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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第九章 三花聚頂(三つの花が天宮に集まる)
81/99

三花聚頂 9

ついに、最後の『(おとこ)』がやって来ました。

*龍について、個人研究、独自解釈が炸裂しています。ご注意ください。

*環境、機種によっては表示できない字を使っているところがあります。

 『()』=『(ごつ)』+『虫』=『兀虫』 まむし、または龍の幼体

 “()五百年化為(みずち)(みずち)千年化為龍。”



「あなたが、どうしてここへ?」

 意外に冷静な含明(がんめい)の声が、意識が不確かな守の耳を、左から右に抜けて行った。

「僕が呼んだ」

 答えた(あおい)の言葉も、同様に通り過ぎる。

 けれど――

 それは守の中に何も形作りはしなかった。

 スーツの男の険しい顔も、その後ろから覗く、心配そうな夏芽(なつめ)の顔も、守の目には映っていない。

 男は大股でソファーに近寄ると、イスの背に凭れてぼうっとしている守の胸倉を掴んで引き起こした。

 止める間もなく、左右の頬を打つ。

 大きな音が部屋中に響き、ビクッと体を震わせた守がゆっくりと男を見た。

 その目には、微かだが『(しん)』の輝きが戻っていた。


「お、親……」


「馬鹿っ! 何処へ行っていた!」


 目の前にある父の端正な顔は、守が今までに一度も見たこともないほどの厳しさだった。父は、同じほど厳しい口調で守に言う。

「よく聞け。柳青(りゅうせい)や含明の言ったことを信じるな。全ては妄想の産物だ!」


「へ?」


 本当の意味での『失神』状態にあった守は、戻ったとはいえ『神』の働きがまだ不確かで、その言葉の意味をよく理解できない。

 代わりに、「妄想とは、どういうことです?」と含明が反応した。

「答えによっては、いくら元生(もとい)さんでも許しません!」

「ふん。妄想でなければ、故意に操作された情報とでも言ったほうがいいか?」

 立ち向かうように振り返った父の言葉は静かだった。だがその中には強い怒気と陰険さが込められている。

「馬鹿な! 何故、母がそんなことをする必要があるのです!」

 含明の顔が、逆鱗(げきりん)に触れられた龍のように激しく歪んだ。守は話の内容よりも、その含明の反応に目を瞠った。こんなに激昂する含明を見るのは初めてだ。

 辺りを異様な気配が包み込む。

 (はく)が現れた時と同じような――

 いや、それ以上に嫌な感じだった。

「それ――」

柳青(りゅうせい)師姐(ししゃ)は、息子である君をとても愛していた」

 口を開きかけた元生を制して、答えたのは蒼だった。

「それ故に、大きな過ちを犯したのだ」

「………」


(ん? 過ち?)


