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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第四章 入薬起火(薬を入れて火を熾す)
21/99

入薬起火 2

これはあくまでも創作です。実在の場所や物が出てきますが、現象はすべて作者の妄想です。


「離して――」

 と、耳元で女の声がした。

(……ん? きょう……こ?)

 (まもる)の腕の中には、柔らかな感触があった。

(そっか、あれは夢だったんだ)

 独りで上海に行ったのも――

 帰国した途端に振られたのも――

 皆、ただの夢だった。

 それがどんなにリアルでも、腕から伝わるこの温もりこそが現実だ。

(よかった。振られたオレはいなかったんだ)

 目を開ければ自分のアパートにいて、香子(きょうこ)と一緒に朝を迎える。

 そんな幸せが待っている。

 振られる夢を見たと言ったら、香子は笑ってくれるだろうか。

 そんなことあるわけない、と呆れたように諌めてくれるのか。

 どちらにしてももう少し、この状態を堪能したい。

 守は腕の中で小さくもがくものを、さらにギュッと抱き込んだ。『離して』という希望とは真逆だが、この際だから仕方がない。「不安だった」と理由を話せば、香子ならきっと解ってくれるはず。

 守は柔らかい髪に顔を埋め、思いきり鼻から息を吸い込んだ。

(ん?)

 香子はいつシャンプーを変えたのだろう。

 守の中に疑問が浮かぶ。

 それに、イメチェンしたのか肩下までの髪が短くなっている。

 少し声が低く掠れているのは、風邪がまだ治っていないからだとしても、何一つ甘えた響きが含まれていないのは何故だろう。

(オレ、何かしたか?)

 その時――

「ねえ、いつまでこうしてるつもり?」

「え?」

 ブリザード級の(いく)の冷たい怒りに、守は突然我に返った。


 少し前に夢と思っていた現実が、勢いよく雪崩(なだ)れ込んでくる。

「……わ、わりぃ。あんた、意外に抱きごごちがよかったから、つい――」

「バカッ!」

 (まもる)の腕が緩んだ隙に(いく)は逃れ、一番離れた奥の暗がりへと逃げていった。

「絶対に近寄らないで!」

 もの凄く怒ってる。

(何だよ。庇ってやったのに――)

 そんな思いが込み上げるが、同時に『してやった、と思うくらいならするな』と言う父の言葉も蘇った。

『どんなに尊い想いでも、見返りを求めた時点で偽善になる』

 そして父はこうも言った。

『恩とは先に送っていくものだ』と。

 あれはどういう意味だろう。あの後説明を聞いたような気もするが――

 考えてみたが、どうしても思い出すことができなかった。

 でも今はそれはいい。緊急性は特にない。

 その代わり一つ重大な事実に行き当たる。何よりも、先にあの『靄』から助けてもらったのは、自分だ、ということに。

 思うままに文句を言わずによかった、と守は心の底から安堵した。同時に、急に恥ずかしさも込み上げて、左右に小さく首を振った。

(にしても――)

 抱き心地がいい、というのはウソじゃない。

 細身の育はその見た目よりもずっと柔らかく、冷ややかな態度と冷たい指からは想像がつかないほどの温かさだった。仄かに花の香りもして、その感触と匂いは、ずっと抱きしめていたくなるほど、心地よ――

(あ……ヤバ)

 今度はブンブンと勢いよく頭を振り、守は妄想を振り払った。

(とりあえず、あいつのことは放っておこう)

 強く、固く決意する。

 育の機嫌を取るよりも、今の状況を把握する方が先だった。

 あいつらは本当にいなくなったのか。

 危険はないのか。

 全神経を集中し、守は周りの気配を探った。

 すでに『イヤな感じ』は跡形もなく、安全を確認し終えた守は、状況を把握するために、何があったのかを箇条書きで並べてみた。

 まず――

 黒い『靄』に襲われた。

 育が白銀の光でそれを退(しりぞ)けた。

 突然地震が起きて天井が崩れてきた。

 この石窟で起こった客観的な事実はこの三つだ。

 そして――

 『靄』が何なのか。

 何故自分が襲われたのか。

 そんなことは何一つ判っていない。

 けれど――

 育の一連の態度から察するに、何か知っている可能性は高かった。

 だからと言って今のこの状態では、まともに答えてはくれないだろう。

(怒らせたのは不味かったな)

