邪竜登場
クラフバインドが住む渓谷を流れる川は谷間を流れ、湖に流れ込む。
その湖のほとりには岩山を削って作られたらしき、やたら頑丈そうな城塞があった。
ルギタイ砦。
砦の周囲は何もない枯れ始めの草原が広がっている。
きっと春には色取り取りの花が咲き、
夏には青々と若葉が風にゆれ、
秋には睡蓮と紅葉が湖に浮かび、
冬には野焼きが行われて、あちこちから煙が立つに違いない。
だが、祐一を含む第二騎士団の面々には、そんな風景を堪能する余裕などなかった。
輸送車両が到着したのは日も暮れて足元が危うくなった時間で、翌日の出発は早朝だった。
しかも、輸送車両はなしでだ。
彼らは山を登るのだ。徒歩で。
***
祐一が第二騎士団の司令室に集められたのは、出発前日の夕方だった。
連れて行かれた部屋には、既にオーベルを始めとして数人の士官達がいた。
ブレアは羊皮紙に描かれた地図をテーブルに広げる。
地図にはアール地溝の詳細な様子が描かれていた。
邪竜を倒すために、正確な地形を測量したのだろう。
地図の真ん中には蛇行する線が引かれている。渓谷を表しているようだ。
その周囲には、あちこちに細かい記号が無数に書き込まれている。
例によって、この世界の文字が読めない祐一にとっては意味不明の産物だった。
「クラフバインドは、邪竜の中では二番目に弱いと言われている」
祐一以外の面々にとっては、何を今更、レベルの話らしい。
毎年遠征しているらしいから、他の仕官達は何度も戦っているのだろう。
「その理由は、攻撃手段に乏しいからだ。この邪竜には、火花を散らす触手がついている。この火花は小型の雷だという学者もいるが、威力は弱い。ただ、腕が動かなくなったりする事があるが、離れればすぐに回復する」
その話が本当なら、クラフバインドは発電能力を持っている事になる。そして、触れた物を感電させるのだ。
電気を受けると痺れるのは、神経系が電気信号を使っているから。本来の情報と、電気による誤情報が混じって、ビリビリになってしまう。
「これがクラフバインドだ」
その地図の渓谷の上に、ブレアは何かを置いた。
トゲ付き鉄球を模したような雑なつくりの物体。色は青。
大きさからして、祐一の世界でのチェスの駒を思わせる。
「クラフバインドの特徴は、飛行能力だ。飛んでいる物に対して、巨大甲冑は不利だ」
巨大甲冑は空を飛べない。
いつもなら大した問題でもないが、今回ばかりはキツイ。
「敵の動きは遅いので、クロスボウなら当たるが、その程度の攻撃は跳ね返されてしまう。そこで今回は、大砲を使う」
それを聞いた途端、士官の一人が嫌そうな顔になる。
「隊長、それは、マズイのでは? 確か十年前の討伐隊がそれをやって……」
「……話には聞いている。だが去年のように、触る事すらできないのでは意味がない。とにかく地上に降ろす事だ」
祐一にはよく解らないが、大砲を使った攻撃には何かと問題があるのだろうか?
「とにかく作戦だが……班を二つに分ける」
ブレアは、兜を模した駒を二つ、ルギタイ砦を表しているらしい記号の上に置く。
「一班、これはオーベルが指揮を取る。事前調査に参加したリーフェィトとウインズが補佐をする」
オーベルと、士官の二人が頷く。
「一班は、大砲を背負って山岳地帯を走破する。クラフバインドの位置を確認してから、ここか、ここ。あるいは、ここ……」
ブレアは一つ目の兜を動かす。さらに邪竜の駒を少し動かす。
「三箇所のいずれかに大砲を設置し、クラフバインドを砲撃する。このポジションでは上からの一方的な攻撃が可能のはずだ。研究報告書によると、クラフバインドの飛行力は、体の周囲に生えている繊毛による物らしい。繊毛の大部分を破壊すれば、墜落する」
ブレアは二つ目の兜を動かす。渓谷の中、邪竜の駒の隣に置く。
「そして、降りてきたクラフバインドに致命打を与えるのが二班。これは私の指揮下となって、渓谷の底を進む。私が先頭、レイラが最後尾を担当」
ブレア以外では唯一の女性が頷く。
「二班は墜落してきたクラフバインドを直接攻撃する。位置取りが遠すぎるとうまくいかない。かと言って、近すぎると押しつぶされる危険がある。一班の位置とクラフバインドの位置を常に確認しながら行動する必要がある」
「落ちてきた後は、剣で斬ればいいのか?」
祐一が聞くと、ブレアは頷く。
「基本的にはその通りだが、クラフバインドは攻撃を受けると分裂する」
「分裂?」
意味が解らない。
