五気朝元 8
朝元06~14は、長い長い説明回です。
*副詞は基本ひらがなにしていますが、お父さん世代は漢字になっています。
*エセ科学要素があります。ご注意ください。
「道家の考え方の中に、『五神』というものがある」
この神は、根源的な三つの「気」の中の『神』のことで、『五神』とは、五臓が主る、五種類の精神活動のことだった。
龍煙は、大きく書いた「心」という文字を消し、白いチョークを手に取った。
「木は『魂』、火は『神』、土は『意』、金は『魄』、水は『志』だ」
龍煙は黒板の空いているところに、木火土金水、と横に書き、その下に線を引いて、相当する五臓を書き記した。さらにその下に、『魂』『神』『意』『魄』と『志』を書き入れる。
「また、土に『智』、水に『精』を足して七種類とすることもある」
木―肝―魂
火―心―神
土―脾―意・智
金―肺―魄
水―腎―志・精
板書を終えた龍煙は、言葉を切って全体を見渡した。
「そしてこの『魂』『神』『意』『魄』『志』、さらに『智』と『精』が、五臓に宿る心とされているのだ」
「はい?」
守が思わず声を上げた。
「精神活動の源である『魂』は、陽に属し、『神』に伴って動くといい、また生命活動の源である『魄』は、陰に属し、『精』に伴って動くという。つまり『魂』と『魄』は、浮動する心を現しているというのだ。そして、それらをさらに根源的な『神』と『精』が主っている。では『意』『志』『智』はどうだろうか?」
龍煙は、四度疑問を投げかけたが、やはり誰の答えも待たなかった。
「『意』と『志』とは、具体的な心の作用のことだ。何かをしようと決断する前に『あれこれ思い巡らす』思慮作用が『意』で、思慮の結果『決断し、それに向かい突き進んでいこう』とする意識が『志』だ。そして、行動の結果得た知識が『智』というのだが、僕は知識を知恵として使うところまでが『智』ではないかと思っている」
精神活動というのなら『意』『志』『智』は、間違いなくその通りだろう。
そして『精』と『神』は、そのものズバリ精神の語源にもなった言葉だ。
だが、『魂』と『魄』については、守は何だか納得がいかなかった。
精神活動の源の『魂』はともかく、生命活動の源の『魄』が、何故、心になるのだろう。前の五つと比べると、その性質が違いすぎはしないだろうか。
だいたい、守は『魂』と『魄』というものが未だによく解らない。
魂魄と続けば人間の『たましい』のことだが、『たましい』は人の心のように、まったく無形のものではなく、無形であっても『人』という、有形のものを想像できるものだと思う。だがそれでも、体に宿るという点では、体よりも心に近く、あえて心と言ってしまっても差し支えはないのかもしれない。
だが今はいろいろな知識も増え、それだけではないことを、守も知っている。
そう、前に育は『魂は三つ、魄は七つあって、それぞれに名前がついている』と話していた。それに、『人が死ぬと魂は天へ昇り、魄は地に帰る』とも。
守の中で『魂』と『魄』の印象が、全然統一できなかった。
だが――
そこまで考えて守は思い出す。育はこうも言っていたのだ。
『地に帰らずに、地上に残った魄が霊となる』と。
ならば、守たちを襲ったあの『魄』は、人の『口惜しい』と思う心が具現化したということなのだろうか――
守がそこまで考えた時、龍煙はもう一度、「『魂』と『魄』も人の心なのだ」と繰り返した。
「では、この五臓に宿る心を組み合わせることにより、三つの熟語を作ることができるのだが、それが何かは、もう君たちにも判っているだろう」
「『意志』、『魂魄』、『精神』」
だいぶ上手くなった日本語で皓華が答えると、龍煙は満足そうに頷いた。そこにはよく頑張ったという、皓華への労いも込められているようだ。
「この六つの心を陰陽に分別すると、志―魄―精が『陰』、意―魂―神が『陽』となる。これは意識的なものから、より原意識的なものへと並べられたものだ」
龍煙は六つの心を並び換え、改めて二行に書き分けた。
『陽』 意―魂―神
『陰』 志―魄―精
「これらの言葉のそれぞれが、陰陽の組み合わせだというところが、実に面白い」
そして龍煙は、「余談だが」と前置きした。
「言葉の中には、同じ系列の陰陽で構成されているものが数多くある。例えば雌雄を決するの『雌雄』。白黒をつけるの『白黒』。『生死』や『天地』などは、まさにそのままを表している」
「『動静』に『清濁』、それから『前後』と『左右』、『上下』もそうです」
と、夏芽。
「動物の名前にもある。『鴛鴦』は鴛が雄で、鴦が雌。陰陽と音が近いことから、陰陽の代字としても使われている」
と、育。
「『鳳凰』に『麒麟』と『翡翠』もそうです。どれも雄と雌の組み合わせです」
と、龍耀。
「なら、『亀蛇』もそうですよね」
カメがメスでヘビがオス。
古代の中国では、カメとヘビは同じ生物と考えられていたという。
