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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第六章 坎離交媾―小周天―(水と火が交じり合う)
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坎離交媾 小周天 9

何故『膽神』は、玄武と同じ亀と蛇なのに、色が『玄』ではなく『青』なのか?


いつも拙作にアクセスいただきありがとうございます。

やっと前回『膽神(たんしん)』のところまで漕ぎ着けました。この話を書く切っ掛けになったのは、上記の疑問からでした。さらに――

「何故『腎神』は、『玄武』ではなく、『玄鹿』なのか?」

「何故『膽神』は、『青武』ではなく、『青亀蛇』なのか?」

と、いろいろ疑問は尽きません。調べたのですが、結局判りませんでした。

ということで、「じゃあ自分で考えよう」とあれこれ思案した結果が、コレです。

お楽しみいただければ、幸いです。


(年上だったんだ――)

 何故かショックを受けている自分に、(まもる)は驚いていた。

(だから、別に何だっていうんだ)

 不謹慎な想いを振り払い、守は(いく)の横顔をじっと見つめた。

 遠い過去に思いを馳せている育は、さっきから守と目を合わすことがなかった。見られていない安心感からか、守は育から目を離すことができなくなっている。


 はっきり言って、育は誰もが認める正統派の美人だった。

 横顔の鼻筋は、高からず低からず、完璧なラインを描いている。

 明るく染められ、軽くウエーブがかかった細い髪。

 前髪の間から覗く長い睫。

 気持ち目尻の上がった黒目がちな大きめな目。

 肌理(きめ)の整った白く滑らかな頬。

 そして――

 目の前の乾いたイチゴとは正反対の艶やかな唇。

 柔らかく官能的なその真ん中に、突然裂け目が出現した。


武志(たけし)は、ホントにすぐ近くにいたんだ」

 守は、育の口許から無理やり視線を引き剥がした。

「東京から二時間ぐらいの所だ。田舎だったけど。いいとこだぞ」

「そう」

「行ってみたいか?」

 育が行きたいのなら案内してもいい。

「ううん。あたし、上海(シャンハイ)に行きたい。武志がどんな暮らしをしていたのか知りたいし、お世話になった人にも、会ってみたい」

 守の脳裏に、背の高い物静かな男の姿が浮かんだ。

「じゃあさ、訊いてみるか?」

「え?」

「維名のことをずっと面倒見てた人にも会ったんだよ。その人は大学の教授でさ、角含明(かくがんめい)さんっていうんだ。日本語がすっごく上手くて、親切で礼儀正しい立派な人だったよ。それに友達、って言うか、仲間なのかな。同じ武術をやってる同門の師姉弟(しきょうだい)もいた。モデル並みにスタイルがよくて、人なつっこい明るいヤツでさ。仲がよかったみたいだから、維名はきっと大切にされてたと思うし、楽しかったと思う」

「本当に?」

「ああ」

「でも――」

 そうだ、またいなくなった。

 育は明らかにがっかりしているようだった。だが十一年も前に別れたきりなら、それも仕方がないことなのかもしれない。守だって両親が死に、弟の(すぐる)と生き別れになったなら、何としても探し出したい、と絶対に思う。

「とにかく連絡してみようぜ。もしかしたら帰ってるかもしんないし。え~っと、あー、もう十時か。これから名刺を探してとなると……今日は無理っぽいな」

 たとえ今安定していたとしても、十一時を回ったらどうなるかは判らない。このまま平静でいられるだけの自信も保証も、今の守にはまたっくなかった。

「家、何処だ? 送ってくよ。近所なんだろ? ああ、それとメアドとケータイの番号。で、明日何時に何処にする? とりあえずオレが先に連絡しておいてもいいけど――」

「待って。それよりその人、いくつぐらいの人?」

「え? ああ、若く見えたけど、たぶん三十から四十の間だと思う。つか、歳なんか何の関係があるんだよ?」

「別に……」

 育は答えるつもりはないようで、守は少しイラッとした。だが今はそんなことをとやかく言っている場合ではない。守はケータイを取って、小窓の時計にチラリと視線を走らせると「それより」と立ち上がった。

「早く支度しろよ。出るぞ」

「でも、ここの片づけも済んでないのに……」

「いいよ、オレが後でする。とにかく十一時までに行って帰って来たいんだ」

「じゃあうちは隣の駅だから、送ってくれるなら駅まででいい。だったら、往復で十五分ぐらいでしょう。片づけて、ケーキを食べる時間くらいはある」

「駅から家、近いのか?」

「五分」

「そ、そうか」

 他に無理に追い出す口実を見つけられず、守は仕方なく腰を下ろした。「さっき買った」と育は紅茶を淹れに行き、ゴミをまとめ手持ち無沙汰になった守は、ガサゴソとテレビ台として使っているローチェストの引き出しをかきまわす。

