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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第八章 五気朝元(五つの気が相見(あいまみ)える)
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五気朝元 7

長い長い説明回です。

*副詞は基本ひらがなにしていますが、お父さん世代は漢字になっています。

*エセ科学要素があります。ご注意ください。

「『荘子(そうし)』の中で仙人は、『神の人』と書く『神人(しんじん)』、あるいは『真の人』と書く『真人(しんじん)』と称されている」


 守が朝の道観に想いを馳せている間も、龍煙(りゅうえん)の話は続いていた。


「また『真人』は仙人の尊称としても使われる。太乙(たいいつ)真人といえば、太乙という名の仙人ということになる。だがここでは『真人』の漢字の意味に着目して欲しい」

「『漢字の意味』……」

 テーブルの向こうで、育が真剣な表情のまま呟いた。


 龍煙は、今回の講義を日本語で説明することに終始している。それは皓華(こうか)に十分基礎があるだけでなく、守に中国語を訳して聞かせるよりは、夏芽(なつめ)がずっと楽だということも大きいだろう。


 守は昨日、この母の従妹(いとこ)が、かなり大変な境遇にあることを知った。

 今までは守のほうが年下ということもあって、いろいろして貰っても、心の何処かで、当たり前と思っているようなとことがあった。おそらく、守が無意識に母に似ている部分を感じ取り、甘えていい相手だと判断していたからだろう。それが、守の態度を増長させる結果にもなっていた。

 夏芽が守に良くしてくれたのは、守が従姉の息子だったからで、あくまでも夏芽個人の好意に過ぎない。これが赤の他人なら、きっとここまでしないし、して貰えない。皮肉なことに肉親という名の(いまし)めが、またもや夏芽に多大なる重荷を背負わせていたのだ。


 結局、逃げたいのに逃げられない。

 夏芽は、血の『宿命』からは逃れることができないのかもしれない。


(だから、あそこまでキレたんだな)

 守が血の繋がった親族だから。

 そう思うと、守の中の夏芽に対する『怒り』が薄らいでいく。そしてその隙間を埋めるように、すまなかったという想いが満ちつつあった。

 夏芽の言うことのすべてを、受け入れることはできないが、今まで教えてくれたことを無にしないようにしようとは思った。それに、自分のできる範囲で協力する分にはかまわない、とも。

 だからこそ、今は講義に集中したほうがいいだろう。

 守は改めて、隣の男の話に耳を傾けた。


「漢字の起源は、亀甲獣骨文字(きっこうじゅうこつもじ)という象形文字(しょうけいもじ)で、象形文字は表意文字に分類されている。表音文字の英語とは違い、一つ一つの文字にも意味がある。また、意味の違う象形の漢字を組み合わせることで、会意などの新たな漢字も作られた。つまりたった一つの漢字といえども、その中にはとても多くの意味と情報が詰め込まれているのだ。それが物語のようになっていることから、漢字は表意文字を発展させた表語文字とされている」

 龍煙は、ここで『(しめす)』という文字を例にとって解説を始めた。

「一説に『示』の場合は『二』が上を、その下の、三本の線の『小』が太陽と月と星を表していると言われている。これからも解るように、『示』が表す意は『天』のことだ」

「天ですか……」

 守の言葉に、龍煙は頷いた。

「故に、(かみ)(れい)、祈り、(やしろ)(まつ)るなど、およそ神や祭事、神が下す禍福に関する言葉には示偏が使われている。まあ、ここまで漢字を分解する必要もないのだが、中国の古い時代に成立した専門用語を読み解く場合には、漢字そのものの意味をも考えることが重要となってくる。喩えば、『意念(いねん)』という言葉だが――」

 辞書で引けば、『意』と『念』は、どちらも『思う』という意味の漢字だった。だが、たとえ同じ意味の漢字であっても、それらが表す状況にはいろいろと違いがあるという。

「『意』とは、言葉になる前の思いのことで、『念』とは、心にかけて常に思うことだ。このことからも解るように、『意念』とは、ただ単に思うだけでなく、漠然と思い続ける、というような意味になる」