「そう分裂だ。袋が破れて、百近い数の小型ドラゴンを吐き出す。そのほぼ全てはダミーで本体は一つしかない。だが、その本体を逃がしてしまえば、半年後には元の大きさに戻ったクラフバインドが谷を我が物顔で飛び回る事になる」
百分の一以下の体積になったくせに半年で再生するのは、いくらなんでも早すぎる。
トカゲ……いや、もはや棘皮生物か単細胞生物すら凌駕する。
「無限の再生能力の由来がそれか……。本体とダミーの見分け方は?」
「違いはあると言われているが、アテにはできん。一つ残らず叩き潰すつもりでかかれ」
オーベルが手を上げる。
「クラフバインドが渓谷の中にいなかった場合はどうしますか?」
「三日掛けて観察した所では、そのような傾向は見られなかった。崖の上まで上昇するだけの能力がないと考えている。だから作戦には組み込んでいない」
ブレアはあっけなく提案を切り捨て、それから少し考えて付け足す。
「万が一の場合は、撤退しろ。可能なら攻撃して墜落させてもいいが、その辺りの細かい判断はオーベルに一任する」
「解りました」
「ちなみに、この作戦は十年前に行われた作戦の焼き直しだ。その時なぜ失敗したのかは、誰でも知っている事だと思うが……」
「俺は知らないんだけど……」
ブレアは祐一の方をちらりと見た後、続ける。
「失敗に終わった理由はいくつかある。段取りが悪かった事、大砲を味方に誤射してしまった事、ダミーをばら撒いて本体だけが逃げ出すのを知らなかった事。などなど……。練度の低さと情報不足が原因だろう」
だから今回は、時間を掛けて情報を集めてきたという事か。
「もっとも、最大の敗因は、恐怖に駆られた隊員がおかしな行動を取って味方を襲い始めたから、とも言われているのだがな。我ら第二騎士団に、そのような軟弱者はいない」
「……」
***
そういうわけで、第二騎士団は二手に分かれて山の上と渓谷を目指す。
祐一は、当然のごとく、ブレアのいる二班に編入されて、渓谷の底を進んだ。
幅、数十メートルのな広大な谷川。
「グランドキャニオンより凄いんじゃないのか、これ……」
祐一はボヤキながら、ブレアの後を歩く。
行軍は難航した。
川の水は透明で、川底までよく見えたが、屈折のせいで川底までの距離が掴みづらい。踏み出す距離を間違えて、転びそうになる事はなんども。
ところどころ、穴が開いたようにそこだけ深くなっている場所や、岩が転がっている場所もあって、一歩一歩が危険の連続だった。
できるだけ、水深の浅い端を歩く。
作戦会議の時は、山道の方が遠回りに思えたのだが、ここまで歩きにくいとなると、むしろ一班の方を待たせる事になるかもしれない。
遅れを取らぬよう、全員が無言で黙々と歩き続けた。
やがてブレアが静止を命じた。
何かと思っていると、遠くの方から大砲の音が響いてくる。
砲撃が始まったのだろうか? だとしたら、クラフバインドも近くにいるはずだ。
祐一にはどういう仕組みかよく解らないのだが、作戦は予定通りに進んでいるらしい。
騎士団の隊員達は槍や剣を構え、それを待つ。
やがて、カーブを曲がった向こうから、それが現れた。
邪竜クラフバインド。
直径五十メートルはあろうかと思われる、巨大なぶよぶよした半透明の青い塊。
それが、当たり前のように宙に浮いているのは不思議な光景だった。
表面には無数の繊毛が生えていて、チリチリとスパークを散らしている。
体の下側には、無数の触手がぶら下がっていて、こちらも電気が流れているようだった。
その姿はまるで……
「クラゲ、か?」
周囲に数匹の小クラゲを従えている。
遠くからの砲撃。
巨大クラゲの体が着弾の衝撃で揺れて、直後、そこが爆発する。
その一撃でバランスを崩したのか、巨大クラゲはふらふらと横に流れて、崖に激突した。
その下を、ブレアが駆け抜ける。
「おい、ブレア!」
『私は、こちらで本体の逃げ道を塞ぐ。必ず倒せよ!』
戦闘は、祐一と部下達に丸投げするつもりらしい。
巨大クラゲは自身の体を岩肌に押し付けるようにしながら、ズルズルと落下してくる。
そしてついに、川面に転げ落ちた。
水面に突入した巨体が、大きな波を作って足を引っ張る。
どうにかバランスを取った祐一の目の前に、立ちはだかるは五十メートル級の塊。壁か山か。
身長十メートルの巨大甲冑が、小人のように思えてくる。
絶望的な気分で、祐一は叫んだ。
「……これを、どうしろって言うんだよ!」
祐一にとっては始めての邪竜戦です。
ちなみに、発電能力を持っている生物(電気ウナギ、シビレエイなど)は実在しますが、クラゲにはそんな機能ありません。
あれはただの麻痺毒らしいですよ、残念。