 大きな過ちとは何なのだろう。

 刺激され、動き始めた守の『識神(しきしん)』が考える。

 だが、まだいろんな情報を纏めきれず、最初に頭に浮かんだ疑問が零れ落ちた。

 それはしばらくぶりに会った、自分の父に向けられたものだった。

「……って、玄明の母親を殺ったのって、含明さんのお母――うわっ!」

 元生が守を振り返ったのと同時に、守の体に強い衝撃が走った。

 激しいバイブレーション。

 動けない。

 あの時と同じだ。


「守!」

 一歩で近寄る元生の背中越しに、含明の八方睨みの目が睨んでいた。

 気づいた元生が、その体で遮ると――

 少し楽になる。

「止めるんだ! 含明!」

 蒼の声と共に、守の体を拘束するものが一気に消えた。


 元生は猛然と含明に掴みかかろうとした。だが皓華が邪魔で届かない。すぐに、どうしたらいいか判らずに固まる皓華の後ろに回って、含明の襟首に手を伸ばす。

「元生! 止せ!」

「止めるな! 俺の可愛いガキにこんなことをされて、黙ってられるか!」

「駄目だ! 僕に任せろ!」

 元生が手を止め、蒼を睨みつける。

 朱い怒りに燃えた眼光が、一直線に蒼を射る。

 けれど――

 蒼が怯まないことを見て取ると、元生はその『眼神(がんしん)』を内に収め、口惜(くちお)しそうに伸ばした手を拳に握った。

「ここはおまえの顔を立てやる。でも、次はないぞ」

 人差し指を一本突き立て蒼に言い捨てると、元生は守の所に戻り「大丈夫か?」とその顔を覗き込んだ。状況がよく呑み込めないながらも、父の問いに「うん」と頷く。

「つか、何が――」

「しっ」

 説明を求める守を元生が止めた。「悪戯(いたずら)に気を打ってはいけない」と(たしな)める蒼の声が聞こえてきた。


「それに、いくら元生を呼び出すためといっても、嘘はいけない。含明、君は師姐にそう教わらなかったのか?」

「確かに――」

 襟元を直しながら含明が答えた。

宮子(みやこ)さんのことは謝りましょう。ですが嘘と言われるのは心外です。手を下したかどうかは別としても、それほど間違った推測ではないとは思いますが」

「含明!」

 守の隣の空いた席に腰を下ろしていた父が、奥歯を噛み締めながら低く威嚇する。だが含明はそれを無視し、「とにかく」と続けた。

「母のことを悪く言うことは、許しません。母は優れた師でした」

「解っている」

 答える蒼の口調は柔らかだった。

「それは誰もが認めていることだ。我等皆がそれを知っている。だが、柳青師姐が道を誤ったのもまた事実。それはたとえ君でも、覆すことはできない」

 夏芽を武志の隣に座らせると、蒼は静かに話し始めた。


     *


「師姐が君を連れて初めて来日したのは、不幸な戦争で長い間断絶していた日中間の国交が回復した次の年だった」

「そうです。あの時のことは、よく憶えています」

 含明の言葉には、懐かしむような響きがあった。

「三月も三分の一ほど過ぎた暖かい日でした」

「ああ。あの日は良く晴れていて、暑いぐらいだった」

 しみじみと言う蒼に、含明は微笑みながら頷いた。

「羽田まで母と私、そして黄珪沙(こうけいさ)師姐を迎えに来てくれたのは、まだ大学生だった元生(もとい)さんと蒼さんでしたね。元生さんはエンブレムの入った紺のブレザー、蒼さんは、茄子紺(なすこん)に金の縁取りのついた詰め襟の学生服に学帽を被っていました」

「あれは大学の制服だ。あの時代、まだ大学にも制服があるところがあった。皆、あまり着ていなかったが、僕は鴛鴦(うち)の制服が好きだった」

「私もです」

 そして「櫻子(さくらこ)さんも、同じようなことを仰って言っていました」と付け足した。

「櫻子が?」

 元生が訊く。

「はい。凜凜しい感じが好きなのだそうです」

 元生は「ふ~ん」と一言だけ感想を漏らす。

「あの時の師姐は、今の君と同じくらいだっただろうか?」

 蒼が訊いた。

「そうです。私は十一になったばかりですから、三十代の後半でしょうか。あの頃の日本は、高架式の高速道路や高層ビルがたくさん造られていて、初めて目にする風景にとても驚かされたものでした。ですがもっと驚いたのは、学校から戻って来られた櫻子さんでした」

 含明は、遠い日を思い出すために、蒼から視線を外した。


「あの日は卒業式があったとかで、在校生の総代として出席された櫻子さんは、ご自身の名前と同じ桜色の振り袖をお召しになっていました。模様こそありませんでしたが、紺袴(こんばかま)との組み合わせも美しく、とても気品を感じさせる装いでした」

 今までとは打って変わって、含明の口調は明るかった。

「あの頃の中国は、文化大革命の影響で、華美なものに対する禁忌がありました。ですから女性でも、紺や青、あるいは緑といった人民服を着ていて、艶麗な装いの女性はほとんどいませんでした。それに櫻子さんには、まるで人でないような儚さがありました。私はまだ子供でしたが、強い衝撃を受けたことを憶えています」

