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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第九章 三花聚頂(三つの花が天宮に集まる)
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三花聚頂 5

 松花湖(しょうかこ)に来て七日目。

 守が深い眠りから目覚めたのは、昼近くになってからだった。

 隣にいるはずの武志のベッドはもぬけの殻で、居間にも誰もいず、食堂へ行くと独りで昼食の準備をしていた辰矢(たつや)に声を掛けられた。

「よく眠れたようですね」

 辰矢の言う通り、あんな事があった後だというのに、気分と体調はそれほど悪くない。明け方近くに床に入り、さっき起きるまで夢も見ずに眠ることができたからだろう。

「あの、維名(いな)は?」

「武志は朝早く、兄と街の方へ出掛けました」


 昨夜遅く、(あおい)道観(どうかん)と同じように常在(じょうざい)の住居も封印した。その頃には、常在の遺骸(いがい)は、すでに門人たちの手によって街の病院に搬送されていた。

 死因は腹部動脈瘤の破裂と診断され、不審な点はいくつかあったものの、解剖されずに済んだという。どうやら蒼が知り合いの官僚に頼んで、口を利いて貰ったらしい。

 街中にある家へ泊まるつもりだった夏芽(なつめ)は、そこで祖父の訃報を聞いた。信じられない想いで病院へ駆けつけ、朝早く祖父を連れ帰ったという。

 常在の遺骸は、守たちが吉林(きつりん)に来て最初に泊まった、夏芽の家に運ばれ安置されている。蒼は第十三代掌門人として、斎主(さいしゅ)の夏芽と十二代の葬儀のことを相談し、日本にいる仲間とも諮って今後のことを決めなければならなかった。


 守は昼食を取りながら、他の二人がどうしているのかを辰矢に訊いた。

「育と皓華(こうか)は、まだ休んでいます」

 守と同じように疲れて眠っているのだという。

 守はそれを聞き、きっと蒼が自分たちに何かをしたのだろうと推測した。そうでなければ経験上、育も皓華もこんなに遅くまで寝ているはずがないのだ。

「あれから、皓華はどうなんですか?」

「昨夜は意外に落ち着いていました。酷くショックだったようですが、冷静に受け止めるように努めていました。でも、却ってそれが痛痛しくて――」

「そうですか……」

 守は、虎丘(こきゅう)で父母にすがりついて泣いている、小さな皓華の姿に想いを馳せた。どんなに気丈に振る舞っていても、皓華の心の中には、まだあの時の小さな女の子が棲んでいるのだ。


玄明(げんみょう)は?」

「育も一応落ち着いています。でも兄が言うには、あの娘の場合はいろいろとあり過ぎて感覚が鈍麻しているのだろう、と――」

 育の場合は、ここ何日かの変化が急激過ぎた。ずっと探し続けていた弟と父親が見つかったのはいいことだ。けれど、それゆえに新たな疑問も生まれてくる。

 龍煙は、何故、自分が父親の蒼だと名乗りでなかったのだろうか。

 あれほど育が望んでいたにもかかわらず、蒼は自分が父親だとは告げなかった。

(それに……)

 武志の出生と二人の母の秘密――

 だが、守は頭からそれらを振り払った。答えが出ないことを考えるよりも前に、確かめたいことがあったからだ。


「あの……」

「何でしょう?」

「あの鬼仙(きせん)が言ってたことって、本当なんですか?」

 辰矢は「そうですね」と小首を傾げ考えている。

「育や皓華の母親のことはどうか判りませんが、僕の母のことなら、概ね正しいと思いますよ。母の一度目の結婚が上手くいかなかったのは、確かですから」

「でも、たまたまそうなったってだけで、実際にそれが原因だって、はっきりとは判らないんじゃないんですか?」

「そうですね。けれど、全く違うとも言い切れないんです」


 辰矢の母の春花(しゅんか)は、小さい頃から飲み込みも早く、何でもすぐにできるタイプの人で、当時、肝神(かんしん)だった辰矢の大伯母や祖父にもよく褒められた、と自慢していたほどだった。反対に伯母である柳青(りゅうせい)は、飲み込みが悪く、いつも怒られていたという。

