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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第七章 乾坤交媾―大周天―(天と地が交じり合う)
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乾坤交媾 大周天 5

説明回です。似非科学要素あり。ご注意ください。

 道が空いていたので、予定よりも早く目的地に着いた。本道から外れて少し行くと、左右に白い四角い箱を重ねたような建物がいくつも並んだ場所に出た。ここは蘇州の郊外に最近できたばかりの住宅地で、そのうちの一軒の前で車は止まった。


「含明さんの友達って、お金持ちなんですね」

 守は荷物を抱えたまま、二階建ての新築の家を見上げていた。

「上海でレストランの経営をしています。まあ、私の友人というよりは、母の弟子だった人ですが」

「だった、ですか?」

 育が含明の最後の部分を繰り返した。

「ええ。母は四年前に亡くなりましたから」

 珍しく含明の顔に翳りが見えている。育が急いで謝ると、気にしないでほしい、と含明。今でも弟子の人には、よくしてもらっているという。

「その人は、含明さんの弟子じゃないんですか?」

「違います。私は掌門人(しょうもんじん)黄師父(こうしふ)拝師(はいし)したので母の弟子ではないのです」

 ならば、含明は本部の幹部ということなのだろうか。


 カギを開けた皓華が真新しい白いドアを開く。守と育は皓華の後に続いて屋内に入った。玄関ホールに大きな荷物を仮置きし、含明に促されるまま玄関脇の居間へ入る。含明は守と育にソファを勧め、空調を入れると自分も一人がけのイスに腰を下ろした。

「疲れましたか? とりあえずお茶でも飲んで少し休みましょうか」

 その言葉を聞いて立とうとした育を、含明はやんわりと押し留めた。

「支度は皓華に任せましょう。せっかくなので養生(ようじょう)について話しておきます」


 体も心も健康でなければ真の健康は有り得ない。

 含明はまずそう言った。

「守には前に話しましたが、中国には『性命双修(せいめいそうしゅう)』という言葉があります。(こころ)(からだ)のそれぞれを共に修めるためには、食事や衣服、住環境に至るまで注意しなければなりません。このことを『養生』といいます」

 日本では病後の回復など保養の意味が大きい養生は、本来は体の状態をよりよく保つために、生活面において様様な注意を払うことだった。

「滋養の高いものを食べ、温泉に入ってのんびりする。それだけが養生ではありません。疲れたら休息を取る。お腹が空いたら食事をする。眠くなったら寝る。こんなごくごく当たり前なことも、実は養生なのです」

「確かに、『(いのち)を養う』ですもんね」

 守の言葉に含明は大きく頷いた。

「ところがそんな当たり前のことができない時があります。特に集団での生活は、いろいろなしがらみもあって無理もしがちです。何かに気を取られていると、日日何度も繰り返し行われることは、どうしても疎かになってしまいます。ですから、ここにいる間は無理はしないことにしましょう。『薬より食事、食事より睡眠』。そういう言葉もあるくらいです。十分休んで環境に慣れること。ここではまずその辺りから始めたらいいのではないでしょうか」

 言い終えて、含明は何故か小さく笑みを漏らした。小首を傾げ不思議そうにする育に、以前、大人になってまで生活指導をされたくない、と言われたことがある、と含明は打ち明けた。

「すみません。職業柄どうしても説教臭くなってしまうようなのです」

 苦笑する含明は、どうやら、自分たちには気を遣わずに伸び伸びしろ、と言いたかったらしい。


 小振りの魔法瓶(ポット)と、マグカップを乗せたトレイを持って皓華が戻ってきた。含明に手渡すと、イスに座ることなく出て行った。含明も、特に皓華を引き留めることなくカップに湯を注ぎ始める。

 ふわっと花の香りが匂い立ち、一つだけ蓋を乗せてしばし待つ。

「どうぞ」

 蓋をしたものは、育の前に差し出され、守の前のものには蓋がなかった。

「守と私はジャスミン茶ですが、育さんのものは八宝茶(はっぽうちゃ)にしておきました」

 促されるままに育が蓋を開けた。薄く黄金色に色づいた湯には、緑やオレンジ、赤や黒といった彩りが見え、真ん中には白菊の花が一つ咲いている。

「ジャスミン茶は、緑茶にジャスミンの香りづけをしたもので、八宝茶は茶葉を、クコ、ナツメ、サンザシ、菊花、白キクラゲなどの漢方素材と合わせて、氷砂糖で味つけしたものです」

 中国には、緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶と発酵段階の違う様様なお茶があり、それらは皆、それぞれに体に対する効用が異なるという。

