坎離交媾 小周天 5
坎離交媾2~5まで説明回です。
*似非科学要素あり。
*個人研究が多分に含まれていますので、通説とは違う場合があります。
どうぞ、ご注意ください。
「『頓悟成仏』するには主に精神面を鍛えればいいのだけど、『得道成仙』するには性と命の双方を修める『性命双修』を行わなければならないの。そしてその方法の一つが『煉丹』なのよ」
いきなり本題に突入した夏芽は、まず一気にそれだけを言った。
「って、『煉丹』は、仙人になる方法ってことですか?」
守は思わず聞き返した。
あと一年と少しで二十一世紀はやって来る。まさか今のこの時代に、本当に仙人になろうという者などいるのだろうか。
「さすがに今目指しているのは、不老不死ではなく不老長生じゃないかしら。どんなに長生きできたとしても、健康でなければ意味がないもの。体だけでなく、もちろん脳の健康もよ」
坐禅を含む静功は、脳の血流量が上がることで、認知症の予防になるという。
「とにかく、『煉丹』を簡単に言うと、蓄えたものをギュッと固める作業なわけ。蓄えては固め、蓄えては固め、そうして豆粒ほどの『丹』を作るの」
「何を蓄えて、何を固めるんですか?」
「「気」よ。広義のね。その中には『精』『気』『神』という三つの気が含まれているんだけど――」
「あの、解りやすく、お願いします」
「そうねぇ……」
夏芽は小首をかしげてしばらく考えている。
気の概念については父から聞いて知っていたが、今の夏芽の言葉から察するに、いろいろ種類があるらしい。
「気にはいろいろな分類法があるの。まず、陰陽に分ける方法ね。陰の気の代表は『地の気』で、陽の気の代表は『天の気』よ。それから五行にも分けられるわ」
「『木気』『火気』『土気』『金気』『水気』ですね」
「そうよ。それから、『先天の気』と『後天の気』もあるわね」
「それは、どういうものですか?」
「『先天の気』っていうのは、もともと『生まれた時から持っている気』のことよ。これは両親双方から受け継いだもので『元気』というわ。中国語の『元気』はこの意味だけで、日本で使われているような『健康で溌剌としている』という意味合いはないのよ」
「へえー」
関心したような言葉を漏らす守に、「同じ言葉なのに不思議でしょう」と夏芽は言って、『元気』のことを『先天の真気』ともいう、と補足した。
「『生きる』ということは、気を使うこと。だから『元気』はどんどん目減りしていくの。気が少なくなれば、元気がなくなるし、病気にもなる。そして完全になくなってしまえば、人は死んでしまう。だから食べ物や呼吸、その他いろんな方法で後から補わなければならないの。この補ったものを『後天の気』っていうのね」
夏芽は、『後天の気』の代表として、肺から取り入れる『宗気』、脾や胃から取り入れる『営気』、腸から吸収される『衛気』がある、と説明した。
「『寿命が尽きる』というのは、結局補いきれなくて『元気』がなくなっちゃうことをいうのよ。だから昔の中国の人たちは、気が簡単に散じてなくならないように、ギュッと固めてしまうことを考えたってわけ」
そして他には、『精』『気』『神』の三つに分類する方法があるという。
「それぞれに特別な役割があって、『煉丹』に直接関係しているんだけど、説明が凄く複雑なの。だから、難しくなっちゃうから――」
「解りました。ここはまとめて、気でいいです」
これ以上複雑になっても対応しきれないのは事実なので、守は簡単に了承した。
「とりあえず、ここでは気が人が生きていくために必要不可欠なもの、ってことを憶えておけばいいわ。そしてそれは目減りしていく」
「それを完全になくさないために、気を蓄えて固める『煉丹』が行われた、ってことですね」
確認するように訊く守に、夏芽は満足そうに頷いた。チラリと時計に目をやり、次の話のために口を開く。
「さっき、いろんなものを木火土金水に当て嵌めることができる、って言ったでしょ。実際に例を挙げてみるわね」
方位は、東が『木』、南が『火』、中央が『土』、西が『金』、北が『水』。
色では、青が『木』、赤が『火』、黄色が『土』、白が『金』、黒が『水』。
「これを四神に当て嵌めると――」
「えっ、四神もですか? 四つしかないですよね」
夏芽は「もちろんよ」と細い指を折り始めた。
「青龍が『木』、朱雀が『火』、白虎が『金』、玄武が『水』。四神だから『土』は欠けているけど、これにはいろいろな説があって、人とか黄龍、麒麟を当て嵌めているものもあるわ」
「つまり、青龍は東の神だから青い」
「そうよ、さすがね」
慣れたのか、明らかなおだてと判っていても、今度は少し気分がよかった。
「朱雀は南の神だから赤い。白虎は西の神だから白い。じゃあ、玄武の『玄』は黒ですか?」
「厳密にはちょっと赤みが残る黒よ。黒に染め上がる一工程前の色なのね」