「実際には、それほど差があったわけでもないのでしょう。一卵生の双子の姉妹なんですから。でも、母の言葉からも判るように、母は自分が姉よりも優れていると思い込んでいました。ですからろくに練功もせず、才能だけで全てを乗り切ろうとしたのです。伯母はその分、非常によく努力していたようです」

 そして、姉の柳青が肝神を受け継いだ。資質に差がないのなら、功夫を積んだ者が選ばれるのは当然のことだった。

「母がそれに納得ができず、腹癒せに伯母の婚約者と出奔したというのもありそうな話です。母は、自分の思い通りにならないことを、他人のせいにするようなところがありましたから」

 辰矢は、首を左右に振りながら溜め息をついた。

「でも、それは人間だったら、誰にだってあることですよ」

 守の言葉に、辰矢は驚いたように顔を上げた。そして躊躇いがちに微笑むと、「君は、優しいのですね」と感心したように言った。

「そ、そんなこと、ないです」

 守は否定したが、辰矢はただ微笑んでいるだけだった。

 そして、ふと真顔に戻り話し始めた。


維名(いな)の父についてもそうでした。母は台湾で父と知り合ったのですが、最初から父に奥さんがいることを承知の上で、父と一緒に日本へ渡ってきてしまったのです。それは父を好きだった、というよりも、父が維名の家の者だったから、というべきでしょう」

「どういうことですか?」

「母は、肝神を継いだ姉にだけは負けたくなかったのです。次代の肝神を姉の子の含明くんが継ぐのなら、自分の子を膽神(たんしん)に。そう思ってしまったのでしょう。一度負けていますから、もう負けるわけにはいかなかった。そういうことだったんだと思います。血の繋がった姉妹だというのに……」

 後は言葉もなく辰矢は悲しげに目を伏せた。冷静に話していても自分の母のことだ。やはり辛いに決まっている。

 そんな辰矢を気遣いながらも、守は前から疑問に思っていたことを訊いてみた。

「龍耀さんのお父さんは、龍煙さんのお父さんと同じ人なんですよね」

「そうです。わたしと兄は異母兄弟になります」

「でも、膽神だったのは龍煙さんのお母さんで、お父さんではないですよね」

「そうです。でも、それはあまり関係ありません。母の目的は維名の家に入ることだったのです。そして、待った」

「何をですか?」


「『運命が変わるのを』、です」


 守は辰矢が言った意味がよく解らなくて、さらに質問しようとした。だが辰矢は時計を見て首を横に振り、「出掛けなければなりません」と断りを入れた。常在の葬儀のために近隣に住んでいる門下生が集まってきているという。

「とにかく、母のせいで兄は辛い思いをたくさんしなければならなくなりました。このことに関しては、本当に申し訳なく思っています」

 辰矢はそう言い残すと、席を立って出て行った。


 頼まれた昼食の後片付けを終わらせた守は、何もすることがなくなった。手持ち無沙汰になってしまったが、こんな状況下では、二階で寝ている二人を残し、外に出ることは敵わない。やはりここはほとんど被害のない、自分が護らなければならないだろう。

 仕方なく、守は居間のソファーに陣取ると、手に(いん)を結んで目を閉じた。



 次に守が目を覚ました時には、太陽はすでに西の空に移動していた。静功(せいこう)をしていたはずなのに、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 慌てて立ち上がり、二階の様子を窺おうとしたところ、蒼が上から下りて来た。話では、ついさっき武志と一緒に帰って来たばかりだという。

