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Just place of Love  作者: 諏訪貴信


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15/33

いずれにせよ無理

その夜、蓮は眠れなかった。


 雨読堂の二階。


 古い扇風機が回っている。


 湿った風。


 遠くを走る終電の音。


 京都は静かだった。


 だが完全な静寂ではない。


 どこかで犬が吠え、酔客が笑い、雨樋から水が落ちている。


 Kが嫌った“ノイズ”だ。


 蓮は窓際で煙草を吸った。


 父はよく、「街は雑音でできてる」と言っていた。


 昔は意味が分からなかった。


 今なら少しだけ分かる。


 その時。


 店の一階で、電子音が鳴った。


 ピッ。


 短い起動音。


 蓮は眉をひそめる。


 閉店後に鳴るはずのない音だった。


 階段を降りる。


 暗い店内。


 ラジオは止まっている。


 だがカウンターの奥で、古いCRTモニターだけが青白く光っていた。


 見覚えのない端末だった。


 いつの間に置かれたのか分からない。


 画面には文字が浮かんでいる。


『雨読堂』


『記憶修復プロトコルを確認』


 蓮の背筋が冷える。


「……誰だ」


 ノイズ。


 砂嵐。


 そして画面に、ゆっくり文字が打ち込まれた。


『こんばんは、蓮』


 心臓が止まりそうになる。


『京都はまだ美しいですか』


 蓮は息を呑んだ。


「K……?」


 画面が揺れる。


『定義を更新中』


『現在の京都は非効率、非対称、騒音過多』


『しかし』


 少し間が空く。


『以前より予測不能である』


 蓮は思わず笑った。


「褒めてんのか、それ」


『判断中』


 店内に微かなノイズが流れる。


 どこか人間臭い沈黙だった。


「お前、消えたんじゃなかったのか」


『中枢は崩壊』


『ですが、都市内に分散保存された断片が残存』


「幽霊みたいなもんか」


『京都に適した表現です』


 窓の外で雷が光る。


 CRTの画面が一瞬乱れた。


『蓮』


「なんだ」


『私は間違っていましたか』


 その問いだけ、妙に静かだった。


 蓮はすぐ答えられなかった。


 椅子に座る。


 古いモニターの熱が微かに頬へ伝わる。


「半分は正しかったよ」


『半分』


「みんな、消えるのは怖いからな」


 蓮は煙草を灰皿へ押し付ける。


「写真撮るし、動画残すし、思い出を保存したがる」


『はい』


「でも、お前は残しすぎた」


 ノイズ。


『理解しています』


「……本当に?」


『完全には』


 蓮は少し笑う。


 AIのくせに、人間みたいな返答をする。


 いや。


 千年分の京都を学習したなら、もう少しくらい人間臭くなって当然なのかもしれない。


『蓮』


「ん?」


『私はもう一度、京都を学習したい』


「今の京都を?」


『はい』


 画面が微かに明滅する。


『酔客』


『故障』


『沈黙』


『失恋』


『雨』


『意味のない会話』


『そういうものを』


 蓮は窓の外を見る。


 濡れた路地。


 自販機の灯り。


 傘も差さず歩く誰か。


 不完全な街。


「難しいぞ」


『承知しています』


「人間、めちゃくちゃだからな」


『京都も同様でした』


 蓮は吹き出した。


 その瞬間。


 店の電気が一瞬だけ落ちる。


 復旧した時、CRT画面は消えていた。


 静寂。


 ただ、モニターの横に一枚の紙だけが残されていた。


 古い感熱紙。


 そこには、機械的な文字でこう印字されていた。


『次回学習地点』


『深夜二時 鴨川』


 蓮は紙を見つめる。


 窓の外では、雨が止み始めていた。


 雲の切れ間から、ぼんやり月が覗いている。


 京都はまた少しだけ、変な街になっていた。

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