第11話 美銀
第11話 美銀
次の日、出社すると社内はいつもより人数が少ないことに気がついた。
「今日はなんでこんなに人が少ないんですか?」
社内を見渡す俺に、上司が缶コーヒーを片手に声をかけてきた。
「昨日の夜、駅の線路が地盤沈下で曲がったらしくてね。今、復旧工事をしてるんだよ」
「高城君の家の近くの駅じゃないのか? あの線路沿いは昔から地盤が弱いって聞くからね」
「俺は車だから……気がつきませんでした」
「バスでの振替輸送があるから、みんなもうすぐ来るよ」
やはり、真実を知らない人たちは、何も気にする様子もなかった。
昨晩、穴から這い出てきたあの怪物が、俺達を深追いしてこなかった理由を考える。
あいつが地下の構造を支える柱の役目をしていたのだとしたら……。
あの蜘蛛のように足が多い異様な姿や、途中で引き返していった理由に説明がつく。
もう少し早く気がついて動いていれば……。
——いや、動いてどうなった。湧き出してくるやつらに殺されていたに違いない。
俺は必死に首を振り、脳裏に浮かんだ最悪のシナリオを振り払った。
仕事を終え、帰宅途中にあの稲荷神社の峠の手前にある製材所の前を通ると、何台もの消防車が赤色灯を点滅させて停まっていた。
田んぼの真ん中に建つその製材所の経営者は、同じ集落の人だった。
家に帰り着くと、玄関先で隣のおばさんとみしろが何やら親しげに話していた。
「あら、おかえりなさい。光司君」
俺の姿を見るなり、おばさんが愛想よく手を振る。
「昨日は、野菜をありがとうございます。スイカもすごく甘かったです」
……たぶんすごく甘かったのは、みしろが先に食べた中心に近い部分だったと思うが、一応そう言っておいた。
「そう、よかったわ。またいいの出来たら持ってきてあげるわね」
「すみません、頂いてばかりで……」
「いいのよ。おばさんは、みしろちゃんのファンになっちゃったから」
「知ってるんですか? みしろのことを……」
「知ってるわよ、光司君の『婚約者』でしょ?」
……また俺のいないところで、とんでもないことが起きていた。
言葉を失い、口を半開きにして立ち尽くす俺の肩をポンポンと叩き、隣のおばさんはご機嫌で戻っていった。
「み……みしろ。お前、今度は何言ったんだ!?」
「求愛行動……」
「そんなのいつ俺がした!?」
「色々くれるから」
みしろは、少し照れたように視線を逸らせた。
「本当にお前は……どういう価値観で生きてきたんだ……」
台所にはトウモロコシが置いてあり、冷蔵庫には鮎が入っていた。
「また、おばさんが持ってきてくれたのだろ?」
「そうよ」
「おばさんのくれたこれは求愛行動か?」
「おばさんは『つがい』だから」
「『つがい』って言うなよ……」
「おばさんに取られるって心配した?」
「してねーよ!」
呆れつつも台所に立ち、夕飯の準備を始める。
みしろは包丁を握る俺の手元を覗き込んできた。
「鮎、焼くの?」
「刺身なんてできないからな」
「なんでも焼くんだね」
「俺は、そんな難しい調理はできないんだよ」
「そうなんだ……」
「みしろ、昼は何食べているんだ?」
「トマトとキュウリとキャベツとスイカ」
まるでベジタリアンのような答えだったが、夜ごはんに俺が作って出すものは何でも残さず食べていた。
単に自分で料理ができないだけなのだと察した。
「分かったよ、明日から何か作っていくよ……これも求愛行動か?」
「光司はずっと昔からしてくれてたから」
「してねーよ」
晩ごはんを済ませ、居間で曽祖父の手記を開く。
昨日読んだ先へとページをめくった。
『私はその狐に名前をつけた……』
——また狐の観察日記か……。
『その美しい銀色の毛並みから、その狐を『美銀』と名付けた』
——『美銀』……。




