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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第五章 一陽初生(最初に『陽』が生まれる)
22/99

一陽初生

これ以降、ごくたまにヒロイン視点が混じります。


 不意に下丹田(かたんでん)が振動し、(まもる)は全身の血液が逆流し始めるのを感じた。

 デジタルの腕時計の数字は、すでに二十三時を過ぎている。

 昔でいう()(こく)だ。

(始まった)

 そして――

(まずい、な)

 と思う。


 十二月が近づくにつれ、(まもる)はいつも憂鬱になった。子供にとって楽しいはずのクリスマス。だが守には、クリスマスの楽しい想い出がほとんどない。

 父が仕事で忙しく、家にいなかったというだけではなかった。何故か一年に一度この時期に、守は体調を崩したからだ。

 それでも子供の頃は微熱と多少のだるさがあるだけだった。外出禁止になってはいたが比較的普通に過ごせていたのだ。

 ところが、中二の(とう)()の夜に突然四十度近くまで熱が上がった。夜半過ぎには下がったが、朝起きた時、出張に出ていた父が隣で寝ていたのには驚いた。知らせを聞いて急遽戻って来たらしい。

 それから守は冬至になると、必ず熱を出して寝込むようになった。それは決まって夜の十一時。風邪やインフルエンザなどではなく、熱だけが数日続く原因不明のものだった。薬を飲んでも飲まなくても、何日かすると熱は下がる。また熱に伴う節々の痛みはなく、(もう)(ろう)とするが吐き気もない。

 しかし体の成長に伴って、それ以外の困った症状が現れるようになった。

 症状というのは語弊があるかもしれない。それはただ衝動的になるということ。自分の行動が自分の意思で十分に押さえられなくなるということだ。

 武志が絡んでいなければ、守は『我慢』とか『根性』とか、精神力を伴うものにある程度の自信を持っていた。だがこの時期だけは、それを存分に発揮することができない。熱のために心と体のバランスが取れず、コントロールが利かなくなる。何回か経験して編み出した対策は、大量の水を買い込んで自分の部屋に籠城(ろうじょう)することだった。為す術もなく時が過ぎゆくのをじっと待つ。ただそれだけ。

 一人暮らしになって初めての今年も、この旅行から帰ったらすぐにそうするつもりでいた。すでにアパートには準備万端、整えてあった。


 熱のために頭がボーッとし、焼けつくように喉が痛んだ。普段ない痛みを覚え、守は大いに困惑する。これまでは渇きはするが痛みはなく、こんなに苦しく感じることもなかった。

 十五から十八までの四回は、熱と共に喉だけでなく肉体の渇きが増していった。

 焼け石に水をかけるように、守の残った理性だけでは、胴体の最下部。睾丸と肛門の間にある、会陰(えいん)に点った『火』が燃え立つのを、抑えることができなかった。

 それが五回目の今回、肉体の渇きよりも痛みと苦しさのほうが上回った。

 何かがおかしい。

 その思いが守の不安を煽っていく。

 けれど――

『人の脳は、人が思っているほど馬鹿じゃない』

 父の声が頭に響いた。

 もしかしたら守の脳は、近くにいる育のために、無意識に欲望を抑えつけようと頑張っているのかもしれない。

 さすがに誰とも知らない女に挑みかかれるほど、自分は倫理観に欠けていないはずだ。ならばこの体を苛んでいる痛みは、守の良心の表れということになる。

 だったらそのほうがいい。

 痛みのほうがまだ耐えられる。

 守はそう思うと、少し気持ちが楽になった。


 意識が朦朧とする中、熱はどんどん上がり、やがて熱さで耐えきれなくなった。ここまでくるといくら水を飲んでも渇きが潤うことはないのだが、たとえ気休めでも、守はデイパックの中から飲みかけのお茶を出して一気に呷った。

 いつもなら窓を全開にして夜風を入れ、服を脱いで直接床に横たわる。底冷えするような冬の風に晒された床は、冷たくてとても心地いい。ここは自分の部屋ではないが、石窟を構成する花崗岩(かこうがん)は適度に冷えて、どこもとても気持ち良さそうだ。

 本当なら服を全部脱いで、石の壁にしがみつくか、床を転げ回りたかった。だがたとえ暗闇でも、つきあってもいない女がいる場所で、そんなことをするのは言語道断だ。今日初めて会った赤の他人だからこそ、何と誤解されるか判ったものではない。

 それでも我慢しきれずに、守は羽織っていたダウンジャケットを脱いで、半袖のTシャツ一枚の背中を石の壁に押しつけた。

 剥き出しになった二の腕が岩に当たると少しだけましになる。

(何も起こらないでくれ……)

 守は心からそう願っていた。


    *


 育は、朱く光る南の壁を見つめていた。

 その下には、さっきまで騒いでいた男がいる。

 今日の昼に会った、失礼な男だ。

 強引で――

 攻撃的で――

 そのくせ何も知らなかった。

 屈託(くったく)ない真っ直ぐな視線は、何の戸惑いもなく育に注がれていた。

 何だかひどく息苦しかった。

 だから、逃げ出した。

 だのにまた出会ってしまう。

 逃げても逃げても、育はあの男と出会ってしまう。

 だから、暗闇の中へ逃げ込んだ。

 あの男の目から、逃れるために――


 育は男を観察する。

 育の目が男を追う。

 相変わらず、横柄で短気な男。

 不意に男は喋るのを止め、朱い闇に沈み込んだ。

 男の姿は、育の目にはもうはっきりとは見えていない。

 だが、壁はいまだ明るく光っている。

 それは、あの男が朱い闇の中に実在している証拠だった。

 男の隠された『力』が、朱い鳥の絵を光らせている。

 今はもう、青も、白も、黄色い光も見ることはできなかった。

 ただ、朱い光があるだけ。

 燃え立つような朱い炎。

 何故あの炎は、ああも朱々(あかあか)と燃えていられるのだろう。


(あたしの後ろには、何もないというのに……)


