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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第七章 乾坤交媾―大周天―(天と地が交じり合う)
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乾坤交媾 大周天 13

いつもお読みいただきありがとうございます。

大周天13~15は一続きになっています。

いろいろ思い出したり、確認したり、修羅ばったりします。


そして私事で恐縮ですが、

な、なんと、初ポイントをいただきました。どうもありがとうございます。

と~っても嬉しいものなのですね。本当にびっくりしました。

一応予定では、この章(~18まで)が終わると、残り三分の一になります。

この喜びを糧に、何とか最後までがんばりたいです。

 コンコンコン。

 守の部屋のドアを遠慮がちに叩く音がした。時計の針は十二時を回り、暦上の秋もすでに二日目に突入していた。


 含明(がんめい)が考え込んでしまったので、あの後集まりは自然と終わりになった。

 自分の部屋に戻った守は、簡単にストレッチを行った後、部屋のシャワールームで軽く汗を流し、涼むために窓を開け、バスタオルを腰に巻いたまま荷物と格闘している最中だった。

「開いてます」

 ノックに応え、守はドアも見ずにそう言った。含明が何か思い至って来たのだろう。ここに来てから同じようなことが幾度となくあった。

 だが、ドアは開くとすぐにバタンと閉じられた。おかしなことに人が一人入れるほどの時間もない。

「ん?」

 不思議に思った守はまず警戒し、注意深く気配を探った。

(誰もいない)

 振り返って見回すが、やはりどこにも人影はない。

(変だな?)

 守は神経を集中し、今までと違うところを探しだそうと試みた。

 窓のカーテン。

 網戸とガラス戸の開き具合。

 開きっぱなしのカバンの位置。

 テーブルの上の雑誌。

 ソファーの上の、脱ぎ散らかされたジーンズとTシャツ。

 嫌な感じはしない。

 おかしなところもない。

「何だったんだ?」

 守は声に出して首を傾げると、おもむろにドアに近づいた。

 勢いよくそれを開ける。

 そして、慌てて閉めた。

 そこには育が立っていた。



「含明さんの話、どう思う?」

 話し始めたのは育だった。

 ソファに腰を下ろした育は、自分を護るかのように胸に水色のカバーがかかったクッションを抱いて盾代わりにし、目を伏せたままの状態だった。

 守は窓を閉め、育のためにエアコンを点けて除湿にし、育から距離を取るようにベッドの上に腰を下ろした。カバンから引っ張り出した真新しい白いTシャツと、錆朱(さびしゅ)色のスウェットのハーフパンツを身に着けている。

「『威明(いめい)』が誰か、ってことか?」

「うん……」

 育はどちらとも取れるような曖昧な返事をした。確かめるために目を向けると、育も顔を上げたところだった。視線が絡み、そこに微妙な熱が生じそうになって、守は慌てて横を向く。


「よく判らないんだけど、気になることがある」

 少しの間を置いて話し始めたのは育だった。

「何だよ」

 このまま気不味い思いでいるよりは、と守は先を促した。

「うちは家族の写真がほとんど残ってなくて、父と母とあたしと武志(たけし)、四人で撮ったものは一枚もない。特に父のものは数えるほどで……」

 その数枚の写真は、すべて育の父が子供の頃のものだった。それ以降のものは、家が沈んだ時に飲み込まれてしまい、たった一枚しか残っていないという。

「泥の中から一枚だけ出てきたの。それは、詰め襟の学生服を着た白黒の写真なんだけど――」

 写真はセピア色に変色しかけていただけでなく、泥に塗れたせいか、洗った際に何かの負荷がかかったのか、育の手元に来た時にはかなり傷んでいた。全体的に色合いが薄く、輪郭も曖昧で、顔の造作(ぞうさく)や表情も今一つはっきりしなかった。

 それでも育の父はまだ若く、着ていた学生服は色の濃さから、黒、あるいはそれに準じたような色だった。形も普通によく見られる一般的な物で、育の父が在籍していた、鴛鴦(えんおう)高等部の制服とは違っていた。