この法則に従うなら、その生物の名称は『亀蛇』だった可能性が高いはず。
守が、以前辿り着いた結論を皆に話して聞かせると、
「なるほど、『キダ』という名の生物ですか――」
真っ先に喰いついてくれたのは龍耀だった。
「はい。本当だったら、カメは『キダ(メス)』で、ヘビは『キダ(オス)』だったはずなんです」
守が調子に乗って説明する。
皆がどう反応していいのか迷っている中、「凄いですよ、守くん」と龍耀は素直に褒め称えてくれた。龍煙も「少し検討してみよう」と、感触はいい。
そして――
龍煙は自ら逸らした話を元に戻すために、まとめに入った。
「ここでは、『陰』『陽』の組み合わせでできている熟語が、意外に多いということが判ったと思う。そして対立しているとされるものは、実は、必ず同じカテゴリーの中に存在していることも判っただろう。だからこそ、矛盾は統一できるのだ」
「はい?」
だが、龍煙はそれ以上の説明はせず、閑話休題とばかりに『精』『気』『神』だけを残して黒板を消した。
「もう一度言っておこう。『精』『気』『神』は根源的な三つの気だ。『精』から『気』が生じ、『気』から『神』が生ずる。そして道家には、その派生段階を表した特別な言葉がある。夏芽」
「はい。『練精化気』と『練気化神』です」
優等生の夏芽が答えた。
龍煙は『精』と『気』の間の矢印の横に『練精化気』と入れ、『気』と『神』の間の矢印の横に『練気化神』と書き足した。
「『精を練って気と化し』、『気を練って神と化す』。これこそが、煉丹における第一と第二の段階になる」
チョークを置き、手についた粉をおしぼりで拭き取った龍煙は、「これでやっと煉丹の説明ができるな」と言って、居間の壁に掛かった、古めかしい日本製の時計に目をやった。
「だが、それはまた明日にしよう」
この日の講義は、これで打ち切りとなって解散した。
守たちは夕方少し涼しくなってから集合し、外で武功の練功を行った。
*
「天を乾と為し、地を坤と為す。人は一度母腹を離れると、四相が打ち開かれて乾坤は顛倒する」
ここで龍煙は、四相とは、眼、耳、鼻、舌のことを指し、乾坤とは、八卦の卦のことだ、と付け加えた。
松花湖に来て三日目。
龍煙は、昼食が終わると十分に休息を取らせてから、昨日の続きを話すために、皆を居間に集合させた。
今日は午前中に、手が空いてる者たちで居間の大掃除をした。いつも中央に鎮座している応接セットは、部屋の東側に一列に並べられ、中央には十二畳ほどの空間ができていた。各自ストレッチマットを敷いて、思い思いの場所に座っているが、自由に座っていいはずなのに、イスがある時と同じ並びになっていた。
龍煙は、最初に八卦についての簡単な説明を行った。
黒板には一本の横棒が書かれ、その上に陽爻とあり、その隣には、一度真ん中が途切れた横棒が書かれ、その上に陰爻と記してあった。
「卦とは、陽爻と陰爻を三爻組み合わせることによって表したものだ。乾、兌、離、震、巽、坎、艮、坤の八種類があり、順に、天、沢、火、雷、風、水、山、地を象徴している。因みに易経では、この八つの卦の二つをランダムに組み合わせた六十四卦で、この世の中の全ての事象を表すことができるとされている」
龍煙は黒板に八つの卦を丸く並べたものを二つ書き、それぞれの外側にそれぞれの卦の名前を書き記した。
「八卦には先天八卦と後天八卦がある。先天八卦では、天に『乾』、地に『坤』が配されている。因みに『乾』と『坤』の卦は、それぞれに陽と陰が極まった状態を表している」
龍煙は、向かって左側に書かれた八卦図を指し示し、『乾』の上に天を、『坤』の下に地を書き足し、「八卦の場合は、上が南となる」と補足した。
「問題なのは、生まれて直ぐに人の中の天地が転倒することだ。天である『乾』は中爻の陽を失って『離』となり、地である『坤』は乾中の陽を得て『坎』となる。ここで――先天八卦は、後天八卦に変化する」
「どこが違うんですか?」
守が聞いた。
「そうだな、簡単にいえば並びが違う」
龍煙は、二つの図を指し示しながら答えた。
確かに、黒板に描かれた二つの八卦図は、よく見ると同じものではなかった。
「先天八卦は伏羲の時代、黄河から現れた龍馬の背にあった不思議な模様『河図』から作られたといわれている図だ。後天八卦は、時代が下がって禹王の頃、洛水という川からでた神亀の背に刻まれた『洛書』が元になっている。このようにそれぞれの図が、四方と四維に八卦を配している」
先天八卦と呼ばれた左側の図は、上から向かって時計回りに、乾、巽、坎、艮、坤、震、離、兌と並び、右側の後天八卦図は、離、坤、兌、乾、坎、艮、震、巽となっていた。
「易断をするわけではないから、ここでは細細とした説明は止めておこう。重要なのは先天八卦では『乾』と『坤』のところが、後天八卦では『離』と『坎』になっているということだ。この転倒した乾坤を正し、本源に戻す作業が煉丹のプロセスとなる。つまり――後天八卦を先天八卦に戻すのだ」
