乾坤交媾 大周天 2
作者の妄想で補完している部分が多々ありますので、ご注意ください。
*環境、機種によっては表示できない字を使っているところがあります。
站樁
『樁』は、春の『日』の部分が『臼』で、『杭』という意味です。
『樁』の簡体字は、『桩(木庄)』です。
「話は夏芽から聴いています。皆といろいろ相談し、私が代表してお話しすることになりました。ですから、私が知っていることは何でも話しましょう」
皓華がプーアル茶を配り終えるのを待って、含明が切り出した。部屋の大きさに見合っていない小さな丸テーブルには、すでに全員が着席していた。
「あの、『皆』って誰ですか?」
さっそく、含明の正面にいる守が訊いた。
「夏芽と志穂さんは、ご存じですね」
「はい。うちのお袋も一枚噛んでるんですよね」
「宮子さんが? なるほど、そうなのですか」
含明は、守の母が関わっていることについてはまったく知らないようだった。
「あとは黄常在師父。我々の門派の十二代目の掌門人です。それから林龍煙師兄。私の兄弟子にあたります」
そこで含明は一口お茶を口に含んだ。
含明は皓華がお茶を配っている間に、これはプーアル茶だが、こうじ菌を加えて後発酵したものでなく、緑茶の状態のまま自家発酵した『生茶』と呼ばれものだ、と説明した。
淡い黄金色の透き通った液体は、守も何回か飲んだことのある、黒と見紛う焦げ茶色のそれとは違い、さっぱりとしたフルーティな後味が印象的なお茶だった。
香り立つお茶を啜りながら、さらに守が訊く。
「あの、『我々の門派』とか、その、十二代目の……しょ、しょう?」
「『門を掌る人』と書いて掌門人です」
含明はまず、掌門人とは門派を掌握する最高責任者のことだと説明し、次に自分たちの所属する組織のあらましについて話し始めた。
「あなた方は、『気功』という言葉を聞いたことがありますか? 日本でも一時期ブームになったと聞いていますが」
二人は一緒に「はい」と答え、「易筋経がそうだというのは聞きました」と守が付け加える。含明は微笑みながら頷いた。
「気功という言葉がよく使われるようになったのは、ここ五十年くらいのことです。それまでは、存思あるいは守一、導引、站樁、吐納、胎息、推拿、煉丹等、すべて別々の名称で呼ばれていました。動くものからじっとしているものまで、方法は一様ではなく様々です。ですが、これらのものにも一つだけ共通する点がありました。それが『気』です」
含明は、「ここまではいいですか」と一同を見回した。
「守も『功夫』という言葉なら聞いたことがあるでしょう。映画で有名になった言葉です。共通語ではコンフーあるいはクンフー。最初の[go]の音は、日本語では『く』と『ぐ』、そして『こ』と『ご』の四つの音の中間くらいでしょうか」
「それって、中国武術のことですよね」
すると、含明は少し困ったような表情を見せた。
「確かに、この言葉は中国の武術を表す言葉として、現在では多くの人々に認識されています。けれど本来は、『長い時間をかけて練り上げたもの』という意味合いになります。ですから、必ずしも武術に関係している必要はないのです」
「そうなんですか?」
守が驚いて聞き返した。
「中国ではどの世界であっても、熟練した技を持つ人のことを『この人には功夫がある』という言い方をします。一つのことに熟達していれば、料理人でも、大工でも、清掃の仕事をしている人でもいいのです。私は日本語では『匠の技』という言葉が近いのではないかと思っていましたが、中国語に詳しい日本人は、『年季』という言葉で表現していました。『功夫がある』と『年季が入っている』は、使われ方が同じだと言うのです」
含明は言葉を切り、「横に逸れてしまいました」と少し照れくさそうに笑った。
「そういったわけで、中国政府は『気』と功夫の『功』の字を使った『気功』という言葉を、これらのものを総称する名称と決めたのです」
守と育が納得して頷くのを見て、含明はさらに先を続ける。
「気功にも普及型と伝統のものの二種類があります。我々の行っているものは伝統に分類されています」
「どう違うんですか?」
「そうですね……」
守の問いに、含明は少しだけ小首を傾げた。
「一般にいわれている普及型の気功は、昔からあるものを基礎として、健身や病気の治癒を目的とし、ここ何十年かの間に新しく作られたものです。特徴としては、比較的動作が簡単で多くの人に愛好されています。ですが、伝統のものは気功という言葉が頻繁に使われる以前からありました。なので必ずしもその枠組みに納まりきるものではないのです」
門派の大本である武当派が成立したのは、明の時代、開祖は張三豊といわれているという。
「えっ、あの太極拳を作った――」
驚く守に、「実在していなかったという説もありますよ」と含明。
