021 魔法よりも安全な処方で
「……あの、眠りの魔法使いさんがいるのは、ここですの……?」
生垣の隙間から現れた少女の声は、消え入りそうなほど掠れていた。
虚ろな表情。
血行の悪さからくる青白い肌に、強く充血した瞳。
明らかな睡眠障害の症状を見せるその少女の姿に、ユーマは思わず顔を顰めた。
目に見えて重症な患者のサインというのは、往々にしてフェイスラインに現れる。
異世界の存在とはいえ、基礎的な身体構造は人間と大きく変わらない――レナリーから学んだばかりだ。
ユーマはすぐに白衣を翻し、少女の元へと駆け寄った。
「ユーマ先生、どうしました?
……あら、あなた、もしかして妖精族?」
異変に気づいたマーウが、少女の姿を見て驚きの声を上げる。
「にゃ……。猫妖精族にゃ……」
「妖精族?」
ユーマが聞き返すと、マーウが素早く補足するように解説してくれた。
「幻想獣種とも呼ばれる、四つ足の動物姿へ変身ができる珍しい種族なの。
この子は猫の妖精ね」
マーウの解説と少女の顔を視界に収めた瞬間、ユーマの頭に例の「ずきり」とした頭痛が走る。
(なるほど、四つ足の獣形態を持つタイプの獣人族か。OK、理解した)
不快な頭痛を頭の隅へ追いやり、ユーマは少女の目線に合わせて屈み込んだ。
「初めまして、お嬢さん。
僕は眠りの魔法使いではないが、睡眠を専門にしている医者。
ユーマ=シーレンスだ」
「にゃー……もうなんでもいいにゃ……。
ずーっと、深く寝られないんですの。
……なんとかしてくださいまし……」
語尾すら怪しく、今にも意識の糸が切れそうな少女。
眠りたいのに寝られないのに、目だけが冴えてしまう。
これは本当に苦しい。
(多分、脳の興奮が収まらないのだろう。
まずは水分補給も兼ねて、薬草茶で落ち着いてもらおう)
ユーマはすぐに、店から鎮静と安眠効果のある薬草茶である、ナイトブレンドを持ってこさせて差し出した。
しかし、少女は一口すするなり、思いきり顔をしかめて吐き出した。
「苦くてまずいにゃーっ!」
(だめだ。五感が鋭敏すぎて、リラックス成分の清涼感より、ハーブの独特な苦味が勝ってストレスになってる)
「じゃあ、この錠剤の薬ならどうだい?」
そう言って同じ成分の丸薬を見せるが、これまた絶対拒否の姿勢を崩さない。
「喉に詰まるからイヤにゃー!」
小さな手で口を覆って拒絶される。
確かに、この小さな喉に丸薬を無理やり飲み込ませるのは可哀想だ。
かといって噛み砕かせたらそれこそ苦味で悶絶してしまうだろう。
「ユーマ先生、マッサージはどうでしょう?」
「……それなら、魔法を使ってにゃー!」
マーウの提案に被せるようにして、少女は涙目でユーマの白衣の袖を掴んだ。
どこかでマヨイビトが眠りの魔法を使えると噂を聞きつけてきたらしい。
いろいろ試して苦しかったり効かないくらいなら、魔法で一瞬で意識を奪ってほしい。
そんな切実な懇願だった。
「――できる限り、魔法には頼りたくないんだ」
ユーマは静かに首を振った。
これは意地悪とかそういう問題ではない。
ユーマにとって、この眠りの力は自分でも全容を把握していない世界のバグだ。
この少女に眠りを強制するような力を注いだら、どんな副作用をもたらすか分からない。
安易に意識を強制シャットダウンする処方は、医師としての倫理が絶対に拒絶する。
ユーマは軽くその魔法が自分の完全な制御下にないことと、人間に試したことがないことを含むように説明した。
「……でも、君の苦しみは理解できる。
だから、約束する。
このマッサージで駄目なら、安全な睡眠導入の処方を試そう。それでいいね?」
「……うにゃあ。わかりましたの。
じゃあ、まずは先生におまかせしますわ」
「いい子だ。じゃあこっちにきて。まずは、ここを少しほぐすよ」
ユーマは優しく語りかけながら、少女の額と目の周りのツボを、ゆったりとした指使いで揉みほぐしていった。
力は込めず、骨と顔の筋肉を撫でるように、優しく。
それを何度か繰り返す。
「ふにゃ……?」
目の周りの血行が変わる。
ガチガチだった少女の顔がみるみる弛緩していく。
さらに、今度は軽く耳をつまんだり離したりする。
人間に対しては耳周りのツボを刺激することで心身の緊張がほぐれ、副交感神経が優位になるはずだ。
医学書からもそこまで構造上に差異がないのは確認している。
ゆっくりつまんでは離すを繰り返していると、少女はユーマの太ももをぷにぷにと押し返し始めた。
やがて、その感触と人肌のぬくもりを感じた少女は、吸い寄せられるようにして小さな身体をユーマの膝の上へと預け、くるんと丸まった。
「ゴロゴロ……ゴロゴロ……」
次第に喉を鳴らす微かな音が聞こえ始め、猫妖精の少女はうつらうつらと、数分もしない内に穏やかな寝息を立て始めた。
「……先生、寝ちゃいました?」
「みたいだね。成功だ」
マーウがホッとしたように微笑み、ユーマはマッサージが獣人及び幻獣種という人間とは違う人種にも通じることに安堵した。
ユーマは彼女を起こさないよう、ゆっくりと、そっと自分の膝の上からソファへと身体を下ろそうとした。
――が
彼女をソファに降ろそうと持ち上げた瞬間、少女はハッと大きな目を剥いて跳び起きた。
「にゃーっ!動かないでほしいですしーっ!」
「あ、はい」
有無を言わさない剣幕に押され、ユーマは再び少女を自分の膝の上へと戻す。
すると、少女は再び「フスぅ……」と満足そうな息を漏らし、ユーマの白衣を小さな前足でぎゅっと掴んで、さらに深い眠りへと落ちていった。
少女から白衣越しに伝わる、温かくて柔らかな小さな鼓動。
その規則正しい寝息を見つめながら、ユーマは専門医としての予想を立てる。
(……これ、もしかして。他人の肌に触れていないと不安で眠れないっていう、不安障害による不眠症か?
だとしたら、精神的なアタッチメント不足が原因ということだろうか?)
お医者さんの膝の上で、不眠症の猫妖精は幸せそうに眠る。
その表情はあまりにも愛くるしいが、厄介な症状。
彼女とユーマの『添い寝治療』の日常が、ここに始まりを告げた。




