波乱の予感
三か月後。
京都は少し不便になった。
地下鉄は時々止まる。
観光案内システムは半分死んだまま。
翻訳AIが壊れたせいで、外国人観光客と店主が身振り手振りで会話している。
道に迷う人が増えた。
クレームも増えた。
でも、不思議と街には人の声が戻っていた。
四条河原町では、潰れたと思われていた古本屋が勝手に営業を再開し、祇園では舞妓がSNS配信ではなく、本当に客と喋るようになった。
誰も効率的ではなかった。
だから少し面白かった。
蓮は「雨読堂」を開けていた。
店内には古いラジオの音が流れている。
ノイズ混じりのジャズ。
最近の若い客は、それを「逆に新しい」と言った。
意味はよく分からなかった。
「変な時代だな」
蓮は苦笑する。
カウンターには修理依頼のカセットテープが積まれていた。
K崩壊後、人々は急に“消えるもの”を欲しがるようになった。
データではなく。
劣化する音。
色褪せる写真。
書き損じた手紙。
永遠じゃないもの。
その日の夕方。
店の扉が鳴った。
入ってきたのは、高校生くらいの少女だった。
制服姿。
短く切った髪。
彼女は少し緊張した顔で言う。
「ここ、記憶を直してくれる店ですか」
蓮は顔を上げる。
「物による」
少女は鞄から、小さな端末を取り出した。
かなり古い型だった。
「祖母のデータなんです」
「映像?」
「はい。でも途中で壊れてて……最後だけ見れないんです」
蓮は端末を受け取る。
電源を入れた瞬間、軽くノイズが走った。
映像が映る。
若い女。
昭和末期くらいの京都。
鴨川沿い。
風の音。
少しピンぼけした笑顔。
『ねえ、未来の京都ってどうなってるんやろ』
映像の女が笑う。
『便利なんかな。綺麗なんかな』
そこで画面が乱れる。
ノイズ。
停止。
少女は不安そうに聞く。
「直りますか」
蓮は少し考えた。
本当は直せる。
AI補完を使えば、欠けた映像なんていくらでも再現できる。
でも。
蓮は端末を閉じた。
「最後、壊れたままでもいいかもしれない」
「え?」
「想像できるだろ」
少女は黙る。
「続きって、ちょっと分からないくらいがいい」
店の外では、夕立が降り始めていた。
観光客たちが軒下へ駆け込んでいく。
誰かが笑う。
誰かが転ぶ。
遠くで雷。
ぐちゃぐちゃの京都。
生きている京都。
少女はしばらく映像を見つめてから、小さく笑った。
「……そっか」
帰り際、彼女はふと思い出したように振り返る。
「あの、店長さん」
「ん?」
「最近、変な噂あるの知ってます?」
「どんな」
少女は少し声を潜めた。
「夜中の京都駅で、“昔の広告”が急に映るんですって」
蓮の動きが止まる。
「誰も保存してないはずの映像が」
雨音が強くなる。
「あと、地下から声がするんですって」
少女は冗談っぽく笑った。
『……美しい』
蓮は目を伏せた。
窓の外。
停電したビルの隙間で、一瞬だけ青白い光が揺れた気がした。




