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そらつかい『虚』  作者: カルヰアオ
第四章 入薬起火(薬を入れて火を熾す)
20/99

入薬起火 1

これはあくまでも創作です。実在の場所や物が出てきますが、現象はすべて作者の妄想です。


 (まもる)(いく)を探すのを諦め、残りの時間で明日香(あすか)の他の遺跡を回ることにした。

 本来の目的に対する収穫は大してなかったが、せっかく母が融通してくれたのだから、せめて観光ぐらいはしておこうと思った。

 徒歩で橘寺(たちばなでら)川原寺(かわはらでら)を見学し、南東に伸びる道を歩いて行くと、開けた空間に大きな石がいくつも積まれている場所に行き着いた。

 飛鳥(あすか)時代の遺跡の中でも最も有名な石舞台古墳だ。

 道を挟んで少し離れた駐車場には、観光バスが何台か止まっていた。石舞台までの道に、数組の団体客が細く長く蛇行した列を描いている。

 その中ほどに、薄紅(うすくれない)のショートコートの育がいた。

「あいつ……」

 育は少し離れた所から石舞台を眺めていた。遠目から見ているだけで、他の観光客のように中に入ろうとはしない。守は育に判るように近づくと、わざと横を通って、声もかけずに玄室(げんしつ)へ向かった。

 何故か、育が慌てたように追いかけてくる。

「止めたほうがいい」

 そう言っただけで、今度は守の腕は掴まなかった。

「何でだよ?」

 振り向きざまに守が訊いた。育は何も答えない。守は大きくため息をつく。

「あんた、いつでも、話したくないことにはだんまりだな」

 険のある声に、少し離れた所にいた若い男女が振り向いた。

 それでも、育は答えなかった。

「いいよ、もう。そうやって人を無視して勝手にするなら、オレだって自分の好きにするさ」

 女が何かをヒソヒソと相手の男に耳打ちする。どうやら痴話ゲンカだと思われたらしい。そう思うと守は余計に腹が立った。

「オレは、こいつとは関係ないんだ」

 ボソリと小さく呟いて、守は育を無視し玄室へ向かう。残された育はただ独り、それを見ているだけだった。


 数人の観光客と一緒に、守は上円下方墳(じょうえんかほうふん)の横穴式の玄室へと足を踏み入れた。ガイドブックによると、石舞台は蘇我馬子(そがのうまこ)の墓ではないかと推測されている。

 半地下になっている玄室は、以前テレビで観たどこかの古墳の中とは違い、人が何人も立ったまま入れるほど広かった。大きな石をいくつも組み合わせてできているのに、思ったほど圧迫感もない。それは天井が高いだけでなく、構成する石と石の隙間から、ところどころに青い空が覗いているからだろう。石の向こうがすぐ『(そと)』というのは、思った以上に安心できるものだった。

 意識が外に向かった守は、ふと、育はどうしているだろうと振り返った。縦長の出入り口の先に見える育は、まだ元いた場所に立っていた。

(今度は逃げないんだな)

 守は不思議に思ったが、思い直して頭を振った。

(別に関係ないさ。あいつが逃げようと逃げまいと、オレには全然関係ない)


 他の観光客と一緒にぐるりと玄室の中を廻り終え、守は足早に出口へ向かった。陽の当たる石畳に一歩足を踏み出そうとしたその時──

 ゾクリ。

 守の背に冷たいものが走った。

 急いで振り返る。

 だが、そこにいたのはさっきのカップルだけ。人目も構わずキスをしたり、触れ合ったりと、イチャイチャと戯れているだけだった。

「あいつら……」

 ホッとするのと同時に、守は無性に腹が立ってきた。

 見苦しい。

 声に出して言おうとして止めた。この状況では、どうしたって僻んでいるとしか思われない。

「ちくしょう」

 小さな声で節度よく毒突いて、守は玄室を後にした。そしてまだいた育をわざと無視して足早に立ち去った。


 守はイライラしながら歩いて行く。けれど五分ほど歩いた所で立ち止まった。

 明後日(あさって)の方向を向きながらも、八方目(はっぽうもく)を使い後方を確認する。と、守の左目の端に白っぽいモノが映り込んだ。

「は? あいつ、何でついてくるんだ?」

 不思議に思いながらも再び大股で歩き出す。

 足早に、今度は後ろも見ずに歩み続ける。

 ところが――

 歩くにつれ、最初は勝っていた怒りが落ち着いてきた。それに呼応するかのように歩くスピードも落ちて行く。守は知らないうちに、後を追いかけてくる育のことを気遣って、歩調を緩めている自分に気づき首を傾げた。

(何でだ?)

