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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第八章 五気朝元(五つの気が相見(あいまみ)える)
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五気朝元 6

朝元06~14までは、長い長い説明回です。

*環境、機種によっては表示できない字を使っているところがあります。

哪吒(なた)』、『哪吒(なたく)

()』=『口那』、『(たく)』=『托』の手偏が口偏


煉丹(れんたん)とは、仙人へ至る道である――」


 松花湖(しょうかこ)に来て二日目。

 龍煙(りゅうえん)は昼の休憩の後で皆を居間に集めると、おもむろに講義を始めた。

 常在(じょうざい)が『帯行(たいこう)』を行うのは六日後と決まり、その前に何日かかけ、煉丹についての説明をしようと考えてのことだった。



『ある程度実技を行ったら、論理的なものを学ばなければなりません』

 含明(がんめい)は、蘇州(そしゅう)の別荘でそう言っていた。

 そして理論を学んだら再び実技を行う、と。

 人は経験してこそ解る事実があり、学んでこそその理解は深まるものだという。



「目指しているのは『羽化登仙(うかとうせん)』。(さなぎ)から蝶が(かえ)るように、成就すれば人は背に(はね)を生やし、仙人に成るという――」

 龍煙はここで言葉を切ると、「どうも、胡散臭くなるな」と苦笑して、窓の外に目をやった。

 よく磨かれたガラス窓の向こうには、強い陽射しが照りつける、色鮮やかな夏の風景が広がっている。リゾート地のようなこの場所には、天に昇りゆく仙人など、あまりにも不釣り合いというものだろう。やはり仙人には、霞に(けぶ)る山水画のような風景こそがふさわしい。


「こういったものには、このような話がつきものだ。だが、実際にこういうことはない、と僕は思う」

「思う、ですか……」

 あまりの曖昧さに、龍煙の隣にいる守が思わず言葉を漏らした。


 居間では、一人掛けの椅子に龍煙と守、テーブルを挟んだ向かい側の長椅子に、育、皓華(こうか)夏芽(なつめ)と順番に並び、育の斜め後ろ、皆から少し離れた食堂の入り口付近に、龍耀(りゅうよう)が丸椅子を寄せて遠慮がちに座っていた。


「先に言っておくが、僕はこういう立場に立っていても、自分の身に起こったことしか信じない主義だ。実際に僕の背中に翅は生えていないし、また背に翅の生えている者に遭遇したこともない。だからといって、これが嘘だと言えるだけの根拠は、何も持ち合わせてはいないのだ」

 龍煙は一度言葉を切って「ただ、推測するならば――」と前置きした。

「恐らくは、芋虫から(さなぎ)、蛹から(ちょう)へという、驚くほど劇的な形態変化に対する賛辞なのではないかと思う。または人が仙人になるということは、それほどまでに『質』が変化するということを表現したかったのかもしれない」

「じゃあ、龍煙さんは、『仙人がいる』って思ってるんですか?」

 驚く守に、龍煙は「その問題もあるな」と腕を組んだ。


 常在が師父(しふ)ならば、その弟子の龍煙は、守にとっては兄弟子ということになる。だが龍煙は格式張ったことを嫌い、守たちに師兄(しけい)と呼ぶことを許さなかった。


「古今東西を通じ、仙人の話は数多く残っている。だが、それが創作なのか、実話なのかといった判断をどうやってつければいいのだ。道観(どうかん)にも、多くの神仙の姿を模して造られた像があるが、伝説の者たちは本当に実在したかすら定かではない。また実在した者も本当に仙人になったのかどうかは、はっきりとは判らない」

 龍煙はここで言葉を切ると「済まない」と謝った。「これでは守の答えになっていないな」と自嘲する。

「このような鍛錬を行っている限りは、その存在を信じないわけにはいかないだろう。ただ、僕が考えている実際の仙人像は、君たちや一般の者たちが認識しているイメージとはもっとずっと掛け離れたものだ」

