海底の夢
海の底にいるのかと思った。
別に、呼吸ができないとか、魚がいたとか、ワカメが生えているとか、そういう事ではない。
ただ、上の方から降り注ぐ光が、何かのリズムでゆらゆらと揺れている様が、なんとなく海の底を連想させた。
「どこだ、ここ……」
祐一はぼんやりと辺りを見回した。
地面は白っぽい砂か何かで、浅い溝が何本も、平行に走っている。
少し離れた所に岩のような物があって、その上に白っぽい何かが置かれている。それ以外は何もない、地平線の果てまで。
空を見上げると、はるか上の方でゆらゆらと揺れている。
そして自分自身の体を見下ろせば、服を着ていない。腰の周りに白い布を巻きつけただけの、奇妙な格好だった。
「なんだこれ……」
今は、北へ出発する日の前の夜だったはずだ。
巨大甲冑を整備して、輸送車両に乗せて、物資を積み込んで、そんな諸々の準備を終えて、ようやくベッドに潜った。明日未明には出発するから、早起きをしなければならない。
決して、海の底だかどうだかも解らないような異空間に放り出されるような前フリはなかったはずだ。
「だとすると、これは夢か?」
夢にしては意識が鮮明すぎる気もしたが、そういう夢もあるのかもしれない。
「夢だとして……どうすりゃいいんだ?」
とりあえず、この辺りで何か意味がありそうな物は、少し離れた所にある岩しかない。
そして祐一は近づいてみて、初めて気づいた。
遠くからでも岩の上に乗っているのが見えていた白っぽい物。
それは、素肌の上に白い布を巻きつけただけの少女だった。
「……」
少女は、見た事もない――いや、どこかで見た事がある?――ような綺麗な寝顔で、すやすやと寝息を立てている。
その服装はちょっとアレかな、と思ったけれど、これでも第一夢人|(意味不明)だ。話しかけておいても損はないだろう、たぶん。
「あのさ……」
「ん? うーん……」
少女は、寝ぼけたように
ゆすって起こそうか。でも触った途端に布が解けたりしないだろうか。そしたらセクハラにならないか。いや、夢の中だからいいか。……みたいな事を思いながら手を伸ばす。
むき出しの肩を軽く押す。
「誰ぇ? そこにいるの?」
少女はぼそぼそと呟きながら薄目を開ける。
その時になって、祐一はようやく気づいた。その少女は、佐原香奈だ。現代日本で祐一と同時に交通事故にあった少女だ。
「……佐原? おい、佐原だよな?」
「ほあー?」
祐一がやや乱暴に揺すると、佐原は大きなあくび押してから、上体を起こした。
「……」
まだ頭が働いていないのか、眠そうに目を擦り、頭を振って、そしてようやく祐一の姿を認めた。
「とっ、時田君?」
慌てて岩から飛び降りてくる。
着地に失敗してこけた。運動神経など、ない。
「大丈夫か?」
祐一はしゃがみこんで手を差し出す。佐原は、祐一の手を両手で握り締めた。
「時田君? 本物? 幻とか幻覚じゃないよね」
「俺自身は本物のつもりだけど?」
祐一は佐原を引っ張って起こす。
佐原は立ち上がってからも祐一の手を離そうとせず、むしろ力を込めてくる。
「そっか、夢みたい……」
「いや、たぶん俺の見てる夢だと思うけど」
「そうなの?」
「いや、素で聞かれても困るんだが」
そんなあやふやな事なんか、答えようがない。
佐原は少し悩んでいたが、頷く。
「夢でもいいよ、会えてよかった」
佐原は握ったままの祐一の腕をぶんぶんと上下に振る。
そして、完全にいらないタイミングで、佐原の体に巻きついていた布が解け落ちた。
はらりと。
「きゃーっ!」
改めて体に布を巻きなおして、佐原は地面に座り、岩に背を預けた。
祐一もその隣に座る。
ここから見上げる空は、なんだか揺らいでいる。
「ねえ。時田君の方は、今、どんな感じになってる?」
「んー、どんな感じっていうか。……ファンタジー世界みたいな所に呼び出されて、ロボットみたいなのに乗せられて、ドラゴンと戦ってる」
佐原は、驚いたように口に手を当てる。
「ドラゴン……? それって、炎とか吐くの?」
「吐くやつもいるけど……全体的には、いろいろ違う。この前は、岩でできたヒトデみたいなのと戦ったよ」
「へぇ?」
「人間を襲う奴は、みんなドラゴンって事になってる」
「……って事は、正義の味方なんだね」
「そうとも言うかな」
「なんか、凄いね。かっこいいし、……楽しそう」
佐原はうらやましそうに言う。
「そうでもないぞ。なんのチート能力も貰えなかったからな。ロボットみたいなのを操るのが精一杯だ」
せめて、通常の三倍速ければいろいろ楽になっただろうに。
それはそうと、佐原の方はどうしているのか。
「そっちは楽しくないのか?」
祐一が聞くと、佐原は表情を曇らせる。
「楽しくないって言うか、……何もない」
「何もない?」
「半透明のゼリーでできた、檻みたいな場所に閉じ込められてて、外に出れない」
それは非常にまずい状況のように聞こえる。
「監禁、されてるのか?」
「解らない。狭いし、出入り口もないし……何かの間違いで入り込んじゃったのかもしれない」
「食べ物とかは?」
「いつもお腹が空いてて、胃がキリキリする。でももう慣れたよ。何も食べなくても死なないみたいだし……」
そう言って佐原は自虐的な笑みを見せる。昔の彼女なら、絶対にこんな表情はしなかった。
命の危険はない。だが、それが逆に事態を深刻にしているようにも思える。それは一種の無間地獄ではないか?