「確か、ここに入れておいたはずなんだけど――」

(もう少し、ちゃんと整理しておけばよかったなぁ)

 いつも母から「片づけろ」と言われていたのだ。困るのは自分なのだ、と。

 諦めかけたその時、小さな堅めの紙が指先に当たった。

「これだ!」

 だが勢いよく取り出したそれは、含明でなく夏芽(なつめ)の名刺だった。

 守の脳裏に丸みを帯びた優しい笑顔の夏芽の顔が浮かぶ。その下には、たわわに実った水蜜桃(すいみつとう)のような――

 育もそれなりに大きさはあるが、あのボリュームには敵わない。守は自分の顔がにやけているのに気づき、頭を振って妄想を振り払った。

 夏芽の名刺を手に、守は今度は真面目に考える。

(そういえば、夏芽さんって、ちょっとうちのお袋と感じが似てるかも)

 二重のぱっちりな目の夏芽と一重の切れ長な目の母。二人の顔はどちらかといえば対極に近かった。それに女らしい夏芽に対し、母はあまりにも化粧っ気がない。何よりも対照的なのは、やはり胸のボリュームだろう。だが、単純に表現できないレベルで、二人にはどこか似ているところがあるように思う。

 けれど、今はそんなことを考えている場合ではない。

 そう思った途端、守の脳裏にもう一人の別の女性の顔と、さらにモデルのような抜群のプロポーションを誇る全身像が浮かんでいた。

皓華(こうか)? 何でだ?)

 確かに、皓華を守に紹介してくれたのは夏芽だった。でもだからといって、夏芽の名刺を見て皓華を思い出すのは少し違う気がする。

 小柄で女性らしい体つきの夏芽と、背が高く贅肉が削ぎ落とされた健康な肉体美の皓華。この二人も対極に近いくらい正反対だった。だからといって、皓華に母と似た部分を守は見出すことはできなかった。

 ふと気づくと、紅茶を入れて戻ってきた育が、怪訝そうな顔で守を見ていた。

「見つかったの?」

「いや、別の……」

 守はもう一度夏芽の名刺を見た。そこには手書きで携帯の番号が書かれている。書いた本人に似た柔らかな曲線を持つ数字。その時「そうか」と守は声を上げた。

「夏芽さんでもいいんだ」

 守はベッドに腰を下ろし、携帯電話のボタンを押した。夜の十時を過ぎてはいるが、相手は大人だからまだ大丈夫だろう。だが大人だからこそダメだというところまで、守は考えが及ばなかった。

 上目遣いの育が心配そうに守の行動を見守っている。

 案の定、呼び出し音が数回鳴って留守番電話に切り替わった。機械的な女性の声が聞こえてきたが、守は何故かホッとする。それはクリスマスデートの邪魔をするかも、と途中で気づいたからではない。

 何しろ、育は暗すぎた。

 夏芽の明るい笑顔や皓華の元気な姿が恋しくなる。

 留守電に名前と連絡が欲しい旨のメッセージを残し、守は通話を終わらせた。

「後は待つだけだ」

「だけど――」

「ん?」

「その人、信用できる?」

「あ?」

 育の言葉にわけの解らない憤りを感じ、守の口調が厳しくなる。

「夏芽さんはいい人だぞ。オレのこと助けてくれたもの。それにいろいろと教えてもくれた」

「ふ~ん、その人が、あんたに知恵をつけたんだ」

「ま、まあ、そうだけど」

「なら、気をつけた方がいい」

「え?」

「その人、何か隠してる。あんた、感じない?」

「あ……」

 冷静に考えると心当たりがないわけでもない。守は渋々ながらも頷いた。

「まあ、確かに妙にいろんなこと知ってるし、たまたま飛行機で隣の席だったってだけなのに、やたらに親切なんだよ。それにさ、目が合うとニッコリ笑うし。何かオレ、好かれてるみたいなんだよなぁ」

