第9話 ここじゃ勝てない
第9話 ここじゃ勝てない
「どの辺りが沼だったんだろう……」
スマホの地図アプリを二人で覗き込む。
「大体この辺り一面よ」
「なんで、みしろが知ってるんだ?」
「見たことがあるからよ」
「昔の地図でも見たのか?」
彼女の指さす所は、駅近くだった。
人口の少ないこの集落に、小さな無人駅が存在する。
単線の線路は、駅の近くで列車が行き違うために複線になっていた。
「地名を見て」
「さんずいの付いてる漢字の町名だな、そういえば、水に関わる土地にはそういう漢字が残るって聞いたことがあるぞ」
これだけで沼と決めつけるのは乱暴だが、手記とみしろの話を合わせると無視できなかった。
川沿いの集落には見られないその地名が、なぜか駅の周辺だけに不自然に残っていた。
「ここなら、山からも近いし、三つの神社の中心に近いな」
「行ってみましょ」
駅前の隣にある空き地に向かった。
まだ終電前の時刻で、無人駅のホームの明かりが薄暗く足元を照らしている。
地面には掘り返した跡や穴もなく、膝丈ほどの草が生い茂っているだけだった。
「ここじゃなさそうだな……」
「線路の向こう側に行ってみましょう」
「そうだな、この先にある高架下をくぐれば、反対側に出られる」
線路沿いを百メートルほど歩き、道路が線路の下をくぐる高架から線路の反対側に出る。
そこには一面の田んぼが広がっていた。
水田と、線路の盛り土(法面)の間に挟まれた細いあぜ道を、駅に向かってゆっくり歩く。
水を張られた田はまだ短い稲が夜の風に揺れていた。
田んぼの一番奥まで辿り着いた時、あの腐りかけた泥のような強烈な匂いが鼻をついた。
「みしろ、この匂い……」
「この辺りね……」
奥に小さな竹藪があり、その周りに生い茂る草が、まるで何かに踏みつけられたように大きく倒れていた。
風の通り抜けないその場所に、あの不気味な匂いが溜まっている。
試しに持ち出してきた鉄バールを地面に突きたててみると、大した手応えもなく底なしの泥のように入っていった。
「あいつら、この辺りから湧き出して、線路の法面を移動して川沿いの山まで行っていたのか……」
「光司、戻りましょ」
「えっ、戻るのか?」
「出て来たらどうするの?」
みしろの冷静な言葉に我に返った。
もし今、あいつが出てきたら、こんなバール一本で倒せるはずがない。
心のどこかで、圧倒的な身体能力を持つみしろに頼り切っていた自分に気づかされた。
「……そうだな。場所が分かったんだ、今日はひとまず帰ろう」
竹藪を抜け出そうと踵を返した、その瞬間。
俺のすぐ背後でザザッと草が激しく揺れ、竹がメリメリと裂ける不気味な音が響いた。
「光司、走るわよ!」
「えっ……!?」
返事をする間もなく、みしろが俺の手を力強く掴み、そのまま駆け出した。
俺は必死に足を動かしたが、彼女の並外れた速さについていけず、半ば引っ張られるようにして夜のあぜ道を走った。
あぜ道を抜け、さきほどの高架のある広い道路まで飛び出したところで、彼女はふっと足を緩めて立ち止まった。
肩で息をしながら振り返ると、追ってきていた黒い影はあぜ道の途中でゆっくりと引き返し、先ほどの暗い竹藪の奥へと消えていくところだった。
昨日見たものとは違い、三メートルほどの大木の幹に何本もの足が生えたような姿は、不気味な昆虫のようだった。
「戻ったわね」
俺は切れかかった息を整えながら、みしろの顔を見上げた。
息一つ乱さず、涼しい顔で彼女は俺を見下ろしている。
「今回は、逃げたんだな……この前はあんなに簡単に倒せたのに」
みしろが竹藪を見つめる。
そして一瞬だけ目を細めた。
「ここじゃ勝てないと思ったからよ」
「そうだったのか、助かったよ。ありがとうな……みしろ」




