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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第六章 坎離交媾―小周天―(水と火が交じり合う)
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坎離交媾 小周天 6

 クリスマス・イブの朝、(まもる)は大学近くの図書館で調べものをしていた。

 武志(たけし)のことに関してはあまり収穫がなかったとはいえ、奈良への旅はそれなりに、守に満足感をもたらした。



「またね」

 片目を瞑って去って行く夏芽(なつめ)を見送ってから、守は真っ直ぐ東京へ戻った。別れ際に出された宿題の答えを探すため、駅近くの大きな本屋に飛び込む。哲学や思想の本が並ぶコーナーへ行き、中国関係の書物を取り出して、手当たり次第に目次を見た。だが『老子(ろうし)』や『荘子(そうし)』、『論語(ろんご)』といった書物には、それらしき記述は見当たらない。

 閉店も間近に迫り、守は一連の話の中に出てきた『陰陽五行(いんようごぎょう)』や『風水(ふうすい)』などのタイトルの本を数冊手に取って、慌ててレジへ向かう。専門書はそれなりに値が張り痛かったが、母の援助と二十五日にはバイト代が入ることを考えれば、あまり迷うことはなかった。

 家に戻って着替えもそこそこに本を開く。そこには、夏芽の話を補足するような記述が数多く記されていた。非常に興味深くためになったが、守が探しているものを見出だすことはできなかった。



 そして今日は朝から図書館に来て、中国独自の宗教である、道教に関する書籍を中心に見ていった。道教関連の本の中には『煉丹(れんたん)』の記述があり、根拠はないが何となくだが、近くを掠っているような手応えを感じた。

 三時に一度調べものを中断し休憩に出る。さすがに昼食を取りに外に出た以外、朝からずっと机に向かっていたので頭の芯がボーッとしていた。玄関ホールの自動販売機で缶コーヒーを買い、ベンチに座りプルトップを引く。チュリチュリと音を立てて、黒い不定形の穴が大きくなる。苦みのある甘い液体を一口飲み、守は外に目を向けた。

 入り口のよく磨き込まれたガラス戸の向こうには、冬枯れた芝生の広場が広がっている。葉を落とした広葉樹の枝が、北風に身を震わせるように揺れていた。

 何気なく冬の景色を眺めていると、使いすぎた脳が少しずつクールダウンしていくのが判った。試験の時だってこんなに勉強したことはない。守は自分を突き動かしているモノの正体が、調べることによって明らかになるだろうと考えていた。

 そして冷静になりつつある頭で、今一度あの時の状況を思い返す。

 石窟で起こった不思議な情景――

(ホントに、あれは何だったんだ)


 あの時、育の唇が触れた途端、周りが完全に見えなくなった。

 どんなに興奮状態にあったとしても、普段なら何処かしらに理性の部分が残っていて、手順とか、相手の反応とかを考えたり、観察したりしているはずなのだ。

 だのにあの時見えたのは、朱く濁った闇の中を接近してくる、桜の花片のようにうっすら色づく育の唇だけだった。それ以外は、抽象的な観念の世界にどっぷりと浸かっていて、耳朶(みみたぶ)や鎖骨の窪み、胸の頂など、具体的なものは何一つ憶えていない。

 それに――

(男なのに、()さずにイクって、どういうことだよ)

 一気にコーヒーを流し込み、守は立ち上がった。缶を捨て、何を調べれば判るのだろうか、と思い巡らせる。

「やっぱ、家庭向けの医学書じゃあ、無理だよな」

 守は大きく伸びをすると、作業を再開するため自分の席へと歩き出した。


 この図書館の規模と蔵書量は全国でも有数のものだった。CDやDVD、ビデオなど本以外のサービスも充実しており、特に専門書は、多くの人に読まれるものとは別のフロアーになっている。一番奥まった場所にあるそこは、中学生以下の子供は入れないようになっていて、調べものをするには最適な場所だった。

 守の大学の学生もけっこう利用していたが、クリスマス・イブの今日は他にすることがあるのだろう、それらしき姿はほとんど見当たらない。

 遊園地などによくある、利用者をカウントするためのバーを押し中に入る。入ってすぐの所は、三階までの吹き抜けのホールで、ホールの右手には、そのフロアー専用の貸し出しカウンターと、検索用のパソコンが並んでいる。左手に書庫、突き当たりには階段と車椅子専用のエレベーターがあった。