龍煙は、二つの八卦図の間、後天八卦から先天八卦に向かって矢印を書いた。
「具体的にはこうだ。火である『離』と水である『坎』。心火と腎水の交わりから『黄芽』が生まれる」
守は、その言葉を京都の家庭料理屋で夏芽から聞いていた。
「一回の交わりで生まれる『黄芽』は、黍一粒ほどの大きさしかなく、『黄芽』は『陰』と『陽』が交わって生まれた『金気』なのだという。それを百日掛けて増やし練り固め、ある程度の大きさまで育成する。できたものを『聖胎』と呼ぶ」
「『せいたい』?」
「聖なる胎児、で『聖胎』よ」
守の問いに夏芽が答えた。
「時に、心火と腎水の交わりは男女の媾合に喩えられる。故に、そこから生まれた『黄芽』が、胎児に喩えられるのは当然のことだろう。そして煉丹は、そうやって作り出したもう一人の自分である『聖胎』を体内で温養し、『陽神』に変化させることが目的なのだ」
ここで龍煙は「『陽神』とは、『気』から派生した『神』を煉ってできたものだ」との説明を加えた。
「『聖胎』を温養する。つまり『煉る』ための方法として小周天がある。小周天にも様様な過程があるが、話が複雑になるのでここでは割愛しよう。そして――冬至の日から三百日後、完成した『聖胎』は、『金丹』へと変わるのだ」
(冬至から――)
守は、龍煙の口から発せられたこの言葉を心の中で繰り返した。
毎年起こる『あれ』と、何か関係があるのだろうか――
「『金丹』を煉っていくと、そこから真気が発生するようになる。そしてその真気で、さらに形をも煉っていく」
『陽神』を育てるためには、もともと陰に属する肉体を、純陽の体へと変化させなければならなかった。体は真気で煉ることによって腐敗することのない、白膏に変容する。
「『金丹』から真気が発生すると、温養するための方法は大周天に変わる。大周天にも様様な過程があるが、ここでは最後の過程の『既済』について話をしよう」
龍煙は後天八卦の『離』と『坎』の間に、『離』から『坎』、『坎』から『離』に向かって二つの矢印を書き入れた。
「既済とは、八卦でいうところの完成の卦である『坎離』のことだ。またの名を『水火既済』という」
「また、火と水ですね」
守がポツリと感想を述べた。
「そうだ。火と水こそが重要なのだ」
龍煙は守と育を順番に見てから、火の『離』の卦と、水の『坎』の卦だけを抜き出し、上下に並べた。
「君たちは、一、三、五の奇数が『陽』を、二、四、六の偶数が『陰』を表していることを知っているだろう。八卦では卦または象は下から上へと読んでいくのだ。これは芽吹いた若葉が、地から天へ向かい伸びて行くのに準えられている。そして陽の数字のところに陽爻が、陰の数字のところに陰爻がくるのが良いとされ、また下の卦の第二爻には陰爻が、上の卦の第二爻には陽爻がくることが、理想とされているのだ」
黒板に記された『坎離』は、まさにその理想の形通りに並んでいた。
「故に既済は、六十四卦で唯一の、完成の卦といわれている」
龍煙はそう付け加えると、煉丹の話に戻した。
「『水火既済』の状態になると、初めに起こった心火と腎水の交わりが、もう一度起こる。その際には、黄芽ではなく丸い金の粒が生じる。その金の粒の発する金の光が、真気で練られた身体をさらに練っていく」
この段階では『金丹』は純陽の真気となり、体も金色に輝くようになるという。
「これで『練精化気』の段階が終わった。そして煉丹は次なる『練気化神』の段階に入るのだが――その説明はまた明日にしようか」
講義を終了させた龍煙は、「今日は試しに、これから小周天を行ってみよう」と宣言した。
「各自、個人でもできるようにするために、含明がしていたような『帯行』は行わない。今朝、君たちが皆、任督二脈が開いていることは確認した。だから、意念を使ってはいけない。一陽初生。ただ、陽が動き出すのをひたすら待て。そして動き出したらそのまま放っておくように」
最後に龍煙は「一時間ほどで終えるので深く入静しないように」との注意を忘れなかった。
煉丹については、複雑すぎてよく解らないところがあって、解釈違いだけでなく、間違すらあると思います。ですが、今はこれで精一杯。違っているところも、そういう設定として読んでいただけると嬉しいです。
八卦とは、
陽爻『⚊』(『―』)
陰爻『⚋』(『--』)
三爻組み合わせることによって表したもの。八種類。
乾『☰』、天 (『―』『―』『―』)
兌『☱』、澤 (『--』『―』『―』)
離『☲』、火 (『―』『--』『―』)
震『☳』、雷 (『--』『--』『―』)
巽『☴』、風 (『―』『―』『--』)
坎『☵』、水 (『--』『―』『--』)
艮『☶』、山 (『―』『--』『--』)
坤『☷』、地 (『--』『--』『--』)
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