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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第六章 坎離交媾―小周天―(水と火が交じり合う)
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坎離交媾 小周天 14

いろいろなことが判明します。

「うわっ、凄っ!」

 キラキラ輝く総大理石のエントランスに、香子(きょうこ)の驚きの声が響き渡った。

「高級ホテルみたい……」

 五階へ移動している間中、香子はあちらこちらに目をやって、言葉にならない声を上げ続けている。

「やっぱ玄明(げんみょう)先輩、超イケメンのオジサマがスポンサーについてるって話、本当なのかなぁ」

「何だ、それ」

「う、うわさだよ、うわさ」

 声を荒らげた(まもる)に、香子は慌てて言い訳した。

「先輩ってさ、ほら、ミステリアスなとことかあるじゃん。だからいろんな伝説があるんだよね」

「伝説?」

 育は、ここは叔父の会社の持ち物だと言っていた。育が母の実家に引き取られ、父方の叔父の所に武志がいたことを知らなかったことから考えても、この叔父は、必然的に母方の、ということになる。

 ならば『超イケメンのオジサマ』というのは――

「だったらみんなに言っとけよ。オジサマじゃなくて正真正銘の叔父さんだって。母親の弟らしいぞ」

「あの超絶美少女の? そ、そうなんだ」

 何度も頷く香子を横目に見ながら、守はガチャガチャと音を立て、玄関のカギを二つとも開けた。心の赴くままにドアを引くと、力の加減ができなかったようで、急激な気圧の変化に家中の扉がガタガタと鳴る。

「どなた?」

 リビングの方からこの場にそぐわない、おっとりした女の声が聞こえてきた。

 育の声に似ているが、育のものよりは高く艶がある。

「あら、どなた様かしら?」

 磨りガラスの嵌まった、居間の白い扉を開け、中から顔を覗かせたのは、水色の着物を纏った年配の女だった。

「は? あんたこそ、誰だよ?」

 苛立ち紛れに、思ったままの言葉が口をついた。

「わたくしは、この家の者ですが」

「あ? オレだって――」

「ここは、わたくしの息子の家で、今は孫が住んでいますの」

「えっ………………孫?」

 老婦人の面立ちに、育の顔が重なった。

「あーーっ、す、すみません。オ、オレは、丹下守(あかもとまもる)って言います。育さんとは、その――同じ大学の――」

「まあ、あなたが元生(もとい)さんの――」

「ち、父をご存じなんですか?」

「ええ、とてもよく。そういえば、宮子(みやこ)さんの面影がありますわね」

 守の不躾な態度にも、終始にこやかな笑みを湛えたままの老婦人は、玄明志穂(げんみょうしほ)と名乗ると、改めて育の祖母だと付け加えた。

 育の祖母ということなら、年齢は守の母の宮子より一回り半は上のはず。

 はずなのだが――

 志穂はとても六十を越えているようには見えなかった。その優艶で(たお)やかな立ち居振る舞いは、守が知っているどんな女よりも『女』という感じがする。あの女らしい夏芽(なつめ)でさえ太刀打ちできないかもしれない。

 それに、父だけでなく母とも知り合いとは――

 言葉もなく立ち尽くす守に、「大変失礼ですけれど」と志穂が声をかけてきた。

「そちらのお嬢さんは、どなたでしょうか?」

 我に返った守は、香子を「土矢(つちや)さんです」と紹介した。香子も「マモ……ルさんの友達の、土矢香子です」と、友達の部分を強調する。

「そうですか。では立ち話も何ですから、どうぞお入りくださいな。育は今、用事で出かけていますのよ」


 いつ動かしたのだろう。いつもはL字型に置かれている応接セットが、今は平行に並んでいた。守と香子は導かれるままに三人掛けのソファーに腰を下ろした。

 優雅な仕草で志穂が紅茶を配り終えるのを、守は居たたまれない気持ちで待っていた。このシチュエーションはどう考えても、孫の同棲相手が、孫の留守中に別の女を家に引き入れようとしていたの図、だ。誤解されたとしてもしかたがないが、その誤解をどう上手く解くかが問題だった。

 最悪なのは、誤解をそのまま親に伝えられ、香子が元カノと発覚することだろう。留学は中止。育とは接触禁止。親の顔まで潰したのだから、もしかしたら大学も辞めさせられるかもしれない。

 そんな最悪な事態を思い描いている守の正面に、志穂が浅く腰を下ろした。

「御免なさいね、突然お邪魔して。せっかくこちらまで出てきたので、どうしても一度、守さんにお会いしておこうと思って、お待ちしていましたのよ」

「はぁ――」

 守は気の抜けたような声を出した。

 志穂の表情や態度には、守に対する負の感情は見られない

 責められて当然、と覚悟していたのに、まさかこの対応とは。香子のことは別としても、未婚の娘の家に男が居候していたのだから、非難の一つや二つ、いや百や二百言われても文句はない。たとえ育の許可があったとしても、たとえ父親同士が親友でも、扶養されている学生の身で保護者の許可なく同居など、そう簡単に許されることではないはずだ。

