ヨーグルトとフルーツゼリー(3)
「ほんと、昨日はあのあと大変だったんだから」
と、孝美は愚痴を漏らした。
彼女の前にはバンダイ百四十四分の一マ・クベ専用ギャンの箱が置かれているが、まだ蓋が開いていない。
孝美から聞いたところによると、あらましはこうだ。
昼休みの校庭での源平の最中に、将人が全力で投げたボールを、その標的になった佐藤くんが華麗に回避した。
その結果、ボールは運悪くその後ろにいた牧野さんの側頭部に命中して、彼女は倒れ、そのまま気絶してしまったのだという。
「レイちゃんずっと倒れたまんまだし、将人くんはおろおろして大慌てだし」
「結局、牧野さん大丈夫だったの?」
「うん。病院行って検査して、脳震盪は起こしてなくて、ショック性の失神だって」
それって大丈夫なんだろうか。
ともかく昨日は五時間目と六時間目の授業が自習になり、保健委員の孝美と、当事者の将人は付き添いのため帰りの会まで教室に帰ってこなかった。
そして牧野さんが緊急搬送された日の翌日、土曜日の午後に、私たちは共通の友人である佐浦航の家に集合し、いつものプラモデル製作会を開催していた。
土曜日なので学校は半ドンだ。私と孝美はランドセルを背負ったまま伝上山まで歩いて、〈模型のかとう〉で新しいキットを買うと、その足で航ちゃんの家に向かったのだった。
「ねえ、その将人くんて、朔子と孝美ちゃんの話によく出てくるよね。どんな人なの?」
航が、ハセガワモノグラム四十八分の一P-38ライトニングを作る手を止めて訊いてきた。
そういえば航には、将人のことを紹介していなかった気がする。
「一言で説明するなら、孝美の好きな人」
私は買ったばかりのタミヤ製三十五分の一ソビエトT-34/76戦車一九四三年型の組立て説明書を読みつつ、簡潔にそう答えた。
「ちょっと、朔子ちゃん!」
孝美が軽く抗議する。
「いいじゃん。航だし」
「もー。他の人に言いふらしてないよね?」
「してないけど、ファンクラブの二人は知ってるみたいだったよ」
「ええ? みゆきちゃんも?」
情報通の千葉さんに知られていないと思っていたのか。
千葉さんに限らず、態度があからさまだから、たぶん近しい関係のクラスメイトたちには(将人本人を除いて)とっくにバレてるとは思うけど、孝美は隠しているつもりなのだ。将人への好意を。
しかし、なんで孝美が将人を好きになったのか、そのきっかけまで知っているのは私くらいじゃないだろうか。
「私と孝美と将人はね、幼稚園も同じでさ。帰り道は親が迎えに来る場所まで三人一緒に歩いてたんだよ」
三人は団地の同じ棟の同じ階段に住んでる同い年ってことで、親同士も交流があり、赤ん坊のころから一緒に遊んでた幼馴染同士だった。
「へえ、その頃から一緒に帰ってたんだ」
「まあね。んで、その途中にでっかいブルドッグ飼ってる家があってさ」
「ブルドッグ?」
「うん。〈猛犬注意!〉ってシールも表札んとこに貼ってあって。その前を通る時に毎回吠えてくるんだよね、ブルドッグ。で、孝美が怖がるもんだから、その都度いつも将人が孝美を守るように犬の方に寄るわけよ」
「おおー、ナイトじゃん!」
「たぶん孝美には、将人がそう見えてたんじゃない?」
「……もー、やだぁ」
将人とのなれそめを語る間、徐々に頬を赤らめて沸騰寸前になった孝美は、両手で顔を覆って卓袱台に突っ伏してしまった。
「なによ、恥ずかしがることないじゃない」
「この世で一番恥ずかしがることだよ! 朔子ちゃんはそんなことばっかり覚えてるんだから!」
「ごめんごめん」
そういえば夏休みには、孝美と幼いころに交わした約束を私がすっかり忘れていたことで、ひと悶着あったばかりだった。
「で、話を戻すけどさ」
と、航がテーブルの上のアイスコーヒーを一口すすってから言った。
アイスコーヒーは航のお母さんのお手製で、インスタントではなく豆から挽いて抽出したものらしい。とてもいい香りがする。
「朔子の方とはどうなの? その将人くん」
「私?」
と、急に話を振られて、私は頓狂な声を上げてしまった。
まだ、ちゃん付けではない「朔子」と呼ばれるのに慣れていない、というのもあったけど、それより、この流れでなぜ私の話になるんだろう。
「私は普通に、たまたま向かいに住んでる幼馴染ってだけだけど?」
「でもさ、カッコよかったんでしょ?」
「孝美にとってはね。私は別に犬、怖くなかったし」
カッコよかったというなら、初対面の時の航の方がよっぽどカッコよかった。
「朔子ちゃんが睨むと、吠えてたブルドッグが鳴きやんでたもんねー」
卓袱台から顔を上げた孝美が、そう言ってクスクス笑った。
私は少しむっとした表情で彼女を睨んだ。実話ではあるけれど、それだとなんだか私が犬より凶暴な女児だったみたいじゃないか。
でも、航はそれで納得してしまったようだった。
「あはは、そうなんだ……でもまあ、同じ六年生なのにあいつらとはえらい違いだなあ。その倒れた女の子に病院まで付き添っていくなんて、紳士的じゃない」
「あいつら?」
「ほら、いつも〈かとう〉にたむろってるあいつら」
ああ、あの一小の男の子たちか。
確かに典型的な悪ガキっぽい。航のことを「オトコオンナ」とか呼ぶ頭の悪そうな男子グループだ。
「うーん、将人だって普段はあいつらとそんな変わんないよ」
私は航の認識を訂正すべくそう言った。
今は少年野球チームがあるから紳士のフリをしているだけで、本性はほかの幼稚な男子連中とそう違わないと思っている。
「私、二年生まで髪を横で結んでたんだけどさ、将人がうしろの席になって、しょっちゅう引っ張ってくるから、嫌んなって髪切ったんだもん」
「へぇー、今の髪型似合ってると思ってたけど、そんなことがあったんだ」
「まあ、結果的に今のほうが楽でいいんだけどね」
母親は、もう少し伸ばしたほうがええんちゃう? などと無責任に言ってくるけど、ショートの方が手入れも楽だし、クセがついても言い訳がきくのがいい。
その後はお互いの髪の毛事情に関心が移り、もう将人の話題はそこで終わりになった。




