表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第七章 乾坤交媾―大周天―(天と地が交じり合う)
56/99

乾坤交媾 大周天 18

大移動の続きです。

*中国に関する情報はかなり古いので、全然参考になりません。作者の妄想で補完している部分が多々あります。ご注意ください。

 車は何の滞りもなく軽快に走って行った。

 山を越えて吉林の市街に入ると、コンクリートでできたビルが建ち並んでいた。

 初めて来た吉林の街は意外に近代的な印象だった。ところが、日本と同じようなビルが建ち並んでいるというのに何処か違和感がある。守は、窓越しに過ぎて行く街を見つめ続けていて気がついた。窓枠に朱色の錆が浮いているのだ。上海の裏町でもそうだったが、中国ではサッシの窓はまだ一般的ではないらしい。

 しばらく走ると視界が開け大きな広場のようなところに出た。中央の石像を取り囲むように道が円を描いて迂回して行く。環状交差点(ラウンドアバウト)を通り、さらに先へと進んで行くと、ほどなくして幅の広い大きな川にぶつかった。

松花江(しょうかこう)。大雨が降ったから増水してる」

 守が起きたことに気づいた育が、皓華の中国語を訳してくれた。


 松花江は大きな(かわ)だった。そしてその水のすべてが茶色く濁っていた。増水した水面(みなも)からは、守の知らない木木が辛うじて枝の先を覗かせている。

 一昨日(いっさくじつ)、上海沖を北上していた台風は、その日の夜のうちに黄海で温帯低気圧に変わっていた。だが台風でなくなったとはいえ、それほど勢力は衰えず、翌日には長白山(ちょうはくざん)を集中豪雨で襲い、そこを源とする松花江の水位をこれほどまでに上昇させていたのだ。

 車は目の前の巨大な釣り橋を渡らずに右へ曲がった。江沿いの道をしばらく進んで右折する。そのまま細い路地へ入り込み、少し行くと車は止まった。


 含明が用意した宿泊所は一般の団地らしい建物だった。見た目はお世辞にも綺麗とは言いがたい。上海と同じように薄暗い階段室の壁はコンクリートが打ちっ放しで装飾らしき物はいっさいなかった。

 その三階にある芥子色(からしいろ)の扉を差して、皓華が「ココ」とニッカっと笑う。カギを開け、靴を脱いで中に入った。

 と――

「お疲れ様。あんまり遠いんで、びっくりしたでしょう?」

 部屋の中から顔を出した人物に声をかけられた。

「夏芽さん!」

「どうして?」

 驚いた守が声を上げ、育が訊いた。

 ニコニコと微笑んでいる夏芽は、普段のスーツ姿ではなく、ヒマワリ柄のサマードレスを身に着け、いつもよりさらに若く、可愛らしい。

「立ち話も何だから、とりあえず中に入ってお茶にしましょうか。皓華も休ませてあげないといけないし」


 案内された十畳ほどの居間はカーペットの上に花ござが敷かれ、大きな四角い卓袱台(ちゃぶだい)が据えてあった。その周りに人数分の座椅子と座布団。窓にはカーテンではなく、和紙でできたブラインドがかけられ、不規則で目の粗い繊維を透った柔らかな光が、空間をいっぱいに満たしていた。

「好きなところに座ってね。横になってもいいわよ」

 藺草(いぐさ)の香りが仄かに漂う和風の居間は、他にも和の小物が置いてあり、遠く離れた懐かしい祖国を思い出す。日本を出てまだ四ヶ月。それでも、守は思いきり畳の上に寝ころがりたい衝動に駆られ、やはり自分は日本人だとつくづく思う。


 夏芽は一度部屋を出るとお盆を手に戻ってきた。部屋の一番奥、窓際に陣取った守の前に差し出されたのは、ガラスの器に乗せられたよく冷えた水ようかん。その脇には熱い日本茶が添えられている。

「これは、皓華のリクエストでわたしが作ったのよ。甘さは控えめになってるわ。飲み物は他に麦茶も冷えてるし、スポーツドリンクもあるわよ」

「いえ、日本茶で」

 守の場合、小倉あんは、バターを塗ったトーストに乗せ、さらに焼いたものなら牛乳に限るが、饅頭(まんじゅう)羊羹(ようかん)など和風のものには、渋みと仄かな甘みが同居する、日本茶が一番いい。