「あ、あの……」

 心の中で首を捻りながらも、守は怖ず怖ずと呼びかけた。志穂は艶やかな笑みを向けたまま「実は」と話し出した。

「暮れの二十四日の夜に、育がこの家に戻っておりませんでしたでしょう。わたくしどもは、もしや誘拐されたのでは、とあちこち捜しておりましたの」

「え……」

 志穂の口調は丁寧だったが、守は出合い頭にいきなりカウンターを食らった形になった。一度油断させ、完膚無きまでに打ちのめす。そういう作戦ということか。

「す、すみません。それは――」

「構いません。守さんのお宅にお邪魔していると判って、ホッとしたくらいです」

 志穂は守を安心させるように、さらにゆったりと微笑んで見せた。

「あの娘が悪いのですわ。電源を切ったままで。何のために携帯電話を持たせているのか判らないではありませんか。ねえ」

 志穂が小首を傾げて同意を求めたが、守は何と答えていいのか判らなかった。

 代わりに、香子が「あのぉ」と口を開く。

「どうして、マモちゃんの家にいれば安心なんですか?」

 志穂は小さく頷いて、噛んで含めるように説明を始めた。

「守さんのお父様の元生さんは、わたくしの娘の、櫻子(さくらこ)の婚約者でした。あの時はご縁がございませんでしたが、そのご子息となら、何も問題はございません」

「櫻子、さん?」

「育の母親です」

「あの――」

 守が香子と志穂の会話に口を挟んだ。守が母から聞いた話では、許嫁(きょこん)といっても親同士の口約束で、正式な婚約には至っていなかったはずだ。

「そうですか。宮子さんは、ご存じなかったのですわね」

 その年、守の父母と育の父は大学を、育の母は短大を、育の叔父は中学を卒業し、守の母を除く四人は、玄明家で催された祝いの会に出席していたという。

「三月八日の卒業祝いの席は、元生さんと櫻子の婚約式も兼ねていたのです。その時に結婚式は、春分の日の二十一日と取り決めました」

「に、二週間もないですよね」

「とりあえず、式と入籍を済まし、お披露目は後日ということになりましたの」

「じっくり考えさせない、ってことですか?」

「さあ? どうでしたでしょう。決めたのは、師兄(しけい)ですから――」

「え?」

 だが、志穂は謎めいた笑みを浮かべただけで、それ以上答えようとしなかった。

 結局、式間際に育の両親が駆け落ちし、この縁談は破談になったという。

「いたらない娘が、大切なお約束を駄目にしてしまったのです。ですからわたくしどもは、守さんと育とのことを強く望んでおりましたの」

「オレと育ですか?」

「ええ。ですが元生さんが猛反対されて、結局その話は流れてしまいました」

「父が……」

 何だかんだ言いながらも、父は守のことを考えてくれていたのだ。そう思うと、何だか嬉しい気持ちになってくる。

 柳眉を微かにひそめた志穂は、ゆったり結い上げた髪の襟足を、右手の指の背でスッと撫で上げた。帯の上辺(じょうへん)を左から右にキュッと(しご)いて居住まいを正す。

 守を見据え、改めて「ねえ、守さん」と呼びかけた。

「はい」

「こうなった以上は、もちろん責任は取っていただけますわよね?」

「はい?」

「育はわたくしどもにとって、とても大切な跡取り娘ですのよ」

「え……」

 軽い確認のような疑問形と駄目押しだった。その柔らかい言葉には、綿の中に針が隠されているような鋭さと、誰にも有無を言わせぬ強制力が潜んでいた。

 この予想だにしない展開に、守は一瞬意識が遠退くのを感じた。顔面に正拳をまともに食らった時と同じ感覚だった。

 そんな守の様子に満足したのか、志穂の顔に嫋やかな笑みが広がる。それを合図にしたように和室との境の引き戸が音もなく開いて、中から黒いスーツの男が二人現れた。そのうちの一人が何事か志穂に耳打ちする。

「申し訳ございません、帰らなくてはならなくなりました」

 志穂は優雅な仕草でスッと立ち上がった。

「細かい事情は秘書を一人寄越しますから、そちらとお話しくださいまし。お聞きになりたいことがありましたら、何でもお訊ねくださいな。では香子さんも、どうぞごゆっくり」

 言いたいことだけ言い置いて、志穂が男たちと立ち去ると、守と香子は無気質な白い居間に二人きりになった。状況がよく把握できずに呆然とする守に、隣の香子が「大丈夫?」と下から顔を覗き込んでくる。

「あのさ。オレ、立ち直れないかも……」

 何度もゆっくり頷きながら、「だよね」と香子が同意した。


 そんな中、いくらも経たずに玄関のドアが静かに開いた。志穂が言っていた秘書なのだろう。居間に入ってきた女は、小柄な体を明るいオレンジベージュのスーツに包み込み、指には同色のネイルを塗っていた。

 その顔を見た途端、守と香子が口々に叫ぶ。

夏芽(なつめ)さん!」

「お姉さん!」

「え?」

 声を詰まらせた守が、香子を見た。

「ま、待てよ。『従姉(いとこ)のお姉さん』って、夏芽さんのことなのか?」

 香子の返事を待つまでもなく、守の脳裏に初めて夏芽に会った時のことが蘇った。香子が座るべき席に夏芽が座っていたのが何よりの証拠だろう。

「飛行機で遇ったのは、そういうわけか――」

 メラメラと燃える怒りが、守の目に点る。

「怒らないで守くん。これには理由があるの」

「はっ、理由?」

 勢いよく立ち上がろうとした守に、香子が慌てて縋りつく。

「ざけんなよ。あんたは全部知ってたんだろ。知っててオレに黙ってたんだ!」


 その時――

 再び玄関のドアが開く音がした。

 皆の視線が、居間の扉に集中する。

 磨りガラスの白い戸を開けて、育が居間に入ってきた。


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