 守は軽率な自分の行動を反省した。

 香子に振られてからおよそ三ヶ月。いや、香子に振られる前からも、自分の節操のなさには薄々気づいてはいたのだ。

『時々やれれば誰でもいいのかな、って思うことあるもん』

いまさらながらに香子の言葉が胸に痛い。

 認めたくはないが、やはり認めないわけにはいかなかった。

 それに――

(今日は冬至(とうじ)だ)

 守は大きくため息をつくと立ち上がった。パタパタと服を叩いて土埃を払う。

 いつの間に()が落ちたのか、辺りが暗くなっていた。今すぐにでもここを出なければ、今日中に家に帰り着けなくなりそうだ。

 ところが――

 何かが変だった。

 さっきとは明らかに違っている。

 見極めようと、守は目を細めてみた。

 しばらくすると目が慣れて、影が形になっていく。

 と、平らな床が見えてきた。

 天井どころか、今さっき掃き清めたかのように、石ころの一つも落ちてない。

 守は育に声をかけた。

「なあ、何だったんだ? さっき揺れたよな」

 だが、育がいるだろう闇の中から、返事は返ってこなかった。

「何だよ。あれくらいで、シカトかよ」

 大きめの声で、守は聞こえるように嫌味を言った。

 さっきダメだと思ったばかりなのに、どうしても当たりがきつくなる。

 こんな時は自分の負けず嫌いが恨めしい。

 そして後悔に苛まれる前に、急いで頭を切り換えた。

(あれくらいか――でも、わりと胸はあったような……)

 手のひらに、育の体の温もりと柔らかい感触が蘇った。途端に心臓がドキドキと脈打って、守は自分の顔が赤くなるのを意識した。

 底なし沼から這い出て、蟻地獄に嵌まったような感じだった。

(だから、それが何だっていうんだ!)

 妄想を振り払うため、さっきより激しく頭を振る。音を立てないように深呼吸を繰り返すと、顔の火照りが引き始めた。

 暗くて助かった、と守は胸を撫で下ろす。明るかったらどんな風に誤解されるか判ったものではない。これ以上、自ら墓穴を掘るようなことだけは避けたかった。

 その時――

 闇の中から守をじっと見つめる視線に気がついた。

 すべてを見透かすような、軽蔑しきった冷徹な目。

(まさか……)

 守の心拍数が再び上がり始めた。

「入り口……」

 ボソリ、と育が言った。

 闇の中に白い指が一本浮かび上がっていた。

 その先が、守の後ろを指差している。

 守が慌てて振り返る。

 開いていたはずのそこは、しっかりとした石の壁になっていた。


     *


 ここには、光源がない。

 なのに、不思議と真っ暗ではない。

 密閉されているはずなのに、苦しくならない。

 かといって隙間はどこにも空いていない。

 腕組みをした守は、八畳ほどの広さがある石窟の、南の一角を歩き回っていた。

 育はといえば、一番離れた北側の、闇の中に座っている。

「ちくしょう。どっから出ればいいんだよ! こんなとこにいつまで……」

「あれ」

 闇の中から再び白い指が現れた。守は育の指し示す方向に目を向ける。

 入り口だった壁面が微かに(あか)く輝き始めていた。見ていると朱い炎が燃え立つように際だってくる。

「何だ、こりゃ?」

 守が壁に近づいた。

朱雀(すざく)

 闇の奥から冷静な声が聞こえてきた。

「はぁ?」

「南方を守護している神で、四神(しじん)の一つ」

「『しじん』?」

風水(ふうすい)に出てくる。東西南北の各方向に一神ずついるから、四神」

「じゃあ、その『すざく』ってのは?」

「朱色の(しゅ)(すずめ)って書いて、朱雀。『すじゃく』とか、『しゅじゃく』って読み方もあるらしいけど、あたしは言いにくいから『すざく』って呼んでる」

「ふ~ん。朱い雀ねぇ」

 守は奈良公園にいた丸っこいスズメを思い出していた。だが壁に浮き出た神獣の姿は、あれとはまったく違っている。

 朱く燃え立つ両の翼。

 長い首。

 鋭利な(くちばし)

 鋭い爪。

 すると、左の後方に仄かに青い光を感じた。

 それと同じくして右後方には白い光が――

 守は振り向いて、部屋の中程の壁面に光るそれぞれに二、三歩歩み寄った。

「それは、龍……か」

 右の壁にある青い光を指し示す。

「東方神の青龍(せいりゅう)

「そっちは、虎?」

「西方の神、白虎(びゃっこ)