 守は、階段を上がり三階へ向かう。

 各階にはジャンル別に規則正しく並ぶ天井までの書架(しょか)があり、難しそうなタイトルの背表紙がずらりと並んでいる。その奥の窓際に、社会人向けの席があった。

 窓に向かって等間隔に並ぶ机とイス。普段は社会人でいっぱいのこの席も、今日はほとんどが空席だった。社会人席の多くに空きがある時には、学生にも貸してくれることになっていて、守は朝から三階のその一角を占領していた。


 規則正しく立ち並ぶ書架の林を抜けると、視界が開けた。ところが、さっきまで空いていたはずの、守の席から一つ置いて右隣に人が座っていた。

 イスの背が高いのではっきりとは判らない。だが、仄かに甘やかな香りが漂ってくることから、女性らしいことは察せられた。

「!」

 イスの背にかけられた白と見紛う薄紅(うすくれない)のショートコート。

 逃げられないよう気配を消し、守は真後ろから近づいて行く。

 やはりそれは――

 守はいきなり方向を変え、左の席のイスを引き、腰を下ろす。

「よぉ」

 開いた足の上に肘を乗せると、前にのめった。

「この間は、どうも」

 だが、育は冷ややかな一瞥をくれただけで、何もなかったようにノートパソコンの液晶画面に視線を戻した。タッチパッドの上を右手の中指が小刻みに動き、画面いっぱいに書き込まれた文字が高速で移動する。

「二日振りだよな。あんたもこの辺に住んでるのか?」

「………」

「なあ、オレのこと、憶えてんだろう?」

「………」

「おい!」

 さらに無視しようとする育の左肘に、守が軽く触れる。

 育がとっさに体ごと腕を引いた。

 それに合わせ、守は逆方向に手を(ねじ)りながら滑らせる。

 と、細い手首の所で引っかかった。

 だが育は手首を上手く使って、すぐに守の手から抜けだした。

 吹きつける北風のような冷たい視線が、遠慮なく守に突き刺さる。

「静かにして。みんなに迷惑」

 官能的な唇からは、氷柱(つらら)のように鋭い言葉が吐き出された。

「何言ってんだ。クリスマスのこんな時期に、閉館間際の図書館にいるのなんか、オレとあんたぐらいだぜ」

 育は周りを見回した。

「なあ、何で急にいなくなったんだよ。つか、マジで聞きたいことあんだけど」

「何?」

「ここじゃマズイから場所を変えよう。メシぐらいなら奢るよ」

「けっこうです」

「何だよ。別に一緒に過ごす相手がいないからって、ナンパしてるわけじゃないからな。この前だってホントはナンパじゃない。オレはただ――『玄鹿(げんろく)』が何かを知りたいだけだ」

 最後の言葉に驚いたのか、睨みつけていた育の視線が明らかに緩んだ。守は育の反応に満足して、片方の口の端を吊り上げる。

「まあ、オレなりにいろいろ調べてはみたんだ。けど、双頭のシカってことぐらいしか判らなかった。だから教えてほしい。『玄鹿』って、何だよ?」

「あ……」

 見開いた目でしばらく守を見ていた育が、唐突に「似てる」と呟いた。

「ん? 『玄鹿』は、何に似てるって?」

「何でもない。こっちのこと」

「あ?」

 苛立った守は、「おい」と育に声をかけた。人に物を訊く態度でないことは判っていても、やはりどうしても止めることができなかった。

「『玄鹿』は、五臓神(ごぞうしん)の一つで腎臓に宿る神様。神名は『玄冥(げんめい)』、(あざな)は『育嬰(いくえい)』。『(かん)の気、水の精』で、その色は(くろ)、あるいは白という両方の説がある。これでいい? 後は――お父さんにでも聞けば」

「はぁ? 親父?」

 辛抱が足らない態度から、子供(ガキ)認定されたということか。育はノートパソコンの電源を手早く切り、細々としたものと一緒にトートバッグに詰め込んだ。

「待てよ」

 さっきから無性に腹が立っていた守は、立ち上がった育の手首を再び掴んだ。

「痛い。放して」

 視界の端に、図書館の職員が遠巻きにこちらを窺っている姿が映り込む。誤解されては面倒と、守は「ごめん」と育の手を放した。育がそれ以上文句を言わないのを確認し、職員は返却された本を棚に戻す作業を再開する。

