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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第六章 坎離交媾―小周天―(水と火が交じり合う)
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坎離交媾 小周天 16

 自分の人生を得体の知れない『もの』が絡め取ろうとしていた。

 すでに一部を捕らえられ、さらに引きずり込もうとするソレを、どうすれば振り切ることができるのだろう。

 そこまで考えた(まもる)の脳裏に、不意に端正な顔が思い浮かんだ。

 同じ立場にいた父は、いったいどうしていたのだ、と。

 そして疑問と共に父の言葉も思い出す。

『恐怖を克服したいなら、(つまび)らかにすることだ』、と。


 そうだった。

 あの時、たった一つ小さな電球を点けただけで、すべてが明るみに晒された。

 板戸はただの板戸だったし、縁側もただの縁側だった。

 闇に隠れ、はっきり見えないからこそ怖いのだ。

 あとそこにあったのは、オモチャや遊具を入れたミカン箱に、母の嫁入り道具の足踏みミシンだけだった。


 そして――

 守は『仲間』の意味を考えてみた。

 夏芽(なつめ)は、『わたしたちは、同門の()』と言った。

 中国の『仲間』である含明(がんめい)皓華(こうか)は、同じ武術を学ぶ兄妹弟子(きょうだいでし)だった。

 守や(いく)の祖先は、中国の皇族の護衛として日本にやって来たらしい。

 ならば夏芽が言う『仲間』とは、前に含明が言っていた『同じ門派の武術を学ぶ門人(もんじん)』ということだ。

 けれど――

 守は今まで、父からそれらしきものは教わったことはない。

 育や志穂(しほ)が武術家かと問われれば、すぐに違うと否定できる。

 さらにその集団は、『煉丹(れんたん)』に関係してるという。

 それに――

 育が『靄』を退けた例のアレだ。

 アレは武術というよりは、呪術や方術(ほうじゅつ)の類いではないのか。


 そんなことを、あれこれ考え合わせれば自ずと答えは見えてくる。

 夏芽の言う『仲間』とは――

 武術に特化しているのではなく、『煉丹』を行う『仲間』ということになる。

 つまり人為的に人を超えた人、『仙人(スーパーマン)』を作ろうとしていたのだ、と。


(マジかよ)

