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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第十章 天花乱墜(天の花が乱れ墜つ)
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天花乱墜 2

ご注意ください。

*個人研究、独自解釈、妄想補完、作者の感想などが含まれています。

*世間一般で事実や通説といわれているものと違う場合があります。

*環境、機種によっては表示できない字を使っているところがあります。

 『(げき)』=逆からしんにょうを取ったもの。逆らう。


「よ、よく憶えてない」

 何があった、と詰め寄られた守が答えたところで、武志が昼食だと呼びに来た。話を中断し、三人は食堂に向かう。円卓に並んだ数数の料理はどれも美味しそうで、ここ二日の間ろくに食事をしていなかった、守の腹の虫が盛大に鳴り始めた。


 早めの昼食を終えると、一時間ほど休憩を挟み、(あおい)は再び皆を居間に集めた。

 しばらくぶりにまともに食事をした守は、人参(にんじん)花茶(はなちゃ)を啜りながら、体の内からフツフツと沸いてくる元気を実感していた。

 そして何よりも、カラリと軽いものに変わった室内の空気が心地好かった。濡れた洗濯物を夏の強い陽射しで乾かしたような、そんな壮快感すら感じられる。

 蒼が、元生(もとい)の発する怒りの炎が自然に収束するのを待っていたのには、それなりに意味があってのことだった。相生相剋(そうせいそうこく)の関係において、『水』は『火』を剋すのが普通だが、強い『火』は『水』を反剋(はんこく)することができる。

 そして今回の場合、腎神(じんしん)の育がいるから過ぎることはない。

 場を整えるために、元生の怒りの炎を利用する。それはまさにエコロジー。自然エネルギーの有効活用といったところだろうか。


 元生は、最初からそこが自分の場所であったかのように、いつも守がいる、蒼の隣の席に腰を下ろしていた。上着を脱いでネクタイを外し、ボタンも開けて寛いだ姿になっている。だが、勝手に利用されたことを敏感に察したようで、自分が飲むためにわざわざ買い求めた獅峰(しほう)龍井茶(ろんじんちゃ)が注がれたカップを手に、隣の蒼を()めつけていた。

 ところが、蒼はそんなことなどまったく意に介さぬという風情で、皓華と辰矢がお茶を配り終え、皆が席に着いて場が落ち着くのを待っていた。


「そう言やぁ――」

 蒼を睨みつけるのに飽きたのか、父は身を乗り出し、左隣に座っている守に話し掛けてきた。

道観(うえ)は、ずいぶん酷いことになってるらしいな」

「うん、かなりヤバイ状態だよ。真武(しんぶ)の像なんか、真っ二つだ」

「ふん。聖域を汚すとは、あいつもいい度胸だ」

 守には、父の言う『あいつ』が誰なのかの判断がつかなかった。育を襲ったのは柳青(りゅうせい)だが、守の脳裏に最初に思い浮かんだ顔は、含明(がんめい)のものだった。

「でもさ、何で結界が機能しなかったんだろう」

「ん?」

「だってさ。普通なら、ああいうとこには結界が張ってあるんだよな」


 守が蘇州の寒山寺での出来事を掻い摘まんで簡潔に話すと、元生のそれについての感想は、ただ「ふ~ん」というだけのものだった。

 そして――

「たぶん、今回のは反剋の論理だ」

 そう答えてから、「向こうの『意志』のほうが強かったんだ」と付け足した。

「でも、まあ仕方ないな。喩え玄武(げんぶ)といえどもただの像だ。あいつのあの執念には到底勝てまい」

 しみじみ言う元生に、「玄武じゃなくて、真武だろ」と守が突っ込んだ。

「何言ってんだ、おまえ。(そう)の時代に『玄』という字が使えなくなってだな、玄武は真武に改名したんだ」

「ウソ」

「本当だ」

「でもさ、それにしたって、あれは武神で、亀と蛇じゃないだろう」

 すると元生は、メンズ・ファッション紙の表紙を飾るちょい悪オヤジのように、形の良い眉をひそめて渋い顔を作った。

「馬鹿か、おまえは。武神で玄武と言ったらこの場合、『玄武大帝(げんぶたいてい)』に決まってるだろ」

「『玄武大帝』?」

 守は、その名を聞くのは初めてだった。


「玄武大帝より四神(しじん)の玄武の、発生のほうが早いらしい。だが、玄帝(げんてい)蒼亀巨蛇(そうききょだ)降伏(ごうぶく)した逸話から、玄武と結びついたのは確かだな」