 含明が蒼に視線を戻すと、蒼は静かに頷いた。

「そう感じていたのは君だけではない。あの場にいた誰もが、そう思っていたはずだ。あの時の櫻子は――」

 蒼は言いかけて唐突に止め、「ここでは関係ないな」と話を元に戻した。


「あの時、あの場で櫻子のことではなく、別のことを考えていたのは、柳青師姐と僕だけだった」

 含明の目が細められ視線が鋭くなった。「どういうことですか?」と、探るように蒼を促す。

「僕は空港で師姐を一目見て、何の根拠もなく思ったことがあった。それが、何処から来たのかは判断できない。だがあの時はっきりと確信した。僕が継ぐのは――この人の力だと」

 そこにいるすべての者が蒼を見、そして含明に視線を移した。だが、含明だけはそのままじっと蒼を見続けている。その顔には何の表情も浮かんではいなかった。


「何を仰りたいのですか?」

 含明が訊く。

「師姐は多くの悲劇を乗り越えてきた。とても立派なことだと思う。だが、最後の最後に最も大きな試練に掴まってしまったのだ。それは――」

 含明は何も言わず、ただ、蒼をじっと見つめていた。

 皆もじっと蒼の次の言葉を待っている。


「君が、膽神(たんしん)を継ぐ者として生まれついたことだ」


「「「「「「!」」」」」」


 守も育も皓華も夏芽も、武志や父の元生でさえ、蒼の言葉に驚いている。

 だからといって発言する者は誰もいなかった。

 皆がことの重大さを十分に理解し、ただ黙って成り行きを見守るしかないことを知っていた。

「何のことでしょう?」

 含明が聞き返す。

 蒼は一度含明からその視線を外し、宙をさ迷わせた。


「あれは二月の後半。あと数日で三月になろうかという頃だ。僕はまだ九つだったが、君が生まれた時のことは今でも鮮明に憶えている。暦の上では春になっていたとはいえ、まだ二月で寒かった。だのにあの日は珍しく雷が鳴っていた。春雷だ。師姐もあれだけの力がある方だ、直ぐにこの宿命に気づいたはずだ」

 だからこそ、と蒼は続ける。


「『威明(いめい)』である君を、『含明(がんめい)』と名づけたのだ」


「馬鹿な……」

「いや、君が一番解っているはずだ、含明。(はは)が死んだあの日から、君が『威明』だったのだ」

「違います。私は十八の歳に柳青(はは)の跡を継ぎ、肝神になりました」

「そうだぞ、蒼。俺も、含明は肝神だったと聞いている」

「柳青師姐は、力のある方だった」

「どういうことだ?」

 元生が蒼に問い糾した。


「僕も、最初に含明が肝神を継いだと聞いた時は、何の疑いも持っていなかった。きっと、僕が感じたものは間違いだったのだろうと思い、そんなだから、僕は母の跡を継げなかったのだろうと思った」

「そんなことはない!」

 父の反論に、蒼は笑いながら首を振った。

「だが年を追うごとに、初めて師姐に会った時に確信したものを無視するわけにはいかなくなった。『あれ』は僕の『元神(げんしん)』が感じ取ったものだ。そして『識神』が勝手に解釈した。きっと含明の次が僕なのだろうと。だが、何故僕が含明の次なのだ。そういう思いも同時にあった。それに――」

 蒼はここで言葉を切り、

「膽神は、いったい誰なのだ?」

 と、重重しく言い添える。


「膽神の存在は熟知されていた。ただ、誰か判らないだけだ。だが本来ならそれが正しい在り方なのだ。母の場合が特例だった。ところが、ある時意外なほど近くにその存在を感じたのだ。まるで、手で触ることができると思うほど間近に、だ」

