第20話 今晩、雨が止んだら
第20話 今晩、雨が止んだら
雨は昼前になっても止む気配を見せず、激しく降り続いていた。
「川の水位、大丈夫かな……」
「大丈夫よ」
みしろは台所に立つ俺の隣に並び、冷蔵庫の野菜室から取り出した『イチジク』を手に取って、食べ頃かどうかを確かめていた。
「今晩ね……」
「柔らかくなってきたのか? じゃあ夕食後にでも食べるか」
「今晩、雨が止んだらお別れよ……光司」
ぽつりと落とされたその一言に、俺は包丁を握る手を固まらせた。
「な、何言ってるんだ……みしろ」
「あいつらを誘い出して穴に戻すわ」
「誘い出すって……みしろが囮にでもなるって言うのか!?」
「そうよ……」
「俺も行くよ! 行くに決まってるだろ!!」
「ダメよ……光司まで来たら、戻れなくなるわ」
「お前は……お前はどうなるんだよ! それに……なんで、みしろがそこまでしないといけないんだ!」
「光司……わかってるでしょ?」
みしろはまっすぐな目で俺を見つめた。
……そうだった。俺はある一線から先、自分の思考にずっと蓋をしていた。
本当は考えたくなかった。
浮世離れした生活習慣を知らない感覚。
独特の距離感。
足音を立てず歩き、人間離れした運動能力。
そして、この地のことを昔から見てきたかのように話すことも……。
『みしろは、俺とは違う存在だ』
……そんなこと、あの踏切で出会った時から本当は気づいていたはずだった。
俺はそれをあえて口に出さず、ただの日常としてやり過ごそうと逃げていただけだった。
それでも俺は、みしろをただの同居人として扱いたかった。
「でも、みしろ……たぶん、あの穴はもう塞がれている」
「えっ……?」
みしろが意外そうに目を見開く。
「あの穴に、『固化材』とかいうセメントみたいなものを流し込んで固めたみたいだ」
「そうだったの……」
「俺も早く言わなくて悪かった……怪異の退治なんて簡単に考えてたのかもしれない……」
「いいえ、光司は悪くないわ」
「あの穴に誘い込んで、どうするつもりだったんだ……?」
「『白蛇様』に御神体の山を崩してもらって塞ぐつもりだった……」
「そんなことをしたら、みしろ……お前も一緒に……」
「それが、わたしの役目だから……」
言葉が喉につかえ、俺はそれ以上何も言えなくなった。
自分の存在と引き換えに、怪異を全て道連れにして消え去ろうとしていた彼女の覚悟が、重く胸に突き刺さっていた。
昼過ぎ、玄関へと向かうみしろの姿を見かけた。
「神社に行くのか?」
「ええ、そうよ」
「俺も……一緒に行っても大丈夫か?」
俺の口からはどこか余計に気を使った、よそよそしい言葉が漏れていた。
だが、そんな俺の硬さに気づいた彼女は、柔らかく優しく微笑んでくれた。
「一緒に来てくれる?」
「ああ、もちろんだ」
俺は慌ててスニーカーを履き、傘立てから傘を引き抜いた。
その拍子に、立てかけてあった、『鉄道バール』に傘が当たり、鉄の高い金属音を響かせて土間に倒れた。
俺は急いでバールを拾い上げて壁に立てかけ直し、みしろとともに雨の中を神社へ向かった。
川沿いにある東の神社には、雨のせいか、いつもの人影は全くなかった。
雨の音だけが響く拝殿の前で、手を合わせ、長く目を閉じるみしろの美しい横顔を見つめる。
「こうやって……一人で、集落の人たちを守ってくれていたのか?」
「わたしは……光司だけを守ろうとしただけよ」
「俺だけを……?」
「そうよ。……光司は、昔から優しいから」
「そんなことないよ……俺は言いたいことも言えないし、嫌な現実からはすぐに目を背ける。みしろが思っているほど、いい人間なんかじゃないよ……」
俺が自虐交じりに呟くと、みしろは足音もなくすっと距離を詰め、俺の肩にそっと自分の肩を寄せてきた。
言葉はなかったが、その体温が何よりも温かかった。
神社からの帰り道、増水した川の水位が気になり、二人で雨の降る堤防の上へと登った。
上流から勢いよく流れ込んでくる泥混じりの濁流が、『蛇釜』と呼ばれる深く暗い淵で、凄まじい大渦を巻いていた。
「みしろ……これだ!」