白絹を黒く染めるには、先に赤い染料で染め、次に黒い染料で染めるという。
「最初から黒だけで染めると、何回染めてもボケボケとした感じで、綺麗な黒にはならないんですって」
「で、先に赤く染めるんですか」
「そう。けど周の時代には、玄と黒はほぼ同じ色として扱われていたらしいから、黒でいいわ。だから玄武は北方神よ」
「なるほど……」
「で、季節だと――」
春が『木』、夏が『火』、秋が『金』、冬が『水』。
「『土』は、各季節の間に『土用』っていうのがあるの」
「ああ、あの、うなぎを食べる」
夏芽がおかしそうに笑って、顔の前で右手を振った。
「それは、夏の土用よ。春、秋、冬、土用は他に三つあって、各季節の間の十八日間が土用になるの」
「全然、知らなかったです」
「そして、春は種を蒔く季節でしょ。蒔いた種は夏に成長し、秋に収穫する。冬は『蔵』、蓄える季節ね。だから煉丹は冬に行うの。で、玄武は北を護る神様だから、五行でいう『水』に属してるわ。これは冬と一緒よ。だから、玄武も蓄える。つまり、煉丹に関係してくるってわけ」
「はあ……」
守は気の抜けた声を出した。夏芽が端折りすぎなのか、自分の理解力が足りないのかは判らない。だが、確実に意味が掴めなくなっているのは確かだった。
「じゃあ、今度は五臓を五行に当て嵌めてみるわね」
守の気持ちを知ってか知らずか、夏芽はどんどん先に進める。
「いろいろ説はあるんだけど、五行の色体表ではね……」
ここで、夏芽は五行の色体表とは、いろいろな文献を基に様々な事物を五つに分類し、五行に当て嵌めたもののことだと説明した。
「それによると、肝が『木』、心が『火』、脾が『土』、肺が『金』、腎が『水』ってことになっているわ。そのうち最初に煉丹に関係してくるのは、心と腎。つまり『火』と『水』ね。まあ! 守くんと育ちゃんと同じだわ」
夏芽が嬉しそうに声を上げたが、何故そうなるのか、守はさっぱり判らない。
「何で、『火』と『水』なんですか?」
「『火』は、陰陽だとどっちになるかしら?」
父ほどではないが、守も質問を質問で返されるのは好きではなかった。理解できない苛立ちも相まって軽い怒りを覚えながら、守は「『陽』です」と答えた。
「じゃあ『水』は?」
「『陰』ですよね。そのぐらい、今までの話を聞いてれば判ります」
「そうよね。けど、八卦では何故か反対なの」
「え?」
「八卦では、『火』が『陰』で『水』が『陽』なのよ。でも今は五行だから――」
ここでは、とりあえず心と腎が煉丹に関係していて、それが『火』と『水』を表しているということだけ解ればいい、と夏芽は言った。
「それから、産まれて間もない赤ちゃんを嬰児って言うでしょ。守くんは『嬰』が女の子のことで、『児』が男の子の意味なの、知ってた?」
「いえ」
守はそう答えたが、以前母が、中国では鴛鴦、麒麟、鳳凰、翡翠と雌雄一対の名で一つの生物の名称になっているものがいろいろある、と言っていたのを思い出した。ならば雌雄というよりも、陰陽一対の組み合わせで、一つの『もの』を表している言葉が、数多くあるということだろう。
「煉丹では、男の子を『火』、女の子を『水』で表現するの。それから、男の子の母親が『金』で、女の子の父親が『木』になるの」
「すみません、何が何だか、さっぱり解んないっス」
守はついに音を上げた。あまりにも言葉に馴染みがなさすぎる。
「そうね、まあ実際には名称も違うし、もっとずっと繁雑だし……」
「え? これでも簡単なんですか?」
「そうよ。これでもよ。五行が顛倒して坎離が龍虎になったり、黄婆まで出てきたら、初心者にはもっと解んなくなるの。時間もないし、とりあえず――」
「解りました。今は『児』が『火』、『嬰』が『水』でいいです」
「物分かりがよくて助かるわ」
時間を気にするのは、店の女将のことを気にかけているからだろう。夏芽は先を急くように少し早口で話し始めた。
「『嬰』である女の子と『児』である男の子が、大人なって結婚すると、『嬰児』、つまり子供ができるわけね。同じように、心の『火の気』と腎の『水の気』が交媾すると『丹』の元ができるの。『丹』の元を特別に『黄芽』ということもあるのよ。その『黄芽』をたくさん集め、さらに煉り固めて『丹』にするのが『煉丹』なの。じゃあ玄武の話に戻るけど、四神でも何で玄武だけがカメとヘビ、二種類の生き物の組み合わせなのか、って言うとね――」
「ああ、それは」
守が話の途中で口を挟んだ。
「昔の中国では、カメがヘビのメスの形だと考えられていたからです」
あの時、守は育の言葉を素直に聞き入れることができなかった。だがこう何度も出てきては、受け入れないわけにはいかないだろう。
