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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第六章 坎離交媾―小周天―(水と火が交じり合う)
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坎離交媾 小周天 10

(何でこんなことになったんだ?)

 (まもる)は呆然と、台所に立つ(いく)の後ろ姿を見つめていた。


 目を覚ました時、外はすっかり明るくなっていた。守は目を閉じてまだ覚めきらない頭を使い、昨夜の出来事を思い返した。

 今度こそ、(なめ)らかな肌の感触と局部を締めつけられる感覚を思い起こすことができた。鎖骨の窪みも、胸の頂も、微かだが記憶に残っている。

 守は念のために自分の体をまさぐってみた。やはり思ったとおり、服は着ていない。さらに自分の左隣に手を這わせた。そこには誰もいなかったが、人肌の温もりがそこはかとなく残っている。

(マジかよ……)

 会って二回目の女と、こんなことになるなんて――

 守は自分で自分のことが信じられなかった。

 それにあまりにも急で、絶対にしなければならないことが、できなかったことも思い出した。守は母から強く言われていたのだ。ちゃんと責任が取れないうちは、避妊だけはしなさい、と。

(マジ、かよ――)

 あまりのショックに、守の頭は完全に覚醒した。するとどこからともなく漂う、ご飯の炊ける匂いに気がついた。片目を開けて台所を見る。と、育らしき後ろ姿が朝食を作っていた。

(やっぱ、夢じゃなかったんだ)

 育には申しわけないが、いないほうがまだましだった。こんな時にどう声をかけたらいいのか、守にはよく判らない。

 守は育から視線を外し、まず自分の気持ちを考えてみた。

 育のことが本当に好きなのか。

 同情していただけなのか。

 それともあの時のように、ただ強い快感を求めていただけなのか。

 そして、育の気持ちは――

 育の態度を見ていれば、どうしたって守は好かれているようには思えなかった。ならば、育はただ寂しかっただけなのかもしれない。

 寂しくて誰かに縋りたかった。

 たまたま側にいたのが守だった。

 ただそれだけのこと――

さらに情けなさが募ったところで、急にグウと腹の虫が鳴いた。ご飯が炊き上がった甘い香りに、味噌汁の匂い。嗅覚が刺激されて胃が急速に活動を始める。

 心とは裏腹な、自分の体の現金さに、守はさらに困惑した。

(最低だ)

 思った途端、育がこちらを振り向いた。

「勝手に使ってごめんなさい。でも、起こすのも悪いと思ったから――」

「あ。そ、そんなに気を使わなくてもいいよ」

「もうできるけど、食べられる?」

「うん」

 とりあえず、守は食欲を満たすことに専念することにした。エネルギーが枯渇した頭で考えるより、食後のほうがいい考えが浮かぶだろう。

 守は起き上がって、ベッドの脇に落ちている自分の服に手を伸ばした。


 食事を終え、二人で片づけを済まし席に着く。

 守はどうしても、育に言わなければならないことがあった。非常に言いにくい話だが、やはりこればかりは、言わないわけにはいかなかった。

「あ、あのさ……」

「何?」

「えーと、わ、悪かったよ」

「何が?」

「あ、それは……その、つまり……あのぅ……」

「?」

「う、上手くできなくて」

「え?」

「ひに……いや、中――、いや、ちゃ、ちゃんと外に……」

 守はさんざん言い淀んだあと「それでもダメなんだけどさ」と言って「ゴメン」と育に頭を下げた。

 もちろん状況的には自分だけが悪いわけではないとも思う。だが、仕掛けたのは自分だし、もし望まない結果になったとしたら、身も心も傷つくのは育のほうだ。それに無責任かもしれないが、この謝罪には『何かあっても責任は取れない』という意思表示も含まれていた。

「これから病院に行くんなら、一緒に行くし、費用も出す。土曜だけど、午前中はやってるだろ」

「あ……」

 育は少しだけ目を瞠ると、すぐに視線を逸らせた。

「それは……気にしなくていいから」

「え?」

「だいじょぶだから」

「でも――」

「本当に、大丈夫」

「ホントかよ」

 守の問いに育は「うん」と頷いた。

(なら、安全日、ってヤツなのか――)

 けれど心で思っただけで、口に出しては言わなかった。育の表情は恥じらっていると言うよりも、凄くすまなさそうな感じだった。

(何でだ?)

 守が首を傾げていると、ケータイの着信音が鳴った。「もしもし、守くん?」と夏芽(なつめ)の明るい声が聞こえてきた。

 守は皓華(こうか)に連絡したい旨を話し、電話番号を教えてもらおうとした。ところが、夏芽は渋ってなかなか教えてくれない。ここ最近うるさく言われ始めた、個人情報の問題が大きいのだろうか。

「あの、やっぱりダメですか?」

「ごめんね、守くん。それだと守くんが皓華に電話することになるでしょ」

「そうですね」

「皓華は日本語は少し話せるけど、込み入った内容の話は、電話では無理だと思うのよ」

 確かに、守は自分の番号を教えたが、皓華の番号は訊かなかった。含明(がんめい)の連絡先を知っていれば事足りると思っていたのもあるが、皓華に電話をし、話が通じなかった時に、どうしたらいいか判らなかった。