「とにかく伝統のものは道家や仏家、さらに儒家の鍛錬法を基に、武術や医療など様々な要素が含まれているのです。健身や病気の治療だけでなく、体の内と外を同時に鍛え、心の領域をも修めていきます」
「心の領域……」
「平たく言うのなら、考え方を変える、ということでしょうか」
病気の再発を防ぐ場合、ただ体質を改善するだけでは十分でなく、生活習慣をもまた改めなければならなかった。そのためには考え方を変える必要があるという。
「寒い時に薄着で風邪を引いたら、面倒がらずに一枚服を羽織る。そんな簡単なことです。頭で解っていてもできないことはたくさんありますからね。同じように、困った情況に追い込まれた場合も、考え方を変えることで道が開けることもあるのです。そして環境や情況を調えることで、不老長生、さらには不老不死を目指していきます」
「つまり――『仙人』ってことですか?」
守は、夏芽が言っていた、道家の最終目的のことを思い出していた。
「そうです」
(やっぱり……)
人為的に人を超えた人、『超人』を作ろうとする試みは、古の時代から世界的規模で行われてきた。武術は『戦争のために開発された『兵器』の一つ』と夏芽が言っていたように、『超人』を作る試みは様々な争乱が元になって発展してきたのだろう。実際先の大戦でも、超能力者を利用しようと国家規模で研究を行っていた大国もあったらしい。
訓練によって発現する特異な能力は多岐に亘り、記憶力の強化から始まり、予知や透視、治癒能力、不痛、不老長生と様々だ。
そしてその『超人』を、ある集団では『仙』、別の集団では『仏』、さらに別の集団では『神』と呼んだ、というのが守が出した結論だった。
確かに去年の夏から、守の身にはいろいろ不可思議なことが起きていた。だが、だからといって不死の人間がいるなどとは、とても信じられることではなかった。だのに育は「本当にいるんでしょうか?」と、含明に真剣な面持ちで訊いている。
「さあ、どうでしょう。ここまで科学が発達してしまうと、とうてい御伽噺にしか聞こえませんが――」
言葉を切り、「これはあくまでも個人的な見解ですよ」と含明は念を押した。
「私は、いてもいいと思っています」
すると育は急に表情を輝かせ、「あたしもです」と同意した。
(マジ、かよ)
この二人の感覚は、守にはとても理解できるものではなかった。
自分が産まれながらに所属しているものの得体の知れなさに、守はすでにウンザリしていた。『オレたち、普通でよかった』と香子と確認し合った頃が懐かしい。
できればその頃に戻りたいのだが――
(もう、無理だな)
知ってしまった事実を、『無い』ことにはできなかった。
それに――
(育……)
守は頭を小さく振って、思い出しそうになった感覚を振り払う。そして改めて、父のことを考えた。
おそらく、父もこんな怪しげなところから抜け出すため、育の母でなく守の母と結婚したのだ。そして実家から距離を置き、守にもほとんど何も教えなかった。
それは、守を巻き込まないためだったのだろう。
(ずっと護ってくれてた、ってことだよな)
そう思うと感慨深い。
さらに、外見だけでなく中身まで格好いいのは反則だ、とも思う。
どう足掻いても、勝てないのか――
守がそんなことを考えている間も、含明の説明は続いていた。
「普及型と伝統のもの、この二つの違いについては解っていただけたでしょうか。簡単に言えば、普及型はいわゆる『術』という技術の部分を中心に、伝統のものは『術』だけでなく、『法』という方法論、『道』という世界観までを広く網羅していると考えればいいでしょう」
「で、オレたちのところは、伝統のものに分類されている、ってことですね」
「そうです」
最後に含明は、伝統の功法を行っている人たちは、『気功』という名で一括りにされてしまうのを好まないので、『鍛錬』あるいは『修練』と呼んだほうが無難だと付け加えた。
「それから、武志のことですが――」
「武志、ドコイル、判ラナイ」
「皓華が言うように、私たちも探しているのですが、まだ見つかっていません」
緊張した面持ちで聞いていた育の顔が、目に見えてがっかりしていた。「そうですか」と言う声も暗く重く沈んでいく。
「いつかはきっとよい知らせも届くでしょう。諦めずに待つことです。それまでは勉学に勤しんでください」
話は一区切りついたようだった。守は「あの」と含明に声をかける。とにかく、一番聞きたかったことを訊いてしまいたい。
「うちの親父と玄明の母親が、しなければならなかったことって何ですか? 何でそれをオレと玄明が肩代わりしないといけないんですか?」
含明は少し考えて、「非常に残念ですが」とその先を十分予測できる言葉を差し挟んだ。
