第九章 偽物の聖女
王都の上空を覆っていた黒い魔法陣が、音を立てて崩れていく。
その中心にいたエミリアは、呆然と空を見上げていた。
「どうして……」
手の中には、砕けた黒い宝石。
「どうして私の魔法が効かないの……?」
「答えは簡単ですわ」
背後から声がした。
エミリアが振り返る。
そこには、リリアーナが立っていた。
その後ろには五人の男たち。
ルシアン。
レオン。
カイル。
ノア。
そして、アレクシス。
「あなたが借りていた力は」
リリアーナがゆっくり歩み寄る。
「もともと、あなたのものではなかったからです」
「……!」
エミリアの顔が歪む。
「違う!」
「何が違うの?」
「私は聖女よ!」
「では、どうして聖石はあなたに反応しなかったのかしら?」
「……」
「どうして私が触れた時だけ、あれほど強く光ったのかしら?」
「違う……!」
エミリアは耳を塞ぐ。
「私は聖女なの!」
「エミリア」
アレクシスが静かに呼びかけた。
「もうやめるんだ」
「殿下まで……」
「君は、僕に何度嘘をついた?」
エミリアの顔から笑顔が消える。
「リリアーナを虐めたこと」
「……」
「呪いをかけられたという嘘」
「……」
「そして、聖女の力まで」
「違う!」
エミリアが叫ぶ。
「私だって……!」
涙が頬を伝う。
「私だって、愛されたかったの!」
誰も何も言わない。
「異世界から突然こんな場所に呼ばれて!」
「知らない人ばかりで!」
「怖かったの!」
エミリアは泣き崩れる。
「だから……だから、リリアーナが羨ましかった!」
リリアーナは黙って聞いていた。
「家族がいる」
「婚約者がいる」
「みんなに愛されてる」
エミリアはリリアーナを睨む。
「私は何もなかった!」
「……」
「だから奪ったのよ!」
「家族も!」
「王太子も!」
「聖女の力も!」
叫び声が響く。
「だって……そうしないと、誰も私を見てくれなかったから!」
リリアーナはしばらく黙っていた。
そして。
「……そう」
意外なほど穏やかな声だった。
「あなたも、寂しかったのね」
エミリアが目を見開く。
「でも」
リリアーナは続ける。
「だからといって、私を傷つけていい理由にはならないわ」
「……!」
「私も寂しかった」
リリアーナは笑う。
「あなたが来る前から、ずっと」
その言葉に。
エミリアは何も言えなくなった。
⸻
「リリアーナ」
アレクシスが声をかける。
「もう、十分だ」
リリアーナは頷いた。
「ええ」
そして大神官へ向き直る。
「エミリアを裁いてください」
「お嬢様……」
「私はもう、彼女を憎みません」
エミリアが顔を上げる。
「……え?」
「あなたを許すつもりもないけれど」
リリアーナは静かに言った。
「あなたの罪は、あなた自身が償えばいい」
その言葉に。
エミリアは初めて理解した。
リリアーナは。
自分を殺そうとしているわけでも。
復讐しようとしているわけでもない。
ただ。
自分の人生から、完全に切り離そうとしている。
それが何より苦しかった。
「待って……」
エミリアが呟く。
「お姉様……」
リリアーナは足を止めた。
「何?」
「……ごめんなさい」
初めてだった。
エミリアが心から謝ったのは。
リリアーナは振り返らない。
「その言葉は、私ではなく――」
「あなたが傷つけた人たちに言いなさい」
そう言って。
その場を去った。
⸻
数日後。
王宮で正式な裁判が開かれた。
エミリアは聖女の偽装、魔術による力の強奪、虚偽の告発など、多くの罪に問われた。
しかし。
異世界から召喚された者であることも考慮され、死刑にはならなかった。
王都から遠く離れた修道院。
そこで一生を過ごすことになった。
アストレア公爵家もまた、聖女の力を不正に奪っていたことが明らかになり、爵位を失った。
そして。
リリアーナには新たな爵位が与えられた。
「聖女公爵」
王家から独立した、特別な地位。
誰にも支配されない。
誰にも利用されない。
彼女自身が選んだ未来だった。
⸻
その授与式の夜。
舞踏会が開かれた。
リリアーナは美しい黒いドレスを纏っていた。
会場へ入った瞬間。
男たちの視線が一斉に集まる。
ルシアンが近づく。
「今夜も綺麗だね」
「ありがとう」
レオンがその横から言う。
「今日の一番の見せ場は俺とのダンスだろ」
「勝手に決めないでください」
ノアが笑う。
「じゃあ僕と――」
「全員、順番です」
カイルが淡々と言う。
「揉めるなら私が決めます」
「カイルまで……」
リリアーナは呆れたように笑う。
そこへ。
「リリアーナ」
アレクシスが現れた。
以前とは違う。
王太子としてではない。
一人の男として。
「今夜、一曲だけ踊ってもらえないか?」
リリアーナは四人を見る。
「……どうしましょう?」
ルシアンが肩をすくめる。
「一曲くらいなら」
レオンもため息をついた。
「仕方ない」
ノアは笑う。
「ちゃんと返してね」
カイルも頷いた。
「お嬢様のお好きなように」
リリアーナはアレクシスへ手を差し出した。
「一曲だけですわ」
アレクシスはその手を取る。
「ありがとう」
二人が踊り始める。
「……昔を思い出すな」
「そうですね」
「君は昔、僕と踊るだけで嬉しそうにしていた」
「今でも嬉しいですよ」
アレクシスが驚く。
「本当?」
「ええ」
リリアーナは微笑んだ。
「ただし――」
「ただし?」
「昔と同じ私だと思わないでくださいませ」
アレクシスは笑った。
「分かってる」
そして。
「僕は今の君を好きになったんだから」
リリアーナの頬が、ほんの少し赤くなる。
その瞬間。
アレクシスは思った。
もしかしたら。
いつか。
彼女が自分を選んでくれる日が来るかもしれない。
けれど。
その未来は、まだ遠い。
なぜなら。
「殿下」
曲が終わる。
リリアーナは彼の手を離した。
「ありがとうございました」
そして。
四人の男たちの元へ戻っていく。
アレクシスはその背中を見つめる。
――自分はまだ、彼女の隣の席を手に入れていない。
けれど。
諦めるつもりもなかった。
⸻
その頃。
リリアーナの屋敷では、新しい噂が生まれていた。
「聖女公爵の周囲には、四人の男がいる」
「いや、五人だ」
「王太子殿下まで?」
「まさか……」
社交界では彼女をこう呼ぶようになった。
『五人の男を従える悪役令嬢』
リリアーナは、その噂を聞いて笑った。
「五人、ですって」
「悪くないね」
ルシアンが笑う。
「俺たち全員を侍らせる気?」
「さあ?」
リリアーナは意味ありげに微笑む。
「それは皆様の努力次第ですわ」
五人の男たちの視線が交差する。
そして。
誰もが同じことを考えていた。
絶対に、彼女に選ばれてみせる。
こうして。
元・純粋無垢な公爵令嬢の――
逆ハーレム生活が、本格的に始まった。
第一部完結。
好評であれば二部投稿します。