 どうやら、季節柄よく見られる、カップルの痴話ゲンカだと思われたらしい。

「じゃあ、悪いけど」

「ま、待てよ」

 立ち去ろうとする育を止めようと、今度も反射的に手が出そうになる。

 だが、守は下丹田(かたんでん)に力を入れて、それをグッと(こら)えた。

「オレは……」

 育は立ち止まらずに、守の前を通り過ぎた。

「オレは、あいつが何処にいるのか知りたいんだ」

 それでも育は守を無視して行こうとした。

維名武志(いなたけし)だ。知ってんだろ。あの家に住んでいた」

 武志の名前を聞いた途端、育はピタリと立ち止まった。

 守はここぞとばかりに話し続ける。

「夏に上海で急にいなくなったんだ。五年前にも突然消えた――」

振り返った育の目は、これ以上ないくらいに見開かれていた。

「なあ、あいつは今、何処にいるんだよ? 無事なのか? 教えてくれ」

「……上海に、いた…の?」

「え?」

「教えて! 武志は上海にいたの?」

 戻ってきた育は守の腕を掴んで顔を上げた。

 その瞳には、強い光が宿っている。

「あ……ああ」

「会ったの?」

「ああ」

「元気だった?」

「ま、まあ、な」

「そう……そうだったんだ……」

 俯いて胸の前で両手を握りしめている様子からすると、育も、武志が今どこにいるのかは知らなさそうだった。

 育が再び顔を上げた。

「お願い、その話、詳しく聞かせて」


 空に浮かぶいくつもの雲がサーモンピンクに(ふち)を染め、日没が近いことを告げていた。冬至(とうじ)を過ぎたとはいえほんの数日では、()がどれほど伸びているのかは、はっきりとは判らない。移動している間も空の色は刻々と変化し、茜色に染まった空にひときわ明るく、宵の明星が瞬き始めていた。

 守と育は明かりのほとんど消えた図書館を後にした。

 図書館のある住宅街から道を越え商店街に入った二人は、チカチカと点滅する、派手な装飾の間を歩いて行く。話すための店を探すが、さすがにクリスマス。イブの夜のレストランはどこもかしこも満杯で行列ができており、宵闇が迫った近くの公園も、すでに怪しげな雰囲気に包まれ、話などできそうもない。

 結局しばらく歩き回ったが適当な所が見つからず、守は黙って着いて来る育に、恐る恐る「あのさ」と声をかけた。

「オレんち、この近くなんだけど……そこでいいか?」

 込み入った話をするのなら、やはり落ち着いた場所がいいだろう。いちおう旅行前に大掃除は終わらせていたから、それほど見苦しくはないはずだ。

 躊躇いがちに自分のアパートに誘う守に、育はコクリと頷いた。拒否されるかもと危惧していた守は、ホッと胸を撫でおろす。

(そうと決まれば――)

 守は途中にある近所の肉屋で、割引シールの貼ってある、ローストチキンの最後のパックを手に入れた。隣のコンビニが少し大きくなったようなスーパーでは、簡単なクリスマス用のオードブルとサラダ、ちらし寿司と数個のおにぎり、スナック菓子にチョコレート、2ピース入りのケーキにソフトドリンクのペットボトルを数本買い物カゴに放り込んだ。

 さすがにアルコール類は、自分が未成年ということで求めず、おにぎりとちらし寿司は、クリスマスっぽくない気もするが、賑やかしにはなるだろう。

(腹が減っては戦はできぬ、っていうもんな)

 そう思いながら、自分の中に少しでも育と戦おうという気持ちがあったことに、守は驚いた。

(マジかよ……)

 隣にいる育の身長は、女性の平均よりもほんの少し高いくらい。体つきは華奢でも柔らかく、痩せぎすという感じはしなかった。手首は細い方だが、掴んだ感じの骨密度は高そうで、そう簡単には折れることはないだろう。かといって、男の自分が力負けすることは絶対にない。

