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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第七章 乾坤交媾―大周天―(天と地が交じり合う)
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乾坤交媾 大周天 10

これはあくまでも創作です。

実在の場所で起こった現象は、すべて作者の妄想の産物でしかありません。

虎丘の風景は、記憶を優先して書いてあります。塔の内部は全くの創作です。現在と違う部分が多々あります。ご了承ください。

*環境、機種によっては表示できない字を使っているところがあります。

 『爸』(ぱー) 『父』の下に『巴』で、お父さんのこと。

 『爸爸』(ぱーぱー)と二つ繋げることもあります。

 寒山寺で思いのほか時間を取られてしまった二人は、急いでタクシーに戻った。タクシーの運転手は遮るものもない駐車場で、新聞を団扇(うちわ)がわりに使いながら他の運転手と話していた。蒸し暑い車内に乗り込み出発する。運転手は済まなさそうに、しきりにエアコンが故障しているのだ、と言い訳した。

 次の目的地の留園(りゅうえん)を足早に観て、西園(せいえん)の羅漢堂へ向かう。羅漢堂の暗い堂内にはたくさんの羅漢像が祀ってあった。

 細い通路の両脇に、目線より上に顔がくるように金の羅漢像が並んでいる。番号と羅漢の名が記されたプレートがあったが、五百体あるというそれらを、一つずつ見ている時間は二人にはなかった。

 運転手と簡単に昼食を摂ってから、虎丘(こきゅう)へ向かう。


 虎丘の駐車場の向こうには、小高い丘がこんもりと鎮座していた。その木々の合間の天辺に、空に突き出た石造りの塔が見える。舗装された緩やかな坂道を歩きながら、育はガイドブックに載っている虎丘の説明を読み始めた。

 虎丘は、春秋時代の呉王(ごおう)闔閭(こうりょ)の死後、息子の夫差(ふさ)が父王のために築いた陵墓だという。そこまで聞いて、守は明日香での出来事を思い出した。

「あのさ……」

「大丈夫。紀元前の話だし、ここはちゃんと封じてあると思う」

「そ、そうだよな」

 いわれのある石や井戸や滝を見ながら、一番高い塔を目指す。

「何かオレ、孫権(そんけん)って、ゲームの中にしかいない感覚になってたよ」


 突然視界が開け、東洋のピサの斜塔と呼ばれる雲岩寺塔が現れた。

 八角七層のその塔は、俗称を虎丘塔ともいい、北宋(ほくそう)時代に建てられた、中国最古の塔の一つだった。

 千年もの時の流れに耐え抜いてきた塔だが、四百年前から傾きだし、壁面も今にも崩れ落ちそうなほど傷んでいた。塔の回りには紐が張り巡らされ、中には入れないようになっている。

 守と育は、広場の右手にある大きな階段に移動した。その場所が、北西十五度に傾く塔を何の障害物もなく見ることができる唯一の場所だった。


 塔の周りを一周し終え、大階段の右手のなだらかな坂道を、散策しながら下って行く。緩やかに左にカーブする、小径(こみち)の先の疎らな木立の合間にチラリと白いものが横切った。

「なあ?」

「うん、見た?」

「ああ。何だよ、あれ?」

「判らない。でも嫌な感じはしなかった」

「だよな」

 左に回り込みながらさらに進むと小さな広場に出た。閑散としたその場所には、土産物屋が数軒並び、暇そうな売り子が椅子に腰かけて何かを話し込んでいた。

 日本人が珍しいのか、守と育に気づくと話を止めて顔を上げる。

 その時――

 ザザザザザザザザーーーーッ。

 突風が吹いて、背の高い木々の上部が音を立てて大きく揺れた。

「うわっ!」

「きゃ!」

 突然、頭上からバラバラと枯れ枝が舞い落ちて、守は育を掴んで自分の腕の中へ引き入れた。

 ニヤニヤと店の売り子が笑っている。

 枝の合間から覗く空には、見る間に雲が増えていく。

 今朝のニュースでは、上海沖を北上している台風の影響で天気が変わりやすいと言っていた。雨が降る前に、別邸へ戻った方がいいのかもしれない。

 育にそれを話して、先を急ぐ。

 すると――

 人気(ひとけ)のない木立の合間に、また白い影が見えた。

 今度は近い。

「おい。まただ」

 白地に薄鼠色の縞。

 細長い尻尾が踊っている。

「トラ?」

 それは、白いトラだった。


 守は、小さい頃に何処かの動物園でホワイトタイガーを見たことがあった。

 守と手を繋いでいたのは――

 赤いワンピースの、大人の女性。

 つばの広い大きな帽子を被っている。

 そして一緒だったのは、守と同じ年頃の、女の子と男の子。

 女の子は、白い襟がついた水色のワンピースを着ていて、同色の半ズボンを穿いた男の子としっかり手を握り合っている。

 その女の子は――


(――育?)