 守は、自分の気持ちがよく判らなかった。


 最初に育を見かけた時、儚く優しげな姿に心を奪われたのは確かだった。

 けれど実際育と対面していると、何だか妙に腹が立ってくる。

 それは、守に対する態度が冷たいからだけではないのだろう。だいたい初対面の相手に、気になるのに受け入れてもらえなくて拗ねているなどありえない。それにそういうことはしてはいけないと、守は幼稚園の時に、母からさんざん言われていた。結局気を引くためにそれをすると、自分の気持ちがきちんと伝わらないだけでなく、決定的に嫌われてしまうこともあるからだ。

 そんな刷り込みが功を奏してか、今まで告白してつきあうまではわりとスムーズに進行した。最大の難関は父だったが、父と会わせなければ何と言うこともない。現に、香子とは三年もの間、問題なく続いていた。

 だのに――

 育に限っては、母の教えが上手く働かない。

 というよりも、いつもと全然勝手が違う。

 何で、あんなに腹が立つのか。

 何で、こんなに気になるのか。

 そこには何か、もっと特別な理由があるはずだ。

(ん?)

 僅かな隙を突くように、微かにあの『イヤな感じ』が襲ってきた。

 冷たく湿った重い空気。育の守に対する軽蔑の視線だろうか。

 口調や態度とは相反するものを、見透かされているということか。

 その時――

(そういえば……)

 守は似たような感じの悪さを思い出し、すぐに「そういうことか」と納得する。

 似ているのは、視線というよりも育の目だ。

 育の目許が、武志のそれと似ているのだ。

 家を知っていたことと、顔が似ていることを考え合わせれば、育はおそらく武志と血の繋がりがあるのだろう。維名の血筋が武志以外に途絶えているのなら、母方の親戚の可能性が高かった。ならば、従姉妹(いとこ)ということも――

(マジかよ……)

 もし育が維名家の関係者なら、守への態度も頷けた。不思議とはいえ、人が亡くなっている事故なのだ。興味本位や面白半分で調べていいことではない。

 もちろん守にも、行方不明になった武志を見つけるという、正当な理由はある。けれど遇ってからの育に対する守の態度は、そう誉められたものではなかった。

 たとえ、向こうの態度が悪くても。

 たとえ、武志に似ていたとしても。

 対抗するように、けんか腰に振る舞っていいはずがなかった。

 それに――

 育は、守にナンパされたと思っている。

(これが一番、問題だな)

 背中には、いまだひしひしと冷たい視線を感じていた。

 それ以上に『イヤな感じ』が増している。

 とりあえず誤解だけは解いておこうと、守が振り向いた。


「!」


 その視界いっぱいに広がるのは、黒い粒子。

 上海で守と武志(たけし)を襲った――

 あの黒い『靄』。


(――逃げて!)


 誰かの声が脳内いっぱいに響き渡った。

 守は反射的に駆けだした。


     *


 起伏のある山道を駆けて行く。

 回りに民家はない。

 あったとしても頼りにならない。

 ヤツらは毛穴にすら入り込もうとするものだ。

 一般の家屋では密閉性が低すぎる。

 守は、ただひたすらに道を走った。

 時折、分岐点になると指示が飛んでくる。

 守は無意識にそれに従う。

 教えてくれるのは誰なのか。

 それが正しいのか、正しくないのか。

 考えている余裕はなかった。

 本能で感じるだけ。

 すべての感覚を研ぎ澄まし、ただそれに従うしかない。 


 何本目かの坂を登る途中、右側に石造りの洞窟が出現した。何かの古墳の一部だろう。ここにはそんなものがたくさんある。

 と――

「こっち!」

 その前で育が手招いていた。

(いつの間に……)

