坎離交媾 小周天 8
またまた説明回です。
*似非科学要素あり。
*個人研究が多分に含まれていますので、通説とは違う場合があります。
どうぞ、ご注意ください。
「この、脇に散らばって描いてある絵が、五臓神」
気を取り直したのか、育はテーブルの上に広げたコピーの数箇所を白い人差し指で指し示した。
「青龍、朱雀、鳳凰、白虎、玄鹿、それに亀蛇か。やっぱり、ここに描かれているのは六匹なんだよな」
「うん。あたしにもよく解らないんだけど、この亀と蛇は『膽』。つまり膽神のことらしい」
「『たん』って、胆嚢だろ」
「ちょっと違う。同じ名称を使っていても、中国医学では実際の臓器だけでなく、その機能も表しているから。例えば中医でいう『脾』は、現代医学でいう脾臓に膵臓、十二指腸の機能も含まれてるといわれてる」
守は、育の説明に感心したように頷いてから「でもさ」と言った。
「中医でも胆は臓腑の腑のほうだろ。やっぱ変だぞ。これはあくまでも五臓神で、六腑神じゃないよな」
「確かに、そう。でも、胆だけは特別らしい」
「どう特別なんだよ」
「ちょっと待って」
育はカバンの中から一冊の本を取り出した。ベージュ色の紙のカバーがかかったその本の背表紙には、小さめな整った字で『陰陽五行説』と遠慮がちに書かれていた。育は頁を捲って目的の場所を見つけると、修真図のコピーの上に本を重ねて置いた。
「まず、ここには――」
育は本の内容を読み上げていく。終わった後で、「う~ん」と守は唸った。
「『臓』には中身があって、『腑』は中が空洞ということ以外、よく解んないなぁ」
「じゃあ、これは。『臓』は外界と通じてなくて、『腑』は外界と通じている」
「ああ、なるほど。『臓』が『内』で、『腑』が『外』か」
しきりに守は頷いた。
「つまり、今こうやってオレたちが口から入れた食物は、いろいろな『腑』を通って、何日か後には必ず外に出るってことだよな。まっ、形は違うけどさ」
差し障りがない程度に守が付け加えると、育は「そう」と頷いた。
「大切なのは、『運搬、伝導、排泄作用を行う』ってこと。そういえば、『腑』に何の臓器があるか知ってる?」
「そんなの知ってるさ」
守は、指を折って答え始めた。
「まず、さっきから出てる胆嚢だろ。それから胃、小腸、大腸。これで四つ。あ、それに膀胱か。でも、六腑っていうんだから六つあるんだよな?」
守は「最後は何だぁ?」と首を傾げた。
「最後の一つは三焦。でも、これは臓器としては存在しない」
「何だ、そりゃ?」
「五行の場合、五臓といったら五腑。十二経絡だったら、六臓六腑」
「ますます、解んねぇ」
守は、嫌そうに顔をしかめた。
「今言ってるのは五行のこと。だから、三焦のことは考えなくてもいい」
「いい加減だな、あんた」
「いい加減なのは、あたしじゃなくて――」
育は、ハッとすると声のトーンを少し落とした。
「とにかくこの本には、胆は他の腑と違って『臓が精を蔵するのに似ている』ってある。胆嚢は胆汁を貯めておく場所で、他の腑と違って直接飲食物は通らない」
「どれどれ」
守が本を覗き込むために近づくと、育は急いで身を引いた。
「『臓に似て臓でなく、腑に似て腑と異なる』か。なるほど、胆だけは『腑』なのに、特別な位置にあるんだ。だから、『臓』の方に混ぜてあるのか……」
納得はいかなかったが、もともとそうなっているのなら仕方がない。カメがヘビの雌の形だ、と言われた時のように、素直に受け入れるしかないのだろう。
「つまり肝神が青龍、心神が朱雀だろ。で、脾神が鳳凰、肺神が白虎、腎神が玄鹿。で、最後に、膽神が玄武か……」
「玄武じゃなくて、亀蛇。よく見て。玄武とは一言も書いてない」
育は本を閉じると、コピーの右下に描かれた、黒目がちの可愛らしい亀に、黒目がちの可愛らしい蛇が一重に絡まっている絵の横の、漢字の羅列を指差した。
「そりゃあそうだけど……でも、絵は一緒だろ」
「確かに形はカメとヘビの混合形。それに他の五臓神も似てるってあるだけで、四神だとは書いてない。そして――」
『膽者金之精水之氣其色青在肝短葉下……』
「ここにもあるように、『膽は金の精、水の気、その色青』。でも、玄武は玄」
「色が違うんだ。でもさ、何で玄じゃなくて青なんだよ」
「たぶん、肝と表裏をなしてるから。ここに『肝の短葉の下に在り』って書いてあるし」
「う~ん、確かに、肝は青なんだよな……つか、『表裏』って何?」
育は『修真図』を半分畳むと、何かを書いて守に見せた。五臓と五腑は相関関係にあり、それぞれに対応する五行が違うという。
肝と胆―――『木』
心と小腸――『火』
脾と胃―――『土』
肺と大腸――『金』
腎と膀胱――『水』
「じゃあ、何で『金の精、水の気』なんだよ。肝と表裏なら、『木』だよな」