 守はハッとして、とっさに隣を見た。

 だがそこにいるはずの育がいない。

(何処だ?)

 前方に白い影が動く。

 その手前に育がいた。

 育は白いトラに導かれるように、ずいぶんと先に進んでいる。

 守は急いで後を追った。


 トラは澱みなく、優雅に一定の足取りで歩き続ける。

 後を追う守と育の視界が突然開け、広場に出た。

 目の前に聳え立つ、石の斜塔。

 背景の空の灰色が、さっきと比べ一段と濃くなっている。

 いつの間にか、塔の周りをぐるりと一周回って来たらしい。

 辺りを見渡すと――

 不思議なことに、誰一人として人の姿が見えなかった。

 天候の崩れを心配して、皆家に帰ったのだろうか。

 その時――

 白いトラは、進入禁止の紐を軽く飛び越えて中へ入った。

 そして、足を止めて振り返る。

 大きな瞳が、守と育を見つめている。

 その瞳に滲みだしたのは――

(哀しみ?)

 トラは再び歩き始めた。

(来い、ってことか?)

 守はトラを追って、囲まれた紐を軽々と跳び越えた。

「だめ! 行っちゃ!」

 育の制止に、守は「構うもんか!」と駆け出した。


 どうしても、行かなければならないような気がするのだ。

 どうしても――

 振り返ると、育も守の後を追って来ていた。


 塔の中の大きな白いトラは、木組みの階段を上って行くところだった。

 上へ上へと伸びていく階段を音も立てずに登って行く。

 突然、トラの姿が消えた。

 天井に開いた四角い穴。

 階段はその穴へと続いている。

 縞模様の白い尾が、揺れながら穴に飲み込まれる。

 守が階段に足をかけた。

 急な階段を、這うように登って穴から顔を出す。

 と、次のフロアーが出現する。

 トラは、すでに反対側にある階段を上り始めていた。


 何度かそれを繰り返し、最後に小さな空間に出た。

 もう、上へ上る階段はない。

 部屋の四隅には四天王が立っている。

 中央には、口を大きく開けて笑っている弥勒仏。

 守護するように背中に控える韋駄。

 弥勒仏の足下には、小さな女の子が蹲っていた。

 白いトラは――

 何処にも、いない。

 女の子の細い肩が小さく震えた。

 その姿は、弥勒仏の笑顔とはまったく対照的だった。


「……が、いないの」


 女の子が口を開いた。

「何が『いない』って?」

 遅れてきた育が守に訊いた。

「さあ?」

 育は、おさげ髪の少女の前に跪いて声をかけた。

「誰がいなくなっちゃったの?」

 育は中国語で話しかけたようだった。

 けれど――

 守の頭の中で勝手に変換が起こって意味を結んでいく。

 育の問いかけに、俯いていた少女が顔を上げた。

 何処かで見たことがあるような顔だった。

 だが守の知り合いに、このぐらいの歳の女の子はいない。

 では会ったのは、上海の街角か、蘇州の路上か。

 思い出そうとしたが、無理だった。


「お姉ちゃん、だあれ?」


 少女に請われるままに、育は自分の名を教えた。

 そして守の名を言いながら、守の方を指差した。

 少女の視線が守に向けられる。

 切りそろえられた前髪の下に覗く、哀しげな瞳。

 それとは対照的な、意志の強そうな顎。

「お名前は?」

 育が優しく訊ねる。

 少女は小さな声で「皓華」と答えた。


     *


 守は窓から外を眺めていた。育は皓華と名乗った少女を膝に抱いて、部屋の中央に据え置かれた弥勒仏の下に座っている。泣きながら眠ってしまった少女は、どう見ても小学生にもなっていない。