 だのに、自分は育のことを警戒している。

 いったい育のどこに、そんなに用心しなければならない要素があるのだろうか。確かに『靄』を退治した例のモノは、警戒に値するだけのことはあるのだが。

(アレって、生身の人間には効かなさそうだしな。でも――)

 気になるのは、育が守の手を二回も振り解いていることだろう。最初は偶然かと思ったが、ついさっき偶然じゃないことがはっきりと判った。

 どんなに力の強い男でも、物を掴む時の小指は、ほとんど添えているに等しい。だから手首を掴まれた時は、手を引かずに指を伸ばし、少し押し込むようにして、手首を起点に力を加えれば、テコの原理で小指から切ることができるのだ。

 その技術や理屈は、武術か護身術を習ってないと解らない。

 つまり、育には心得があるということなのだろう。

 けれど――

 たとえそうだったとしても、本気を出せば守が育に負けるわけがない。

(じゃあ、何が――)

 守は首を傾げたが、結局答えは出なかった。


 レジで支払いを済ませた守は、先に外に出て待っていた育と合流した。育は財布を片手にいくらだったか聞いてきたが、一度奢ると言った手前、それは丁重に断った。家に着くと早速座卓を出して、ケーキを冷蔵庫にしまい、コップと数枚の皿を持って守は戻ってきた。育は窓際のベッドの前に腰を下ろし、半透明のレジ袋からさきほど手に入れた戦利品を取り出して、テーブルに並べている。

「皿、いるか?」

「いい。取り皿だけで」

「だな」

 本当なら、皿に盛りつけ直した方がクリスマスの雰囲気は出るのだろう。だからと言って、育が上品で知的な見かけとかけ離れた、ずぼらな性格というわけでもなさそうだ。守と育の間では、そんなロマンティックなシチュエーションなど――

(かえって邪魔、ってことだよな)

 守は育の正面から外れるように席に着く。「何、飲む?」と育が聞いてきた。

「ウーロンで。オレさ、メシ食いながら甘い飲み物って、ダメなんだよ」

 育は何か言いたげに顔を上げたが、「そう」と一言言って押し黙った。

 育の返事は簡潔すぎて、全然会話が続かない。別に甘い言葉を囁き合いたいわけではないが、ここまで素っ気ないのも腹が立った。

 中一以来のクリスマス。それも家族以外とは初めてのパーティーが、こんなに盛り上がらないのは、いったい何の罰ゲームなのだろう。

(ホント、こいつ、何なんだよ。見かけだけなら、相当イケてるのに)

 守はそこまで考えて、はたと気がついた。

 これではまるで――

(二人で楽しいクリスマスを、送りたいみたいじゃないか……)

 思った途端、一気に冬至(とうじ)の夜の出来事が雪崩れ込んで来た。あの狂おしいまでのエクスタシーは、今までに一度も感じたことがない(たぐい)のものだった。

「あ、あのさ」

 守は躊躇いながらも、育に声をかけた。

「何もしなかったから、安心して」

「え?」

「石窟の時のこと」

 何かの景品でもらったペンギン柄のコップに、ペットボトルのウーロン茶を注ぎながら育が言った。その投げやりな答えでは、守が何もしなかったのか、育が何もしなかったのかが判然としない。

 だが、何かあったことだけは確かなのだ。そうでなければこの時期に、ここまで守が平常の状態を保っていられるはずがない。

「じゃあ、あれは何だったんだよ?」

 詰問するよな守の問いに、育は素っ気なく「幻覚」と答えた。

「は? 幻覚?」

 本当に育との会話は掴みどころがない。夏芽は『相剋(そうこく)の関係』と言っていたが、まったくその通りだと守も思う。

「そんなことより、さっきのこと――」

 ローストチキンとグリーンサラダのパックの蓋を回収しながら、育が言った。

「そうだよな。でも、先に『玄鹿』のことを聞いてからだ」

 守はポテトチップスの袋の(シール)を引っ張った。

 さっさと用件を済ませろ、と言わんばかりの育の態度が守の神経を逆撫でする。もの凄く癇に障ったが、守はそれをグッと堪えて話し始めた。


「あそこが何だったのか、オレはいまだに判らない。ただ、あの北の壁に本来あるべきものは、『玄武(げんぶ)』じゃなくて『玄鹿』だったんだとオレは思ってる」


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