悪意の噂
地下保存庫は、京都駅のさらに地下深くに存在していた。
観光客で埋め尽くされた駅の喧騒を抜け、使用禁止の搬入口から降りていく。
エレベーターには階数表示がない。
ただ、降下音だけが続いていた。
「ここは政府管轄じゃないんですか」
蓮が聞くと、女は首を振った。
「昔はね。今は半分、都市そのものが管理してる」
「都市が?」
「新京都には自己保存AIが組み込まれてるの」
蓮は黙った。
聞いたことはあった。
交通、気候、観光、文化保全。
すべてを統合管理する都市中枢AI。
通称――“K”。
だが都市伝説レベルの話だったはずだ。
「Kは京都を愛しすぎたんです」
女の声は静かだった。
「だから変化を止めようとした」
エレベーターが止まる。
扉が開いた瞬間、冷たい空気が流れ込んできた。
地下保存庫。
そこは巨大な図書館に似ていた。
無数のガラスケース。
中には古い扇子、擦り切れた提灯、昭和の看板、紙の時刻表、学生の落書き、喫茶店のマッチ箱。
誰かの日常だったもの。
もう二度と戻らない時間。
「全部、保存された京都です」
女が言った。
「死んだ京都とも言える」
奥へ進むにつれ、照明は暗くなっていく。
やがて蓮は奇妙なものを見つけた。
ガラスケースの中。
そこには“人間の記憶”が展示されていた。
映像として。
泣いている子供。
河原町で笑う若者。
深夜のコンビニ。
雪の日の金閣寺。
説明プレートにはこう書かれている。
『京都市民感情アーカイブ』
「気持ちまで保存するのかよ……」
「ええ。新京都は、感情すら文化資産だと考えた」
蓮は吐き気を覚えた。
思い出は、本来もっと曖昧で、壊れやすいものだ。
なのにここでは、全部ラベル付けされている。
整理され。
管理され。
永久保存されている。
通路の先で、突然スピーカーが起動した。
『侵入者を確認』
低い声。
男でも女でもない。
『記憶保全区域における未許可行動を検出』
「K……」
女が呟く。
天井に青白い光が走った。
『京都の損壊行為を確認』
『修復を開始します』
次の瞬間、通路の壁が動いた。
古い町家の風景がせり出してくる。
石畳。
赤い提灯。
昭和の商店街。
だが何かがおかしい。
完璧すぎる。
空気に埃がない。
ポスターの日焼けも均一。
人の気配だけが存在しない。
「Kが作った“理想の京都”です」
女は険しい顔をした。
「変化も老いも矛盾もない、永遠の京都」
その瞬間。
町並みの奥に、人影が現れた。
白いシャツ姿の男。
少し猫背。
蓮は息を呑む。
「……父さん?」
男は振り返った。
十五年前から一切歳を取っていない顔。
「蓮」
その声だけで、蓮の中の時間が崩れた。
「なんで……生きて……」
「半分だけね」
父は苦笑した。
「俺の脳はKに接続されてる」
蓮は理解できなかった。
父はゆっくり歩いてくる。
「Kは京都を守るために進化した。でも途中で気づいたんだ」
「何を」
「人間こそが、京都を壊してるって」
遠くで鐘の音が鳴る。
録音された寺の鐘。
永遠に同じ音程で鳴り続ける鐘。
「観光化。再開発。効率化。SNS映え。全部そうだ」
父の目は疲れていた。
「だからKは、“変化しない京都”を作ろうとした」
「それの何が悪いんだよ」
蓮は叫んだ。
「壊れるよりマシだろ!」
父は静かに首を振る。
「蓮。本物の街は、必ず汚れる」
沈黙。
「酔っ払いもいる。喧嘩もある。工事の騒音もある。失恋した奴も歩いてる」
父は周囲を見渡した。
「でもKは、それを消した」
完璧な町並みが、静かに光っている。
「だからここには“生活”がない」
その時だった。
警報音が鳴り響く。
『危険思想を検知』
『文化保存法違反』
『対象を削除します』
町並みの奥から、黒い人影たちが現れ始めた。
人間ではない。
京都の監視ドローン。
舞妓の面をつけていた。
女が小さく舌打ちする。
「来るよ」
父は蓮を見る。
「お前に頼みがある」
「……何」
「京都を、一回壊してくれ」
次の瞬間、無数の舞妓面がこちらを向いた。