「大人なんでしょ。あんたみたいなガキ、まともに相手するわけがない」

「そうなんだよ。だから『変だ』って思ってんだろ」

 あっさり認めた守を、驚いたように育が見た。「何だよ。オレだってそのくらい判るさ」と守は虚勢を張ってみせた。

 自分は父のように、神懸かり的に見た目に秀でているわけではない。母ですら、少しは似てもよかったのに、と哀れむように言っていたくらいだ。

「けど、何もそこまではっきり言わなくたっていいだろ。つか、どうせオレはガキですよ。それに夏芽さんのことだって、会ったこともないくせによく言うよなぁ」

「あんたの話を聴いてれば、だいたい判る。それにその人……」

「何だよ?」

「日本人じゃないかも」

「え……」

 予想外な育の言葉に、守の心を満たしていた『怒り』は、意外なほどすんなりと『驚き』にその場を明け渡した。

「そ、そりゃあ、珍しい名前だけどさ。何で、そう思うわけ?」

「勘」

「はぁあ?」

 これまでにない抗議の視線を送ると、育は「信じないんなら、いい」と顔を背けた。人のことをとやかく言うわりには、育の態度も相当子供じみている。

(妙に冷たいかと思えば、変に拗ねるし、何なんだよ、いったい)

 守はふと、最初に遇った時の育の姿を思い出した。

 子鹿に対する優しげな態度。

 同時に、育は絶対に守にそんな顔は向けたりはしない、とも思う。

 それを残念に感じている自分に気づき、小さく頭を振って振り払う。そして気持ちを切り替えるため、育の言っていたことを吟味してみる。


 確かに上海にいた時の夏芽は、自然と街に溶け込んでいた。飛行機の中や日本で会った時とは、明らかに顔つきが違っていた。多言語を話す人は、話す言語ごとに多少なりとも性格が変わると聞いたことがある。それに守は京都の家庭料理屋で、初めて女が音を立てて舌打ちするのを見た。それは夏芽の普段の言動から考えて、あまりにも思いがけない行為だった。

 やはり、育の勘はそれほど間違っていないということなのだろうか。

 守は唸って天を仰ぐ。

「解んなくもないんだけどさ。何でそんなこと気にすんだよ?」

「だって、言ってたじゃない。武志を連れていった人は日本人じゃないって……」

「え?」

 あまりにも斜め上な回答に、「何だ、そんなことか」と守が思わず笑うと、育は怒気を含んだ冷たい視線を返してくる。

「ない、ない。絶対だ。あのおばさん、けっこう歳いってたもんな。それに七年前だったら、どう多く見積もったって夏芽さんは二十歳にもなってないよ」

「でも……」

「またかよ」

 ため息雑じりに、「いい加減にしろよ」と守は強引にこの話を打ち切った。

 俯いた育の顔が髪に隠れ、寂しそうに肩が揺れる。

 守は、何故か弟の(すぐる)がぜんそくの発作を起こした時のことを思い出していた。

 何もできない自分は、苦しんでるのを見ているしかなかった。

 あの時感じた空しい想い。

 弟がいなくなってしまうのではないかという恐怖感。

 今にも泣きそうな母に、心配で顔を引きつらせる父。

 それらのすべてが、守の足を竦ませた。

 あれは、弟が最初の発作を起こした時。

 守が六つになった年のクリスマスのことだった。

 よくよく考えれば、育は幼い頃に両親と死に別れ、たった一人の弟はいまだ行方不明なのだ。あの時守が感じた気持ちを、育は今もまだ感じ続けているのかもしれない。

 そう思うと、少しだが育の辛さも理解できる。


 守は急に育が可哀想になって、ベッドから滑り降りた。

「なあ、だいじょぶだって。オレが絶対に見つけてやるからさ」

 声をかけながら横に並び、俯く育の顔を覗き込む。

 と、睫に溜まっていた雫が一筋、滴り落ちる。

「え?」

 桜の花片のような唇がうっすらと開いた。

(あ……)

 奥からは、湿った微かな息が漏れてくる。

 唾液に濡れた暗がりから、ふと、花の香りが漂ってきた。

 守は、凍りついたようにそこから目が離せなくなった。

 心臓が、締めつけられるように(きし)み始める。


(あの時と、同じだ……)


 守は、自分の胴体の最下層に点った朱い炎を意識した。

 そこから沸々(ふつふつ)と、抑えつけていた何かが沸き上がってくる。

 それに飲み込まれたら困ったことになるのは十分予測できるのだが――

 (たぎ)り始めたそれから逃げる術が見つからない。

 それは暗がりの奥に潜む七つの星の輝きで、再び燃え上がるのを待っている。

 体の中を勢いよく流れていた血液が一カ所に集中し始めた。


(ダメだ――)


 想いとは裏腹に、守は育に手を伸ばした。

 一瞬のうちに引き寄せ、(おとがい)を上げる。

 開いた二枚の花片から薄紅(うすくれない)の香気が立ち上がった。

 蜜のような甘い香りを放つ柔らかい唇に、守は自分のそれを押しつける。

 壁の向こうから、クリスマスの賑やかな音楽が、ひときわ高く鳴り始めた。


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