 守の脳裏に、道観に祀られている、多くの神神の姿が蘇っていた。



 瑠璃(るり)の天空とそれを賑わしていた星星は、すでに西へと追いやられ始めていた。

 守たちは今朝早く、暑くなる前に道観の前庭に集まり、軽く練功(れんこう)を行った。

 夜がすっかり明けて練功が終わると、龍煙は朝食までを自由時間とし、皆を解放した。皓華は龍耀と朝食の準備に、夏芽は常在のところへと各各散って行った。

 育は、皓華と行こうとして龍煙に呼び止められ、龍煙は、真武廟(しんぶびょう)の中へと守と育を促した。


「ここには、多くの神神が祀られている。初めから神格化されていたものや後から神格化されたものといろいろある。前者には、天界の神、伝説の皇帝、自然神などが、後者には、哲学者や英雄、仙人がいる」

 哲学者というのは、おそらく老子(ろうし)のことだろう。守はそう見当をつけた。

「この中央に置かれているのが、ここの主神だ」

 龍煙は廟の奥中央に鎮座する、威風堂堂とした風貌の一番大きな像の前で立ち止まった。

真武帝君(しんぶていくん)ですよね。昨日、夏芽さんからちょっとだけ聞きました」

「そうか、では少しだけ補足しておこう」


 (いん)紂王(ちゅうおう)の時代に、魔王が民衆を苦しめるという事件が起こった。真武帝君は元始天尊(げんしてんそん)の命を受け、神兵である六丁六甲(りくていりくこう)とその他の眷属(けんぞく)を率いて魔王と戦った。

 やがて魔王は坎離二気(かんりにき)をもって巨大なカメとヘビに変ずると、真武帝君はそれを神力で踏みつけて退治したという。


「故に、真武帝君の足下(そつか)には、亀蛇がいるのだ」

 守がその足下(あしもと)を覗き込む。そこには確かに取ってつけたように、右にヘビ、左にカメが踏まれていた。

 龍煙は真武帝君の左隣に移動した。

「これが太上老君(たいじょうろうくん)だ。道教の始祖で『(みち)』を説いた。老子と言ったほうが、解り易いかもしれないな」

 真武帝君の左右には、それぞれ一回り小さな像が祀られていて、老子と言われたその像は、白髪(はくはつ)に白く長い髭を蓄えていた。

 さらに龍煙は、老子の右側の空間に、ところ狭しと並んでいる、着色された何十体もの塑像(そぞう)の一つを指差した。

「あの三面六臂の像が中壇元帥(ちゅうだんげんすい)だ。別名を哪吒(なた)太子という」

「えっ、あの『封神演義(ほうしんえんぎ)』に出てくる哪吒(なたく)のことですか?」

「そうだ。龍を退治して、孫悟空(そんごくう)とも戦った」

 群集している塑像の中から、守は三面六臂(さんめんろっぴ)の像を見つけ出した。六本あるその手には、童形(どうぎょう)の姿にはまったく似つかわしくない、(けん)(とう)(しょ)(さく)などの、物騒な武器を握っている。

「中壇元帥は、北京の守護神にもなっている」

 ぽつりと呟いた育に、龍煙は肯定するように頷いた。


「昔、街を作るということは、水との戦いだったと言われている。人は水がなければ生きていけないが、水は洪水となって人を(あや)めることもある。だからこそ、禹王(うおう)の時代、国を治めるということは、水を治めるということと同義語だった」

 それは近代になるまでそう変わりなかったこと、禹王は治水で有名な伝説の帝だと龍煙は補足した。

「因みに僕の親しい友人は、禹が収めた洪水は、殷が周に仕掛けた侵略戦争の暗喩で、治水はその戦後処理だったのではないか、と言っていた」

「侵略戦争?」

「ああ。興味があるなら、今度詳しく話してもいい。ただ、そこに至るまでが半端なく長いのだ。何しろ禹歩(うほ)のことから始まって、禹の父親の(こん)のこと、黄帝の血族から五行の考察、古代の婚姻制度、果ては『禹』、『鯀』、『龍』、『殷』などの漢字の成り立ちや音について、さらには、それらと十干(じっかん)との関係性など多岐に亘る」

「な、なら、いいです」

 ただでさえ用語が憶えられないのに、これ以上緊急かつ必要ない知識を入れておく場所は守の脳の中には存在しなかった。

「とても、理解できそうもありませんから」

「そうか、残念だな。真偽はともかく、なかなか面白い説なのだが――」

 龍煙は「まあ、何時かは聞く機会もあるだろう」と意味ありげに微笑むと、中壇元帥が何故北京の守護神かという説明に戻った。


「龍は水を支配する。北京は水質が悪く、それが悪龍のせいとされていた。そこで街を作る際に、龍退治で有名な中壇元帥を祀って、水を支配しようとしたらしい。そして中壇元帥の隣にいるのが托塔天王(たくとうてんのう)だ。中壇元帥の父親の、李靖(りせい)ともいわれている」