「なら、たぶん、オレや維名が通ってた、市立(いちりつ)の中学の制服だな」

 顔を上げた育は、「そうなんだ」と噛みしめるような言葉を漏らした。

 両親が駆け落ちしていること、亡くなった時の状況、育が母方の祖母に引き取られたことなどを考え合わせれば、弟だけでなく、父親に関する様様な事情もほとんど教えられていないということなのだろう。

 弟は父と同じ中学に通っていた。

 そんな他愛のないことでさえも、育は貴重な情報のように深く感じ入っている。

 育のそんな姿を見ていると、守は気の毒だと思う反面、理由のよく判らない罪悪感が湧いてきて、いたたまれない気持ちになってくる。同時に何故育がそんな話をし出したのかも不思議にも思った。

 さらに気不味くなったこの状況を、打破するにはどうしたらよいのだろう。

 守が先を促すかどうか迷っていると、「で、ね」と育が話し始めた。


「その写真には父と同じぐらいの年頃の、白っぽい着物を着た女の子が写ってて、その女の子は、父にとてもよく似てるの」

「なら、お父さんの従姉妹(いとこ)とかじゃないのか?」

「ううん。父方の祖母には兄が一人いたんだけど、結婚せずに亡くなって、子供もいなかった。父は祖母似だったから、祖父のほうの親戚ではないはず。けど――」

「何だよ?」

「父には姉がいたのかも」

「『かも』?」

「よく知らないの。誰かがそう言ってたのを聞いた気がする」

「じゃあ、もしかしたらその人が――」

(『威明』)

 守は心の中で膽神(たんしん)の名を(そら)んじた。けれど「それは判らない」と育。

「ただ――」

 育は少しだけ躊躇を見せる。

「あたし、子供の頃に赤いワンピースを着た女の人に遊園地に連れて行ってもらった記憶がある」

「遊園地?」

「うん。遊園地の片隅に小さな動物園があって、そこで特別にホワイトタイガーを公開してたの。確か小学校に上がったばかりの、五月のこどもの日だったと思う。父も母もいなくって、あたしと武志、それに――」

 育はここで言葉を切って、守に目を向けた。

「もう一人、男の子が一緒だった」

「それって……」

 育は大きく頷いた。

「たぶん、あんただと思う」

 だからこそ、育は含明ではなく守の所へ来たのだろう。

「それなら、オレも何となく記憶があるよ」


 その日は守の五歳の誕生日だった。母は弟の出産のために入院していて、守は父に遊園地に連れて行ってもらうことになっていた。とても楽しみにしていたのに、父に連れて行かれたその場所は、乗り物など何一つないとても広い部屋だった。

 守はその部屋で待っていた、赤いワンピースの女に預けられ、父はたった一人で部屋を出た。約束を反故にされたことが哀しくて、そこから先は大泣きした記憶しかない。

 他に思い出せるのは、意外に温かかった赤い女の白い手と、檻の中の白いトラ。

 そして、広場のような所に集まる多くの人と――

(子供の歓声?)


「そういやぁ、戦隊もののショーとかもやってなかったか? で――」

「ホテルに帰って『ごっこ』とかしたよね。あんたがレッドで、武志がブラック、あたしが――」

「ホワイト。ふ~ん、そうかあのおばさんが……」

 赤いリボンが揺れるつば広の帽子に、フワフワと裾の広がるワンピース。けれど記憶の中で柔和な笑みを浮かべる女は、『威明』というには今一つピンとこない。

 だが――

 守の頭の中に黒い何かが引っかかった。

「どう思う?」

 引っかかったモノが何かを考える間もなく、育が訊いてきた。

「う~ん、難しいな。違う気はするけど――って、オレがこういうの苦手なの知ってんだろ。それよか、そっちこそどうなんだよ?」

 こういう勘は、育のほうが冴えているはずだ。


『日本人じゃないかも』

 夏芽に対する育の言葉。あの時は理不尽だと思ったが、結果的には育のほうが正しかった。あのことがあってからと、一緒に暮らしていた時の他愛ないいくつかの事柄から、守は育の『勘』を信じるようになっていた。