 辿り着いた結論に、守は軽い目眩を覚えた。

 そんな御伽噺(おとぎばなし)のようなことを、とうてい信じることはできない。

 だが――

 自分が危機に陥った時に発した、朱い光のこともある。

 守は、未だにアレが何かが判らない。

 自分自身のことでさえもこうなのだ。

 まだまだ判らないことは山積みだった。

 ならば――

 守は、夏芽からさらなる答えを引き出そうと口を開いた。



「オレと育がしなければいけない『義務』って何ですか?」

 再開された守の問いに、珍しく「それは……」と夏芽が言い淀んだ。

「ごめんなさい、わたしの口からは言えないわ。わたしも詳しくは知らないから。だから、それは元生(もとい)さんに訊いてちょうだい」

「育は、知ってるんですか?」

「さあ? 本人に直接訊いてみたら?」

 夏芽が自分の隣に視線を流す。育は暗い顔で俯いたまま、守と目を合わせようとしなかった。守が声をかけようとしたその時、夏芽が香子(きょうこ)の名を呼んだ。

「あなたはもう帰りなさい。都合のいいところまで、車で送ってあげるわ」

 香子はコクリと頷くと、言われるままに立ち上がった。

「……マモちゃん、ごめん。アタシ、帰るね」

 守を残し、自分だけ退場することに躊躇いがあるのだろう。香子はすまなさそうに守に言い、育に軽く頭を下げてから、夏芽と白い居間を後にした。


「詳しくは聞いてない」

 守が二人を見送って、育の斜め前、最初に自分が座っていた場所に腰を下ろす。

 と、育が問われる前に話し出した。

「あたしは、ただお祖母様にあんたと結婚するよう言われただけ」

 育が語った答えは、とうてい守を満足させるものではなかった。守が知りたいのは『義務』の内容と、それを行うために何故結婚しなくてはならないか、だ。

 守は抗議をするかのように大きくため息をついた。

「それ、いつの話だ?」

「え……」

「つか、おまえさ、いつから知ってんだよ? オレたちのこと」

「………」

「初めて遇った時にはもう知ってたんだろ。なら、何でオレに言わないんだよ?」

 育は、その問いにも答えなかった。

「また、だんまりかよ」

 今度は言葉に出して抗議する。

「それは……」

 育がやっと口を開いた。

「……『火』の男は束縛されるのを嫌がる。そうお祖母様に言われたから」


 夢はもう終わりだ、と言われたようなものだった。育の言葉の中には、想い合う男女の間に存在すべき、誠意がまったく見られない。

 だが、よく考えれば最初から判っていたことだった。

 育は別に守のことが好きなわけではないのだ、と。

 つきあうことになったのも、守が強引に押し切っただけなのだ、と。

 それが育だけでなく、周りに都合とも合致した。

『こればかりは理屈じゃない』

 そう言うほど欲の部分は共有できても、ただそれだけだ。

 おそらく、それがつきあっていると実感できない、最大の理由だったのだろう。


「何だよ、『お祖母様』って。おまえには自分の意思ってもんはないのかよ」

 自然と言葉がきつくなる。

「仕方がないの」

「チッ!」

 守は強く音を立てて舌打ちした。

 夢の終わりを惜しむよりも、ただただ無性に腹が立った。

「おまえもかよ! どいつもこいつも、『仕方がない』、『仕方がない』、ってどういうことだよ!」

 怒りにまかせて罵ると、育が顔を上げた。

 燃え盛る炎を映すように、昏い瞳の揺れる光が黒い影を踊らせている。


「あたしはお母さんの代わりなの! そのためにあの家に引き取られた――」


 せめぎ合う光と影は溢れ出し、雫となって柔らかな頬を滑り落ちる。

 熱く滾った守の全身が、冷や水を浴びせられたかのように急速に冷えていった。


「だから、自分じゃ決められないのか?」

 落ち着きを取り戻した声で守が訊いた。

「そうじゃない!」

 育は左右に首を振った。

「なら、ちゃんと言えばいいだろ、こんな大事なこと。オレに言わなくていいってことにはなんないよな」

 守が「違うか?」と問うと、育は「でも」と反論した。

「知ってたら? 最初から知ってたら、どうした?」

「――そんなの、判らないよ」

「でしょ」

「そうじゃないさ。知ってたらどうしたかなんて、その場になってみなきゃ判んないってことだ」

「だったら、どうするの? もう、判ったんだから決めてよ」

 体を大きく後ろに引き、守はソファーの背に凭れ込んだ。



 最初から知ってたらどうしたか――

 おそらく、結果は同じだったはずだ。

 あの衝動は、それほど抗いがたいものだった。

 けれど、それを素直に認めたくはなかった。

 どうしても思ってしまうのだ。

 石窟の時は無理だったとしても、せめてイブの夜に話してくれたら、と。

 そして自分に選ばせてくれたら、と。

 ならば、たとえ同じ結果になったとしても、ここまでの拒否感はなかったはず。

 だが、育がそれをしなかったのは――


 どんなに答えを探しても、出る結論は同じだった。

 そしてその答えに行き着く度に、小さな傷が一つ付いた。

 こんな状態で続けていても、明るい未来は見えてこない。

 けれど、すでに周りを固められつつある現状では、ちょっとやそっとのことでは逃げることなどできなさそうだ。

 頼みの綱は父だけだが――

 父の弱みを握っているだろう母は、すでに向こうの手に落ちていた。


(もう、勝てないじゃんか)

 守は、絶望的な気持ちになった。

 一瞬、すべてを棄てて遠くに逃げることも考えた。だがあまりにも非現実的すぎて想像が及ばない。それにやられっぱなしで逃げるのも悔しい。それ以上に逃げてはいけない気がひしひしとしている。

 守が逃げて自分の子供に背負わせることになったなら――

 いやこの分なら、きっと弟が犠牲になる。

 それは、どうしてもイヤだった。

 ならば、すべてを受け入れて育と結婚するしかないのだろうか。

 気持ちのない女と一緒になって、想い合うことなく一生過ごすのか。

 お手本は両親だけだが、育との生活は、それとはかけ離れたものになるだろう。

 それでもそれしかないのなら――――――


(――冗談じゃない)


 諦めかけたその時、何かがいきなり切り替わった。

 守の中にムクムクと反抗心が湧いてくる。

 育がどんなに可哀想な境遇でも、それがいったいなんだというのだ。

 どんな理由があったとしても、こんな理不尽なことは絶対納得できなかった。



「無理だよ」

 どれくらい経ったのだろう。長いような短いような時間だった。

 守の口から吐き出された言葉は、最初は育の耳を通り抜け、白い居間の、白い壁に空しく吸収されていった。

「え?」

「無理だ。決められない」

「――どうして?」

 育が訊く。

「だって何も判ってないじゃないか。親父と育のお母さんがしなきゃならなかったことって何だよ? 何でそれをオレと育がしなきゃなんないんだ。それに――」

 守は言葉を切って育を見た。その眼には朱い光が宿っている。

 それは閉じ込められていた石窟を満たしていた、あの朱い光だった。


「維名は、何処へ行っちまったんだ」


 育は言葉を詰まらせた。

「オレは何も解ってない。説明を聞けば聞くほど、どんどん解らなくなる」

「守……」

「なあ、教えろよ、育。オレはどうしたらいいのか教えてくれ。それがオレが果たさなけりゃならない義務なら、果たしてやるよ。だから、オレにもちゃんと理解できるように、納得できる答えを――」


「上海へ行きなさい」


 守の「くれ」と言う言葉に被さって、女の声のが聞こえてきた。

 守が声の方を振り返ると、白い扉の前にオレンジベージュの女が立っていた。


「あなたが知りたいことは、きっと角師兄が教えてくださるわ」


次回から中国編になります。

中国に関する情報はかなり古いので、全然参考になりません。

現在とはまったく違うこともあると思いますが、ご了承ください。



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