 やがて、育はあることに気がついた。

 息苦しさの原因。

 自分の後ろにあるべきものがない理由。

 それは、言い知れぬ罪悪感。

 ふさわしくない――

(そういうこと……)


    *


 朱い光が、少しずつ明るさを増し始めていた。

 闇に隠れていた輪郭が、次第にはっきりと浮かんでくる。

 うなだれて壁に寄りかかる影。

 さっきまでの様子とは全然違う。

 眠っているのだろうか。

 微かに聞こえる呼吸音は、細く長い規則的なものでなく、荒く短いものだった。

 その時、朱い影が苦しそうに喘いだ。

「どうか、した?」

「……な、何でも……ない」

 切れ切れに答える声は掠れていた。

「だけど――」

 育は闇の中から立ち上がり、守の方へ近づこうとした。

「来るな……」

「え?」

「こっち、来んな」

「でも――」

「いいから、放っといてくれ!」

 絞り出されるように発せられた言葉は、強い拒絶を示すものだった。

「ごめん。オレ、いつもこの時期はおかしいんだよ。だから頼むから、絶対オレに近づかないでくれ。でないと……あんたに何するか判んないぞ」


    *


 (まもる)は自分を必死に抑えながら、(いく)が闇に戻るのを見届けた。

 けれど朱い炎に浸蝕された闇は、すでに四分の一も残っていない。

 北側の、ほんの僅かな一角。

 黒が支配する世界。

 そこはよく冷えて気持ちが良さそうだ。

 まるで育の冷たい指先のように。

 その時――

 キラリ。

 闇の中に七つの星が出現した。

 コの字型の四つ星に、長く伸びる三つ星。

 それは育を守護するかのように、冴え冴えと瞬いている。

 だが、それも一時(いっとき)のこと。

 次第に勢いを増す朱い光に、やがては静かに飲み込まれていくだろう。

(後どれくらい明るくなるんだ?)

 光量が増す度に、鍛え抜かれた肉体が悲鳴を上げる。

 いつもとは違う感覚に、守の不安は増大する。

(オレは、どうなるんだ……)

 真っ赤に混濁していく意識の中で、守はぼんやりと考えていた。


    *


 ひときわ明るく朱雀(すざく)の炎が舞い上がった。

 朱い光の中に、雪のように白い手が浮かび上がる。

 熱を帯びて染まった朱い手がそれを掴む。

 ドサリ。

 ある程度の重量があるものが、放り出されるような鈍い音。

「キャッ」

 小さな悲鳴と微かな呻き声。

 闇の中に浮かぶ、二つの朱い炎。

 白い手が炎の間に伸びていく。

「乱暴に……しないで」

 組み敷かれた育の手が守の額にそっと触れた。

 と――

 燃え盛る炎がにわかに弱まり、守の目に知性の光が戻ってきた。

「オ、オレは……」

 守は育から身を離し、床に仰向けに転がった。

 腕を十字に掲げ、自分の顔を覆い隠す。

 這い寄った育は、何も言わずに守の傍に(ひざまず)いた。

 熱い腕を冷たい指が触れ、そっと外す。

 守の目の前に出現した育の瞳は、熱っぽく潤んでいた。

 冷え冷えとした印象とはまったく違う、色を含んだ輝き。

 うっすら開いた唇の、濡れた暗がりが光って七つの星を形作った。

 炎が再び燃え上がる。

 朱い光がさらに大きく広がって、閉じた空間を占領する。

 柔らかい何かが唇に触れ、すぐに冷えた舌が侵入してきた。

 前歯の僅かな隙間を割って、さらに奥へと潜り込む。

 冷たくしなやかに動くそれは――

 捕らえようとすると、スッと逃げる。

 だが、すぐに誘うように(うごめ)いて、守の心を震わせる。

 何回目かのチャンスでソレを掴まえると、氷をしゃぶるように転がした。

 喉が潤い、潤いを得て痛みが消えていく。

 貪るように、渇きを潤す。

 冷たいそれは、火に炙られた氷のように、少しずつ溶けていった。

 そしてどんどん温まっていく。

 熱が粘膜を通して伝わっているのだろうか。

(いや、それ以上に強い炎が導いている――)

 

 やがて――

 水はついに沸点に達し、勢いよく噴き上がった。

 噴き上がった水は、一度天空へ昇ると大地を潤す雨のように降り注いでくる。

 雫が体表をゆっくりと滴り落ち、体の中の不要な熱を拭い去る。

 次第にとろとろと粘り気を帯びた雫が、体全体に絡みついてくる。

 いつの間にか、強い炎が弱火に切り替わっていた。

 暑苦しいまでの熱が、心地よい温もりに変わっていく。


(誰かが火加減を操っている)


 ふと、そんな考えに囚われる。

 だが、すぐにそこから離れる。

 すべては強い陶酔の中。

(逃げられない)

 次第に、そんな想いすらなくなって――


 (なに)()も、綺麗さっぱり消え去った。



 そして、守は寒さの中で目を覚ました。


*の部分で細かく別れていたのを、一話にまとめました。

最後の部分は、「何なんだこれは?」が仕様になっています。


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