 もちろん、電話料金のことも頭を過ぎった。

「だからね。差し出がましいようだけど、用件を教えてもらえないかしら。そしたらわたしが電話して、皓華に訊いてみるわ。それじゃあ、ダメ?」

「え? あ……で、でもそれは――ご迷惑じゃ……」

「そんなことはないわ。それとも理由、話したくない?」

「いえ、そんなことないです」

 守は夏芽の好意に甘え、皓華に含明の電話番号を教えてもらいたいと話した。

(かく)教授? 皓華の兄弟子(あにでし)の方ね。解ったわ、訊いてみる」

 電話を切って育を見ると、育は何も言わずにコクリと頷いた。今までのやり取りでだいたいの内容は把握しているようだった。育とは話さずにじっと待つ。およそ十分後に、座卓の上の携帯が鳴った。小窓には何も番号が表示されていない。守は首を傾げながら、恐る恐る電話に出た。

「もしもし?」

丹下(あかもと)守さんの携帯ですか? 私は――」

 流暢な日本語の、男の声が聞こえてくる。かけてきたのは含明だった。

「す、すみません。こちらからおかけしようと思ってたんです。今かけ直します」

「いえ。それには及びません。このままで構いませんよ。それより何か私に用事があると聞きましたが」

「そ、それが――」

 挨拶もそこそこに、守が育のことを話すと、武志(たけし)の姉ということで含明はいたく感心を示した。

維名(いな)のことを訊きたいので一度会ってもらえませんか?」

「それは――こちらにいらっしゃるということですか?」

「あ、はい。伺います」

「そうですか。武志はまだ見つかっていませんが、いつでも上海に来てください。歓迎しますよ。育さんの話もいろいろ聞きたいですし、私もお話しできることは、話しましょう」

 そして含明は「一つ提案があるのですが」と、気軽な感じで守や育が考えもしなかったことを口にした。

「留学という方法を考えてみませんか?」

「りゅ、留学ですか?」

「そうです。武志はいつ帰ってくるか判りませんし、一週間ほどの観光旅行では、とうてい武志を見つけ出すことはできないでしょう。なので、あなた方の都合さえよければ、留学という方法を採って、時間をかけて捜すのもいいのではないかと思うのです。それに――」

 含明は、一度言いかけてすぐに止めた。

「これはお会いした時に直接お話ししましょう。とにかく、いろいろ捜して歩くにしても、この国の文化や風習に慣れておくことが必要です。特に守は、この機会に中国語を勉強したほうがいいでしょう。受け入れは私の大学でします。外国人向けの中国語教室がありますから、最初はうちで言葉を学び、ある程度覚えたら、それぞれに興味のあることをすればいいのです。守は皓華の大学に転入して武術を習うこともできますよ。留学はいろいろな意味で、あなた方にとっていい機会だと思うのですが、どうでしょう?」

「はぁ……」

 そして含明は、新学期は九月からだが、最近は短期留学という形もあり、随時受け入れをしているからいつ来ても構わない、と続けた。

「自分だけでは勝手には決められないでしょうから、家の方ともよく相談してください。では――」

 守がほとんど口を挟むことなく電話は終了した。


「留学かぁ。歓迎してくれるのは嬉しいけど――」

 あまりにも急な展開に、守の気持ちはこの状況について行けてない。一回は話を聞きに行かなければならないと思っていたが、さすがに留学となるとそう簡単には決められなかった。特に金銭面の問題は大きいだろう。

「なあ、どうする? ――え?」

 育を見ると、そそくさと帰り支度を始めていた。

「か、帰るのか?」

「ありがとう。あとは、自分で調べて何とかする」

「何とかする、って――オ、オレは、どうなるんだよ」

 忙しなく動かしていた手を止めて、育が顔を上げた。

「昨夜のことは、気にしなくていいから」

「は? 何言ってんだよ。そういうことじゃないだろ。オレが言いたいのは――」

「なかったことにしてくれて、構わないから」

「はぁあ? それって、どういう意味だよ」

「あんたの好きなようにすればいい、ってこと――」

 育は、何かを振り切るように立ち上がり、玄関に向かって歩きだした。

「ま、待てよ」

 守が声をかけたが、育は振り向きもしなかった。『なかったことにしていい』ということは、『おまえはもう用済み』ということなのだろう。

(利用はしたけど、一回やらせたんだからチャラにしろ、ってか?)

 育のすまなさそうな態度には、そういう意味があったのだ。

 必要とされない哀しみより、大切にされない怒りが上回った。

 守の中にふつふつと、何とかして一矢報いたい、という黒い想いが湧き上がる。

 ならば――

「待てよ! じゃあ『オレが続けたい』って言えば『続ける』ってことかよ?」

 靴を履く育の背中に守が言葉を投げつけた。

 顔を上げ、育がゆっくり振り向いた。

「好きにしていいんだろ。なら、オレはこのまま続けたい!」

 大きく目を見開いて、育は「本気なの?」と聞き返す。

「ああ。オレとつきあってくれ」

「………」

「………」

「本当に?」

「悪いか?」

 躊躇いながらも育は「いいえ」と答えた。

「だったら、まだ帰んなよ」

「なら、一緒に来て――」

「え?」

「あたしと、一緒にあたしの家に――」


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