 守が「え?」と首を捻る。その反対の可能性はないのだろうか。

「まっ、難しく考えるな。取り敢えず、玄武は玄武大帝のシンボルマークみたいなもんだって思ってりゃぁ間違いない」

「何だよ、それ」

 不満げな守に、「俺に言うな」と元生はばっさり切り捨てる。二人はしばらくの間、縄張り争いをする猛禽類のように睨み合っていた。

 やがて、根負けしたのか「でもさ」と、守が不承不承(ふしょうぶしょう)に声をかける。

「何で『玄』の字が使えなくなったんだ?」

 元生は「それは、な」と少し考え、「おい、蒼。あれは、何と言ったかなぁ」と振り向いた。

避諱(ひき)、のことか?」

 親子の会話をそれとなく聞いていた蒼が答える。

「それそれ。こいつに、説明してやってくれ」

 面倒なことを丸投げした元生に代わって、蒼が話し出した。


「避諱というのは、皇帝の名に使われている字を()む風習のことだ」

 その時代を支配していた皇帝の、六代前までを避けて使わないようにしていたという。『玄』の字は、宋の始祖とされる、趙匡胤(ちょうきょういん)(あざな)玄朗(げんろう)と、(しん)康熙帝(こうきてい)愛新覚羅(あいしんかくら)玄燁(げんよう)の名を諱んだもので、代字には『元』『真』『神』などの字が当てられるようになっていた。

「それで、玄武は真武になったんですか?」

「そうだ。ただ趙匡胤の字については諸説あって、清の乾隆帝(けんりゅうてい)の時代に書かれた『飛竜全伝』では元朗(げんろう)となっているらしい。だが、丁度この頃は、康熙帝の避諱が行われている最中だった。そのことを考え合わせれば、字が玄朗というの可能性も高いのだ。それでも、字まで避諱をするのかという疑問も残るな。それに――」

 玄武が人格化し、人型の神になったものを真武とする説もあるという。


「趙匡胤の字が玄朗でないと、宋代に避諱が行われなかった可能性もでてくる」

 それは、玄武が人格化して真武帝君になった、という根拠になるものだった。

「だが、明代にできた我が門では、ずっと玄武大帝と呼んでいる。『真』が『玄』の字に戻されたところをみると、やはり避諱は行われたのだと僕は思う」

「つまり、最初から玄武大帝だった、ってことですね」

「あくまでも、僕の意見だが――」


 守は大きく頷いて、父のほうへ視線を向けた。

「そう言ってくれれば、すぐに解ったのに」

「はっ、自分の馬鹿を棚に上げるな」

 文句を言う息子に、元生が渋い顔のまま反論した。

「いちいち説明しなけりゃならんほど、おまえが馬鹿だとは知らなかった」

「あんなぁ、八つ当たりするの止めろよな。それにいったい誰が悪いんだよ」

「あ?」

 二人の間に、またもや大人げない睨み合いが繰り返されそうになったその時、「序でだから」と絶妙なタイミングで蒼が割って入った。

「話しておきたいことがあるのだが、いいか?」

 わざわざ許可を求められた元生は、「悪かったな」と謝ると「とっとと始めろ」と鬱陶しそうに上げた右手を外に振る。部屋の中をぐるりと見渡し、蒼はもう一度その場に皆が揃っているのを確認してから、話し出した。


「中国では避諱だけでなく他の様様な理由で、日常的に同じ音、あるいは似た発音の、別の字に置き換えるという作業を行っている。喩えば、正月に貼られる『福』という文字だ」



 守は去年の年末に、育がマンションの居間の扉に、赤に金で印刷された『福』の文字を貼っていたことを思い出した。「それ、逆さだぞ」と指摘すると、「いいの。これは縁起物だから」と、育はその由来を説明してくれた。

「『福倒了(ふくがたおれた)』という言葉は、福が来るという意味の『福到了』と同じ音になる。だから、新年を迎えるにあたって縁起物として飾られるようになった」

 また蝙蝠(こうもり)は、『蝠』の字が『福』と同じ音になることから吉祥物とされ、様様な意匠に取り込まれるようになったと育は言う。

 語呂合わせで縁起を担ぐことは、日本でもよく行われている。だから、守もそれほど驚きはしなかった。



「これは余談だが。実は『幸福』とは、その漢字の成り立ちから、『幸』が凶から免れることで、『福』が天からの恩恵という意味になる」


 本来『しあわせ』と訳される『幸』は、亀甲獣骨文字(きっこうじゅうこつもじ)、いわゆる亀甲文(きっこうぶん)では手枷(てかせ)の象形とされていた。

「『執』が手枷と人の組み合わせで、拘束された人を表しているのに対し、手枷のみの『幸』は、拘束されずに済んだ、という意味になるらしい」

 他には、『幸』の本字が『(よう)』と『(げき)』の縦の組み合わせで、『夭』は夭折の夭で死を意味し、『(げき)』は逆らうの意から、本当なら死刑になるところを、手枷の刑で済んだとみる場合もあるという。