 頭の片隅で守が思う。

 と同時に――

 今まで自分を導いてくれたのが、育だという確信を持った。

 育が石窟の中に飛び込んだ。

「早く! 奥に!」

 守を呼び込む育に倣って、守も石窟に飛び込んだ。

 だが、その先は――

 行き止まりだ。

「先に行けないぞ!」

「大丈夫! 下がって!」

 育は守を背中に庇うように、入り口に向かって立ちふさがった。

 入り口に神経を集中する。

「ダメだ。アレは危ない!」

 守は育の手首を取って外に出ようとした。今ならまだギリギリ逃げられる。だが育は手首を上手く返して、小指から守の手をあっさり振り解いた。

「いいから下がって!」

 育は剣指(けんし)の右手を鼻先に構え、左手は不思議な形に(こぶし)を握って小指側を臍下(へそした)に押しつけた。

 と、何か短い文言を、素早く繰り返し呟き出す。

 ボソボソと低く力強い声。

 これだけ強く言うのなら何か勝算があるのかもしれない。

 おそらく、育はこうなることが判っていて、守を助けるために見捨てずに付いて来てくれたのだ。女に庇われるのは情けないが、今は育に任せてみよう。

 同時に――

 守は上海でのことを思い出し、自分がどうやって逃れたのかを確認する。

 もし育が失敗したのなら、自分が何とかしなければならない。

 そうあの時は、体に纏わりつかれて死に物狂いだった。突然目の前が朱くなり、『靄』が一瞬で蒸発した。

 他にも何かあったはずなのだ。だが今はそれを思い出している暇はなかった。

 とりあえず『靄』が襲いかかる前に、自分が盾になればいい。今はそのことさえ判れば十分だ。同じような状況に陥れば、もう一度何とかできるかもしれない。


 守は奥まで下がらずに、すぐ飛び出せるよう育の斜め後ろに陣取った。入り口に注意を向けながらも、育の動向をも目の端に捉える。息継ぎもそこそこに、育は相変わらず何かを繰り返し呟いていた。

「来たぞ!」

 守が叫んだ。だが、育は臆さず口訣(くけつ)を唱え続けている。

 育の目が少し吊り上がり、次第に大きく見開かれる。

 青みがかった澄んだ白目が今は赤く充血し、育の体が細かく振動を始めた。

 振動は少しずつ大きくなる。

 育の体が脈打って、傍目(はため)にも力が漲っていくのが判った。

 あの細い体のどこに、そんな力があるのだろう。

 脱色された髪が静電気を帯び、小さな火花を散らしながら逆立っていく。

 漆黒の闇のような瞳孔に、黒い炎が燃え上がった。

 それはあの日上海で見た、武志(たけし)の目の中にあったものと似ている気がする。

 すると――

 淀みなく口訣を唱える育の右手が動き始める。

 結んだ剣指の、揃えた二本の指先が、ひとりでに入り口へと向かって行く。

 その先には――

 黒い『靄』。

 育を包み込むように大きく広がった。

 だのに、育は動じない。

 守が育の腰に手を伸ばそうと身構えたその時――

「来て!」

 育が叫んだ。

 剣指を結んだ指先から、白銀の光が煌めいた。

 迫り来る『靄』を(はば)むように光が大きく広がった。

 シュウ、

 シュウ、

 シュウ。

 勢いよく水が蒸発する音が耳を打つ。

 光に触れた途端、『靄』は瞬時に掻き消えた。


「スゲェ!」

 守が思わず声を上る。

「あんたスゴイよ!」

 振り返った育は頬を染め、たいしたことはない、と言いたげだ。

 そこには今まで守に見せていた、冷ややかな表情はみられない。

 と――

 突然大地が縦に揺れた。

「うわっ!」

「キャッ!」

 音を立て、天井の岩が崩れ落ちてくる。

 守はとっさに育を掴んで自分の懐に引き寄せる。

 そして、庇うように覆い被さった。


*の部分で二つに別れていたのを、まとめてあります。


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