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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第七章 乾坤交媾―大周天―(天と地が交じり合う)
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乾坤交媾 大周天 8

これはあくまでも創作です。

実在の場所で起こった現象は、すべて作者の妄想の産物です。

特に天王殿は、現在とはまったく違う描写がありますが、話の進行上自分の記憶を優先してあります。ご了承ください。本当は入り口付近も違ったのですが、その辺は現在の姿に準じました。

大周天8と9は一続きになっています。まとめてお読みいただければ嬉しいです。

 八月の初旬、秋とは名ばかりの立秋(りっしゅう)のその日、守と育は蘇州(そしゅう)の市街地へと観光に出かけた。暦の上では秋だといっても、()だるような暑さは続き、まだ衰える気配を見せなかった。

 けれど育は朝会った時に「秋の匂いがする」と言った。風や草木、全体的な空気の感じが変わったと言う。守にはそこまでの感覚はないが、そう言われればそんな気がしてくるから不思議なものだ。

 守たちは、朝食の後片づけを終えると早早に別宅を後にした。今日は珍しく含明(がんめい)がハンドルを握っていて、助手席の皓華(こうか)にはいつものような元気が感じられない。

 守は、昨夜の含明の話を思い出していた。



「明日は皓華にとって特別な日で、どうしても二人で出かけなければなりません。別行動になりますが、大丈夫ですか?」

「はい」

 守の返事に同意するように育も頷いた。

「もちろんここにいても構いませんが――蘇州の街を観光しても、いいのではないでしょうか」

 蘇州は水の都といわれるほど風光明媚(ふうこうめいび)な場所だった。

 にもかかわらず、何度か買い出しに行っただけで、観光はしたことがなかった。水路が多いというほかは、ほとんど強い印象もない。

「せっかくだから、観光します」

 育の意見も聞かずに守は言い切った。

 関係は普通に戻りつつあるといっても、それは含明や皓華がいるからで、この家に二人だけだったら、どうなるかは判らない。密閉された空間に二人きりでいるよりは、外に出ていた方がずっと安心だった。

 育も同じ考えなのか、勝手に決めた守に対し一切抗議はしなかった。

「でしたら、朝、街の方へ一緒に行きましょう。そこでタクシーを一台チャーターして、回れるように交渉します」



 車は水路と並走する道を走っていた。ハンドルを握る含明の隣では皓華がじっと前方を見つめている。運転席の後ろから見えるのは、思ったよりも肉の薄い肩と意思の強そうな顎。だが、皓華の後ろ姿は何も語ることはなかった。

(皓華に、何があったんだ?)

 守は再び昨夜のことを思い出していた。



「あの……『特別な日』って、何の日なんですか?」

 遠慮がちに発せられた育の問に、含明は何も言わずに首を振った。

 今は理由は訊かないでほしい。

 何も語らない含明の顔がそう言っている。その代わり「もしかしたら、あなた方の力を借りることになるかもしれません」と意味深長な言葉を口にした。

「何か、あるんですか?」

「有るかもしれませんし無いかもしれません。それは誰にも判らないのです」

「あたしたちで、お役に立つんですか?」

「ええ。あなた方の功力なら、必ず――」



 そうこうしているうちに、車は水路のほとりの駐車場で止まった。寒山寺(かんざんじ)の塔が目前まで迫っている。蘇州は古い街でいろいろな名刹、名庭が街中に点在している。日本でも有名な寒山寺もその一つだ。

 (りょう)の時代に建てられた禅宗のこの寺は、創建当初は妙利普明塔院(みょうりふみょうとういん)という名で、唐代に寒山(かんざん)拾得(じっとく)が住むようになってから、寒山寺と呼ばれるようになったといわれていた。

 含明はここで守と育を降ろすと、駐車場に()まっているタクシーを物色し、その一台を選んで交渉を始めた。二人がこれから市内を回るための足にするのだ。

 交渉が成立したのか、含明は少し離れたところに待っていた守と育に近寄って、日本語で注意をした。

「運転手は顔見知り程度の知り合いですが、悪い人間ではありません。ですがタクシーから降りる時は、中に絶対に荷物を残さないようにしてください。それと金額のことで何か言われたら少し足してあげてください」

 含明は、タクシーの運転手に二人を預けて去って行った。その間、皓華は一度も車を降りてこなかった。


 運転手がチケット売り場までついて来て、チケットを買い守に手渡した。車の方を指差して、自分は車で待っている、と身振り手振りで示している。守と育は入り口で運転手と別れ、芥子色(からしいろ)の中国風の建物の中へ入った。そこには、寒山寺の歴史や石碑の拓本、模型などの様様な資料があり、日本から送られた鐘についての記述なども観ることができた。

 二人は一通り観て回ると中庭に出た。壁の上に並ぶ瓦の向こうに五重の塔が覗いている。雲のない青い空を背景に、強い陽射しを受けて(そび)え立つその塔は、天への憧れを示すかのように真っ直ぐに伸びていた。

 塔を眺めているうちに、守は何故か無性に登りたくなった。だが中庭と塔を仕切る壁にはどこにも通るべき扉はない。

「なあ、あそこに行くにはどうしたらいいんだ?」

 守が育に声をかけた。「さあ」という簡単な返事に守は軽い怒りを覚える。

(気が利かないな)

 そう思いながらも、守は「訊いてくれ」と育に頼んだ。

 育が出口付近の土産物屋のおばさんに話しかけると、おばさんは外を指差してしきりに何かを言っている。

「向こうだって」

「は? でもそれじゃあ、外に出ちまうだろ。ちゃんと聞いたのか?」

 守の語気が強くなる。育の顔に能面のような表情が張りついた。

 だが、育は守よりもずっと我慢強かった。もう一度、おばさんに確認しに行く。

「やっぱり、向こうって――」

 戻ってきた育の声は冷たかった。

(何だよ。使えないな)