 窓から離れた守は、育の左横に腰を下ろして少女の顔を覗き込んだ。

 あどけない寝顔に、乾いた涙の後が痛々しい。

 守が何気なく頬を突くと、小さな皓華が嫌そうに眉をひそめた。

「見ろよ、可愛いぜ」

 守は、もう一度突っ突いてみる。

 皓華は、逃れようと育の腕の中で寝返りを打った。

 守がもう一度手を伸ばす。

 育がピシャリとその甲を叩いた。

「可哀想。起きちゃうでしょ」

 怒られて、守はしぶしぶ手を引いた。

「あんたがロリコンだったなんて、知らなかった」

 低く出された育の言葉は冷たかった。

「だ、誰がロリコンだよ」

「おまけに、サディスト。いじめて喜んでた」

「バカ、言うな。ちょっとふざけてただけじゃないか」

 けれど育は取り合わない。

 凍りついたような沈黙が流れて行く。


「なあ、『皓華』って、こっちじゃあメジャーな名前なのかぁ?」

 沈黙に絶え切れなくなった守が、何ごともなかったように育に声をかけた。

「さあ」

 育は冷たい態度のまま、首を横に振る。

「なあ、この子、オレたちが知っている皓華って可能性はないのか?」

「どうして?」

「この目と顎の辺りが皓華にそっくりだろ。髪の色合いも似てるしさ。それに肌の質感? 大人と子供じゃ違うだろうけど、色と肌理つうのかな。それはかなり近いと思うんだよ」

 育は皓華を庇いながら身を引いて、守の顔をまじまじと眺めた。

「何だよ?」

「やらしい」

「は? 何でだよ」

「男って、そんなとこまで見てるんだ」

「そういうことじゃないだろう」

 守から皓華を隠すように、育がさらに大きく体を引いた。

「顔が似てるのなら、親子かもって考えるのが普通」

「じゃあ、百歩譲って娘だとすんだろ。皓華っていくつよ。オレたちとそう変わんないじゃんか」

「皓華はあたしより一つ下だから、この子が五つだったら十六の時の子。可能性は十分にある」

「でも、名前も一緒だろ。欧米とかならまだ解るけど、ここは中国だぞ。まったく同じってことはないんじゃないのか。それに――」

 守は肩越しに、親指で今さっきまでいた窓を指差した。

「外の感じが全然違うんだ。つーか、はっきり言って全部変だ」

 この塔の外側は石でできている。だのに中の壁や床は、寒山寺の五重塔のように木造だった。それだけでなく――

「傾いてない」

 そう言われ、初めて気がついたように育が周りを見回した。

「明日香の時みたいに、不思議なことが起こってる、ってこと?」

「まあな。オレたち、昔に来ちまったんじゃないのか?」

 育は考えるようにしばらく視線を泳がせてから、もう一度守を見た。

「それで、あんたはこの子のことを皓華だと思ったんだ」

「ああ」

「けど、これが過去の情景だとは限らない」

「でも可能性はあんだろ。何が起こるか、判んないんだ」

 含明は、確かにそう言っていた。

「そうだけど。――あたしは、違うと思う」

「じゃあ、何だよ」

「これは、過去というよりも……あっ!」

 小さい皓華が起きだして、育の腕の中からスルリと抜けた。

 小さな手足を懸命に動かし、階段の方へと駆けて行く。

 守と育は立ち上がって、直ぐに少女の後を追った。


 思った以上に速いスピードで、皓華は狭く急な階段を下りて行った。

 小回りが利く分、降りやすいのだろう。大人の二人がなかなか追いつけない。

 皓華は、一階までくると迷わずにぼんやりと明るい外へ飛び出して行く。

 けれど――

「あっ!」

 少女の姿は外には消えず、出口のところで跳ね返った。

 同時に、何かにぶつかったような鈍い音。

 小さな皓華が、スローモーションのようにゆっくりと床に倒れた。

 守が駆け寄って抱え起こす。

 一見した感じでは、怪我はない。

 その時――

 皓華は目をパチリと開けた。

 守の手を擦り抜けて再び出口へ向かう。

「無理だ!」

 やはり何もない空間にぶつかって、皓華が押し返されたように戻ってきた。

 今度は守が受け止める。

(マー)! (パー)!」

 声を限りに皓華が叫んだ。


 やっと追いついてきた育が、外を一瞥して顔を背けた。

 守から小さい皓華を受け取って、奥に戻り、しっかりと抱え込む。

 守は出口からその先を見た。

 外には、皓華の親らしき男女が倒れている。

 動かない。

 そして――

 そこには、二人を見下ろしている人民服の女が一人。

「!」

 守の表情が険しくなった。

 滾る怒りで、瞬く間に顔が紅潮していく。


「あの、クソばばあぁぁぁぁぁあーーっ!」



 突然の雄叫びに驚いて、育が守を見た。

 そこには、我を忘れ勢いよく飛び出して行こうとする守の姿があった。

 押し戻される。

 育は瞬間、目を瞑った。

 衝撃音がくるのを待つ。

 だが、それはいつまで経ってもやってこなかった。

 恐る恐る目を開ける。

 守の姿は、何処にもない。

 育が外に目をやると――


 そこには中年の女に対峙する、憤怒の形相の守がいた。


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