても、あの父が『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』状態になるのは納得がいかなかった。
(じゃあ、何でだ?)
守は心の中で首を傾げたが、その答えは出なかった。
(にしても――)
『俺の可愛いガキ』
考えた途端、守の背筋にゾクゾクと盛大に悪寒が駆け抜ける。
今思えば、よくもまああんなこっ恥ずかしいことを、臆面もなくさらりと言ってのけたものだ。自分の父ながらたまに素でこういうことをするから対処に困る。
その見かけとも相俟って、妙にカッコよく見えてしまうのでさらに困る。
(何だ、よ……)
複雑な想いが込み上がって、どうしていいのか判らないでいると――
「どうした、守? 今度は熱か?」
目の前に父の手と、心配そうな顔が近づいてきた。いつものおちゃらけた感じと違う真剣な表情に『やっぱり親は親』という言葉が身に染みて、何だか妙に居心地が悪い。
「い、いや、だいじょぶ。つか、さ――」
そんな雰囲気を吹き飛ばそうと守は話題を変えた。
「みんなが維名を欲しがるのは、維名の『特性』に関係してるんだよな。つーことは、さ――」
守は『玄武大帝』の特性についての、蒼の説明を思い出していた。
北方の太和の気を司る玄武大帝は、北極星の化身で、北斗の守護者。
ならば――
「『死』?」
「まあ、それもある。だが武志を欲しがってたヤツらが挙って皆、昔の皇帝みたいに単純に『長生きしたい』って思っていたわけじゃないことだけは確かだ」
「じゃあ、『何だ』と思う?」
「そうだな――」
元生はしばらく考えて、『玄帝』の特性には未知の部分が多く、伝えられているものの他に、もっと別の『何か』があるのではないか、と続けた。
「例えば?」
「う~ん、柳青の場合は、含明の天命を変えたかったんだろ。自分の所為で負わせたんだからな。それは、俺にも解る」
確かに、守に自分の跡を継がせたくない。元生がかなり抵抗したらしいことは、多くの人の証言にもあった。
「じゃあ、龍耀さんのお母さんは、龍耀さんを膽神にしたかったってことか」
「多分」
「それじゃあ、含明さんは?」
「さあ?」
素っ気なく首を振った元生は、形の良い眉をひそめると、さらに目も細めて左に視線を流し、何もない空を睨みつける。
「『地球が張った巧妙な罠か』……」
守がポツリと呟いた。
「笑わせんな、俺はそんなもんのは信じんぞ!」
低い声で凄んだ父は、いつの間にか何もない空間から目を離し、守に向き直っていた。
「けど……」
「誰も悪者にしたくない蒼の作り話だ。アイツは優し過ぎる。だが、俺はそんなに甘くない」
元生が突然立ち上がり、真面目な顔で「行くぞ」と守に声を掛ける。
「え? どこに?」
「老後の面倒は見なくていい。だから一緒に来い。そして俺の骨を拾え――」
「は……」
「含明はダムにいる」