 不満げな守の態度に育の表情も厳しくなる。

 だが二度聞いて同じ答えならば、もう一度聞いてもらうことはできそうもない。

 守は言われたとおりに育と一緒に外へ出た。強い陽射しが容赦なく照りつけて、額に汗が吹き出してくる。守と育は、寺の壁と土産物屋に挟まれた狭い露地を歩き出した。

 店員が「センエン、センエン」とここぞとばかりに声をかけてくる。そんな喧噪の中、左前方に塔を見ながら二人は路地を進んで行った。だが、塔を行き過ぎても壁ばかりで入り口はなく、どんどん後方へ遠退いていく。

「本当にこの道なのか?」

 問い糾すように守が訊いた。けれど育は答えない。

 無視されて、守の怒りはさらに膨れ上がった。


 二人は、無言で歩いて行く。

 長い路地の前方突き当たりに、何かの入り口らしき板戸があった。育曰くさっきのチケットの半券で、ここに入ることができるという。

 そこは、塔とはまったくあさっての方向に向かっていて、守はそこに入っても、目的の場所に行き着けるような気がしない。それでも育はチケットの残りの半券を出して板戸を(くぐ)った。

 急に空間が広がった。水路に大きな石造りの太鼓橋が架かる広場だった。

 赤い字で楓橋(ふうきょう)と刻まれた橋。それをバックに数組の観光客が楽しそうな顔を写真に収めている。緑の葉をつけた枝垂れ柳と水路を渡る風が心地いい。

 だのに――

 守にはそれを楽しむ余裕がない。

 それどころではないのだ。育に対する怒りが収まらない。

 初めは塔に登りたいという気持ちだけだった。

 けれど、今は育の態度が許せなかった。


 二人の間に気まずい空気が流れていく。ろくに風景も見ずに独り守は外に出た。

(もう一度、戻ってみるか)

 すると慌てて後を追ってきた育が、「こっちに行ってみたら」と右手の路を指し示した。

 育が示したのは、さっき進んで来た真っ直ぐな路地ではなく、右手に伸びるもう一本の路だった。だがそちらに進んで行ったとしても、塔の方向とは四十五度以上違っていて、とても辿り着けるとは思えない。

 やはり戻った方が――

そう言う間もなく、育が強い陽が照りつける路を、先に立って歩き始める。はぐれては大変と守も渋渋ながら付いていく。

 だが塔はあくまでも左にあって、近づくどころか今度もまた行き過ぎそうだ。

(何だよ)

 そう思った瞬間、「ほら、あった」と育の声。不意に左側の壁が切れ、奥に続く道が見えた。その先の辛子色の壁には、渋めの緑色で、右から左に寒山寺の文字が刻まれている。育が右手にある窓口に向かって小走りに駆け出した。


 せっかく入り口が見つかったというのに、燃え上がった守の怒りは収まらなかった。育が新しいチケットを手に戻ってくる間も苛苛(いらいら)と待ち続けた。

 育が聞いてきた話では、どうやら先に入ったのは資料館だったらしい。寒山寺とは入り口が別で、背中合わせの位置になっているという。

 だが、それを聞いても守の気持ちは変わらなかった。

 それどころか――

(おまえがちゃんと聞いてれば――)

 と、育を責める言葉しか湧いてこない。

 けれど、さすがに思っただけで口にはしなかった。『怒り』の炎が荒れ狂うその奥に、微かだが『ただの逆ギレ』という言葉が見え隠れしている。

 守だって、育に向けている自分の怒りが理不尽だということを、心のどこかでは気づいているのだ。にもかかわらず、それを素直に認めることができなかった。


(ちくしょう!)


 照りつける太陽も、

 蒸し暑い空気も、

 黄色い壁も、

 育の視線も、

 自分の器の小ささも、

 まったくもって、忌忌しい。


 守の不機嫌そうな顔がさらに不機嫌になったのを見て、育は何も言わずに動き出した。壁より浅い黄色に塗られた、柵の前のイスに座るもぎりの女性に、チケットを渡して半券をもらい、独り寒山寺と記された壁の奥へと消えて行く。

 そんな育の態度にさらに苛立ちを募らせながらも、守も後に続いた。

 けれど――

 前にいるはずの、育の姿が消えていた。

「え?」

 守は慌てて辺りを見渡した。

(ま、まさか、はぐれたのか?)

 周囲を見渡すと、入り口の壁の裏側に人が溜まっている。

 壁いっぱいに寒山寺の全景が描かれた地図があり、それを見ているらしい。

 育は、その集団の少し外れた位置から地図を眺めていた。

 守は思わずホッと胸を撫で下ろす。

 同時に、ゴウゴウと音を立てんばかりに怒りが噴き出してくるのを意識した。


 そんな守をチラリと見て、育が動き出した。

 地図と向かい合うように二匹の狛犬が護る門があり、正面中央には、ガラス張りの黒い厨子(ずし)に入った仏像が祀ってある。

 育は真っ直ぐそこへ向かう。

「おい、待てよ!」

 勝手に進んで行く育に、守が声をかけた。

 だが、育は立ち止らない。

 行く手を阻む仏像に軽く手を合わせ、その脇を通って奥に消える。

「チッ」

 守が音を立てて舌打ちした。


(待て、って言ってんだろ!)


 早足に追いかける守が、門前の一段高くなっているところに足をかけた。

 ガラスの向こうで、金ぴかの仏像が大きく口を開けて笑っている。

(あ?)

 嘲笑うかのような仏像を睨みつけ、石畳が敷かれた中に一歩足を踏み入れる。

 と――


 ――――スッ。


「え?」

 周りの空気が全て変わった。


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