五気朝元 15
*危険ですので絶対に真似をしないでください。
今回武術の描写があるのですが、技の分解図に添えてある説明文みたいになっています。実際戦っていないので、これでもいいかなと思ってしまいました。力量不足、申し訳ないです。
「バカねっ」
「うわっ!」
夏芽が飛んで来て、守の背中を後ろからど突いた。
「何なんですか?」
守は胸を押さえて咳き込みながら背中を擦って、夏芽に説明を求めた。
「『逃れる』ったって、『逃げる』ことにはなんないのよ」
「どう違うんです?」
「苦しみに出遇っても、苦しまないようにできるってことよ。そういうテクニックがあるってこと」
「はぁ? それならそうと言ってくれればいいじゃないですか。それにそんな方法があるんなら、さっさと教えてくれればいいんですよ。龍煙さんもケチ――」
「バカねっ!」
夏芽は守の側頭を右手の甲で叩こうと、大きく外側から振ってきた。守はとっさに左腕でそれを軽く弾く。夏芽は弾かれた反動を使って、守の腕の下を通るように右手を引くと、右の脇下を防御していた左手が自然に前に出る。そして、前に出ていた左腕の肘から先の部分で、何もない空間を押さえつけるように下ろすのと同時に、その護っている内側では、指先を天に向けた右手の小指側で、腹部から胸までなぞるように腕を上げる。胸の谷間で腕を捩って手のひらを前に向け、その付け根に、昇降、開合、呑吐の技法を巧みに使って集めた力を乗せると、真っ直ぐ一気に突き出した。
夏芽の掌底が、守の顔を張ろうと顎に迫る。
守は目を瞠りながらも少しだけ上体を引いた。
そもそも女性の中でも小柄な夏芽と守では、身長差がありすぎる。リーチの短い夏芽の手が、一八〇越えの守にそう簡単に届くはずがない。
だが夏芽は諦めずに、すぐに右手を引くとさらに攻撃の態勢に入った。
前に出した左手で顔面を庇いながら沈むように体も引くと、すぐ前に一歩跳ねるよう踏み込んで、降と合で蓄えた力を、左脇の下からムチのように繰り出す右腕に乗せて解放する。甲から放り出すようにして、確実に顔を狙ってきているところを見ると、先ほどまでとは違い、本気で当てるつもりのようだ。
力が乗った右手の指が撓って指先が守の睫を掠めた。いつものように夏芽が爪を伸ばしていたら危なかったかもしれない。
避けられるのが悔しいらしく、どんどん技が危険になっていくのはご愛敬だが、甘く見ていると本当に一発喰らうかもしれない。多少喰らうことで夏芽の気が済むのなら、それはそれで構わないが、反射的に守の手がでないとも限らなかった。
もしそんなことになったとしたら、ケガをするのは夏芽のほうだ。
守が右後方に一歩下がる。
夏芽は引いた右手で自分の右の腿を打つと、その反動を使って腕を上げる方向を変え、続けて左手で左の腿の前面を撫でるように打って、上げた右腕の脇へ向かわせた。そして、守が避けた方向に左足を一歩踏み出し、体の左右を入れ替えて今度は左腕を右脇の下からムチのように繰り出した。
「夏芽さん、目を狙うのは卑怯ですよ」
「それくらい躱せなくってどうするの!」
「とりあえずもう止めましょうよ。ケチって言ったのは謝ります。それに――」
「何?」
「揺らすのは、反則ですって――」
夏芽は大きく目を見開くと、胸を押さえて体を引いた。悔しそうに守を上目遣いに睨んでくる。頬を染め、小刻みに震える姿は小動物のようだった。
と、その左側では――
静観していた皓華が育ばりに、恐ろしく冷たい視線を守に向けていた。その眼神の鋭さは、それは見事なものだった。
やはり皓華は拳士だと、守がつくづく感心していると、皓華の口が小さく動いて何かの呪文を唱えている。何の攻撃が来るかと一瞬警戒したが、よく見ると、どうやら『せくはら』と言っているらしい。もしかしたら、その後に『大王』もついているのかもしれない。
夏芽を止めるためとはいえ、やはりこの戦法は不味かったか、と守は後悔した。せめてもの救いは、育がこの場にいないことだ。
「と、とにかく――」
気を取り直した夏芽が言葉を発した。
「そんなの、教えてすぐにできるものじゃないでしょ。いろんなことから、自分で学び取っていくものよ」
「練功シテ調整スル、イイ。アタシ、教エタネ」
夏芽の後に、畳みかけるように皓華が続く。
「ほぉらごらんなさい、あなたが理解できないだけでしょ」
加勢を受けて気をよくしたのか、夏芽はもう一度「バカね」とだめを押す。
(もう、何で龍煙さんのこととなると、こんなに見境なくムキになるんだ?)