 だが朱い光を放つ壁の向かい側。育のいる北側には、ただ黒い闇があるだけだ。

 守は、育の方へ行こうとして、止めた。近づくなと言われているのだ。

「北の壁はどうなってんだ?」

「ここは、削り取られている」

「そこにも、何かあったのか?」

「そう。本当なら、ここには玄武(げんぶ)がいるはず」

「『げんぶ』? ああ、そういやぁあんた、途中にあったカエルの所でも、そんなこと言ってたよな」

「カエルじゃなくて、カメ」

 育の声には、呆れたような軽蔑が含んでいたが、「いいんだよ。どっちでも」と守は一向に取り合わない。

「全然違う」

 育がムキになった。

「カエルは両生類、カメは爬虫(はちゅう)――」

「だってさ、カエルにしか見えなかったぞ」

 育が言い終わらないうちに、守は思いきり言い切った。

「それよか、あんた、あそこで縄がどうのこうのって言ってたよな。なあ、あれってどういうことだよ?」

 守の問いに、育は渋々ながら口を開く。

「北方神の玄武は、カメにヘビが絡まった姿をしている」

「ふ~ん。じゃあ縄がヘビってことか。そういやぁ、締め縄がヘビってのは、聞いたことがあるな……」

 見るとはなしに見ていた何かのテレビ番組では、確かそう説明されていた。

「つまりあんたは、あの亀石が玄武だって言いたいのかよ。でもさ、ガイドブックにはそんなこと、一言だって書いてなかったぞ」

 度重なる横柄な態度が気に障ったのか、育からは何の答えも返ってこなかった。思いきり無視された守は、「何だよ」と文句を言う。

「説明する気はないってか? 言いたいことはベラベラ喋るくせに、ならそういうこともちゃんと話せよ。おまえさ、性格悪いぞ」

 帰りたいのに帰れない焦りも相まって、守はもう自分を抑えることができなくなっていた。それでも育は答えずに、さらに無視された形になる。

「可愛くねえな」

 聞こえよがしに呟いて、守は朱く光る朱雀の下に座り込んだ。


「なあ――」

 重い沈黙の中、我慢できずに口を開いたのは守だった。

「何でそいつだけ、二匹なんだよ?」

 心持ち口調を和らげて守が訊くと、遠くから小さなため息が聞こえてきた。

「古代の中国人は、カメとヘビは同じ種類の生き物で、カメはヘビのメスの形だと思ってた」

「はぁ?」

 守は、気の抜けたような声を上げた。

「おっかしいぞ、そんなの。どう見たってカメとヘビは違うだろう。昔の中国人って、目ぇ悪かったんじゃねぇの」

「でもあんたよりはまし。どっちも爬虫類だもの。分類学上は合っている。あんたなんか、両生類と爬虫類の区別もつかない」

「何言ってんだよ。ありゃぁ、石だろ。石!」

「………」

(ちくしょう、無視すんなよな)

 今度は心の中で呟くだけで声には出さなかった。

 まだまだ訊きたいことは山ほどある。

「それにしたって、何でそいつだけオスとメスの混合体なんだよ。他のは、みんな一匹なんだろう。それとも、他の神様は単性なのか?」

「それは――」

「何だよ。早く言えよ」

 青白い育の頬にさっと朱が差した。だが暗くて守はそれに気づくはずもない。

「簡単には、説明できない……」

「ふ~ん。さっきから、ずいぶん偉そうに言ってたくせに、いまさら――」

「それは、『煉丹(れんたん)』に関係していることだから」

 育の声が、挑戦的になった。

「『れんたん』?」

 聞き返したが、やはり答えは返ってこなかった。

「判ったよ。どうせ話したくないんだろ。なら、話さなくてもいいよ。それよかさ、天井が黄色く光ってんのは何なんだよ」

「天井?」

 暗闇から突き出した育の顔が、今気づいたと言わんばかりに上を向いた。

(白々しい)