「つまり、玄武のカメとヘビは二種類の生物って意味じゃなくて、メスが『亀』、オスが『蛇』と呼ばれていた、『亀蛇』という名の一種類の生物だった、ってことですよね」
夏芽は大きく目を見開いた。
「あ……わたし、名前のことまで考えたことなかったわ。だけどそうね。その仮説は面白いかも」
後でよく検討してみる、と嬉しそうに言ってから、夏芽はシュークリームの最後の一塊を頬ばった。唇についたカスタードクリームを濃い桃色の舌で軽く拭う。
「とにかく、カメとヘビは同じ種類の生物だと思われていた。ここまではいいわよね。そして北方神、煉丹の象徴である玄武は、雌雄が交媾している形になるの」
「すみません。その、さっきから出ている『こうこう』ってのは何ですか?」
コーヒーカップを手に守が訊いた。
答えを待つ間に、カップに口をつける。
「そうね、媾合っていったほうが解りやすいかしら。『媾』は媾和条約の『媾』で、仲良くするって意味よ。それに合わさる。仲良く合わさるだから、つまり――交尾のことね」
グフッとかゲフッとか変な音を立て、守がコーヒーを吹き出すと、夏芽は「シンボルよ、シンボル」とおかしそうに笑いながら、スッとおしぼりを差し出した。
守は辺りを拭きながら、動悸を押さえるように、静かにゆっくり息を吐く。
「たぶん、カメがヘビを襲って食べようとしていたんじゃないかしら。苦し紛れにカメに絡まっているヘビを見て、昔の中国の人は交尾してると勘違いしたのよ」
守は武志のペットのちびマルのことを思い出した。武志は確か、セマルハコガメのことを、現地では『剋蛇』と呼んでいると言っていた。
茶色く斑な染みになったおしぼりを簡単に畳んでテーブルの隅に置くと、守は姿勢を正し、改まった口調で話し始めた。
「玄武が何で雌雄混合体かってことは、よぉっく解りました。で、それがあそこの北の壁にあったんですね」
「そうね。でも、そうとも限らないんじゃない」
意味深長な口ぶりの夏芽に、「どういうことですか?」と守は聞き返した。
「北壁には玄武がいる。それは高松塚でも、キトラでも同じよ。でも、あなたたちがいた石窟は、本当に古墳だったのかしら。ねえ守くん、そこの天井には何がいたって、言ったっけ?」
「鳥です」
「そう。石窟の天井の中央には、黄色い鳳凰がいたのよね。もしそこが本当に古墳で四神を表しているのなら――」
「中央は人か、黄龍か、麒麟――」
「違うわ。天井には、星宿があるのよ」
「『せいしゅく』?」
星宿は二十八宿ともいって、星座のことだった。
「つまり、天体図ね。高松塚やキトラ古墳の天井には、天体図が描かれているの。そこには死を司る北斗七星があるのよ」
「それは、ありました」
「でも、天井にあったわけじゃないんでしょ」
「あ、はい」
「十二支は、どうだったの?」
「十二支? 干支のですか? 何でです? オレにはさっぱり……」
新しい言葉の連打に守の頭は混乱状態だった。そんな守をよそに、夏芽は、周りの壁に獣頭人身の十二支像がなかったか、と重ねて訊いた。
「そんなものは、なかったです」
「やっぱりね」
やっぱり、とはどういうことなのだろう。急いでいるのは解らないでもないが、守としてはもう少し丁寧に説明してほしい。
「じゃあ、四神じゃなかったら、あれは何なんですか?」
「そうね……」
夏芽は黙り込んで何かをしきりに考えていた。まるで、守などいないかのような集中振りだった。しばらくして、夏芽の瞳が獲物を見つけた猛禽類のように、一瞬黄色く輝く。「あ」と夏芽が顔を上げる。
「ねえ、育ちゃんは、床を見た時、様子がおかしかったのよね」
「はい。床の中央がちょっと青く光ってました」
「なら、北の壁にあるべきものは――」
「あるものは?」
「『玄鹿』」
「『げんろく』? な、何ですか、それ?」
守が言ったのと同時に、テーブルの上に置かれていた夏芽の携帯が震えだした。
「チッ」
サブディスプレイを見た夏芽は、聞こえるほど音を立てて舌打ちした。漏れ聞こえる話の様子では、どうやら緊急の要件らしい。
夏芽は電話を切ると、すぐに帰り支度を始めた。
「宿題にするから調べておいて」
「えっ、教えてくれないんですか?」
「ごめんなさい。これから神戸に戻らなくちゃならないの。だから宿題ね。まったくこれだから、困るのよねぇ」
寄るところがあるから、と夏芽は挨拶もそこそこに立ち上がった。女将に守のためのタクシーを呼ぶよう頼んでおくという。
急な展開に唖然とする守に、襖の前で「そうだ」と夏芽が振り返った。
「ヒントをあげるわ」
「ヒント?」
「ヒントはね、『五臓神』よ」
やっと『五臓神』という言葉が出せてほっとしました。
気についてはこんな感じに書き分けてあります。
気 :一般的な気。様々な気の総称。
「気」:『精』『気』『神』、三つの気の総称。広義の気。
『気』:『精』『気』『神』の『気』のみ。狭義の気。