「す、済みません。オレ、寝てて」

「大丈夫だ。気にすることはない。皓華はまだ眠っているが、育は昼過ぎには起きたらしい。何かあれば、きっと遠慮無く起こしていたはずだ」

「玄明は、大丈夫なんですか?」

「気になるのなら、会えばいい」

「いえ、止めときます。オレ、嫌われてるみたいなんです」

 蒼は少し驚いて「そんなことは、ないだろう」と言う。守は「いえ」ともう一度断り、「それよりも――」と続けた。

「教えて欲しいことがあるんです」

「武志のことなら、話すことはできないが――」

「そのこととは、別です」

 守は、改めて辺りを見回して誰もいないことを確認してから、応接間に戻って、腰を下ろす。蒼が座るのを待っていきなり本題に入った。


「昨夜、湖に現れた女の人は、誰なんですか?」


 守の問いに、蒼は深く眉をひそめた。

「見たのか?」

 やはり蒼は知っていた。

 守はそう思いながら、「はい」と答える。

「なら、訊かなくても判っているのだろう?」

「そうですね」

 遠目ではあったが、あの哀しげな女性の(かお)は、育に似ているようだった。

「玄明のお母さんですか?」

「そうだ。育と武志の母親だ」

「では、玄明のお母さんも、鬼仙(きせん)に?」

 守は遠慮がちに訊いてみた。育と武志の母親なら蒼の妻でもある。


櫻子(さくらこ)は、もう死んでいる」


「じゃあ、(はく)が、地に帰らずに――」

「いや。アレは、魄ではない」

「え?」

「アレは、人の強い『想い』が形作ったものだ」

 蒼の言葉の中には、深い悲しみが溢れていた。

「前にも言ったが、守。人の執着する心とは、とても怖いものなのだよ」


     *


 島中が重苦しさに包まれていた。

 ここに来て以来、初めてのことだった。

 誰もが哀しみに押し潰され、悲観的な考えの中に沈み込んで、浮上する兆しさえ見せない。

(何故だ?)

 守は自分の部屋に戻り考えていた。

 何故、皆があの鬼仙の言うことを肯定してしまうのだ。

(真実だからか? いや、そんなことは――)

 確かに守の父は、普通という範疇(はんちゅう)からは逸脱しているように見える。まったく不満がないわけではないが、守は決して嫌ではなかった。雑学中心の父の話は面白かったし、その中には、いろいろとためになることも多く含まれていた。

(だから、あの鬼仙に『愚か者』などと呼ばれる筋合いはない)

 たとえ、含明の母親で、偉大な先師だとしても。

 たとえ、辰矢の母親のことが真実だったとしても。


 守がそこまで考えた時、ふと、武志のベッドの上に無造作に置かれた雑誌が目に入った。蒼と一緒に夕食の下拵えをしている時に一度顔を出した武志は、今は辰矢のところに手伝いに行っている。

 そして――

(あ……)

 守は、急に自分の練功房(れんこうぼう)に忘れ物をしていたことを思い出した。前に辰矢に借りていた、中国武術の専門誌だった。

 何年か前に刊行されたその雑誌には、第十三代掌門人の林龍煙を取材した記事が載っていた。三ページほどのインタビューと、十枚ほどの写真で構成された記事の中には、辰矢が写っているものが一枚あって、辰矢は実に恥ずかしそうに守にそれを見せたのだ。

 あそこの使用は禁じられたが、道観のように酷い状態ではなく、立ち入りまでは禁止されていない。それに守の練功房は入り口に近く、育のとこからは一番離れている。

(なら、だいじょぶか……)

 けれど――

(こういう時って、ワナだったりするんだよなぁ)

 守は常常、いかにもという、話の都合上の、あからさまな展開に乗るのは愚かなことだと思っていた。考えれば判るはずなのに、何であえて行くのか、と。

 そして、こういう時にのこのこ行く奴は、たいがい考えなしの愚か者だった。

 だが――

 これはゲームでもなければ、アニメでもない。

(そうそう都合よく、待ち伏せしてるわけないよな)


 鬼仙がここに現れた目的はまだ不明のままとはいえ、武志が叫んだ言葉からも、今回狙われているのは、守ではなさそうだった。それに、鬼仙は肉体的なダメージよりも、家族や肉親を絡めた精神的なダメージを狙っている。ならば、家族が全員生きている守なら、付け入られる隙などないはずだ。現に鬼仙は、守の父が愚かだと言っただけで、それ以上の攻撃はしてこなかった。

 もし何かあったとしても、先に心構えができていれば対処できるはず。

 それに――

 やはり、借りた物は返さなければならないだろう。

 大事な物なら、なおさらだ。


 守は宿舎を出ると、裏手の道を一気に駆け上った。坂の途中から入り口のほうへ向かい、門を開けてほど近い、自分の練功房の引き戸を開けた。

 目の前に広がる、薄暗い闇。

 日の入りはまだだが、明かり採りの窓は板戸が締められ、ほとんど光はない。

 入り口からの光を頼りに、スイッチを探して電気を点ける。

 すると――

 小さな部屋の、赤い絨毯が敷かれたオンドルの片隅に、

 こびりついた汚れのような、藍色の闇が残った。



行っちゃいけないのに、行ってしまいました。

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