ヨーグルトとフルーツゼリー(6)
「いいかげん離せよ」
将人は昇降口前まで降りてきたところで、両手を使って強引に私の手を振り払った。
いつでもそうできたはずだけど、ここまで付いてきてくれたということは、一応は話を聞く気があったのだろう。
「わけわかんねえことするなよな、ったく――おお、痛ってえ」
私につかまれていた手首のあたりには赤い手形がついている。そこへ大袈裟に息を吹きかけながらさすって、将人は心底迷惑そうな表情で私を睨みつけた。
それに負けないくらい、私も眉根を寄せて強く将人を睨みつけた。
「わけわかんないのはこっちよ」
もう放課後というには遅い時間で、帰りの校内放送も終わってしまっている。
下駄箱が並ぶ薄暗い昇降口には人影もなく、もう蛍光灯が点いていた。
「だから、なんの話だよ?」
将人は面倒くさそうに頭を掻きながらそう言った。
「牧野さんと、なに話してたの?」
私が単刀直入にそう訊くと、将人は呆れた顔でため息をついた。
「お前まであのくだらない噂信じてんのか? さっきのはそんなんじゃ――」
「さっきもだけど――今日の昼休みに、二人で外にいるとこ見えたの。図書室から」
「……そういうことか」
将人は言いながら、背中で下駄箱の端にもたれかかった。
「バカだな。お前の想像してるようなことは何もねえよ」
迷惑だ、と言いたげに、将人は顔の前で手を振った。
「私には話せないってわけ?」
「そもそも、お前には関係ない話なんだよ。いちいち首つっこんでくんなって」
「だって!」
私は反駁しようとして言葉に詰まった。
――「だって」、何だろう?
その後が続かない。
胸がきゅっと締まるように、息苦しくなって言葉が出てこない。
そして一瞬、孝美の顔が脳裏をよぎった。
そうだ。
孝美の想いが伝わっていないまま、将人が別の人を好きになるなんて。
あの子に哀しい思いをさせるのはもうたくさんだ。私がここまで苛立っているのは、たぶんそれが理由だ。
「孝美は、将人のこと――!」
私は一瞬、昂った感情のまま、その続きまで言ってしまうところだった。
――私は何を言おうとしたんだ?
自制できたのは奇跡だった。
「ええと……孝美も、きっと、心配してる。野球に身が入らなくなるんじゃないかって」
「近藤がそう言ったのか?」
「ち、違うけど、そうかもしれないじゃない!」
「あほらし。話になんねえ」
あからさまに不機嫌な表情になって、将人は舌打ちをした。そして踵を返し、下駄箱の方へ歩き始めた。
「練習に顔出してくるわ」
「将人!」
「お前の言う通り、今日は一応練習日だしな。大遅刻だけどさ」
「ま――」
将人は振り返らずに行ってしまった。
私はそれ以上何も言えず、彼の背中を見送るしかなかった。
気落ちしたまま、教室に待たせている孝美のところに戻るため、私はとぼとぼ階段を上り始めた。
「朔子ちゃん」
二階に向かう階段の踊り場のところで、孝美が待っていた。
彼女は私のランドセルを持ってきてくれていた。私が無言でそれを受け取ると、孝美は私の背後に回り込んで、耳元に口を寄せてきた。
「さっき、言っちゃうところだったよね?」
孝美は威圧感のある低い声でそう囁いた。
ホラー映画を観た時のような戦慄が走り、背筋に冷たいものが伝った。
そうだった。孝美が将人のことを好きだと――幼馴染の友情以上の感情を抱いているのだということは、私たちの絶対の秘密で、口外しない約束だった。
「き、聞いてたの?」
「言わないでって言ったのに」
「ええと……ごめんなさい」
次第に冷静になってきた私は振り返って、素直に孝美に頭を下げた。
孝美は私の謝罪を聞くと、ぷっと吹き出して、いつも通りの口調に戻って言った。
「言わないでいてくれてありがとね。――でも、将人くんに迷惑かけるのはダメだよ」
「そんなつもりは――」
「言い訳はなし。あたしもありがた迷惑なんだから」
「うん……ごめん、反省してる」
さっきは確かにどうかしてた。
孝美のことも、将人のことも考えてなかった。キューピッド役をやろうという殊勝な覚悟すらなかった。ただ自分の理不尽な鬱憤を晴らすためだけに、大事な約束を破るところだったのだ。
ただ、一つだけ彼女に確かめておきたかった。
「ねえ、孝美」
「なぁに?」
そこまで大切にしている孝美の恋心をあらためて考えた時、どうしても理解できないことがあった。
「なんで孝美は、将人が他の女子と親しげに話してるってのに、平気なの?」
「なんでって……そんなの、いちいち気にしてたらきりがないじゃない。言ったでしょ、将人くんモテるんだから」
孝美の答えはシンプルだった。
「それはそうだけど――本当に?」」
やっぱり何か釈然としない。
第三者の私でさえあれほどイライラしたというのに、当の孝美の内心が穏やかであろうはずもないだろう、と思ってしまうのだけど――。
そっと視線を上げ、改めて孝美の目を見たけれど、何かをこらえていたり嘘をついている風でもない。
踊り場の高い窓から西日が射して、孝美の頬を赤く輝かせている。その微笑みは慈愛に満ちた天使のようにも、訳知り顔の小悪魔のようにも見えた。
さっきから校庭で練習していたパンサーズの子たちの声が、コンクリートの壁を何重にも反射して、やけにハッキリ聞こえてきていた。そして会話が一瞬途切れたところで、将人のよく通る張り切った声がそこに加わった。
孝美は一瞬、ちらりと階下の昇降口の方に横目を向けたが、すぐに私の方に視線を戻した。
不思議だった。
なぜそんなに悠然と構えていられるのか。
「だって、それを言ったらさ」
と、孝美はあきれ顔で、さも当然のことを指摘するように言った。
「レイちゃんよりもよっぽど、将人くんと親しげに話してる女子だっているじゃない?」
「え、誰? そんな人――」
私にはまったく心当たりがなかった。
そこで孝美はすっと手を伸ばし、微笑みをたたえたまま――無言で私を指さした。