「そんな気もするけど、違う気もする」

「半々なのか?」

「うん」

 こんなことも珍しい。

「含明さんは、その伯母さんのこと、知らないのかな」

「さあ……」

 育はそう答えたが、含明なら育の伯母の存在を知っている可能性は高いはず。

 それでも、あえて言わなかったのなら――

(やっぱ、『威明』じゃない、ってことだよな)

 守がはっきり結論を言う前に、「でも」と呟いた育は、「気になるのか?」の問いかけにコクリと小さく頷いた。

「まさか、含明さんに訊く気か?」

 理由はよく判らないが、止めたほうがいいと守は思った。唇を噛み眉をひそめているところを見ると、育も同じ考えのようだった。

 それに――

 話す気なら、育は守の所に来るはずもない。

「話さないほうがいい、って思ってんだろ」

 駄目押しするように守が訊く。「よく判らない」と言いつつも育は再び頷いた。

「たぶん、違うからだと思う」

 だが言葉とは裏腹に、育はまだ迷っているような感じだった。

「『威明』が誰かは判らない。でも――あたしたちが知らないことがまだたくさんある」

「そうだな」

 そう応じた守の脳裏に、ふと蘇る違和感。

 羅漢堂(らかんどう)から帰って来る途中で感じたアレは――


「あのさ……」

 守が身を乗り出して声をひそめると、育も「何?」と守に倣った。

「オレ、羅漢堂から出たあとで何か変だって感じたんだ」

「何のこと?」

 突然変わった話題に、育は不思議そうに首を傾げた。守がさらに身を乗り出すと、怪訝な様子ながらも、守側のソファーの端に身を寄せる。

「含明さんのことだよ」

「含明さん?」

 さらに声をひそめて言われた守の答えに、育は納得がいったようだった。二階と一階で距離が離れているとはいえ、一つ屋根の下に本人がいるともなれば、気が引けて当然だろう。それにクローゼットを挟んだ隣の部屋には皓華もいる。

「あん時はよく判んなかったけど、さっき『威明』の話をしててはっきりしたよ。含明さんは、さ――何か大事なことを、オレたちに隠してる」

「武志の居場所を知ってるってこと?」

 急に声を上げた育に、「違う」と守のほうが慌ててしまう。両手で声を抑えるようにと合図した。

「そういう具体的なことじゃなくってさ――」


 守が最初に感じたのは、違和感だった。その違和感が何かを考えていたら、頭に真っ先に浮かんだのが『誤魔化している』という言葉だった。けれど『隠す』よりも卑怯な色合いを含むそれは、守の知っている含明とは不釣り合いなものだ。

「たぶん違和感の正体は、それなんだと思う」

「なら、あんたは、本当は含明さんは卑怯な人だって言いたいの? あたしたちに何かを『誤魔化してる』って?」

 しっかり声は抑えていたが、育の口調はきつかった。怒っているのは明らかで、何故ここまで過剰に反応されるのか、守にはよく判らない。

 けれど――

『外魔に触発されて内魔が発動する』

 守は昼間の経験を思い出し、育の『怒り』に乗らないよう注意した。

 いつもなら、こんな場合は攻撃は最大の防御とばかりに怒っているはずなのだ。だが、ここで守が対抗したら、それこそ昼間の二の舞になる。判っているのに同じことを繰り返すなど、それこそ愚の骨頂だろう。

 それに、さすがにあそこまで偉そうなことを言っておいて、『内魔』に負けるのも口惜しい。父ほど頭はよくないが、自分はバカではないと守は思いたかった。

 だからこそ――

「いや、そこまで言ってないからさ」

 至って冷静に、育を宥める方向へ持っていこうと試みた。

 ところが――

「でも、そういうことでしょ」

 守の葛藤を台無しにするように、育はきつい口調で返してきた。


(は?)