 守はあっというまに平らげて、お茶を飲んで一息ついた。皓華も早早に食べ終わり、さらに欲しいと夏芽の分をもらっている。

 そんな中――

「夏芽さんは、どうしてここに?」

 育は少し手をつけただけで、先ほどの問いを繰り返した。育の言葉を聞き、守はのほほんと感慨に耽っている場合でなかったことを思い出す。

「守と育に会わせたい人がいるの」

「武志?」

 夏芽は、首を横に振って育の問いを否定した。

(こう)師父(しふ)よ。十二代目の掌門人(しょうもんじん)であたしのお祖父さん。みんなのリーダーに当たる人ね。それから、(りん)師兄(しけい)。お兄さんのほうだけど」

林龍煙(りんりゅうえん)さん? 十三代の掌門人の?」

 確認する育に「そうよ」と夏芽。

「とても力がある方よ。あなたたちを導いてくれるわ」

「『導く』?」

 夏芽の最後の言葉に、守が鋭く反応した。

「待てよ、オレたちがここに来たのは……」

「知ってるわ。でも、武志はまだ、あなたたちと会うことはできないの」

「はぁ? また、あんたが仕組んだってわけか!」

 何処かへ消え去っていたはずの、守の『怒り』が一瞬で燃え上がった。


『外魔に触発されて内魔が発動する』


 理屈は十分解っていた。

 気持ちの切り替え方も教わった。

 けれど――

 刹那で突如湧き上がる『怒り』を、どうすれば止められるのかが判らない。


「違うわ。だから怒らないで」

 座卓越しに身を乗り出してくる守を押し留めようと、夏芽は手のひらを前に向け少しだけ後退(あとずさ)る。心配そうな育の視線と、何かあるならすぐにでも割って入らんと身構える皓華の態度が、これでもかと守の罪悪感を刺激した。

(別に、オレは悪くないだろ)

 さらに燃え上がろうとする怒りを無理やり心の奥に捩じ込むと、守は「じゃあ、何故ですか?」と押さえた口調で訊き直した。

 と――

 小さく息をついて夏芽の肩から力が抜ける。そしてゆっくり口を開いた。

「彼は一度戻って来て、また出て行ったの。そしてまだ帰らない」

「武志は、いつ帰ってくるの?」

 震える声で育が訊く。

「ごめんなさい、育。それは誰にも判らないのよ」

 夏芽は、本当にすまなそうに謝った。

「でも、それまでは林師兄の下で練功(れんこう)をするといいわ。師父は高齢だから、直接の指導は林師兄がしてくれるの。特別に、双修法(そうしゅうほう)も教えてくださるはずよ」

「『そうしゅうほう』?」

 初めて聞いた言葉だった。

 育も知らないようで、不思議そうに首を傾げている。

「『双方共に修める』で双修法。男女二人で行う方法よ。房中術(ぼうちゅうじゅつ)と呼ばれることもあるんだけど――」

「は? 房中……って――」

 その言葉なら、守も去年の暮れに図書館で見かけたことがある。

(でも、あれは……)