「……外に出れないのか?」
「無理だよ。手で叩いたり引っかいたりしたけど破けないし、道具も何もないし」
「半透明って言ったよな。外は見えるのか?」
祐一が聞くと、佐原はうなづく。
「うん、なんか月面みたいな所」
「月面?」
「あちこちに灰色の岩とか砂ばっかりで、草木なんて一本も生えていないの……」
「どういう事だ? まさか、そのゼリーの外は宇宙なのか?」
祐一が転送されたのは偶然にも地球的環境がそろっている場所で、尚且つ人が住む場所だったが、確率で言えば、とんでもない場所に放り出される事もあるのかもしれない。
だが、佐原は首を振る。
「違うと思う。一応重力はあるみたいだし、谷間を川が流れてるのも見たし……」
「なんだそれ? 砂漠か何かか?」
「そうかもしれない。あと……大きなクラゲみたいなのが、いっぱい飛んでる」
「クラゲ?」
クラゲとは本来、海の中にいるものであって、空を飛んだりはしない。
「異世界だから、クラゲが飛ぶのもありなのか?」
「……私も良くわかんない。もしかしたら、外は空気じゃないのかも」
どうにも、向こう側の状況が把握できない。
「そっちに、人間はいないのか?」
「うん……話しかけられる距離にはいなかった」
話しかけられる距離、と?
「つまり、遠くにはいるって事か?」
「そう。なんか凄い遠くの方から、私の方を観察してた。銀色の鎧みたいなのを着ていたから兵隊かもしれない」
「へぇ……その人に助けてもらうってわけにはいかないのか?」
「……」
佐原は黙り込んでしまう。なぜだか顔が赤い。
「どした?」
「その……む、向こうの私、裸だから……あんまり目立つのもちょっとなぁ、って」
「なぬっ?」
思えば、祐一自身がこっちの世界に来た時も、一糸まとわぬ裸だった。
全裸は異世界移動の定番か何かなのか。
祐一の時はすぐに服をもらえたが、佐原の方には何もない。
「いや、でも気持ちは解るけど……命の危機かもしれない時に、そんな事言ってる場合じゃないだろ」
「で、でも、その、私を見つけたのがいい人とは限らないよ? 例えば、山賊みたいな人だったらどうしよう?」
「……むぅ」
たしかに、そちらの世界が女の子の安全を保障してくれる世界とは限らないわけで……
「アロドに相談したら、なんとかならないかな。こっちに呼び出すとか……せめて、どこの次元に飛ばされたのかぐらいは……」
祐一の夢にアクセスしてこれるのだから、何か方法があるはずなのだが。
「いいよ、時田君。私はもう、これが自分の運命だと受け入れてるから」
佐原は疲れたように笑い、祐一の肩に頭を乗せる。
「そんな……」
祐一はなんとかして佐原を元気付けようと考える。
だけど、どうしようもない。気休めの言葉すら浮かんでこない。
佐原はささやくような小声で言う。
「ねえ、あの時みたいに抱きしめて」
「あの時って……」
祐一は言い、直ぐに理解した。
祐一が佐原を抱きしめたのは一度だけだ。
事故の時、守ろうとして、でも結局、何もできなかったあの時。
「……ごめん」
「時田君が謝る事じゃないよ」
祐一は佐原を抱きしめた。小さな肩だった。
佐原は、祐一の胸で少しだけ泣いた。
**
「あっさ、でっす、よ!」
ばちこぉぉぉん
「ぐはぁっ?」
祐一は物凄い衝撃で叩き起こされた。文字通り叩き起こされた。
なぜか痛む腕をなでながら起き上がる。
ベッドの横に立っていたのはフィリアだ。長さ一メートルぐらいある木の板を持っている。
「って! なんで当たり前のように木の板を持ってるんだ、おまえは!」
「……」
「おまえ、その板で何をやった? 俺に何をした?」
「……おはようございます」
フィリアは祐一から目を逸らしながら言う。
「あのさ、人としてやって言い事と悪い事が……」
「祐一さんが、いつまでたっても起きないからですよ。もう出発の時間なんです」
窓の外を見れば、暗い。夜明け前なのだから当然だ。
目覚まし時計が存在しない世界はやはり不便だ。
だからと言って、人間目覚まし時計は困る。特に木の板を振り回すような奴は。
「……なんかこの前も酷い起こされ方した気がするんだけどな」
「記憶にありませんけど」
もちろん、フィリアの記憶にはないだろう。
「そういや、何でブレアがこないんだ?」
「あの人は隊長ですよ? こんな時に、寝坊した隊員を起こしに行っている場合じゃないでしょう」
それもそうだ。
「私は見送りに来たんですよ。祐一さんが寝てたらいつまでも出発できないから、暇な私がこの役回りになったというわけです」
「その板はどこで?」
「乙女のたしなみです」
どんな乙女だ?
祐一は会話を諦め、ベッドから床に飛び降りる。
「もういいや。それより今すぐアロドに……」
「ちょっ、何を言ってるんですかあなたは? 出発の時間だって言ったの聞いてなかったんですか?」
「だけど佐原が!」
「何があったか知らないけれど、そんな時間ありません!」
「……だよな」
今すぐ出発しても、夜までに目的地につけるかどうか微妙なのだ。
強力なライトの存在しないこの世界では、夜の行軍はかなり困難を伴う。一秒の遅れも許されない。
今は邪竜退治に行くしかない。
遠征から戻ってきたら、アロドに会って、佐原の事を相談してみようと決めた。