「それは俺も感じた。含明が肝神を継承したと聞く少し前だ」

「そうだ。何かの理由で柳青師姐がしくじったのだ。そして隠しきれなくなって、偽装した」

「何を?」

 元生が訊く。

「膽神を肝神に、だ」

「はぁ? ――って、おい、まさか?」

 父は一瞬目を瞠ったが、すぐに思い当たることがあったようだ。蒼は「ああ」と何も聞かずに即座に肯定する。

「昔おまえが教えてくれたんだ。()の治水の話の時だ。確かおまえは――龍の古字の『竜』の字は、頭に『(しん)』の(かんむり)を被ったヘビが、飛び立つ瞬間の象形で、その意味するところは『変化』だと言っていた。また、龍の幼体とされる『()』の字は『まむし』とも読み、卵胎生のヘビのことだ、と」

「そうだ。だから俺は、東洋の龍は西洋のドラゴンと違って、卵ではなくて子供を産むと結論づけたわけだ。卵を抱いている龍の絵なんか、見たことがないからな。そして、卵を産むヘビはカメと結びつくことで、亀蛇(きだ)という別の生き物になった。つまり――膽神の(かたち)は、青亀蛇(せいきだ)だ」

「そして肝神の象は青龍(せいりゅう)に似るとある。色は共に青なのだ。ならば――」

「亀蛇のカメの動きを止めて、ヘビに『辛』の(かんむり)を被せればいい。元元膽は肝の短葉の下にありだ。青くて動かなければ、肝神の光が強いと誤魔化せる」

「そうだ。師姐の力を以てすれば、青亀蛇のヘビを青龍に偽装するのは、それほど難しいことではなかったはずだ」

 蒼は含明へと目を向けた。


「含明、初めから君が膽神だったのだ。僕の母が死んで、君が跡を継いだことに、柳青師姐は直ぐに気がついた。君はまだ五つだった。生まれた時から判ってはいたとはいえ、師姐もこれほど早いとは思っていなかったはずだ。そして意念を用いて無理やり君の力を押さえ込んだ。ところが、君に宿った膽神の力は予想以上に大きかった。君が成長するに連れ、師姐でさえも押さえ込むのが困難になった。そんな折、何かの拍子にそれが発露した。僕や元生が膽神の存在を実感したのは正にその時だ。柳青師姐は大層慌てたことだろう。だが、もう今までのように、押さえ込むことはできなかった。そして急遽、膽神を肝神に偽装したのだ。だが、それはあくまでも応急的な処置に過ぎず、師姐はさらなる手段を講じなければならなかった。残念なことに、それは成功することなく亡くなっている」

 元生が僅かに反応したが、蒼は素早く手を上げてそれを制した。

「だからこそ君は師姐が亡くなった時、僕が師姐の跡を継いだことに気がついた。君が生まれた時に、僕が朧気に感じたのと同じように――」

 含明の左の頬が僅かに痙攣する。

「だが、本来ならばそれは特別なことではない」

「えっ?」

 蒼の言葉に呼応したのは守だった。元生は、おまえは黙っていろと言わんばかりに守の後ろ襟を取って自分のほうへ引き寄せる。それを見て蒼の薄い唇の端が吊り上がった。


「肝神と膽神は、長い歴史の中で何度か入れ替わったことがある。何故なら、最初の肝神と膽神は双子の兄弟だったからだ」


 五行色体表では、五臓の肝と膽は共に『木』に分類され、互いに影響し合う表裏(ひょうり)の関係にあった。また現代医学的においても、胆嚢は肝臓で作られた胆汁を貯めておく器官とされ、直接繋がっており、切っても切れない関係なのだという。

 どちらも同じ性質で、どちらも同じ実力があるのなら、どちらがどちらになってもおかしくはない。それは陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となるのと同じ理屈ということなのだろう。

「肝と膽。どちらが優れていて、どちらが劣っているかの優劣をつけることはできない。どちらにも特別な機能があり、どちらも人に必要なものだ。この二つの間にある違いは表裏だけ。ただ単に陰陽があるのみ。だのに――」

 蒼は、含明へ向き直った。


「師姐はつけてしまったのだ。優劣を」



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