乾坤交媾 大周天 11
これはあくまでも創作です。
実在の場所で起こった現象は、すべて作者の妄想の産物でしかありません。
虎丘の風景と羅漢堂内部は、記憶を優先して書いてありますので、現在とはまったく違う部分があります。ご了承ください。
*環境、機種によっては表示できない字を使っているところがあります。
爸爸 『爸』は、『父』の下に『巴』です。
守は、あの女の顔だけは忘れていなかった。
忘れたくても、忘れられるはずがなかった。
武志を連れて行ってしまった、あの人民服の女だ。
そいつが今、目の前にいる。
そして――
あろうことか、奴は皓華の両親までも手にかけていた。
勢いよく飛び出してきた守に、女は驚きもしなかった。
それどころか、その顔に笑みを浮かべると、
「『守霊』」
と、言った。
「はぁぁあ? うっせぇぞババァ! わけ解んねぇこと言ってんじゃねえ!」
猛り狂った猛禽類のように、守は雄叫びを上げた。
「何やったんだよ!」
「何が?」
「この人たちに、何をした!」
「何も」
「はぁあ?」
「わたしではない」
「ウソをつくな!」
守は、真っ直ぐ前を向いたまま、倒れている男女を指し示した。
「何でこの人たちを殺したんだ!」
女の顔が真顔になった。
「わたしは、殺してなどいない」
「ざけんな! おまえが――」
その時――
後ろから、「媽媽、爸爸」と、両親を呼ぶ声が聞こえてきた。
振り返った守の目に、倒れた男女に取りすがって泣いている、小さな皓華の姿が飛び込んでくる。皓華の傍らには育がしっかり寄り添っていた。
「ほう、『育嬰』もいるのか」
「恍けんな!」
守の内からさらなる怒りが湧き上がる。
今にも飛びかからんという勢いに、女は柳眉をひそめて左手を挙げた。
「待て。おまえとやり合う気はない。わたしに仲間を殺す謂われはない」
「仲間?」
「そうだ。この者たちはわたしの仲間だ。『虚成』とその妻を、何故わたしが殺さなければならない」
「あ?」
「わたしが来た時には、もうすでにこの状態だったのだ」
女は悲しそうに、倒れた男女に視線をさ迷わせた。その悲痛な表情は、演技をしているようには見えなかった。
ならば――
(本当に仲間なのか――)
「じゃあ、あんたじゃなきゃ、誰だよ? 誰がこの二人を殺したんだ?」
問われて女は顔を上げた。
表情が微妙に変化する。
何を躊躇っているのか、なかなか話し出さない。
「誰だよ?」
守は強く促した。
「それは……」
ようやく女は口を開く。
「……おそらくは――『威明』」
「あ? 誰だよ、その『威明』ってヤツは?」
女は質問には答えなかった。けれど、その目はしっかりと守を見据えている。
「『虚成』の名を継ぐ者をよろしく頼む」
「『虚成』って――皓華のことか? なら、あんたに頼まれなくったってちゃんとするさ。それより、オレの質問に答えろよ!」
「詳しくは、『含明』に訊くがよい」
「含明さん? 含明さんが、何を知ってるんだ!」
その時――
守の背後から誰かが近寄ってくる音がした。
足音から察するに、ある程度の重さがある大人だろう。
(育?)