呆れたような目で見下ろしたが、夏芽はそんな守を無視して言った。
「できる、できないは別にして、あなたにもう一つだけ教えてあげるわ」
「何ですか?」
「すべてを受け入れることね。敵対せずに受け入れるの。仕方がないって受け入れること」
「そんなのおかしいですよ。それっていじめられてる子供に、『おまえがいじめられるのは、当然のことだから我慢しろ』って言ってるのと同じでしょ」
「違うわ。いじめを受けるのには何か理由があるの。でも勘違いしないで、これはいじめられる原因のことを言ってるわけじゃないわよ」
夏芽の眼差しは真剣だった。
「わたしの場合、日本人でも、中国人でもなかったから。けどそれをどうしろって言うの? 父や母を変えろと言うの? そんなことできないでしょう。子供は親を選んで生まれることはできないのよ。宿命は変えられないの」
夏芽の言葉には熱が籠もっていた。
「大事なのは、そこから何を学ぶかなの。わたしが、日本人でも中国人でもないのは何故なのか? そこに何の意味があるのか? その『何か』を自分で見つけて、それを生かしていくことが大切なの。それには、自分の宿命を受け入れるしかないのよ。仕方がない、って受け入れるしか……」
「なら、夏芽さんがそうすればいいじゃないですか」
「え?」
「オレは、宿命を受け入れるなんて、真っ平です」
守の投げやりな言葉に、夏芽は急に子供みたいに顔をしかめた。
(やばい……)
突然の変化に守は内心焦ったが、表面的な態度は頑なに崩さず、さらなる怒りを受けるために身構えた。
すると――
「どうして?」
と、夏芽。
「な、何が?」
「どうして、解ってくれないの?」
目に涙を浮かべて言ったきり、夏芽は俯いた。涙が一滴零れ落ちて、夏芽の足下を濡らす。急の出来事に、守はどうしたらいいか判断がつかなかった。年上の女をこんなにはっきり泣かせたのは、母以外では初めてだった。それだって嬉し涙で、別に哀しませたわけではない。
困って皓華に目をやると、口が大きく「王八蛋」と動いていた。
(あーっ、やっぱ、オレが悪いんだよなぁ)
守はおずおずと夏芽に歩み寄り、声をかける。
「あ、あの……」
謝ろうとしたその瞬間、夏芽は突然「あっ!」と言って顔を上げた。
眦に焦げ茶のラインが滲んだ顔が、少し上を向いて呆然としている。
それは――
まるで名前だけ知っていて、一度も目にしたことがなかった『ゾウ』を、初めて見たような顔だった。
「そう……そういうことだったの……」
そして、夏芽はうっとりとした表情になった。
「夏芽さん?」
守がもう一度声をかけると、夏芽は唐突に笑い出した。目に涙を浮かべたままで、クスクスと笑っている。
守も皓華も、夏芽の身に何が起こったのか解らなかった。立ったままで、お腹を抱えるように少し体を折り、酷く楽しそうに笑っている夏芽を、二人はただ遠巻きに見守るしかなかった。
「夏芽姐姐、ドウシタ?」
少し収まってきた頃合いを見計らって、皓華が訊いた。
「ごめん、何でもないの」
そう言いながらも、夏芽はクスクスと笑い続けている。
「結局ね、できてなかったのは、わたしだったのよ」
「え?」
「言い訳って、人を納得させるんじゃなくて、自分を納得させるためにしてるってこと」
「はい?」
「いろいろ頭の中で言い訳を探しているうちは、全然納得できてないんだわ」
「え……」
だがそれ以上、夏芽は説明しなかった。
やがて大きな波が引くように、降って湧いた夏芽の『笑い』は収束する。
そして――
「ありがとう」
零れんばかりの笑顔で、守に告げた。
何もなかったかのように話し出す。
「とにかく、宿命からも育からも逃げてるのは、守、あなたでしょう。受け入れることは、逃げることとは違うんだから」
夏芽のその口調から、さっきまで溢れていた押しつけがましさが、きれいさっぱり消えている。
「ちゃんと、話し合ったの?」
下から覗き込むように夏芽が訊いた。
「事情はよく判らないけど、育はもうぎりぎりだと思う」
確かに、さっきの育の真剣な表情は、何かに縋りつきたいと思っている者のそれだった。
