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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第九章 三花聚頂(三つの花が天宮に集まる)
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三花聚頂 10



 すべてを認めたのか、含明(がんめい)は諦めたように深く溜め息をついた。


「親が子に、自分の跡を継がせたいと思うのは当然のことではないでしょうか?」

 そう問いかける、含明の口調はとても静かだった。


(あおい)さん、あなたは、肝神(かんしん)膽神(たんしん)も表裏があるだけで同じだ、と仰いましたが、そうではありません。臓器の中でも膽は特別な存在です。腑に分類されていますが腑ではなく、臓に近い機能を持っています。ですが、もちろん臓ではありません。多くの書物の中には、陽腑でありながらも陰器の機能を持つとあり、脳、髄、骨、脈、女子胞(しきゅう)と並び奇恒(きこう)の腑に入れているものもあります。それは膽が特別な存在であることを示しているのです」

 含明は、以前、育が守にしたのと同じような説明を繰り返した。

「そして膽神もまた同じなのです。私たち五臓神の中にあって、やはり特別な存在でした。膽神は色こそ『木』を表す青ですが、その本質は『金の精、水の気』。他の五臓神は、皆五行と八卦の組み合わせなのに、です」


 去年の暮れに守が図書館で見た本の中にも、心神(しんじん)は『火の精、()の気』、腎神(じんしん)は『水の精、(かん)の気』、肝神は『木の精、(しん)の気』、肺神(はいしん)は『金の精、()の気』、脾神(ひしん)は『土の精、(こん)の気』とされていた。


「それは、あなたが一番ご存じなはずですよね、蒼さん」

 問われて、「確かに」と蒼は頷いた。

「我が門派において、膽神だけは特別な存在だった。知っているのは本人と掌門人のみ。たとえ五臓神であっても、それが誰なのかを知らされることはない。門人の中には、未だその存在すら知らぬ者もいる。ただ性質上、肝神や他の五臓神でも、特に力のある者なら気づくこともできただろう。それでも、それは決して口外してはならない決まりだった。だが――」

 それは昔のことだ、と蒼は続けた。


「我等が二つに分かれてからは、そこまで秘密にされてはいなかった。回りの状況が大きく変化し、科学が発展することによって、我等が重要と考えていたものが、それほど重要視されなくなってしまったからだ。喩えば、今の世に神仙の存在を心の底から信じている者が、果たしてどれほどいるのだろうか。練功を行っている者ですら不老不死などを目指してはいまい。()してや、一般人であればなおのこと。適当な医療さえ受けられれば、ある程度の延命も可能な昨今、我等が後生大事に抱えているものなど、人は見向きもしないだろう」

 すると「世間のことなど、ここでは関係ないはずです」と含明が異議を唱えた。

「今でも、私たちの間で膽神が特別な存在なのには変わりありません。それとも、論点をわざとずらすのは、何か意図があってのことですか?」

「いや」

 蒼は否定し「済まない。そういうつもりは毛頭なかった」と悪怯れずに詫びた。


「君の言う通り、我等にとって膽神は未だ特別な存在だ。膽神が誰なのか、を語ることはできないし、また、どんな役割を担っているのかも秘されたままだ。それは認めよう。だが、柳青師姐にとって一番問題だったのは、そんなことではなかったはずだ」

「じゃあ、何だ?」

 父が横から口を挟む。

 守が無言でスーツの袖を引っ張って抗議した。


「膽神だけは、掌門人(しょうもんじん)になれないのです」

 答えたのは含明だった。

 第十三代掌門人に、含明でなく蒼が選出されたのは至極当然のことだった。

 この事実を知らなかったのか、父は少し驚いているようだった。だが、それ以上何も言及することなく口を噤む。


「膽神は掌門人になれない。母はこの事実を受け入れることができませんでした。それが双子の妹に対する競争心から起こったものか、自分を苛み続ける罪悪感から起こったものかは、私には判りません。ただ私が知っているのは、母がこの宿命を受け入れることができず、ずっと悩み続けていたということです。たまにですが、私も子供ながらにそんな母の心が零れてくるのを感じていました。そして、それを見ているのは辛かった……」