 龍煙はそこまで言うと、「では『真人』の場合はどうだろうか」と話を戻した。

「『真人』は『真の人』と書く。つまり、生まれてただ生きているだけでは、人は『人』にはなれない。『得道成仙(とくどうせいせん)』して初めて、人は真の『人』に成ることができるのだ。ならば――煉丹とは、真の『人』に成るための道ともいえるだろう」

 龍煙は、ここで言葉を切って皓華を見た。

 夏芽の通訳を聞いていた皓華が、理解してることを表すように笑顔で頷いた。


「知っていることも多くでてくると思うが、これは復習だと思って聞いて欲しい」

 龍煙はさらに話を進めるため、初心者の守にも理解し易いよう、ここで大まかに用語の説明をすることにしたらしい。

「最初に気という言葉の意味を確認するとしよう。君たちはすでに、気には広義の「気」と狭義の『気』があるのは知っているはずだ」

 龍煙は立ち上がって、居間の隅にいつの間にか用意されていた黒板を皆の前まで移動した。

「『天に三宝あり、日・月・星。人に三宝あり、精・気・神』。広義の「気」は、この『精』『気』『神』という三つの気のことを指しており、狭義の『気』は、『精』『気』『神』の中の『気』の部分だけを意味している」


 龍煙は、黒板に教科書体のような整った文字を書きつけながら、「これは混同し易いので十分に気をつけるように」と注意を促した。

「『精』『気』『神』は、根源的な三つの気だ。『精』から『気』が生じ、『気』から『神』が生ずる」

 龍煙は、黒板に書いた『精』という字から、その上の『気』に向かって矢印を引いた。さらに、『気』から一番上の『神』に向かっても同様にする。


 『神』←『気』←『精』


「では、『精』『気』『神』の違いとは何なのだろう。夏芽」

「はい」

 龍煙から指名され、夏芽は優等生の学級委員長のような返事を返した。

 夏芽の説明によると、

 『精』は、生殖など本能に根差す、根源的な生命エネルギー。

 『気』は、生理機能などの、生命活動を維持するエネルギー。代表的なものに、営気(えいき)衛気(えき)宗気(そうき)脈気(みゃくき)、元気、真気、五臓の気などがある。

 『神』は、神経、精神活動を行う時に使われるエネルギーで、さらに大脳の機能のことも指していた。


 龍煙が満足そうに頷くと、夏芽はまた褒められた子供のように、はにかんだ笑みを浮かべた。

「夏芽の説明で概ね正しいのだが、もう少し付け加えておくとしよう。ある高名な老師の言に拠れば、『精』は、現実世界の中でエネルギーとして働いている気で、『神』は、さらに高い宗教的次元まで純化された気、と説明している。これは我我でいうところの、『精』は粗く雑味があり、『神』へ向かうに連れ、より細微化され純粋なものへ昇華されていく、ということに等しいと思う」

 皆は、納得したように頷いていたが、守だけは独り困り顔で神妙にしている。


 守にも、『精』と『気』については何となく理解できた。今までの経験や学んできた基礎があるからだ。けれど『神』については、まったくといっていいほど全体像が掴めなかった。夏芽の説明も、龍煙の解説も、守の脳を上滑りして実感として胸に迫ってこないのだ。

「『精』『気』『神』を一言でいうのは難しい」

 守の戸惑いを、敏感に感じ取ったかのように龍煙は付け加え、顎に手を当てしばらく考えると、「具体的には――」と例を挙げ始める。


「人がものを見る時には『神』が使われている。じっと目を凝らして視ると疲れるのは、『神』が消耗するからだ。同じように、考えたり、集中する時にも『神』は消耗する。これは――」

 龍煙は、そこで言葉を切って龍耀を見た。

「日本でいう『根を詰める』という状態です」

 龍耀の答えに、「あ、それなら解ります」と守の顔がパッと輝いた。

「それだ」

 突然龍煙が、チョークを持った手で守を差し示した。守の顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。