「それは……オレも感じてるんですけど、どうしたらいいか判んないんです」
「あなた、育のこと好きなんでしょ。だったら、考えなくっていいんじゃないの。つまんない『識神』なんか、どこかに捨てちゃいなさいよ。ね?」
小首を傾げる夏芽の顔は晴れやかで、その言葉には妙な説得力があった。
「つまり、後天の『識神』を捨てて、先天の『元神』を使え、ってことですか?」
「そうよ。今までに学んだことを役立てないで、何のための練功なの? だいたいあなたの大好きなあの人だって、同じこと言ってるでしょ」
「はい?」
「『考えるな、感じるんだ』って」
「あ……」
(そういうことだったんだ――)
考えるが『識神』で、
感じるが『元神』。
何で今の今まで結び付かなかったのだろう。
あれだけ聞いて、自分でも繰り返し口にしてきた言葉だというのに。
呆然としている守を残し、夏芽は一度去りかけた。
けれど、「そうだわ」と立ち止まって振り返る。
「守、もう一つだけ教えてあげる」
すでに、夏芽の口調はいつものものに戻っていた。
「何ですか?」
「あのね。あの場面の中国語版は、ね――」
「はい?」
「『考えるな、早くしろ』よ」
夏芽は、「頑張ってね」と後ろを向いたまま手を振って去って行った。
「『何のための練功』か……」
しみじみ呟く守の言葉に、隣にいる皓華がニッコリと笑った。
*
守は、軽く深呼吸をして息を整えた。
息の乱れは急な坂を登ってきただけではない。
守が育の練功房の扉を叩いたのは、夕食の後だった。
夕食の時、夏芽は姿を現さなかった。龍耀に訊ねると、常在の用事で市街まで出かけ、今夜はそのまま街中にある家に泊まる予定だという。
食事が終わると、育は早早に二階に上って行った。
後片付けを始めた守に、皓華は首を振って軽くウインクをする。自分が替わるから後を追え、ということらしい。
守は覚悟を決めて食堂を出た。二階の育の部屋を訪ねる。
が、返事はない。
何度かノックして声をかけたが、出てこなかった。
(いないのか?)
そう思った途端、「育は出かけたようだが」と守の後ろで声がした。
書庫の扉から、龍煙が顔を覗かせている。
「たぶん、練功房だろう」
守は礼を言い、急いで育の後を追った。
「何?」
練功房の板戸が少し横に滑って育が顔を出す。血色の悪い頬がさらに青ざめて、思った以上に辛そうに見える。
「あ、あのさ、うん……その。あ、謝ろうと思ってさ。ずっと謝れなかったから」
守は「ごめんな」と一気に言う。
だが、「何のこと?」と育の返事は存外に冷たかった。
「えと、蘇州の……その、オレ、あんたに酷いことを言って悪かったよ。親がいないのは、玄明のせいじゃないのに。その……」
「――悪いのは、あんたじゃないから」
目を逸らせた育の態度がおかしかった。その声の中には今までのような、怒りも、敵意も、呆れも見られない。けれど、まったく何もないわけではなく、今まで感じたことがない、守を不安にする名も知れぬ何かが含まれていた。
「育?」
守は思わず名前を呼んだ。
「もう、いいでしょ」
育は、扉を閉めようとする。
「えっ、待てよ!」
守は、テレビドラマの刑事のように急いで足の先を差し込んだ。締め出されるのを未然に防いだのは、一番伝えたいことを、まだ伝えていないからだ。
「オレは、育のことが――」
「だめ! あたしは――」
育の表情には、強い拒絶が表れていた。
「あんたに相応しくない」
「へ?」
胸を突かれ、守は二、三歩後退る。
追い遣られた守の目の前で、ピシャリと音を立てて扉が閉まった。
用語説明があらかた終わり、ほっとしています。
次は、昔描いた絵を流用して作った表紙です。いろいろとツッコミどころが多いですが、よかったら観てやってください。ちょっとどころではなく絵柄が古いかも。漫画と劇画の中間ぐらいです。600kbぐらいなのですが重いですかね。
嫌な方は次章まで飛ばしていただけると助かります。
次章からは、怒濤の展開になる予定です。まず、冒頭であの人が――