だが、育とは気配も足取りも違っている。
背後を取られているにも拘わらず、守の警戒心が働かない。
どうやらその人物は守もよく知っている人らしい。
「『魂庭』!」
女に呼びかけるその声も、育のものとは違っていた。
はっきりとよく通る、凛とした声。
声の主が守の横に並ぶ。
守が思わず二度見する。
「皓華?」
けれどそこにいるのは、泣いていたあの小さな皓華ではなかった。
「含明兄さんが、何を知っているの?」
正義感の強い真っ直ぐな視線。それが『魂庭』と呼ばれた女に注がれている。
途端に、女の顔がくしゃくしゃになった。
「皓華。力になれなくて……ごめんね」
「珪沙大姐――」
皓華の意志の強い表情が、子供のものに変わった。
と――
溢れる出る涙と共に崩れ落ちる。
守がとっさに手を出して、その体を後ろから支えた。
細いが、しっかりした筋肉質の体。
育のそれとは全然違う。
「逃げて!」
突然、育が叫んだ。
途端に、ガラガラという音が耳に飛び込んでくる。
後ろの塔が崩れ始めていた。
もうもうと舞い上がる埃に追い立てられるように、育が駆け寄ってきた。
守は皓華を抱え、育と共に階段に向かう。
階段を一気に駆け降りる。
上から大きな欠片が三人を目がけて飛んできた。
「避けろ!」
だが、間に合わない。
守は、とっさに二人を庇いながら階段の影に身を伏せた。
覆い被さった守の頭に、飛んできた欠片の一つが――
直撃した。
*
真っ暗な闇の中に、小さな炎がいくつも瞬いていた。
闇に目が慣れるにつれ、座っている無数の人型が浮かび上がってくる。
人が立った時の目線よりも少し上。
きちんと並んだその影は、普通の人よりも一回りは小さかった。
(羅漢堂か……)
「は? 羅漢堂?」
そして思い出した。虎丘の斜塔が倒れてきて――
守は起き上がって、石が当たった頭を撫でてみた。痛みはない。どうやら怪我はしていないようだ。
改めて、最後に一緒だった二人を捜す。
育は守の直ぐ傍に倒れていたが、皓華の姿は見当たらない。
(ま、当然だな)
虎丘へ行ったのは守と育だけ。現実の世界では皓華はあの場にいなかった。
守は育を起こそうと、向こうを向いて横たわっているその肩に手を伸ばした。
一瞬躊躇した後で手を引っ込め、驚かさないようにそっと声をかける。
「おい。玄明」
育の反応は――
ない。
「お~い。……ん? ま、まさか、怪我してんのか?」
守は目をよく凝らして、近づかずに育を眺めた。何度か角度を変え見てみたが、いくら闇に慣れた目でも、光量不足では細かいところまでよく見えない。
守はしばらく躊躇ってから、少しだけ育に近寄った。と、微かに規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
「う~ん。寝てるだけか」
とりあえず大丈夫そうだと思ったが、念のため、もう少しよく確認したほうがいいかもしれない。
守は身を乗り出して育の顔を覗き込む。
だが角度が悪く、思ったほどよく見えなかった。
仕方がないので、育の向こう側に手を突き、覆い被さるようにして見返った。
じっと見ていると、光が白い面に反射してぼんやり浮き上がってくる。
浮き出たその表情は穏やかで、苦しげな感じは微塵もない。
今度ははっきり大丈夫と判断し、守は育から離れようとした。
ところが――
網膜に映った、育の無防備な顔から目が離せない。
去年のクリスマスから三月の間、毎日見ていたものだった。
揺らめく蝋燭の明かりに、長い睫の影が揺れる。
滑らかな肌。
濡れて柔らかな唇。
そして、その感触の逐一が守の脳裏に蘇る。
顔が吸い寄せられるように近づいていく。
眉がわずかに歪んで、合わさっていた唇が薄く開いた。
サワ、と吐息が頬を掠め、産毛が総毛立つ。
胸の奥に微かな痛みが走り、鼓動が早く大きくなっていく。
目の前には、甘く湿った空気が吐きだされた空間。
甘美な裂け目が、そこにあった。
唾液に濡れたその奥が鈍く光り、
七つの星が――
(ダメだ!)