「どちらにしても災難から逃れ『ああ、よかった』とホッとできることが『幸』だという」

「つまり、マイナスをゼロにできても、決してプラスにはならないってことだ」

 横から口を挟んだ父に、「だが、それはとても重要なことだ」と蒼は反論する。

「多くの人が望むプラスの『しあわせ』は『福』のほうだ。『福』は『(ゆう)』。『佑』は、天や神の助けとある」

 また、『福』の(つくり)は、腹が膨れている人の象形で、『富』を表し、その本義は、福運、恵み、祝福の意味となっていた。

「だが、『福』だけでいいかと言えばそうでもない」


禍福(かふく)(あざな)える縄の如し』

 天からの贈り物の『福』には、必ず『禍』がついてくる。


「ものの善悪とは絶対的なものではなく、相対的なものだ。場所によって、時代によって、その立ち位置によって変化する。喩えば――」

 人を殺せば人殺しだが、戦争で人を(あや)めても人殺しとは呼ばれない。大量になればなるほど英雄と呼ばれる時代があった。


「何故、そんなことが起こるのか。それは善悪を決めているのが、後天の『(しん)』である『識神(しきしん)』だからだ。『識神』は経験と学習によって作られるものだ。つまり、それは個人によって全部違うということでもある。学習である程度統一できたとしても、法律やルールで縛ろうとしても、それは十分ではない。そして――」


 天や(かみ)などの先天の『もの』は、人の『識神』が勝手に決めた善悪には、関知しない、と蒼は言った。


「望まれ与えたものが、『福』になるか『禍』になるかは、受け取る側の問題で、それがどうなろうと天には関係ない。人が作った社会の中で、人が作った善悪の中で、それが『福』になるか『禍』になるかは、実は、天はどうでもいい……まあ、いればだが――」

 何か言いたそうな父の視線がうるさかったのか、蒼は左隣を横目に見ながら付け足した。

「漢字の元となった亀甲文が作られた時代には、天や自然という名の(かみ)がいるのは大前提だ。喩えそれが只の季節の移り変わり、只の偶然だったとしても、人に都合の()いものは『福』に、都合の()いものは『禍』となった」

 これでどうだとばかりに見る蒼に、父は「ふん」とだけ言葉を返す。


「とにかく、天が与えてくれた『もの』が『福』ではなく、『禍』になってしまうことはある。その場合、最小限の被害に納めてくれるものが『幸』なのだ。故に、『幸』と『福』は『幸福』とセットになっていることが望ましい。だが――」

 人はどうしてもプラスの『しあわせ』の『福』を望みがちで、凶事から免れる『しあわせ』の『幸』には気づきにくいという。


「『福』がないと嘆く前に、『幸』があるかどうかを確認したほうがいい。人は大概『()せになりたい』と望んでいても、『幸福』になりたいとは願わない」

「ん?」

 首を傾げた守が父を見る。何かの問答のような発言に、「つまり――」と元生が注釈を加える。

「『幸』しか望んでないんだから、『福』が来ないのは当然、ってことだろ。それに『幸』を与えられているのに、頼んでもいない『福』が来ないと文句を言うのは、おかしくないか、ってことだ。ちゃんと両方頼んでみて、それでも駄目だったら、文句を言えだ。だが俺に言わせれば、『幸』だけでも感謝すべきだな。と言うよりも――」

 元生が蒼を振り返った。

「その解りにくい説明は何とかならないのか。――っていうか、おまえが『話しておきたいこと』っていうのは、このことか?」

「いや」

「なら、とっとと話せ」

「そうだな」

 蒼は皆に向き直り、「すまない。余談が長くなった」と謝罪した。



やっと、玄武大帝まで辿り着けました。

*2017/01/24 

「人に恵みをもたらすものは『福』に、災いをもたらすものは『禍』となった」を

「人に都合の()いものは『福』に、都合の()いものは『禍』となった」に訂正しました。

 その他、細かい訂正をしてありますが、内容に変わりありません。


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