「未発酵の緑茶には体内の『火』を下げる作用があります。ここでいう『火』とは内熱(ないねつ)のことです。必要以上に暑がる人は内熱が高いと診ます。またジャスミンには気持ちを静める鎮静効果があります。八宝茶の具材も薬膳に用いられるものですから、滋養や解毒、補気(ほき)などの効用があるのです」

「じゃあ、もしかして、あのお茶も……」

 守は、上海に来た初日に含明が二人のために用意してくれたプーアル茶のことを思い出していた。

「そうです。季節やその日の天候、あなた方の健康状態などを考慮して、私が選びました」

 自分に合っているかどうかの判断基準の一つとして、それを心地好く感じるかどうかがある、と含明は続けた。感覚が大切なのだという。

 珍しさもあったが、確かにあのお茶を口にした時の最初の印象は、温かい中にも清涼感があり、守にとっても好ましいものだった。


 ジャスミンの香り立つお茶を存分に味わい、全体的な雰囲気がまったりし始めた頃、守が「そうえいば」と話し始めた。

「さっき言っていた『はいし』って、何ですか?」

「弟子入りすることです。師を拝む、と書きます」

 正式に入門する際には、今でも『拝師礼』という儀式を執り行っているという。

「師の前に跪き、手の平を上に向けて三回叩頭するのです。あなた方も師父(しふ)にお目にかかったら、することになるでしょう」

「えっ、オレも、ですか?」

 盛大に驚く守に、含明は「もちろんです」と頷いた。

 弟子には滅多なことではなれないが、これさえあれば、というものもあると夏芽は言っていた。

(血か……)

 あの父の子供というだけで、自分にどれほどの価値があるのだろう。

 無条件で受け入れられるなど、どれほど凄いのだ。

 けれどすぐに気がついた。凄いのは父ではない。

 さらにその前から続いている血統なのだ。


 思いを巡らせる守の耳に「それに――」という含明の声が聞こえてきた。すでに十三代は決まっているが、努力次第ではその次ということも有り得ると言う。

「『その次』?」

「……まさか、十四代ですか?」

 問い直す守に、被せるように育が訊いた。

「ええ。夏芽に皓華に武志、そしてあなた方二人。おそらく十四代は、この中から選ばれることになるでしょう」

「え……」

「オ、オレが、ですか?」


 ごく普通の人生を送ってきた自分が、何百年も続いてきた門派の頂点に――

 一瞬にへらと笑いそうになったが、すぐに無理だと思い直した。夏芽に皓華に育だけでなく、さらに武志を差し置いてなど、とても現実的ではない。

 もし知識の部分を横に置けるなら、武術だけなら、守だって夏芽や育には勝てるだろう。皓華の実力は未知数だが、普段の体遣いを見ていると、相当の手練れだと考えられる。何とか皓華に勝てたとしても、武志が相手なら――

 勝てる自分が想像できない。

 守はそうそうに淡い希望を諦めた。と、育が口を開いた。

「十三代は含明さんなんですか?」

 ため息をつく間もなく、守の頭の中に、映画やドラマでよく見るような、先代が死ぬ間際に次代を指名するの図、が大大的に展開された。青青した松の木が描かれた、煌びやかな襖が並ぶ畳の大広間の、上座に敷かれた布団の枕元に男が畏まっている。小枝のような指が指差すその男は、誰でもなく、含明その人だった。

(中国なのに畳って――)

 守が自分の知識と想像力のなさに呆れていると、含明の声が聞こえてきた。

「私ですか? ……私などとても――」

「まだ決まっていないんでしょうか?」

 育が訊く。育にしてはこの喰いつきは珍しい。だが確かに守も気になった。自分が所属する組織なのだから、序列は気にして当然だろう。

「いえ、十三代は林龍煙(りんりゅうえん)師兄(しけい)と決まっています」

 名前だけは聞いたことがあるその人は、含明が兄弟子(あにでし)と言っていた人だった。


 もともと十三代目の掌門人には、含明の母がなるはずで、惜しまれて亡くなった後で選ばれたのが、龍煙だったらしい。

「そんなに凄い人なんですか?」

「――そうですね。私など足下にも及ばないでしょう」

 守の問いに、含明は何故か少しだけ間を置いた。

「もし、兄弟子より弟弟子のほうが力があったら、どうなるんでしょう?」

 また育が聞きにくいことを訊いた。

「力があるほうですね。ですが最終的な決定権は掌門人にあります。掌門人が決めたことは、他に異論があっても覆すことはできません」

「ずいぶんと、封建的なんですね」

「儒家の思想が入っているからでしょう。伝統のものは皆そうです。何を決めるにも上の人にお伺いを立てなければならないのです」

 育の感想に答える言葉の中に、守は僅かな不満を感じ取った。


 縦社会のルールに馴染みがある守は、封建的ということに対しては、育のような驚きは感じなかった。それよりも、そんな世界により馴染んでいるはずの含明が、そのことに対して不満を持っていることのほうを不思議に思う。