 含明は俯いて言葉を切った。


 守の心に、急に『気の毒だ』という思いが込み上げてきた。

 同時に、耳元で「騙されるな」と父の声が囁く。


「膽神が掌門人になれないのには、確乎たる事由がある」

 蒼の言葉に、含明が顔を上げた。

「だが、ここでそれを口にすることは憚られる。秘されているものには、『秘されている』ということにも意味がある」

 含明は露骨に顔をしかめたが、蒼は構わずに話を元に戻した。


「師姐は君を掌門人にしたかった。だが、我等の本来の目的である、最終的な成就の形は、掌門人になることではないはずだ。(むし)ろ、個人的な鍛錬はそういったものから掛け離れたところにある」

「ですが、後進の者を導くことによって積まれる『徳』は大きいはず」

「いや、それは違う。『師父領進門』。掌門人の役目は、その入り口に連れていくことにある。小さな船の船頭のようなものだ。ただ、黙黙と運んでいく。『世間』から『出世』するための手伝いをするだけ。そして『修行在自己』。あくまでも、その主体は個人にある。門は進む本人が自分で開け、潜らなければならない。故に掌門人とは――」

 蒼は「己が真の『人』となる、『出世』のための方便ではない」と窘めた。


「ところが、師姐は目的を見誤ってしまったのだ。苦労して手に入れたせいなのか、掌門人であることに固執してしまった。それは、実に残念なことだ」

 蒼はそこで言葉を切った。

 すると――

師兄(しけい)、あなたはどう思ってらしたんですか?」

 育が右隣に目を向ける。質問したのは夏芽(なつめ)だった。

「あなたは、掌門人になりたかったんですか?」

「私は、特に掌門人になりたいとは思いませんでしたよ。ただ――」

「ただ?」

 と、夏芽が聞き返した。

「母のようになりたかったのは確かです。子供心にも慈しみを与え、大悲を行い、人に慕われ、人の尊敬を得る、そんな母のようになりたかった」

 含明は「ただ、それだけです」と言って口を閉じる。

「君がそう思い込みたいのも無理はない」

 蒼は同情的な目を向けた。

「師姐は我等にとっても偉大な先達(せんだつ)だった。過ちを犯したことを認めたくない君の気持ちもよく解る。だが、真実は隠しようがない。師姐は最後の最後に囚われてしまったのだ。『肉親の情』という名の魔物に、な――」


「あれは、母ではありません」


 反駁する含明に、皆の視線が集中する。

「皓華の母親を死に至らしめたのは――私です」

「だから、黄老師は『威明(いめい)』って……」

 驚きの声を上げたのは育だった。

「どうしてそんなことに?」

 夏芽が訊く。

「確かに、母は私に自分の跡を継がせたいと考えていました。だからこそ私のことは誰にも黙っていたのです。ですが皓華の母の淑月(しゅくげつ)は、それを知って母のことを非難しました」

「それだけで、殺すのか?」

 元生の問いに「誰にも知られるわけにはいかなかったのです」と含明。

 すると――

「原因は、それだけではないでしょう」

 今までずっと黙っていた辰矢が口を挟んだ。その隣の武志が、何かあったらすぐに対応しようと身構える。


「あなたが皓華の母親を殺したのは、伯母がご主人に離婚されたのと同じ理由ですよね。そしてそれを知った僕の母も……」

 いつも愚直なくらい温厚な辰矢だったが、含明に向けられた口調は厳しかった。

「伯母は母のことを『どうしようもないあばずれだ』と言いました。伯母の婚約者を奪い、先代の『威明』の夫を盗んだ、と。でも、僕に言わせれば、伯母も似たり寄ったりです」