 何故育は、こんなに怒っているのだろう。

 目の前にいるのは、本当に昼間と同じ人物なのだろうか。

 昼間あれだけ話し合い、互いに納得したはずだった。

 育だって、それはきっと憶えているはず。

 だのに育は、それを忘れてしまったかのように守に敵意を向けてくる。

「じゃあさ」

 一瞬、不味い、と思ったが、すでに反応しはじめた防衛本能を、守は止めることができなかった。

「何で皓華(こうか)を助けてやらなかったんだよ。含明さんは、オレたちなんかよりずっと力がある。もっと早く助けてやれば、皓華だってずっと楽だったはずだろ?」

「それは……」

 育は一瞬怯んだが、「たぶん――」とすぐに体勢を立て直してきた。

「含明さんにも何か理由があったんだと思う。そうでなきゃ、きっと助けてた」

 確信があるように話す育に「どんな理由だよ」と守は訊いた。さっきよりさらに言葉に険が籠もったのは、育が引いてくれなかったからで、他意はない。

「あそこに、入れなかったとか?」

「どうして?」

「そんなの判らない」

「ほら」

 守の口から、思わず揶揄するような言葉が飛び出した。ひそめられた眉の下の、育の目が細められる。

「でも、含明さんだって、決して放置していたわけじゃないでしょ。何とかしたいと思ったから、あたしたちを――」

 確かに育が言うように、あそこに守と育を呼んだのは含明かもしれない。

 けれど――

 もう守は育のように、無条件で含明を信じることはできなくなっていた。


「ならさ、さっき『威明(いめい)』は玄明(げんみょう)のお父さんの弟だって話になったろ」

「あれは、別にはっきり限定したわけじゃなくて、あくまでも推測だって……」

「けど、オレが『違う』って言ったら、怒ってたじゃないか」

「怒ってなかった」

 ムキになって答える育に「怒ってた」ときっぱり言いきると、育はさらに眉をひそめて守の非を指摘した。

「怒ってたとしても、それはあんたが失礼だったからでしょ。無理に言わせたくせに、いきなり否定したら誰だって怒る」

「違う、何かをごまかそうとして、ごまかしきれなかった。だから怒ってたんだ。きっと、オレたちに知られたくない『何か』があるんだ」

「じゃあ、それは何?」

 挑戦的に聞き返す育に、守は毅然として言い返した。

「玄明のお父さんが『威明』じゃなかったことさ」

「何でそれを知られたくなかったの?」

「伯母さんの存在を隠しておきたかった――とか?」

「それは変。あたしたちが伯母のことを知ってるって、含明さんは知らないのに」

「けど、自分だって話さないほうがいいって思ったんだろ?」

「それは……」

 育は言葉を詰まらせた。

「あたしは、余計なことは言わないほうがいいと思ったから」

「余計かどうか、判断するのはオレたちじゃないさ」

 そうだ。どこがどう繋がっているのか当事者には判らない。そう言ったのは含明だった。

「玄明は話さないほうがいいと思った。それは、確固たる理由があってのことじゃなくて、それこそ――『勘』、だよな」

 すると、「違う」と育。その目には、強い光が宿っていた。

「伯母は『威明』じゃない。だから話す必要はない」

「ホントにそう思ってんのか?」

「なら、あんたはあの女の人が皓華の両親を殺したって言うの?」

「そ、それは……」

 柔和な笑みを浮かべる赤い女。

 その手の温もりを思い出した守は、散散迷った後で、「違うと思う」とボソリと言った。

「ほら」

(はぁ?)

 どうだ、と言わんばかりの育の反応に、守は内心ムッとしたが、駄目だと判っていて乗ったのは自分だったと思い出す。

 そして――

 なけなしの守の理性も、ここは素直に負けを認めたほうがいい、と言っていた。

 育と話さなければならないことは、まだたくさんあるのだ、と。


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