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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第九章 三花聚頂(三つの花が天宮に集まる)
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三花聚頂 7

新年、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「いる?」


 育は突然の胸騒ぎを覚え、守と武志の部屋を訪ねた。

 ベッドに寝転がって本を読んでいた武志が、何事かと身を起こす。

「あの……守は?」

丹下(あかもと)なら、まだ帰って来てないけど」

 武志は、弔問客の相手をしている辰矢(たつや)を少し手伝ってからこの家に戻り、台所でお茶の用意をしている時に、外出する守の姿を見掛けたと言う。

「それが三十分ぐらい前だ。もう、夕飯の支度か?」

 今日の夕食当番は、守と皓華(こうか)だったが、皓華はまだ眠っていて育が代わることになっていた。なら、自分がと言い出しそうな武志に、「それもそうなんだけど」と育は言葉を濁した。武志が「ん?」と首を傾げる。

「あのね、武志。――あたし、何だか嫌な予感がする」

 武志は急に厳しい表情になり、音も立てずに立ち上がった。

「捜そう」


 育と武志が外に出ると、空はまだ明るかった。波のない静かな湖面には、染まりゆく茜色の雲が映し出されている。

 暗くなる前に、あの場所を探さなければ、と育は考えていた。

 鬼仙(きせん)が自分を襲った場所。

 封印されたあの場所に、もう一度行きたいとは思わない。

 けれど、もし守があそこにいるのなら――

 日が暮れれば、闇の主はさらに力を増すだろう。

 『陰』が勢いを増している今、『陰』に属するアレを、果たして押さえることができるのだろうか。


 育は、道観(どうかん)の門前で話をしている(あおい)と辰矢を見つけ、守のことを訊いてみた。

 蒼は一瞬ですべてを察し、眉をひそめた。

 宙を睨み、そして唐突に言う。

「この中には、いない。というよりも、島の中の何処にも気配はない」

「じゃあ、『外』か?」

 武志が訊いた。

「いや、おそらく『中』だろう。それも意外に近いところだ」

「どこだ?」

「そこまでは、判らん」

 育は、蒼と武志のやり取りを心配そうに聞いていた。蒼は育を見、視線を緩めて「きっと、大丈夫だ」と声をかけてくれる。

「守は、僕が知っている『守霊(しゅれい)』の中でも一番力がある。まだ全てを発現してはいないが、反対にそれがいい結果をもたらすだろう」

 育は蒼と、武志は辰矢と、四人は二手に分かれて辺りの探索へと向かった。



「お父さん!」

 育の声に蒼が振り向いたのは、扉が開いていた、守の練功房の中を確認し、湖畔に下りて来た時だった。

「あれ」

 育の指が差し示す道の先には、こちらに歩いて来る、自分の父によく似た長身で細身の男の姿があった。

含明(がんめい)……」

 そして、その背には――


「どうした?」

 駆け寄った蒼の問いに、含明は守を背から降ろして草地に寝かせた。

「あちらの湖畔に倒れていました。どうやら邪気に当たったようです」

 意識のない守の体を一通り調べてから、蒼は含明の手を借りて宿舎の中へと運び入れた。居間のソファーに寝かしつけ、もう一度脈を診る。「手伝いましょう」と含明が、守の左右のこめかみを親指と小指でそっと押さえた。手のひらで額を包み込むように鷲掴み、任脈(にんみゃく)に沿うように置いた人差し指を細かく動かし、任脈上のツボを刺激する。


 蒼と含明の二人の施術を受けて、守が昏睡から目覚めたのは、三十分以上経ってからだった。うっすらと目を開けた守に、「何があった?」と蒼が訊いた。

 だが、守は何も答えようとせず、(うつ)ろな目には『(しん)』の欠片(かけら)も見えなかった。

「『失神』しているようですね」

「そうだな」

 この場合の『失神』は、『元神(げんしん)』『識神(しきしん)』共に『神』の働きが不十分なことで、今使われているように、まったく意識がないという意味ではなかった。

 蒼は立ち上がると、何も言わずに部屋を出て行った。代わりに育が、今まで蒼がいたところに(ひざまず)く。

「守?」

「………」

 声をかけたが反応はない。

 含明に目を向けると、左右に首を振っていた。


 育は、こんな風に虚ろな守というものを見たことがなかった。

 育が知っている守は、いつも表情豊かで、(うるさ)いほどで、何も話していない時でも、いや、疲れて眠っている時でさえ、その『神』はしっかりとしていた。

 だのに――

 今は中身がまったく(から)というほどに、何も感じない。

 時に温かく。

 時に優しく。

 時に激しく。

 時に残酷で恐ろしい。

 育を見る強い『眼神(がんしん)』も、今はその目に現れていない。

 ただ、(くら)い虚ろがあるだけだ。

 けれど――

 守の中には、まだ『守霊』がいる。

 『守霊』はまだ、守を見捨てたりはしていなかった。


 育は守の胸中にある、上から吊り下げられた、蓮華(れんげ)の朱い蕾の中に、朱い光の鳥がいることを感じていた。

 幾重にも重なったベールの奥。ひっそり息づく光の鳥は、衰えることなく煌煌と輝いている。

 もし、守が再起不能の状態なら、『守霊』はすでに宿主を変えているはずだ。

 そして次の宿主は、育に冷たい目を向けていた、あの小さな弟のはずだった。

(でも、あの子は――)


