横領
最初の横領は、火曜日の午後だった。
融資先企業からの入金を確認するための一時預り金。そのうち、決済処理の都合で翌日まで口座間の移動が保留されている資金があった。
管理権限は山田にある。
処理を誤魔化すことは、理屈の上では可能だった。
いや、可能だと気づいてしまったのだ。
画面には、金額が表示されていた。
2000万円。
山田は何度も周囲を見た。向かいの席では若い行員が電話をしている。窓際では部長が新聞を読んでいた。誰もこちらを見ていない。
指先が冷たかった。
操作を実行すれば、数字は動く。翌日の入金処理で元に戻せば、帳簿上の異常は残らない。株を売却すれば、損失の一部は埋められる。あと数日あればいい。
画面の確認ボタンを押した。
たった一度、クリックしただけだった。
その瞬間、山田は何かが変わったのを感じた。
金を盗んだという実感より先に、画面上の数字が妙に鮮明に見えた。何年も見慣れた業務システムが、初めて自分の敵になった気がした。
翌日、株価はさらに下がった。
山田は2000万円のうち、戻せる分を残していた金まで相場に投入した。失敗した。損失は埋まらなかった。
その週の金曜日、彼はもう一度、銀行の金を動かした。
次の週も。
その次の週も。
横領額は、いつしか8000万円を超えていた。
山田は相場から離れられなくなっていた。損失を取り返すために横領し、横領した金を失うたびに、さらに大きな金額を動かした。株価のチャートを見ている間だけは、まだ自分が何かをコントロールできているように感じられた。
だが、深夜の自宅で証券口座の残高を確認するたび、現実は彼を追い越していった。
残高は減る。
横領額は増える。
その差を埋めるために、彼は毎朝、いつもどおりネクタイを締めた。