「ですが、それも慢心を防ぐための防衛策だと思えば、苦にはならないでしょう。上には上がいる。そしてそれを励みにする。それが、自己を高めていくことになるのです」

「そういう部分が、普及型のものとの大きな差異になるんですね」

 感心しながら、育は小さく何度も頷いた。

「そうです。伝統のものは、修心的な要素が強いのです」


 心を修めると書く『修心』は、精神的な修養のことだった。

 そして精神的な修養とは、『考えを変える』ことだと含明は言った。

 だが守の脳裏に真っ先に浮かぶのは、白装束で滝に打たれる滝行(たきぎょう)で、精神集中とか、無になるとか、そんなものしか思い浮かばない。

「日本の武道の、修行に似てるんですかね」

 首を傾げながら訊く守に、「日本の武道についてはよく知りませんが」と含明は言い置いた。

「確かに守の言う『修行』には、身を修める『修身』だけではなく、心を修めるほうの『修心』も含まれているような気がします。ところで、師が弟子に身の回りの世話をさせることについて、守はどう考えますか?」

「それは――」

 横暴に振る舞われ、無理な要求をされないまでも、アゴで指図されることに守は抵抗があった。

「実は、これは武術の訓練の一つなのです。師が何を望み何を要求しているのか。それを日日感じ取り、言われる前にそれを行う。それが戦いの場で相手の(せん)を読む訓練になっているのです。それには師をよく観察し、気配を探ることが大切です。ですがそれだけでなく、実は一緒にいることで、自然と察することができるようにもなるのです。機嫌がいいのか悪いのか。何が食べたくて何が食べたくないのか。場を共有することで相手の状態が判り、微かな変化をも見逃さなくなるのです」


 以前含明は言っていた。

『時が流れ続けている限り、体の中や周りの状況は刻々と変化していく』と。

 そして――

『対応するために、人は無意識レベルで常に五感を使い情報収集をしている』と。

 さらに――

 守は父の話も思い出していた。

 確かあれはホメオスタシス――恒常性(こうじょうせい)の話だった。

 恒常性とは、動物や植物の状態を常に一定に保とうとする性質だった。暑くなって体内の温度が上がったら汗をかいて体を冷やす。生物には、生まれながらにそういうシステムが備わっているという。

 そのシステムを働かすためには、周りの状況を逐一知る必要があった。それは、僅かな変化にも対応できるよう、常に五感が働いているということでもある。

 ならば特に何もしていなくても、同じ空間、同じ時間を共有することの情報量は、人が考えている以上に多いということだろう。そして第六感、いわゆる『勘』というものは、慣れ親しんだものにしか働かないらしい。

 無意識の五感の情報が結実したもの。それが『勘』と言うのなら――


「つまり、『勘』を養ってる、ってことですか?」

「場合によっては忍耐力もですね。『戦う』といってもやはり重要なのは頭です。それは知力が優れているだけではなく、先を読む『勘』や機を見る力、そして機を待つ忍耐力も必要でしょう」

「それが培われる、と――」

「そうです。ただこの場合、教える側の資質も重要ですよ」

「『教える側の』ですか?」

「何の考えもなしに無理難題を押しつけ、それができなかったと罵倒したら、それはただの虐めでしかありません。だからといって、優しいだけでも駄目なのです。何でも許してもらえるということ。それは、下手をすると何も学べないということにもなりますからね。ですからこの世界では、どんなに時間がかかっても『この人なら』と思える師を探せ、と言われているのです」


 また師は弟子に身の回りの世話をさせることで、弟子の性格や性質、気質を観、その弟子に合ったものを教える目安にするという。

 そしてその他にも師の近くにいることには、利点があった。

「師弟関係は、学校の教師と生徒の関係とは違い、系統立てて皆に平等に教えるということはありません。とんでもない時に、突然ちょっとしたコツや重要なことを話したりするのです。『今は都合が悪いから後でお願いします』は通用しません。その時聞き逃せば、二度と話してもらえないこともあるのです」

「縁や運も関係してるんですか?」

「そうです。そういうものも観ます。ですが、やはり一番重要なのは『根器正』。根が善良か、というところです」

 確か育も夏芽も、危険が伴うがゆえに人を見て教えている、と言っていた。

 けれど――

 教えてもらえない人が皆、悪人かと言えば、必ずしもそうではないという。その人の性質に合っていないだけという可能性も十分にあった。

「ただ、表面的に正しい行いをしていない場合であっても、根が善良ならば正しい方向に変えることはできるでしょう」

「つまり、大切なのは――」

「『修心』ということです」


次回も説明回です。


矛盾点があったので訂正しました。『恒常性』の少し前の部分です。


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