 あの事故の後、育はしばらく守の家に預けられていた。

 それを思い出したのは、松花湖に来て四日目。五気朝元(ごきちょうげん)の前段階である、五臓の調整法を行った後だった。『あの頃、龍煙さんはまだ日本にいた』という夏芽の言葉に、もしかしたらと育は思った。そして改めて父のことを思い出そうと試みた。

 確かに、龍煙は年齢だけでなく、話し方やその優しい眼差しが、育の記憶にある父にかなり近かった。だが龍煙の気配は、父の蒼とは根本的な部分が違っていた。気配だけで言えば、龍煙よりも含明のほうが、育の記憶の中の父に近いのだ。

 それでも、龍煙が父かもしれないという考えを育は捨てきれなかった。そうだったらいいと、願いにも似た気持ちで記憶の底を掘り起こした。それは辛く、厳しい作業だったが、その代償に育はいろいろなことを思い出した。

 その思い出した記憶の一つに、事故の後のことがあった。


 育は一度母の実家に引き取られたが、すぐに守の家に預け直された。賑やかなほうが気も紛れ、育のためにもいいという配慮からだった。だが、それはあくまでも表向きの理由で、本当は母から『育嬰(いくえい)』とその役割を引き継いでいた育が、当時の『守霊』である、守の父の傍にいる必要があったからだ。

 それに――

 守の父の元生(もとい)は、育の父の親友で、父を失った哀しみを、唯一分け合える人でもあった。父と母は駆け落ちしていて、育が引き取られた母方の実家に、父のことを哀しんでくれる人はいなかったのだ。育が心の底から父の死を悼むことができるのは、元生の前でだけだった。

 けれど――

 あの子は育が辛くなると、決まって喘息(ぜんそく)の発作を起こした。

 守と二人で取り残されることも多く、育は泣くこともできなかった。

 そんな時、守はいつも育の手を強く握ってくれていた。

 もちろん、自分も辛く心細かったのだろうが、時に(おど)けては、育を笑わせてくれたりもした。それでも辛く哀しい時は、よしよしと頭を撫でて慰めてもくれた。

(あの頃は、まだ、あたしのほうが大きかったっけ)

 幼児ながらも、懸命に育を気遣う守の姿を思い出し、不意に、育の口元に笑みが零れ、それと一緒に涙も零れた。今思えば、あの家で純粋な気持ちで育のことを心配してくれていたのは、守だけだったのかもしれない。

 もし、あの頃のままだったのなら、育は守が差し出した手を、迷わず取っていただろう。

(でも――)

 育はもう、あの子が何故育に冷たい目を向けていたのか、知っている。


 思うままに思考をさ迷わせていた育が、そこまで考えた時、どこかに電話をかけに行っていた、蒼が戻って来た。

「お父さん、どうしたらいい?」

 育が気を取り直して、蒼に訊く。

「今は、そっとしておいたほうがいいだろう。ついていてやれるか?」

「はい」

 頷く育に、「私もいましょうか?」と含明が言った。

「いや、直に武志が戻って来るから武志にやらせよう。君は皓華のところへ行ってくれないか」

 蒼は含明を伴って皓華のいる二階へと上がって行った。



 宵の食卓は、育と蒼と辰矢だけの寂しいものだった。

 守と武志の姿は見えず、含明はまだ眠っている皓華の傍にいた。皓華は、あの夜から一度も目を覚ましていなかった。そして夏芽もまだ戻っていない。

 誰もほとんど口を利かず、食事を終えると辰矢は早早に片付け始めた。育も手伝おうとしたのだが、蒼に呼ばれ、一緒に守の様子を覗きに行く。

「どうだ?」

「あまり、変化はない」

「そうか」

 育は、手をつけられていないトレイを、蒼は、汚れた食器が載ったトレイを受け取って二人は一度食堂へ戻った。育が残った食事を辰矢に渡すと、辰矢はラップをかけて冷蔵庫に(しま)う。育は洗い物を済ませて蒼と二階へ上がった。蒼は、女たちの安全を考え、皓華を含明に任せ、育を自分の部屋に引き取ることにしたのだ。

 育の私物を運び出し一階へ戻ると、すでに辰矢の姿はどこにもなかった。辰矢はこの後も夏芽の代わりに、主のいない祭壇の前で、集まった門人と夜を明かすことになっていた。


 その夜は何事もなく過ぎて行った。


 暗く沈んだ島は、翌日の八日目も台風が近づいていること以外、特に大きな変化は見られなかった。



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