 『房』というのは小部屋のこと。

 そして、この場合の『房』は『寝室』の意味だった。


「夏芽さん。もう、オレたちは……」

 慌てた夏芽は、「違うの」と前に出した夢中で両手を左右に振る。

「勘違いしないで。いつの間にか世間では、房中術ってセックステクニックみたいな意味になっちゃってるけど、本当の双修法は違うんだから」

「どう違うんですか?」

「陰陽の気を交感するだけよ。一種の補法ね。明代(みんだい)に書かれた『金丹真伝』の中にこう書いてあったわ」


(しん)は交わるが体は交わらず、気は交わるが形は交わらない』

『男は衣を(くつろ)がず、女は帯を解かず』


「つまり、相手の体に直接触れる必要はないってことよ」

「それって――」

「そうよ、守。あなたと育は一度、明日香の石窟で同じような現象が起こっているわよね。たとえ偶然でも、師の導きがなくてできるのは凄いことよ」

「あれが……」

 驚く守と育に、夏芽は頷きニッコリと微笑んだ。


 初めて会った時には、チャーミングだと思った夏芽の笑顔だったが、今ではしたたかな営業スマイルのようで(かん)に障る。

 それに――

「じゃあ、どうしてあの時、そう教えてくれなかったんですか?」

 文句を言う守に、夏芽はその余裕の笑顔を崩さない。

「あの時言っても意味は解らなかったんじゃないかしら? あの現象が起こって、実際に行ってみて、初めてその違いに気づいたんじゃないの?」

「それは……」

「あれほどのものは、リアルな行為では得られないわ。いくらあなたと育でもね。あなたたちは長い時をかけていろいろ試したからこそ、その違いが理解できるの」

 夏芽は「試したでしょ?」と意味ありげに笑って見せる。

 強く念を押されて、守は思わず視線を逸らせた。

「さらに言うなら、この四ヶ月間毎日積み重ねてきた『(こう)』があるから、今の理解に結びつくわけ。違う?」


 夏芽に問われ、守は改めて考えた。

 確かに、その通りなのかもしれない。

 あの時聞いても、さらに首を傾げるだけ。

 いや、とても信じることなどできなかっただろう。

 今では理解も知識も段違いで、今だからこそ納得できることも多かった。

 そして――

 それらは皆、含明(がんめい)が教えてくれたことなのだ。


『きっと(かく)師兄が教えてくださるわ』

 夏芽が言ったあの一言は、いろんな意味で正しかったと言わざるを得ない。


「確かに――」

 渋渋ながら守が敗北を認めると、夏芽は得意満面な笑みを消して真顔になった。

「ねえ、守」

「何です?」

「これから先、あなたはもっといろんなことが解るようになるわよ」

「はい?」

「ソウ、ソレガ『功夫(コウフウ)』ネ」

 横から口を挟む皓華に、「そうそう」と嬉しそうに夏芽は応じた。

「だからこそ、あなたたちはここにも来られたのよ」


(え?)


 今のはどういう意味だろう。

 そう思った途端、守の中にある考えが湧いてきた。

 もしもそれが本当なら――


「ちょ、ちょっと待てよ!」

 守の口調はさっきよりもずっと厳しかった。

「もしかして、維名はもっと早くに見つかってたってことか?」

「あら――」

 チャームポイントの目を、夏芽はさらに大きく見開いた。

「ずいぶんと冴えてるのね。その通りよ。上の人たちは、いなくなった次の日にはもう知ってたみたい。でも、あたしや角師兄を責めないでね。あたしが聞いたのは一昨日(おととい)だったし、角師兄もきっとそんなもんでしょう。まあ、師兄の場合は、薄薄気づいていたみたいだけど。そうよね、皓華?」

「ア、アタシ、知ラナイ」

 夏芽が流した視線をかわすように、皓華はそそくさ立ち上がり、キッチンのほうへ逃げて行った。夏芽は「もう」と音を上げて、守へと視線を戻す。

「何で教えてくれなかったのかは、訊かないでちょうだい。こっちが教えてもらいたいぐらいなんだから」

「それは――」

 珍しくぼやく夏芽にそう言ったのは守だった。

「たぶん、直接オレたちに接する含明さんや夏芽さんが知らないほうが、オレたちに訊かれた時に、秘密にしておきやすいからでしょう。知ってるのに教えない、という良心の呵責(かしゃく)に耐えさせるのは、可哀想だと思ったのかもしれませんし――」

「あ……」

 一瞬呆けたように表情が抜け落ちた夏芽は、すぐに気を取り直すと、大きくため息をついた。

「そうね、守。まったくその通りだわ」

 と、しみじみ言う。

 そして、夏芽は不思議そうに守のことをじっと見た。その目には、今までに一度も見たことがない輝きが宿っている。

「きっとこれからも、あなたはもっと多くの『答え』に、辿り着けるようになると思うわ。なら、その裏に隠された真実をも、見つけることができるかもね」

「はい?」

 聞き返す守に、夏芽はただ明るく微笑んだだけだった。

 それは守が初めて見る、夏芽の心からの笑顔だった。


「さあ、少し休んだら食事に出かけましょうか。あなたたち『熊の手』って食べたことがある? 吉林の名物なの。珍味よ」


次話から新しい章になります。

少し時間をいただくことになるかもしれませんが、あまり間が空かないようがんばります。どうか引き続きよろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