「止めなさい、辰矢。それ以上は……」

「構いませんよ、蒼さん。いつかは皓華にも話さなければならなかったことです」

 含明の言葉に、辰矢はハッとして皓華のほうへ視線を向けた。

 皓華は俯きながらも、含明の次の言葉を待っている。

 含明の薄い唇が開いた。


秋成虎(しゅうせいこ)が私の父です。だからこそ、私は膽神になったのです」


「そんな……」

 育が両手で口を覆う。

「この事実を知った時、母はとても悲しみました。そして自分を酷く責めたものです。私はそんな母の姿をずっと見てきました。ですが、皓華の母の淑月は自分の夫には責任を求めず、母だけを責めたのです」

「それで、殺ったのか?」

 元生の問いに、含明は素直に「はい」と答えた。

「どうしても、許せませんでした」


 誰も何も言わなかった。

 含明は、蒼に向き直った。

「あなたは、十三代として、私を裁きますか?」

「いや、僕には、君を裁く権利はない」

 蒼の口調は柔らかだった。


「それに、君は皓華の母親に怪我を負わせたかもしれないが、それは、やむを得ずだったのではないのか? そして最後は――」

 含明が、蒼に抗議するように息を漏らした。

「いいえ、私です」

「含明。確かに孝徳を積むことは人として正しいことだ。だが過ぎてはならない。君も師姐もそして義母(はは)も、愛するあまりにその対象に執着し過ぎた」

「『義母』?」

 含明は問い直してから、「ああ」と合点がいったように声を上げた。

春花(しゅんか)叔母のことですね。日本名は、春子(はるこ)でしたか。あなたも叔母を恨んでいた」

「いや、恨んでいたわけではない」

「そんなはずはないでしょう。あなたの本当の母親を苦しめた叔母が、憎くなかったはずがない」

 蒼は、深く溜め息をつく。

「含明。皆が皆同じだと思ってはいけない」

「がっかりですよ、蒼さん。あなたは、親不孝な方なんですね。そんな人が掌門人になるなんて――」

 含明の面に強い嫌悪の情が表れた。「そら見ろ」と元生が守に耳打ちする。

 蒼は、それでも静かに先を続けた。


「僕は彼等が嫌いではなかった。辰矢は体は弱かったが心の優しい子供だったし、義母は子を思う良い母親だった」

「では、何故、維名の家を出たのです?」

「義母の心が維名の家に執着するのは、見ていて辛かった。義母は息子を思うあまり、辰矢の気持ちを無視してまで、辰矢を膽神にしようした。残念なことに義母には姉である、君のお母さんに対する、強い対抗心があったからだ」


 守は以前辰矢とした会話を思い出した。

 確かに辰矢は『姉の息子が肝神なら、自分の息子が膽神であるべきだ』と自分の母親が考えていたと言っていた。


「譲れるものなら、譲ってやりたかった。だが、僕は膽神ではない」


 蒼の言葉には、やるせない悲しみが滲んでいた。

「僕が家を出ることで、少しでも義母の気持ちが落ち着けばと思った。人の心とは忘れるものだ。目の前にいなければ、僕に対する様様な感情は薄れていくだろう。そのことで、義母が執着から離れられるのならそのほうがいい。苦しみとは対象に執着することから生まれる。憎しみでも、譬え愛でさえ、執着するということは、実は苦しいことなのだ」


 守は『愛』という字の成り立ちを思い起こす。

 『愛』とは会意で、『思わず振り返るほど気になること』。

 そして――

 古字の『(こころ)』の下に『(すいにょう)』の字は、『足を引きずるほどに、心が重いこと』を表しているという。


「君の母親を思う気持ちはよく解る。だが、やはり過ぎてはならない。対象が何であれ、愛し過ぎるのは執着に繋がる」

「何を仰りたいのですか?」

「罪を肩代わりすることはできないということだ。君は、していないことの責任を取る必要はない」

「馬鹿なことを。私が『した』と言っているではないですか!」

 吐き出すような含明に――

「ハンカチは?」

 と、冷静な声で蒼が訊く。

「はい?」

 含明は、怪訝な顔で聞き返した。

「君はハンカチで――一体何を拭ったのだ?」



領進=案内する

修行在自己:『自己』は『個人』となっている場合が多いです。

『出世』=この世を出る。本作では『得道成仙(とくどうせいせん)』の意味です。


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