ヨーグルトとフルーツゼリー(5)
噂は日増しに尾ひれがついていった。
思春期も間近い小六女子たちにとって、夏休み明けの平凡な日常を退屈せずに過ごすための話題としては、身近な人物の色恋沙汰というのがうまく時機に適ったのだろう。気の毒だけど、将人も牧野さんも体よくダシにされたというわけだ。
それにしても、千葉さんに言われるまでもなく、孝美の泰然と腰の据わった態度はどうにも解せなかった。
ちょっとは不安そうな気配を見せてもよさそうなものなのに、「絶対にない」とまで確信をもって言える理由がわからない。
夏に彼女自身の口から聞いた話だと、将人の方は孝美の好意には全然気づいていない、ということだった。
変な言い方になるけど、孝美は将人のその鈍感さを信用しているんだろうか?
だけど、それは相手が孝美だからであって、むしろバカであるがゆえに、コロッと牧野さんに一目惚れしたりするんじゃないか、とも思うのだ。
私はもやもやした気持ちのまま、水曜日を迎えた。
昼休み、私は他の女子たちの雑音に耐えかねて、今日は教室で本を読むのを諦め、図書室に向かった。
さっき食べた給食には久しぶりに粉末タイプのミルメークがついていた。チューブタイプに完全に切り替わったものと思っていた私にとっては嬉しい不意打ちだった。お行儀は悪いけれど、牛乳には半分だけ入れて、残りの粉をそのままぺろぺろ舐める背徳感が好きだったからだ。
この浮き立った気分に、妙な噂話で水を差されたくない。それゆえに図書室だ。
第三小学校の図書室は最上階の廊下の東側突き当たりにあり、放課後と比べると、昼休み中はやや閑散としている。
読書感想文の課題図書になるような本や、低学年向けの平易な読み物、高学年向けのジュブナイル小説、学習まんが、理科や図工の授業で使う説明書みたいな本、児童ではなく先生が読むような難しい資料本など、幅広い蔵書を誇っていた。
広い部屋の西側に設けられた貸出カウンターの奥では、図書委員たちが何か黙々と作業をしているようだった。
そのカウンター席の前、図書室の西側三分の一くらいが、テーブルやカウンター、椅子などが置かれた十分な広さの読書スペースになっている。
私はその窓辺のカウンター席の一隅に腰を落ち着けると、持ってきた『八重歯のあいつ』を読み始めた。
マンガじゃない限り、持ち込み図書をここで読むことも特に禁止されていない。
今日は澄んだ秋晴れで、しばらくすると強い日差しが気になってきた。
私はカウンターの図書委員に確認を取ったうえで、白いカーテンを引こうとした。
そこで、ふいに聞きなれた声が風に乗って聞こえてきたような気がした。
読書スペース側の窓は換気のために開けてあって、たまに外の声が小さく聞こえてくることがある。
窓から少しだけ身を乗り出し、下を見ると、案の定、学校指定の体操着を着た将人がいた。
プールを囲うフェンスの東側、砂利が敷かれたマラソンコースの脇にある小さな東屋のあたりで、校庭で遊ぶ児童が多いこの時間はほとんど人気がない。
そして、将人は一人ではなかった。
さらりと長いストレートロングの黒髪、すらりとしたスタイルの女子。
見まごうことはない。あれは牧野さんだ。
「なに、それ……」
思わず不平が口に出た。
折角あの噂を逃れてきたというのに、よりによって本人たちが、人気のない場所を選んで、二人きりで何かを話しているのを目撃してしまった。
瞬間的に頭が沸騰する。
もしここが四階じゃなかったら、助走をつけて将人の背中にドロップキックをかましていたかもしれない。
幸いにして私には飛び降り自殺の願望がなかったので、ぐっとこらえて、自分の気の短さを反省しつつ深呼吸をする。
それでも、小説の続きを読み進める間じゅう、さっき見えた将人たちの姿が何度も思い出されて、まったく集中できなかった。
予鈴が鳴って教室に戻ると、既に将人も牧野さんも席についていて、何事もなかったかのように平然としているように見えた。
将人と牧野さんの席は同じ列で、班は違うけど、牧野さんの二つ後ろが将人の席だ。二人の間の大橋さんが今日は病欠だったので、先生が資料のプリントを配ったり提出物の回収をしたりするたびに、二人は向かい合う格好になる。
私の席からはその様子がよく見えて、その都度ちくりと胸が痛んだ。
――嫌な予感がする。
本当に孝美はのほほんと構えていていいのだろうか?
将人が牧野さんを好きになる可能性は、万にひとつもないんだろうか。
今は大丈夫でも、中学生や高校生になったとき、今回の縁でお互い意識し合ったり付き合い始めたりしないだろうか。
考え始めると、頭の中でそんな妄想がぐるぐる回ってたまらなくなった。
おかげで午後の授業はずっとうわの空で集中できず、帰りの会が終わってもそんなふうだった。
「なんだか、今日の朔子ちゃん、ちょっと怖い目してるね」
「え、そうかな?」
ランドセルをロッカーから引っ張り出して、廊下に出る手前のところで、孝美が話しかけてきた。
「何かあったの?」
「うん、将人の――いや、なんでもないけど」
「まだ噂のこと気にしてるんだ」
孝美の態度は腹が立つほど相変わらずで、私の苛立ちを少し加速させた。
「ちょっと。孝美がそんなんじゃだめでしょ? ほんとに取られちゃうよ?」
「あたしには、朔子ちゃんがキユウしてるようにしか見えないけどなあ」
キユウ? 杞憂か。いらない心配ってことか。でも、果たしてそうなんだろうか。
教室を出たところで、私は立ち止まってしまった。
将人が、また牧野さんと話していた。
牧野さんの声は相変わらずか細くて聞こえないけど、ところどころ将人の声は耳に届いた。
「昼休みに言ってた……うん、牧野のお父さんの都合が合えば……やっぱり責任感じてるしさ……」
お父さん? 予定? 責任?――一体なんの話だ?
「孝美、ちょっと待っててくれる」
「いいけど、どうしたの?」
私はそれには答えず、大股歩きでずかずかと将人と牧野さんの方にまっすぐ歩み寄った。
そして、将人の右手首のあたりをむんずとつかんで引き寄せる。
「何もたもたしてんの。あんた今日は練習あるんじゃないの?」
「な、なんだよ急に」
「牧野さんごめん、悪いけどこいつ借りていくわ」
「お、おい……」
突然のことに、将人も牧野さんもきょとんとした表情だ。
私はそのまま有無を言わさず、昇降口に降りる階段の方に将人を引っ張っていった。