「今、守が『解った』と理解したこと、それそのものが、『神』の作用によるものなのだ。さらには表情や顔つきも、『神』が表れることで変化する」


 そう言われてみると少しだが、守にも『神』というものが掴めてきた気がする。

 さらに、龍煙は具体的な説明を続けていく。

「『目は心の窓』、『目は口ほどにものをいう』というが、『神』の変化は特に目に発現することが多い。中国では、目の力や輝きのことを『眼神(がんしん)』と呼び、目に力があることを『眼に(しん)がある』と表現する」

「日本にも『眼光が鋭い』とか、『眼力』という言葉もあります」

 育の言葉に、それも『神』の表れだ」と龍煙は笑みを浮かべる。

 その時――

 皓華が中国語で何かを言った。夏芽が守にも解るようにそれを通訳する。

「『武術の表演の場合、採点に眼神の項目がある』んだって」

 皓華が「ソウソウ」といつになく目をキラキラと輝かせる。龍煙は「中国武術を練習する日本人には、なかなかこれが理解できないらしい」と補足した。

 たとえ動作が上手くできていても、この部分の表現で評価されずに損をしている者が多いという。


「夏芽は先程、神経、精神活動は『神』が(つかさど)ると言ったが、実は『精』も大きく関わっている。それは『精神』という単語を見れば判ると思う。何気なく使われているこの言葉は、実は三つの根源的な気の二つ、『精』と『神』が組み合わさってできた言葉なのだ」

 龍煙は、『精』と『神』のところに黄色いチョークで丸をつけた。

「何故、『精』が必要なのか。『精』は『神』に比べるとより人の本能に近いところに根差している。人が生き、子を残していこうという生存的な欲求だ。そして高度な精神活動ですら、この本能からは逃れることはできない」

「どうしてですか?」

 守が訊いた。

「何故なら、人の器である肉体は陰に属し、『精』によって作られ、『精』によって支配されているからだ」

「高度な精神活動を行う脳そのものが、『精』からできているということですね」

 夏芽の確認に、「そうだ」と龍煙。

「そして、人はこの肉体という器から解き放たれない限り、この肉体を保持しようとする本能からをも逃れることはできないのだ。ところで――」

 龍煙はいきなり話題を変えた。


「人の(こころ)は、何処にある?」


 突然の問いに、皆はざわざわとさざめいて、上を見たり胸を押さえたりして考えていた。黒板の空いている場所に、大きく「心」と書いてしばらくその様子を眺めていた龍煙は、自分で問いを発したにもかかわらず、誰の答えも待たずに再び話し始めた。

「心が何処にあるか、と問われた時、まず頭を指す者はいないだろう。大抵の者は胸を押さえる。だが、物を考える臓器は何かと問えば、誰もが『脳』と答えるはずだ。誰も心臓や肺が何かを思考する場所だと考えてはいまい。では、心とはものを考える場所ではないのか?」

 龍煙は再び皆に訊ねたが、答えは待たなかった。

「問いの答えは、否。思考は心の発する作用の一つだ。では、何故『心は何処だ』と問われた時に、人ははっきりと答えることができないのか?」

 龍煙は三度皆に訊ねたが、やはり答えは待たなかった。

「脳が活動するということは、活動電位(かつどうでんい)、つまり体内の電気信号であるインパルスが様様な情報を伝達することを指している。ならば、思考もそれが脳内を駆け巡ることによって起こる作用の一つといえるだろう。そして僕はこの活動電位こそが、三つの根源的な気の一つである、『神』の、一つの側面ではないかと考えている」


「『(しん)』は『(しん)』を主る。『(しん)』の宿る場所は『(しん)』」


 夏芽が独り言のように諳んじた。

「なるほど。だからこそ(こころ)は、胸にあると認識されるんですね」

 しきりに感心する龍耀に、龍煙は一言「そうだ」と言い添える。


「だが、道家の考える『神』の働きはそれだけではない。そして(こころ)は必ずしも『(しん)』にだけあるというわけではないのだ」


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