 だが育の顔は、本当に驚いているように呆然となっていた。少しだが動揺しているのかもしれない。

 育は急いで視線を落とした。目を凝らして平らな床をじっと見る。

 すぐに、ハッとする。

「そんなはず……ない」

 育は、そのまま黙り込んだ。


    *


 さらに、重苦しい沈黙が流れていた。

 あれから育は、何を話しかけても答えなかった。

 暗闇の中に沈み込んで、姿さえ見えない。

 守はだんだん不安になってきた。

 そこにいるのは、育なのか。

 いや、本当にそこに育はいるのか。

 もしかしたら、育なんて最初からいなかったのかもしれない。

「ちくしょう」

 守は小さく呟いた。

 あの夏からこんなめにばかりあって、こんなことばかり考えている。

 と、途端に無償に寂しくなった。

 何故か、父の端正な姿が浮かんできた。

 その時――

『考えるな』

 頭の中に声が響いた。

 守は無理やり、心から寂しい気持ちを追い出した。

 寂しさを追い出したら、そこに空間が生まれた。

『感じるんだ』

 そして思い出す。

 育は確かに一緒にいたのだ。

 この手には、育の体の感触が生々しく残っている。

 温もりと柔らかな曲線。

 そして、仄かな花の匂い。

「なあ。どうしたんだ?」

 守は声をかけてみた。

 やはり育からの反応はない。

 また無視されたのか。

 いや、たぶん育にも答えられないのだろう。

 守は好意的に考えることにした。

 何しろ、危ないところを助けてくれたのは、誰でもない、育なのだから。

 すると――

「あんた……何か、した?」

 闇の中から、珍しく育が話しかけてきた。

「え?」

 突然のことに驚いたが、守は言葉がきつくならないよう細心の注意を払いながら答えた。

「オレは、別に何もしてないぞ」

「そう」

 育が抑揚なく応える。

「あんたには『力』があるから、もしかしたらと思ったんだけど――」

「はっ、『力』? 『力』って、何だよ?」

「あんなのに好かれるのは、『力』がある証拠」

「ま、待てよ。おまえは、あれが何だか知ってるのか?」

 しばらく間が空いた。

(今度も答えないのか)

 守がそう思った瞬間――

「あれは、『(はく)』」

「『はく』?」

魂魄(こんぱく)の『魄』。人間には三魂七魄(さんこんななはく)あって、人が死ぬと『(こん)』は天に昇り、『魄』は地に帰る」

 育はそこで少しだけ言葉を切った。

「文献によって名前は違うけど一番一般的なのは、三魂が、爽霊(そうれい)胎光(たいこう)幽精(ゆうせい)。七魄は、尸狗(しく)伏屍(ふくし)雀陰(じゃくいん)呑賊(どんぞく)非毒(ひどく)除穢(じょさい)、それに衆臭(しゅうしゅう)だったかな」

 お経みたいに名前を育が次々と(そらん)じた。守にはまったく意味のない言葉にしか聞こえず、もちろん憶えることもできない。

「通常『魂』は肝にいて『魄』は肺にいる。あたしもよく知らないんだけど、それぞれにいろいろな役割があるらしい。例えば『魂』の一つが寝てる間に体から抜けだしてしまうと夢遊病になる。そのまま遠くへ行って帰って来ないと、人は衰弱して死んでしまう」

「ふ~ん。幽体離脱みたいなもんだな。なら、『魄』は?」

「『魄』の役割はよく知らない。けど、地に帰らないで地上に残った『魄』のことを、普通の人は『幽霊』って呼んでる」

「へ~、幽霊か。なら、ヤツは誰かの『魄』ってことか――」

「一般的な説なら、蘇我馬子(そがのうまこ)。確かにそれぐらいの時代の格好はしてたけど……」

「はぁ?」

「若かったから、入鹿(いるか)かも」

「ちょ、ちょっと待てよ。あんた、見えんのか?」

 守は、驚いて聞き返した。

「あんたは、見えない?」

「う……うん。黒いボケボケっとした感じにしか……」

 育に見えて自分に見えないことを、守は恥ずかしく思った。

 だが、育はそれを馬鹿にしたりはしなかった。

「まだ(きょう)が完全に開いていないだけ。開けばちゃんと見えるようになる」

「『きょう』?」

 育はそれには答えなかったが、今度は守も腹が立たなかった。育のそんな態度にもだんだんと慣れてきている。

「あれが誰かは判らない。判っているのは、あんたの『力』を利用しようとしたってことだけ」

「オレの『力』ねぇ……」

 守は戸惑っていた。身長以外は平均的に普通な自分に、いったいどんな『力』があるというのだろう。

「あんたには未知の『力』がある。『魄』に襲われた時、防衛本能が働いてそれが発動したのかと思った」

「ま、待てよ。オレたちをここに閉じ込めたのは、オレ自身だって言うのか?」

 守は、今度も驚いて聞き返す。「判らない」と育。

「でも、ここは何だかおかしい」

「何がおかしいんだよ」

「判らない……」

 そしてまた、沈黙が訪れた。


*の部分で三つに別れていたのを、まとめてあります。

亀石=玄武説の元ネタは、漫画界の鬼才中の鬼才、知ってる人は絶対に知っているあの方の、孔子が出てくる例の話からです。


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