「それは、あたしにも解らない」
育は、知らないことが恥ずかしいとでもいうように、守から視線を外した。
守はコピーを畳んで育に返すと、元の位置に戻った。
「まっ、いいけど。これ以上説明されても、オレ、もう頭パンクしてるし。けどさ、こんだけいろいろ話してても、まだ全然解んないんだよな」
「何が?」
「何で、オレたちがあそこへ行ったのか」
「ああ……」
育の返事には、力がなかった。
二人はそれぞれ何かを考えていて、しばらくの間何も話さなかった。守は『腑』の機能を確認するかのように、黙々と食べ物を口に運んだ。
「ねえ……」
「ん? あ、維名のことか?」
「あんた、何であの家のこと……」
「ああ。何で調べてたか、ってことだよな」
「うん」
「子供の頃の同級生に、維名ってヤツがいてさ」
守は、子供の頃のことと上海であったことを育に話した。同じ不思議な経験をした育になら、すべてを包み隠さずに話すことができた。
「それで黒い『靄』が消えたら、維名はまたいなくなっちまったんだ。オレはそれが何故なのか、知りたい」
もともとそこから始まったのだ。それがなければ育に会うことも、こうして話をすることもなかっただろう。
「それより、あんたこそ何であそこにいたんだよ」
「探して……る」
「『探してる』って、何を? つか、維名とどういう関係?」
そういえば、育はあの時『死んだのは二人』と言っていた。守はあの事件の後、残されたのは武志だとばかり思っていたのだが――
(まさか、一人残された女の子って――)
育の濡れた唇が開いた。
「武志は、弟だから……」
*
「あの日は十一月になったばかりで、季節外れの台風が近寄っていた」
薄い壁を挟んだ隣から、賑やかなクリスマス・ソングと楽しそうな笑い声が聞こえてくる。間に合わせに用意した晩餐はほとんど守が食べ尽くし、後は売れ残っていた、イチゴのショートケーキが二つ、ロウソクもなくテーブルの上に乗っているだけだった。
守の人生において家族以外と過ごす、記念すべき最初のクリスマス・パーティーが終わろうとしていた。
守は子供の頃から、クリスマスを特別なものと位置づけていた。それはキリスト教徒が聖地エルサレムへ思いを寄せるほどの憧憬だったかもしれない。
何しろ父は忙しく、クリスマスに家にいたのは、十九年の守の人生でほんの二回切りだった。プレゼントももらいケーキも食べたが、一人でも家族が欠けたクリスマスは、やはりどこかしら寂しかった。それに大きくなるにつれ、守の体調もいまいちで、五つ下の弟には本当に可哀想なことをしたと思う。
だから――
守は十二月に入ると、毎年『今年こそは』と祈りながら、想像を巡らした。友達の話やテレビや映画で観たものを思い起こしては、頭の中で再構築するのだ。
それは歳を重ねるごとに、家族の皆で過ごすものから、友達と行うクリスマス会、さらに大勢の仲間が参加する賑やかなもの、そして、彼女と二人きりの優しく密接な時間へと変わっていった。
だのに――
突如決まったこのパーティーは、今まで想像していたものとは、大きくかけ離れたものだった。育は守の彼女でもなければ、親しい友人でもない。
今日、育に遇わなければ守は実家へ帰ることもできただろう。弟に母、もしかしたら父もいる可能性があった。守が熱を出すようになってから、父は年末に出張に行かなくなっていた。忙しいのは相変わらずで帰宅こそ深夜だったが、翌朝には必ず家にいた。ならばしばらくぶりの母の手料理に、家族で食卓を囲むクリスマスも、あったかもしれない。
ところが――
街中が浮かれているのに、この部屋だけは別世界のような悲しみに満ちていた。
「給食の時間に何だか胸騒ぎがして、いても立ってもいられなくなって、あたしは学校を早退した」
表面が乾いた赤いイチゴがポツリと乗ったケーキを前に、育は、両親と弟と別れなければならなくなったその日の話をし始めた。
「急いで帰ると、あたしの家だけが泥に埋もれてなくなっていたの。近所の人たちが、亀石が少しの間西を向いた、って噂し合ってた」
母の遺体は見つかったが、父と弟の亡骸は見つけることはできなかった。
ならば何処かで助かって――
微かな希望は残ったが、それも日が経つにつれ小さくなった。独り母方の祖母に引き取られていた育は、次第にもう無理かも、と諦めていったという。
その後、何年も経ってから育は大人たちの会話を聞いた。
武志がいなくなったという話だった。
弟は生きていて、違う場所で養育されていた。
育が十六の時だった。
「それから、五年間、ずっと探してたのか?」
「うん……」
そう答えたきり、育は独り黙り込んだ。
これはあくまでも創作です。実在の場所、同名の物が出てきますが、現象はすべて作者の妄想です。