「それについては、私も正確なことは知らないのです。おおよその見当がつかないわけではありませんが、お話しするとなると――」
「教えてもらえない、ってことですか?」
守の声には怒りが籠もっていた。
(約束が違う)
と、守は思う。夏芽は上海に行けば、含明が教えてくれると言っていた。
「気持ちは解りますが、とても一言で語れる内容ではないのです。正しく理解するとなると、それなりの知識も必要になってきます」
「知識、ですか?」
「専門用語がたくさんありますので、まず、それを理解することから始めなければなりません。それには用語の意味の把握と、実際の体験から得た実感が必要です」
「実感……」
それは、もしかしたらその『言葉』から湧いてくる感覚を、多くしろということなのだろうか。
守の表情を見て理解したと判断したのか、含明は大きく頷いた。
「私ができるのは、あなた方の理解を助けることだけです」
「じゃあ、それが解れば誰かが教えてくれるんですか?」
「そうですね。あるいは――自ずと判るかもしれませんよ」
「はい?」
だが、含明はそれ以上の説明はしてくれなかった。ならばこのことに関しては、これ以上訊いても無駄ということだ。
守は、武志がいなくなって含明と初めて会った時のことを思い出していた。
最初の夜、武志が自分の生徒だと含明は話してくれなかった。それはいろいろなことが重なって、興奮状態にある守のことを考えてくれてのことだった。
(じゃあ、今回も――)
確かに聞いても理解できないことならば、ヘタに聞いてあれこれ思い悩むより、聞かないほうがマシなのかもしれない。
守は、気持ちを新たに姿勢を正すと、含明は、他に何か聞きたいことはないか、と問いかけた。
「そういえば、最初の電話で言いかけたことは何だったんですか?」
「ああ、あれですか――」
何故か気配を探るように左右を伺ってから、含明は少し身を乗り出し、声を潜めて話し始めた。
「中国は、日本と違って自由主義国家ではありません。それはあなた方もご存じですね。ですが、具体的にどこがどう違うのかは、はっきりとは判らないはずです」
「確かに、ピンとはきませんね」
去年の夏の旅行でその片鱗は垣間見たが、それでもやはり実感はなかった。
「文化大革命の時の話をしましょう。私より八つぐらい上の方から聞いた話です」
その話の先を聞いて、凍りついたように場が静まり返った。
「何故ですか? ただのポスターですよね。破れて落ちていた」
信じられないとばかりの守に、「さあ、何故でしょう」と含明ははっきりと答えない。育が質問を変えた。
「今でも、その――落とすことはあるんでしょうか?」
「最近では、毛主席の評価もいろいろですが、今の体制を声高に批判する人はいません」
「あの、てん――」
言いかけた育に、含明は立てた人差し指を薄い唇の前にかざした。
「それ以上は、言わないことです」
どこで誰が聞いているのか判らない、と続けた含明の表情は厳しかった。
「驚きましたか? この国が開放政策に転じたといっても、自由主義でないということは、そういうことなのです。あなた方には、中国と日本では国家の体制がまったく違うということを決して忘れないでいただきたい。それが、自分の身の安全を確保するための最良の手段なのです」
含明は身を起こすと表情を緩め、「私の言いたいことは、解っていただけましたね」と念を押した。
「あたしたちに留学を勧めたのには、そういう理由があったんですね」
「未だ中国には『未解放区』と呼ばれる地域がたくさんあります。観光地に現れる観光客であれば、疑われることはまずないのですが、あなた方のような個人旅行者は――」
「怪しまれるということですか?」
守が訊いた。
「問題もないのに、疑われるのは嫌でしょう」
「そりゃあ、そうですけど……」
「この国では気をつけるに越したことはないのです。具体的には中国人の前で政治と宗教の話はしないことです。本当に、どこで誰が聞いているのか判らないのですからね。日本にいるのとはわけが違います。日本の常識は通用しないと考えてください。あと、ある程度様子が判るまでは、夜は日本人だけで外出しないほうがいいでしょう。まあ朝は練功を行いますから、そんな暇はないでしょうけど――」
言い終えた含明は、いつものようにニッコリ微笑んだ。
「何の練功をするんですか?」
守が訊く。
「『神仙』になる訓練です」
「冗談でしょう?」
「いいえ。師父からあなた方の指導を一任されましたから、明日からビシビシ鍛えますよ」
「アタシ、守ニ武功、教エル!」
皓華が元気よく宣言して、楽しそうに目を輝かした。
「とりあえず、いろいろ知ることが大切なのです。それらのすべてが、きっと守の疑問の答えとなるでしょう」
落としたのは、命です。
ウワサの類いなので詳細は伏せさせていただきました。