「呵ーーーーーーーーッ! 守ッ! 見ツケタァァァッ!」
けたたましい叫び声に、守は反射的に育から体を離した。
慌てて声の方向を振り返る。
駆け寄ってくる皓華の姿。その後ろに、男の影。
含明だ。
育も気づいて、体を起こした。
「ゴメン。オ邪魔ダッタ、カシラ?」
意味ありげに目を細め、両手を胸元で握って体をくねらせる皓華に、「別に」と言って守は立ち上がった。
「デモ、守、変ナコトシテタ」
「は?」
「守、育ニせくはらシテタ」
「あ? 違う! 大丈夫かどうか、確かめてただけだろ」
「ホントニィ? 信ジラレナ~イ。ダテ、上ニ乗テ――」
「皓華! 人聞きの悪いこと言うなよ。暗くて見えなかったんだからしょうがないだろ。声をかけたって起きないしさ」
「ソンナコト、ナイ。せくは――」
「だから、違う、って!」
「皓華、もうそれぐらいにしておきなさい」
育に手を貸していた含明が、不毛な争いを見兼ねて止めに入った。
「そんなに虐めては、可哀想だよ」
「エーッ。ダテ、守、アタシニ意地悪シタ」
「え?」
頬を膨らませた皓華は、不満げに守を睨みつけてくる。
「さあ、拝観時間はもう過ぎてますから、とりあえずここを出ましょう」
外は人の気配もなく、ひっそりと静まり返っていた。陽はすでに落ちたようで、宵闇色に染まった石畳の境内は、羅漢堂の中よりもずっと暗かった。
先頭を、皓華が先導するように歩いていた。軽い足取りを見る限りでは元気そうだ。反対に、続く育の後ろ姿はどこか寂しそうだった。
守は、育に近づいて声をかけた。
「維名のこと、訊けなくてごめんな」
育は首を横に振った。
「やっぱり、あんたもあそこにいたんだ」
「ああ」
「たぶん、あの人、知らなかったと思う」
「何で?」
「あの時代なら、まだ武志はいなくなっていないもの」
「そっか、そうだよな……」
守は妙に納得した。
「なあ、あれってさ、やっぱ、過去の情景だったのか?」
「あたしは、皓華の心の中だったんじゃないかと思う」
「え?」
「あの塔は、皓華の心の中のシェルターで、両親の死を直視できなかった皓華が、逃げ込んでいたところとか」
「あ……」
ならば娘を護るために、皓華の親が結界を作って、あそこに閉じ込めておいた可能性もある。
守がそう話すと、「うん、そうかも」と育。
「だから、自分だけでは出られなかった――」
「じゃあ、オレたちを呼んだのは、皓華なのか?」
「含明さんかも」
育が後ろを振り返る。そこには、いつもと変わらぬ含明の姿があった。
「気にかけてくれて、ありがとう」
育は、先を行く皓華の後を追いかけた。
木木の合間から街の明かりが垣間見え、守の耳に、今まで聞こえなかった様様な音が聞こえ始めていた。昼間ほどではないがシャアシャアと途切れなく鳴くセミの声。その中には秋の虫の音も交じり始めている。
やはりもう夏は終わるのだ、と守はしみじみ思った。
「賑やかですね」
含明が話しかけてきた。
「セミ、ですか?」
「空もですよ」
「え?」
見上げると、綺麗に晴れ上がった空いっぱいに数多の星が瞬いていた。
キラキラ輝く満天の星。
東京や上海では見ることができない星星が、台風が過ぎ去った秋の夜空に浮かび上がっている。
そういえば、ここに来てから夜の空を眺めたことはなかった。
いや、こんなのは、富士の裾野で行った空手部の合宿以来だ。
「皓華は、もう大丈夫なんですか?」
「ええ。あなた方のお蔭です」
含明は軽く頷くと、ニッコリと微笑んだ。
「知ってましたか? あの丘は、闔閭を埋葬した三日後に白いトラが現れて、墓の上に蹲ったことから虎丘と呼ばれるようになったのですよ」
(やっぱり、含明さんなのか……)
守は不意に立ち止まった。
含明が数歩先で振り返る。
何かが引っかかったが、それが何なのかは判らない。
守は、もう一度空を振り仰いだ。
星座の名前はよく知らない。
けれど――
北の空に輝く北斗七星だけは、迷うことなく見つけられた。
2016/10/12
明らかにおかしい描写があったので訂正しました。
いくら立秋でも、秋の虫が賑やかなほど鳴くことはありませんでした。
申し訳ございません。
ついでに細かい部分、言い回しとかも修正してあります。
内容の変更はございません。




