五気朝元 14
*エセ科学要素、個人研究、独自解釈、妄想補完があります。ご注意ください。
*世間一般で事実や通説といわれているものと違う場合があります。
龍煙は、「さて――」と言うと、話を煉丹の、四つの過程の説明に戻した。
「超出した『陽神』は、生まれたばかりの赤子のように弱弱しい。だから無理をさせてはならない。最初は近く、それから徐徐に遠くへと飛ばして行くのだ。そして『陽神』を自在に操ることができるようになったなら、身体を捨て去るのも、身体に留まるのも本人の自由だ。身体は純陽化されているから死ぬことはない。また、身体が無くても存在し続けることができる。つまり仙人というのは『練神還虚』のこの状態をいうのだと僕は思う。そして次の『練虚合道』だが、ここまでくると、説明できることはほとんど皆無と言っていい。だが、その前に――」
龍煙は「何故、何も話すことがないのかの説明しよう」と続けた。
「昨日、転倒した乾坤を正し、『本源』に戻すことが煉丹の最終目的だ、と言ったが、この『本源』というものが何かを、君たちは知りたくはないか?」
龍煙が皆を見渡すと、その場にいる全員が頷いていた。
「タオとか、タオイズムという言葉を聞いたことがあるだろう。中国語では、道と書いてタオと読む。老荘思想の根源、道教の名前の由来にもなっている『道』だ。そして『練虚合道』の、この最後に示されている『道』。本源とは、この『道』のことなのだ」
龍煙は、黒板に大きく『道』と書いた。
「では、『道』とはいったい何なのだろうか? 老子の『道徳経』の第一節には、『道可道非常道』とある。これについてはいろいろな解釈があるのだが、二番目に出てくる道の意味をどう取るかで変わってくる。一つの解釈として、二番目の道を『道う』と読むと『言う』の意味になる」
守は大学の中国語の授業で、『道』に『言う』という意味があることを、ついこの間知ったばかりだった。
「『道の道う可きは常の道に非ず』。これは、『道』というものを言葉で説明しようとすれば、それは『道』ではなくなってしまう、という意味になる。つまり『道』とは、言葉ではその本質を表すことができないもの、ということになるのだ。因みに――」
通常は『道』を道理や法則、原理などとし、『道理や法則は常に一定ではない』と訳しているという。
「『道』とは言葉にできないもの。だが、それでは説明にならないから、少しでも言葉にしてみよう」
龍煙は、「上手く説明できないかもしれないが、許してくれ」と最初に断りを入れた。
「『道法自然』という言葉がある。『道は自然に法る』と書き下すことができる。だが、『法』を動詞ではなく名詞にすると『道と法は自然』という意味にもなる。『道』と『法』そのものが『自然』と捉えることもできるのだ」
本来漢文に句読点は不要で、どの漢字がどの漢字に繋がるのかは意外に自由なのだという。
「こんなことを言っては、日本の漢籍の研究者に怒られてしまうかもしれないが、実は漢文は一つの解釈だけが正解ではなく、全てが正しい時もある。品詞や語順を変え、いろいろと意味を重ね合わせ引き出すことができるのだ。これは陰陽二原論が一元論に帰結するのに似てなくもない」
中国の長い歴史の中では、漢民族以外の王朝に支配された時期もあり、隠す技術が様様に工夫され発展してきたのだという。
「さらに『道』とは『先天』のこと、という説があるが、僕個人の意見としては、『道』は『先天』と完全にイコールでなく、どちらかといえば『先天』の中に含まれると考えたほうがいいと思う」
龍煙は顎に手を当てて、「どうも漠然としてしまうな」と顔をしかめた。
「今日は時間を費やし、『先天』を説明してきたが、これが『先天』だとはっきり言葉でいえる者はいないはずだ。実は、話していた僕でさえ、一言で言えないのが実情なのだ。何故、そうなるのか解るか?」
「言葉は、『後天』のものだからです」
夏芽が即答する。龍煙は満足そうに頷いて「『先天』を表すのに、これほど理に適っていないものはない」と続けた。
「故に『先天』の中に含まれる『道』も、どれだけ言葉を尽くしても、やはり言葉で言い表すことはできないということになる」
「だから、『虚』も説明できないんですか?」
龍耀が訊ねると、「その通りだ」と龍煙は答えた。
「これはゾウを見たこともない者に、ゾウの説明をするようなものだ。長い鼻を、鋭い牙を、太い足を、大きな耳を、喩え上手く説明できたとしても、それはあくまでも部分でしかない。見たことがない者にとっては、相変わらずゾウという全体像は謎のままだ。だが、だからといってそれが愚かなことだとは思ってはならない。喩えゾウそのものを知らなくても、部分だけでも、それは重要なことなのだ」
「どうしてですか?」
育が首を傾げた。
「それすら知らなければ、ゾウを見た時に、どうしてそれをゾウと知り得ることができるのだ」
たとえ部分であっても、知っているということは、何らかの手がかりになるということなのだろう。
けれど――
「オレなんか、一生掛かっても理解なんてできそうもないなぁ」
守の正直な思いが、ため息交じりに口をついて出た。とても小さな声だったが、龍煙はその独り言を聞き逃したりはしなかった。
「そんなことはない」
「はい?」
「それは言葉で説明するよりも、もっとずっと簡単なものだ」
「何故ですか?」
守が驚いて聞き返す。
「ゾウを見たことがない者に、ゾウを知ることはできないが、ゾウを知っている者が、『これがゾウだ』と見せてやることはできる」