 李靖というのは、隋から唐に変わる時代に活躍した実在の武将だった。軍神と呼ばれるほどの様様な功績により、托塔天王の生まれ変わりと言われ、同一視されるようになったという。

 托塔天王と呼ばれた像は、その名の通り、左の手のひらに宝塔という小さな塔を乗せ、右手には三叉戟(さんさげき)を握っている。その姿に、守はどこかで見たことがあるような既視感に襲われた。

 すると――

「托塔天王は、またの名を毘沙門天(びしゃもんてん)という」

「毘沙門天って――確か、七福神の一人でしたよね」

 七人の神が宝船に乗った、正月以外はほとんど目にしない絵を思い浮かべながら守が龍煙に念を押す。と、「仏教の神様」と育が龍煙の向こう側から口を挟んだ。

「正確には、『天部』という分類に入る。法を守護する守護神だ」

「つーことは、護法(ごほう)ですよね。それが、何で道教に?」

「道教は、何でも取り込んでしまうのだ。まあ、多神教の中ではあまり珍しくもないことだが、道教のそれは群を抜いている。何しろ――」

 龍煙は、真武帝君の左隣の塑像群を指差した。

「あの中には、釈迦(しゃか)観音(かんのん)普賢(ふげん)もいるからな」


 多神教は一神教のように、他の宗教を、徹底的に排斥するようなことはしなかった。むしろそれを取り込んで融合し、自分のほうの優位性を強調する。また道教と同じように、仏教もヒンズー教の神神を数多く取り込んでいた。

 毘沙門天の前身は、ヒンズー教のクベーラという名の財神で、仏教を経てさらに道教に入り、托塔天王になった。そして、クベーラの息子のナラクーバラも仏教から道教に入って中壇元帥になったという。


「ところで、仏教における毘沙門天の別名を何というか知っているか?」

 龍煙の質問に、守の耳に「いいえ」と答えた自分の声と「多聞天(たもんてん)です」と答えた育の声が同時に飛び込んできた。

「えっ? あの四天王の?」

 守が訊くと、育が小さく頷いた。守の脳裏に戒壇堂(かいだんどう)で観た四天王の姿が浮かび上がった。確かにその四柱の像の一体は、右の手のひらに宝塔乗せ、頭上高く捧げていた。

「じゃあ、他の四天王もいるんですか?」

 守が龍煙に訊く。

「いや、ここにはいないな」

「ここには?」

 不思議そうに守が小首を傾げた。

「正確なことが言えなくて申し訳ないが、もしかしたら、道教の他の宗派にはいるかもしれない。僕は道士(どうし)ではないので、その辺の詳しいことは知らないのだ。だが托塔天王は、現在は多聞天と同じではないという話もある。階級としては四天王を率いるさらに上の将軍ということだ。だからこそ、ここには、他の四天王がいないのかもしれない」

「なるほど――」

 ならば取り込んで、さらに自分のところの優位性を強調したということだ。


「だが、四天王の多聞天が特別視され、特に毘沙門天、あるいは托塔天王として、単独で祀られている理由なら説明することはできる」

 龍煙の口ぶりでは、神仏として祀られることにも理由が必要だ、ということなのだろう。それは当然のことなのかもしれないが、守は、今の今まで考えたこともなかった。

「どうしてですか?」

「四天王の中でも、多聞天は北方を守護する神だ。我我のように鍛錬を修する者にとって、北は最も重要な場所なのだ」


 そうだ。

 北は『玄武(げんぶ)』のいる場所で、『玄武』は煉丹のシンボルだった。

 真武帝君は北極星の化身で、北極星の意味するものは――

 不変。

 そして――


(不変は、不死へと繋がっている)


「北を守護する多聞天の息子が、水を支配する龍王をやっつけた。これも実に興味深い話だと思わないか?」


最初はここで用語の説明をしていたのですが、読み返すと作者ですら眠くなるという迷走ぶりで、改変し前倒しで夏芽に説明して貰っている部分を作りました。だが、やっぱり長いです。


洪水と侵略戦争のくだりは、作者がかってに思っているのだけで、元があるわけではありません。

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