「それは、『帯行』のことですね」
夏芽の言葉に、龍煙は「そうだ」と頷いた。
「一度出遇ってしまえば、そう簡単に忘れるものでもないだろう。縦しんば忘れたとしても、もう一度見れば思い出すこともできる。まさに、百聞は一見にしかず。『道』を得るとは、そういうことなのだ」
龍煙の言葉に、真剣な面持ちで夏芽が何度も頷いた。
「実は『虚』と『道』は同じものを指しているとする流派がある。だが僕自身は、『虚』と『道』はやはり別のものだと考えたい。でなければわざわざ別にする理由がないのだ。ただし、それが正しいかどうかの判断はつかない。何故ならば――」
「陰陽二元論は、最終的には一元論に帰結する」
守がそう言うと、龍煙は守を見て「それもそうなのだが――」と苦笑した。
「実を言うと、僕は偉そうに長長と皆に講釈してきたが、『練虚合道』の段階まで至っていないし、至った者に会ったこともない。だが、もしそのような者がいたとしても、その段階に至った者なら、この現世になど未練はないだろう。というよりも、彼の中には未練というものすら残っていないのではないだろうか。だとしたら戻ってこようとは思うまい」
そして龍煙は真顔に戻った。
「『練精化気』、『練気化神』、『練神還虚』。この三つの段階を経て、『練虚合道』へ至ること。それが、我我の鍛錬の最終目的となる」
龍煙が言い終わるのと同時に、「あの……」と育が遠慮がちに口を開いた。
「何故、本源に戻らなければならないのですか?」
もっともな質問だった。
龍煙の表情が柔らかくなり、声のトーンが微妙に変化した。
「人の身体というものは心の変化に大きく左右される。それについては、君たちも十分に経験し理解していることと思う。その心の変化に一番大きく関わってくるのが、外的な刺激だ。これを『外魔』という言葉で表すこともある」
龍煙は、さらに同じ調子で続ける。
「外的な刺激の大部分は、人との関わり合いから起こってくる。何度も言うようだが、人間関係を円滑にするために常識は生まれた。だが、喩え必要があって生まれた常識だとしても、過度になれば、却って人間関係を複雑で苦しいものにしてしまうことがある。そして――」
過剰な『識神』に縛られることで発生したストレスが、気血を停滞させ、人の身体を汚していくという。
「人の身体には、生まれながらに備わった代謝というものがある。無意識のうちに行われているこの作用は、先天のものといえるだろう。だが、その先天の自浄作用をストレスという後天のものが押さえ込んで不活発にさせて停滞させる。そして、知らず知らずに身体に汚れが溜まっていくのだ。人はその汚れを放置することで、老いや病、さらに死へと自ら突き進んで行く。ならばその汚れを全て取り去って、無垢の身体、つまり本源に戻ることさえできれば、仏家でいう、四苦の中の三つ、いや、『生』を生まれるではなく生きると考えるなら、『生』『老』『病』『死』という四つの『運命』から逃れることができるのではないかと、そう我我の先達は考えた」
龍煙は、皆と言うよりは育に語りかけているようだった。
「なら――」
「そうだ。本源に戻ること。則ち、『道』を得て真の『人』になることが、全ての『苦しみ』から逃れる術となる」
「『苦しみ』から、逃れる……」
育が最後の部分を、噛みしめるように繰り返す。
「多くの人人がそれを望み行ってきた。だが、それは長く苦しい道程だ。いままでそこに至った者はどれほどいただろう。それでも、人は『苦しみ』から逃れられることを願い、厳しい鍛錬を行っていく――」
育の顔には、いままで見たことがないような、複雑な表情が浮かんでいる。
守は、突然心配になった。
育はこのところ、練功や講義、食事の時以外、練功房に籠もることが多くなっていた。皓華の話では、そこで寝泊まりすることもあるらしい。
育が何かに思い悩み、苦しんでいることは確かだった。
その一因は守にある。
怒りにまかせ、不用意に口をついてしまった守の言葉。それについては、謝らなければならない。
それに――
もし育が『苦しみ』から逃れるために『得道成仙』してしまったら、現世に未練などなくなってしまうのだ。
そんなことになったとしたら、育はもう戻っては――
(そんなのは、イヤだ!)
「道を得ることが、そんなに大切なんですか!」
「ん?」
突然の守の抗議に、龍煙が振り向いて片方の眉を上げた。
「『苦しみ』から逃れることができるのが、そんなにいいことなんですか? オレは、納得いきません!」
龍煙は、守の変化に驚いているようだった。
「『道を得て仙人に成る』ための努力をするのなら、逃げないで問題を解決すればいいんです。仙人になるのだって苦しいんでしょう。なら、同じじゃないですか。一人だけ逃げたって問題は解決しない。そんなの非生産的過ぎます。問題を解決すれば、ストレスもなくなるし、生きてだっていけるじゃないですか!」
「守」
「はい」
「そういう風に言えるのは、君が強いからだ。だが皆が皆、君のように強いわけではない」
「でも――」
龍煙は努めて冷静に受け止めて、諭すような口調で言った。
「人には己の力だけでは、どうすることもできないことがある。『運命』は変えられても、起こってしまった『宿命』は決して変えられない」
「けど――」
守の言葉を遮るように「今日はここまでにしよう」と龍煙は講義を打ち切った。そして去り際に一度、守のほうを振り返った。
「君のお父さんも、君と同じ考えだった」
「え……」
「僕は、その強さが羨ましかったよ」




